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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年3月 9日 (月)

ゴミ出しの話

 家事で大変そうに見える時など,パートナーの手伝いをしようと申し出ても,大体は自分でやると言って受け入れられないので,どうしたものかなとおもいつづけていたのですが,今朝,朝のゴミ出しで大きなゴミ袋を二つ持って行こうとしていたときに,ふと気が付いて,「ついでにちょっと歩いてくるから僕が出してくる」と言ったら,これはわりにスムーズに受け入れられました。

 パートナーが大変そうだから手伝う,という形だと,「これは自分がやると決めていることだから」なのか「パンダに負担をかけないように」ということなのか,あるいは「私のことは放っておいて」なのか,なかなかこちらの「好意」を受け入れてもらえない感じになるのですが,私がそうすることに,何か別の理由が着けば彼女の方は受け入れやすいのかもしれません。





 
 




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コメント

もしも、うちの娘だったら……
たぶん、こう考えるかな?

1.自分でやろうとしていたことを途中で声を掛けられると、まだ出来ていないの?という責めに思える。

2.本人の中では一連の流れになっているので、流れが中断されて混乱する。

大変そうに思って…という気遣いが、本人には、予想外の介入ととられてしまうこと、よくあります。

はじめまして!いつも楽しく拝見しております。どうぞよろしくお願い致します。
私は、アスペ7:定型3の感覚です(^^;)ちなみに彼氏はアスペです。

さて「ゴミ出しの話」ですが、アスペ的思考かどうかはさておき…
このような考え方(私の場合)もあります。参考までに。

〈手伝いの申し出を断る理由〉
どんなに親しい間柄(身内等)でも、基本的に人に依頼したり負担をかける事が苦手。
特に簡単な事(作業)ほど、安易に譲れない。その心理状態は以下のような感じ。
「相手に負担をかけたくない(思いやり)」「簡単に借りをつくりたくない」
「相手は多少なりとも【してやった感】を抱くであろう」

なので、本当に助けが必要な(大変な)場合を除き、基本的にサポートは不要。
でも「ついで」と言われたら、上記の心理に「誰が出すのが効率が良いか?」がプラス
され、合理性から「依頼」する場合もある。しかしその場合、「感謝」の気持ちはない。
なぜなら、それは「依頼」ではなく「作業を譲った」だけだから。


相手に対する愛情とかは別問題で、私の場合はこんな思考パターンです(^^;


あすなろさん

 2番目はなんとなくそんなこともあるかなとは思っていましたが,1番目は考えていませんでした。

 パートナーはそういうつもりはないらしいのに,私の方が「責め立てられた」ように感じることはときどきあったのですが,その逆のケースは想像しませんでした。でもありうるんでしょうね,きっと。

 なんか「小さな親切大きなお世話」という標語(?)を思い出しました。


コアラさん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
 楽しくご覧いただいているということで,とても嬉しかったです。
 結構重い話の連続ですので,場合によっては気がめいることもあるでしょうし,
 そこで「面白さ」を見出していただけたとすれば,とても勇気づけられます。

>合理性から「依頼」する場合もある。しかしその場合、「感謝」の気持ちはない。…相手に対する愛情とかは別問題

 私なりに外側から「こんな感じだろうか」と想像してみても,ほんとかどうかわかりませんし,自信も持てないところ,こんな風にご自身の感覚として説明して頂けると,なにか考える足場を与えていただいたようで,とてもありがたいです。

 それにしてもこの「感謝の気持ち」の持ち方のズレの問題はかなり大きいんだろうなと思いました。

初めまして。かなり前からブックマークして繰返し記事を読んでいます。書籍も拝読しました。実は私の好きな人(個人的な事情で関係は伏せさせて頂きます)がアスペルガーで、ここに書かれている殆どが、まるで自分のことのようで冷や汗が出るほどです。知るまでは尽くしても尽くしても気持ちが伝わらないこと、不可解な発言、理不尽な出来事に精神がズタズタになっていました。知ってからも記事のタイトル通り「頭で理解しても心で納得できず」悪気がない心理が解っていても言葉そのものに傷付いています。突然投げ掛けられる私の身内の悪口(悪口のつもりはなく思ったことを言っているだけ)や、私の話を無視され常に会話が一方通行だったり(無視ではなく単に切り替えができないだけで、忘れた頃に投げ掛けた話題についての反応があったり)、話の内容に関係のない揚げ足を取られたり(本人の基準で何かが引っ掛かっただけ)、それでも(定型の)正論や社会通念が通じず、一切の反論や否定ができず、独りで痛みを抱えざるを得ない、多分このブログを読む人なら想像が付くような壮絶な精神的損傷を受けてきました。
この記事にコメントしたのは、日常的に地味に傷付くのは、好意、善意に対して「構わないで」「放っておいて」と言われることだからです。定型社会ならほぼ確実に「ありがとう」と言われる場面です。(※お礼を求めている訳ではありません)まるで自分が拒否されているように感じます。ただ、本当に迷惑というわけではなく、実際は受け入れられています。お礼を言われることもあります。
最近、真剣に気になるのは、アスペルガーの方はどのような場面で「感謝」を感じるのかということです。ついで、の話のように「押し付ける感」がなく「たまたま好都合」の形なら、こちらの目的(役に立つこと)は達成されますが、やはり相手に喜ばれたいのです。「必要なとき以外は放っておいてくれる都合の良い存在」が一番だとは思いますが・・・

ジャスミン様

昨日初コメしたコアラと申します。新米ですがどうぞよろしくお願いいたします。
私はアスペと定型が自分の中に共存している感じで、自分がどの立場からコメントしてよいのか迷うところではありますが・・・昨日の記事に関しては、パンダ奥様の気持ちがわかるような気がしたので(思い違いかもしれませんが^^;)コメントさせていただきました。
私も常日頃、人からの手助けは可能な限りお断りしているので(親しい人ほど断りやすい)その理由を参考までに述べさせていただきます。アスペ的思考とは関係ないかもしれませんので、予めご了承くださいm( )m

>日常的に地味に傷付くのは、好意、善意に対して「構わないで」「放っておいて」と言われることだからです。定型社会ならほぼ確実に「ありがとう」と言われる場面です。

私の場合、断る理由の大半が「自分のやり方」や「自分の段取り」です。「やり方」については、自分なりのこだわりが非常に強く(完成度や手順等)、相手にそれを求めるのは良くないのを経験上わかっていて、それでも無理に作業をお願いせざるを得なかった場合はものすごいストレスがかかります。幼児に「やってみたい!」と笑顔でお願いされて渋々させてあげてる時のような気分です。(←決してバカにしている訳ではありません)
そして、後でまた「やり直し」をする場合もあり、その二度手間が受け入れがたいです。
善意である事は理解出来ても、それを望んではいないので、本当に親しい間柄であるからこそ「断る」ことが無理なく自然に出来ます。(安心してというか・・・)
また「段取り」については、その日のスケジュールを合理的に時間配分していたりする場合、それが狂いかねないので「断る」ことになります。なので、「拒否」のつもりはなく、
感覚的には「No, thank you.」「ありがとう、でも大丈夫だよ!」ってな感じです。

>アスペルガーの方はどのような場面で「感謝」を感じるのかということです。

これは人それぞれだと思います(^^) その人の「感謝」するポイントを見極めるのは難しいのかもしれません。「感謝」していても表現しない場合や、定型側が求めるのとは違った形の表現をしている場合もあったり、心とは裏腹に「感謝」しているフリをする場合もあるかもしれず。。。ん~、難しいです(笑)


パンダ様

お忙しい中、返信してくださりありがとうございますm( )m
パンダ様はじめ、こちらにいらっしゃる皆様の意見がとても参考になります。
これからも勉強させていただきますので、よろしくお願いいたします。


コアラ様、丁寧なお返事ありがとうございます。
「ノーサンキュー」とても納得し救われます。
感謝について知りたかったのは、漠然と「感謝している」と言われることがあるのですが、具体的にどの行為が迷惑でどの行為が有難いのか全く掴めないのです。同じ行為や言葉でも、気分によって喜ばれたり文句を言われたりします。
頼まれ事を断るのがしんどいタイプで、親しくない人の個展や舞台やパーティや飲食店や色々な誘いには必ず行きます。(積極奇異型で飲食店や道端で誰にでも声をかけ知り合いになり沢山の知り合いが居ますが本人は「常に孤独で居たい、自由で居たい」、誘いがしんどいとも言います。)私に対しては「渡したい物があるので1分だけ」も「着替えるのが面倒」と断られます。(以前は嫌われているのかと思ってましたが、そうではなく親しみだというのは分かっています。)
「頼まれ事」は相手の利益ですが、定型は「頼られること自体が嬉しい」ので、相手に感謝します。そういうのはあるのでしょうか。又、「頼み事」の場合、自分の利益の中身(物や作業の質など)の他に「気持ちが嬉しい」というのはあるのでしょうか。
「感謝」の中身を聞くわけにいかず、少しでも気に障ることを避けたいのですが、なかなか難しいです。

パンダさん

娘は幼い頃から、1番の原因で相手の行為をつっぱねることが多く、本人もそう言います。
もしかしたら、アスペ的本能みたいなところなのかな?と私は思うのですが。

2番の原因は、掲示板で教えていただいたことにも繋がりますね。
娘の場合はこの流れというのがまだ漠然としているのに、「私はちゃんと分かってやっている!」と言い切ります。その自信はどこから?と思うのですが。
大人で、独自の流れがしっかりと出来上がっていたら、余計に「流れを止めないで!」と思うかも。

あと、アスペ定型とは関係なく、主婦の立場からきついことを言わせていただきますと…。

大変なのが分かるなら、お手伝いではなく、出来そうな家事を分担してほしいな。
分担された部分に関しては、お互い感謝はありませんし、出来なかったら自分の責任です。
分担された部分が出来ないと分かって相手に依頼したときは、やってもらったことに感謝です。

なんて、夫に言ってみたい!

ジャスミン様

>具体的にどの行為が迷惑でどの行為が有難いのか全く掴めないのです。

本当にそうですよね(笑)私も、まだ付き合いの浅い彼氏(アスペ)の喜ぶポイントが全く掴めていません。でも、周りが私に対してそう(掴めないと)思っているであろう事はわかります。自分の気持ちや感じ方も状況などで「日替わり」したりするので、「これが正解!」というのはないのかもしれませんね。彼に対しては、いろんなパターンを通して「こういう傾向がある」というような具合に分析していこうと思ってます。
ちなみに私の中の「感謝」の感覚は、そばにいてくれる「存在」に感謝したり、具体的ではなく抽象的なものが多いです。

>「頼まれ事」は相手の利益ですが、定型は「頼られること自体が嬉しい」ので、相手に感謝します。そういうのはあるのでしょうか。又、「頼み事」の場合、自分の利益の中身(物や作業の質など)の他に「気持ちが嬉しい」というのはあるのでしょうか。

これも私特有の感覚で参考にならないかもしれませんが・・・自分の中に工程表みたいなものがあって、それを管理するのは自分。イレギュラーな事はできるだけ避けたいと思っているが、自分の能力不足であったり、他者からの手助けなどで「イレギュラーな事態」を受け入れなければいけないこともある。受け入れた理由は何であれ、それを受け入れて工程表を修正したのは自分だから。。。(←スミマセン!これに続く言葉が思い浮かばないです^^;) イメージ的にはこんな↓感じです。
自分がジグソーパズルを作っていて、横からパズルの1ピース(善意)が差し出されて、それが使えそうだったら使うし使わない場合もある。(その1ピースは必ずしもその作品のものとは限らない)そして、自分はパズルを完成させることに集中しているので、差し出された1ピースが「使えるコマ」であったとしても、いちいち(←言葉が悪くてスミマセン;)感謝することはない。「使えるコマを貰えて、感謝していないのか?」と聞かれれば、「そりゃあ、感謝してるけど・・・」という風な感じです。

>少しでも気に障ることを避けたいのですが、なかなか難しいです。

この気持ちはすっごくよくわかります!けれど。。。「少しでも気に障ることを避けたい」に囚われ過ぎると、それが難しいだけにものすごく疲れてしまって身が持たないと思います。相手もこちらの事はわからないだろうし、「歩み寄り」の姿勢を持ちつつ「お互い様」という割り切りも必要なんじゃないかなぁ?と思います。
あと、「気に障ること」がわかったところで相手とうまくいくとは限りません。
ずっとすれ違ったままでも一緒にいる父(アスペ)と母(定型)を見てて、そう思います。
私は父の取り扱いがわかるけど、かかわることができません。両親が大喧嘩になった時、昔から双方に相手の気持ちや感覚を通訳しても、互いにそれを理解することは不可能でした。だから同じ喧嘩を何十年もしてるという・・・(ーー;)
それでも一緒にいるのは、やはり「相性」なのかと思います。わかりあえない者同士でも、何かしらの心地よさがあるから一緒にいるのだと思います。だから私は、彼に対してあまり難しく考えずに「なるようになるさ~♪」くらいの構えでいよう!と常々自分に言い聞かせています(^^)

ジャスミンさん

 はじめまして。ありがとうございます。

>ここに書かれている殆どが、まるで自分のことのようで冷や汗が出るほどです。

 そんなふうに書いていただくと,自分が感じていること,悩ましく思うことは,決してたんに個人的な思い違いや思い込みではなくて,他の方とも共有されていることなんだなと思えて,それで救われる感じがします。

>日常的に地味に傷付くのは、好意、善意に対して「構わないで」「放っておいて」と言われること

 これもよく分ります。そういうのの積み重ねがじわーっと効いてくるんですよね。こういうの,「慣れる」というのはむつかしいです。


あすなろさん

>大変なのが分かるなら、お手伝いではなく、出来そうな家事を分担してほしいな。

 分担はあるんですが,なかなか満足はしてもらえません。

 一緒に暮らし始めたころは食事も洗濯も掃除も,かなり平等に近く分担していましたが,その後彼女の方が専業主婦になる時期があって,そこで大部分は彼女がやることになり,それから再び分担を増やそうとしたときに,全然事情が変わってしまいました。
 
 最初の時はそれぞれが基本的にそれぞれのやりかたでできたのですが,一旦彼女が全体をやるようになってからは,彼女のやり方が基準とされてしまって,私がやることには常に「監視」や「チェック」が入り,繰り返し文句を言われる,という感じになってしまいました。まるでいじわるな姑に使える嫁のような気分に…(^ ^;)ゞ

 もちろん私も不注意だったりということもあるわけですけれど,「なんでそこまで?」ということも多かったし,「そんなのやる人の勝手でしょう」と思うことも多かったし,正直,協力して一緒に頑張るという気持ちがどんどんそがれていきました。「そこまでこちらのやりかたを無視して言うなら勝手に好きなようにすればいいじゃない」という気分にさせられていくんです。

 ということで,結果的に彼女が彼女の基準で,彼女が納得するようにやる,という方向にどうしても傾いていきました。その流れの中で,でもしんどそうなので,手を出そうとすると,やっぱりむつかしいんですね。まあ,最低限の分担についても,私がミスしたり,うまくできなかったりすることもありますから,そこは言われてもしょうがないですが。

 まあ,ただこういうのは,私の目から見たストーリーなので,彼女の目から見ると,またちょっと違った展開が見えるのかもしれません。そこはまだ不明……。

 

パンダさんご夫妻のこれまでの経緯を知らずに、差し出がましいことを申し上げてすみません。

けれど、詳しく書いていただいたことで、また少し発見したことがありました。

パンダさんの奥様と私の夫の行動の根底には同じ心理があるとも考えられるかな?と。

また、事情を知りもしない私が一方的に決めつけてはいけないので、あくまで夫の例を挙げますが。

夫は、育った環境から、家事は妻がやるものという思い込みがあります。
食事のときも、自分では基本的に配膳を手伝いません。全て整って呼ばれるのを待っている状態。
そして、一度座ったら終わるまで席を立たない。
しかし、配膳の位置が違えば怒り出し、おかわりのご飯の量が思ったものと違うと怒り出し、調味料や皿が足りなければ、私が他の用をしていても呼びつけて持ってこさせ……。

たいていは、夫の思うように全て整うことはありません。思うようにしたかったら、自分で席を立って欲しいものを取ってくればいいのです。
しかし、思い込みでそれが出来ないのです。

家事全般においてそうなので、その度に衝突してきました。少しずつ手伝うようになったら、今度は「こうやれば簡単にできるじゃないか」と、私にやり方を説明する手段としてやるようになりました。
家事は妻。思うようにしたければ妻を教育するという間違った方向に行き出しました。

お互いできるものを協力すれば、一番思う通りに行くと思うのですが、彼はその合理性よりも、自分のこだわりの方が強くて、どうしてもそれに抗えないという感じです。

そこで、逆を考えれば、女性も、家事は妻という思い込みが生まれる可能性はあるかもしれません。
特に日本では、高齢の方がそういう基準を持っていることが多いので、親の刷り込み、諸先輩方のアドバイスなど、思い込みが生まれる背景がたくさんあります。

ここに来られているアスペの方は、割とドライに物事を捉えられている方が多いようなので、それぞれのやり方を尊重するという方法が取れそうですが、夫のように、人の役割、肩書きというものに拘ってしまった場合、相手を自分の思う役割に縛り付けずにはいられないという、難しい問題が出てくることもあるのでは?と思えます。

あすなろさん

 パートナーがどういう女性観を持っているのかは,考えてみると私はよく分っていない気がします。事実としては実家のお義父さんは家事などは全くしない人で,子どもが小さいときに私がおむつ替えをしていたら,お義母さんはものすごくびっくりしてました。私はびっくりされてびっくりしたんですが (笑) 

 あ,あと思い出しましたけど,お義母さんが来られた時に,私の食事当番の日でハヤシライスを作ったことがあったんですが,それを食べてまた驚かれていました。まあ考えてみるとあのお義父さん(かなり強烈にアスぺな方でした)とずっと暮らされていたのなら,まあそうなるかなと。

 そのパターンを彼女が身に着けているとすれば,おっしゃるようなことになるのかもしれないし,とはいえ,私がおむつ替えをしたり家事分担したりするのは別に当然のことのような感じでしたから,そこは違うのかもしれないし,ほんとによくわかんないです (^ ^;)ゞ

 

ゴミ出しの話が膨らんでしまって申し訳ないですが(笑)
また繋がる気がしたので、覚えているうちに。

夫は基本的に家事が好きなようです。
しかし、アスペの特性からか、自分の興味がある部分に関して。
整理整頓などは、私がADHDなので、本当は彼がやってくれた方がいいくらいです。
そして、独特のポリシーもある。

私がおかしいな?と思ったのは、本来家事に興味があり、こだわりもある人のなのに、なぜ頑なにやろうとしないのか?

そこが、昔から言う『亭主関白』とは違うからです。

うちも、結婚当初は私もフルタイムで働いていたので分担しよう協力しようと話し合っていました。
変わったのは私が一旦家に入ってからですね。

義母と同じ専業主婦になって、イメージが両親と同じになったのか?

ともかく、本来の彼自身はそういう性格ではないのに、拘りに突き動かされているという感じが拭えません。

あすなろさん

 ゴミ出しというある意味では些細な話なんでしょうけれど,
 ちょっと考えてみると,そこからいろんなことが新しく見えてくるんですね。
 家事をめぐるトラブルについても,ほんとにそれぞれの家庭の
 それぞれの歴史があって,いろんな面を持ちながら
 「今」につながっているんだなと思います。

かずきです。
家事に関してくくって考えると、アスペ定型に関わらずあると思います。
義母と私でやり方が違いますが、結婚(同居)当初はすべて直されたり「そんなやり方気持ち悪い」と言われたり、散々でしたよ。
年数経った今はある程度お互いに目をつぶっていますが、
(義母が定型かは分かりませんが)私がこだわりがあるわけではないと思うのです。
義母のやり方の嫌な理由は明確ですが(洗濯物が乾きにくいとか)
かといって義母がしたのを直すほどの拘りは私にはありません。
義母のやり方に変える事はしない程度の拘りです。
このメーカーがいいとか、誰にでもある拘りじゃないかな、と思います。
なので、アスペ定型に関わらない問題でもあるのではないかと思います。

今回のゴミ捨てに関してだけ言えば、行こうとして段取り組んであった後なら、戸惑いますね。特に毎日のルーチンに組み込まれていたのなら尚更です。
ついでだと言われたら合理的に考えて頼むかもしれません。
もしくは、今後は毎回やるとか。ルーチンから外れますから予定を組み替えればいいだけですから。

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