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  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年3月22日 (日)

傷つけることの責任

 最近またしみじみ思うことの一つは,誰も別に選択して自分に生まれているわけじゃないのになあ,ということです。

 パートナーは自分がアスぺとして生まれたことについて,やっぱり全く意図しないところで結果として人を傷つけ,また訳が分からず傷つけられてきた自分を肯定できないみたいだし,私もパートナーも含めていろいろ人を傷つけたり傷つけられたりして生きてきましたけれど,別に二人とも努力をしなかったわけではないし,それなりに精一杯生きてきたとは思います。

 でも,現実には「頑張ればどうにかなる」というものではない世界があって,でも別に誰もそういう世界を自分が選んで生まれたわけではないし,そこで「上手に頑張れる」人がいるとしても,そうならない自分をわざわざ選んだわけでもない。ただもうどうしようもなくそうなってしまっている,としか言えない状況はあるわけです。

 もちろん,人によってはそれでも「全ては結局自分の選択,決意,努力の問題だ」と考える方もあるでしょうし,そう思うことで前向きに生きていかれたり,また生きていこうとされたりできるのだと思います。そう思える限りでは,その方にとってはそれは「正解」なのだろうとも思えます。

 でも,理屈からいえば,「前向きに生きる力は自分が選んで作り上げたものなのか」と考えてみると,それはそうは簡単に言えないこともまた事実でしょう。実際定型アスぺを問わず,子ども時代に十分受け入れられ,否定されず,肯定されて育ったかどうか,によって,その後にその子が前向きに生きやすくなるかどうかは大きく変わっていくようです。

 でもそういう成育環境を自分が選んだのかといえば,それもまたそうはいえませんから,そこまで考えれば,また元の話に戻ってしまいます。

 別に自分が選んだわけでもない自分の生き方について,しかも全然自分が望んだわけでもない形でそれが自分や人を傷つけたとして,そのことを責められたり,責任を問われたりするのがこの世の中ですよね。

 それって,ある意味で自分が自分として生きていくこと自体が罪であるというような,そんな話にもなってしまうかもしれません。「それが世の中というものだよ」と言えば言えるのかもしれませんが,やっぱり割り切れなさが残る。


 一方で掲示板で書かれているみなさんの体験やコメントしていただくご意見などを拝見していても,実際にどちらの立場からもものすごく傷つけられていることは否定しようのない事実でしょう。そこまで傷つけられれば,激しい憤りや怒り,恨みなどが積もりに積もったとしても,何の不思議もありません。「復讐したい」という気持ちが生まれたとしても,それも無理はないとさえ感じさせられます。(逆に言えばそこまでの状況を抱えながら,なおそこから「次」を考えようとされているみなさんのすごさに,繰り返し圧倒されてもいます)

 そういう激しい負の思いに耐え続ければ,鬱になるのも,これも当然でしょう。そういう状態が望ましいわけはありません。


 ある面では自分に原因があるとは言えないことで責められる理不尽があり,でも他方では現実に自分が関わって人が傷つく事態があり,そこには責任を感じざるをえない状況が続く……


 ああ,でも「答え」は意外に素朴なものなのかもしれないと,ふと思いました。過去については実質的には自分には選択の可能性はなく,明確な悪意でもない限りは,それを一方的に責任を問われ,断罪することには無理がある。そこではお互いが傷ついていることもある。でも,今現在そのことを意識できた以上,その限りで今から後の生き方には責任が生まれるということでしょう。

 パーフェクトに生きることは今後も不可能であるにしても,お互いに傷つけあわない工夫をし,そのための努力をすることは可能です。そうやって手探りをしながらすこしでも不幸を減らし,逆に幸福感を増していくことも目指せるはずです。責任は過去に向けられたものではなく,未来に向けられたものなのですね。そう考えると,少し気が楽になる感じがします。

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コメント

私たちの前の世代は、理不尽な経験をしても、それに異議を唱える暇さえ与えられませんでした。そういう発想を持つこと自体、罪だと思わされていたのです。
その歪みを請け負ってきて、ようやく疑問を持つことが許された。
しかし、気付いてしまったらあまりにも大きな問題だった。
それによって今、様々な心身症を訴える人が出てきているのかもしれません。

アスペどころか、自閉やその他の発達障害が明らかになってきたのも、カサンドラが話題になったのも、こういうところから来ているんだと思います。

しかし、気づかなければ良かったわけでは決してない。
世の中には、発達障害自体を否定する人もまだ存在します。

そういう逆行する動きよりは、明らかに建設的な方向へ向かおうとしているんだと、思えますね。

実りが見られるのはいつなのかは、見当は付きませんけど(笑)

あすなろさん

>私たちの前の世代は、理不尽な経験をしても、それに異議を唱える暇さえ与えられませんでした。そういう発想を持つこと自体、罪だと思わされていたのです。

 障がい者が隠されたり虐げられたり,といった話でしょうか。
 また機会がありましたら教えてください。

>アスペどころか、自閉やその他の発達障害が明らかになってきたのも、カサンドラが話題になったのも、こういうところから来ているんだと思います。

 ネット環境が浸透したことも,それまで孤立していた「少数者」が
 つながって「自分たち」を発見できるようになってきた原因の一つ
 という気がします。

 この場もそういう形で初めて成り立ったわけですし,
 それなしでは決してであったり交流したりすることはなかった
 多くの方たちのやりとりやつながりが生み出されました。

 ネットには負の側面もたくさんありますけれど,
 というかそれがあるからこそ,
 逆に「建設的な」可能性を追求していきたいですね。

前の世代は、異議を唱えることさえ許されなかった……
これまで、いろんな方のお話を伺ったりして、気付いたことです。
たくさんありますが、3つ例を挙げますと……

友人の高齢の両親は、友人曰く、父親の言動は私の夫の言動に似たものを感じるとのこと。
婿養子で、離婚などは毛頭なく、とにかく父親の理解不能な言動に母親も子どもも耐えてきた。
父親に認知症の症状が出始めたとき、父親が家族の無理解に長年不満を抱いていたと暴れ、警察沙汰にまでなり。
ようやく施設に入所できたものの、体調を崩して入院し、高齢の母親は、老体に鞭打って病院通い。
家族の誰もが、父親を憎み……。
そこには、父親に障害があるかもしれないという理解とか、離婚で解決しようとかいう選択は全くなく……
お互いが憎み合って余生を送るという悲劇に。


近所の86歳のおばあさん。
たまたま世間話をしたとき、自分が夫から受けてきた理不尽な扱いを、淡々と話し始め……。
夫の通院に、毎日1時間以上かけて付き添い、支度が遅いと駅まで歩けと怒鳴られ、そんな生活で血便が出るほど体調が崩れ、近所の人から検査を勧められて検査をする当日、夫が事故を起こし、自分の検査は後回しにして夫の病院に。しかし、夫は、病室が不満だとか、来るのが遅いとか、タクシーを使うなとか、毎日奥さんを罵倒し。
夫が亡くなったのはいつかは分からないけど、70過ぎだとすれば、このおばあさんは、人生のほとんどの期間、夫に耐え続け、86歳になった今も、解消できない思いを抱えている。
この夫が、本当に横暴な人なら、手の施しようはないけど、もしもアスペで、相手の体調や都合を察することができなかったとしたら、そして、夫婦でそういう傾向が認識できていたら、ちがったのでは?

息子が幼い時、義父はエリートに育てたいと勝手に決め、小学校受験を勧めた。
しかし、幼稚園のときに息子は診断を受けたので、時間をかけて説得。本当の意味での理解はしてなかったけど、お受験は諦めてくれた。
もしも息子が診断されておらず、義父の思う教育を、無理やり受けさせられていたら、息子は崩壊していた。
普通の学校でも大変だったのに……。
今は自分の得意な分野の勉強に張り切っていて、高齢になって自分の生活もひとりでは儘ならない義父は、素直に息子の頑張りを認めている。

長くなりましたが、そんな話を聞いたり、経験したりして、発達障害という概念が認められ、根性論ではどうにもならないことを知ることは本当に大切で、昔はそれが無かったことで苦しんでいた人が、アスペ定型双方に、どれほどいたのだろうと思うのです。

カサンドラのような状態は、今に始まったことではなく、それを訴えることすらできない人がたくさんいたということじゃないかと。

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