2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« テクニックの伝授で終わらない問題 | トップページ | アスぺも定型も似たようなもの »

2015年3月 2日 (月)

頭で考える 気持ちで動く

 大雑把な話ですけれど,頭で考えることと気持ちで動くこと,という二つのことを考えたとして,アスぺの方は素直な気持ちで定型的なやりとりに入ることがむつかしく,その結果頭でいろいろ考えて,ああいうことか,こういうことかと想像せざるを得なくなるのかなと思います。

 ところが定型とは感覚の違いがなくなるわけではないので,そうやってアスぺの方が苦労してやることについて,どうしても定型的なやりかたとはズレが生まれます。そうすると定型からは「形だけ」で「心がこもっていない」とかまた批判されたりする。

 さらにひどくなると,「お前は人間の心を持っていない」とまで言われることもある。感情が無く,計算高い,ロボットのようなやつだと決めつけられたりもする。

 でも,考えてみればもともと気持ちの面では無理をして,なんとか定型のやり方に形を合わせようとしてされていることですから,そうなるのが当然と言えば当然ということになります。本当はアスぺの方も怒り,悲しみ,喜ぶ心は豊かにお持ちなのに,定型との間では(あるいは他者との間では?),そこを封印して「頭で考えて努力する」しかなくなるわけです。

 一方で定型の側がアスぺの方に対応しようとするとき,最初は定型的な感覚で,定型的な感情的やりとりをベースに関係を作ろうとする。ところがこちらは善意で気持ちを込めて関わろうとしても,それがことごとく否定されてしまうような経験が積み重なる。

 定型が持っている感情的な関係の修復方法のありとあらゆるものを使ってみても,どうにもうまくいかず,むしろ定型的な感覚では「そのやりかたは関係を否定するものだ」と感じられるようなやりかたで返されたりして,善意で関わろうとすればするほど,逆に傷ついてしまったりもする。

 そんな経過の中で,それでもなお定型の側からアスぺの方に手を差し伸べようとすれば,もう「感情的な関わり」は封印せざるを得なくなり,「アスぺの方はコミュニケーション能力が障害されているのだから,社会適応のために,感情抜きで技術を教えるしかない」という発想になっていく。

 仮にそんなふうに事態の推移を理解してみたとして,もしそうなら定型の側もアスぺの方の側も,結局同じようなことをやっていることにならないでしょうか。

 自分に素直な気持ちで動けばトラブル続きになる。だから感情を封印して頭で考え,「頭で動く」みたいな形にならざるを得なくなる。アスぺの方は定型の気持ちの動き方には強い不信感も抱かれ,定型もアスぺの方の気持ちの動きを「心無いもの」と感じるようになる。なんか瓜二つのように感じられます。

 で,このブログでも,普通に生きていく分にはわざわざ考える必要もないようなことを,うじうじとほじくり返して考え続けています。それはやっぱり自分の普通の感覚で対処しようとしても,ことごとく限界に来てしまうから,「一体それはなぜ?」と頭で考えざるを得ない状況に追い込まれるからです。

 ただ,上に説明したような状況はなんとか超えたい,という思いの中で頭で考えているという違いはあるかもしれません。少なくとも,「どうしても気持ちの調整はむつかしい」という現実を踏まえたうえで,なお何らかの形でお互いの自然な感覚を否定せずに関係を調整する道を考える,という道を模索しているのだと思います。

 こんな風に整理してみると,私がこだわって模索していたことがなんとなく見えて来る感じがします。

             

楽天ブックスは品揃え200万点以上!

« テクニックの伝授で終わらない問題 | トップページ | アスぺも定型も似たようなもの »

コメント

こんばんは。

定型をアスペが振り回してしまうという言い方に、実は私はずっと違和感を持っていました。アスペだって辛いしいちいち疑ってしまうしで定型を意識して苦しむのに。
アスペの私が言うのはどうなんだと思っていましたが、今回の記事を読んでみて、やはりお互い様なのかなと思いました。

私は心がないみたいに怒られるのは辛いですが、母や親友などごく一部の人からは言われても大丈夫かなと思っています。それは「この人になら怒られても絶望しない」「この人になら悲しませてしまっても自分なりに歩み寄れる」と信頼しているからです。相手も私がアスペだと知らない段階から私を受け入れてくれているならそういうすれ違いも含めて『違いを楽しむ』ことができていると言っていいのかなと感じます。相手と私とで心の動きが違っても、そういうやりとりも含めて楽しんでいられたらいいのかなと。あ、もちろん相手が私に伝えたいことをスルーするつもりはありません。最近はちゃんと理解するように復唱したりしています。

私の文章が拙いためパンダさんの記事のテーマにうまく沿ったコメントができていないかもしれませんが『ボクの彼女は発達障害』のくらげさんとあおさんはこのような関係なのかなと思います。感情を擦り合わせなくてもお互い好きならいいじゃないかと最初から思えているからくらげさんの場合は7年間一度もカサンドラにならないのかなと思います。

ゆかさん

>今回の記事を読んでみて、やはりお互い様なのかなと思いました。

 この記事でそんな風に感じていただけたとすれば,
 私の考えてきたことは,定型的見方に大きくズレた話ではなくて,
 それなりにアスぺの方とも共有可能な部分が広がっているのかもと,
 ほっとしますし,とても嬉しいです。

 『ボクの彼女は発達障害』は読んだことが無かったので,
 早速注文してみました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/59113267

この記事へのトラックバック一覧です: 頭で考える 気持ちで動く:

« テクニックの伝授で終わらない問題 | トップページ | アスぺも定型も似たようなもの »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ