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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年3月25日 (水)

つながりの共有とズレ

 B-bさんのコメント

「ASと関わっていくには 見返りを求めないこと どれだけ深い関係になったとしてもあっさり 別れがやってくることを覚悟の上でないと 定型は壊れてしまうと思います。」

 とあって,定型アスぺ問題はそういうぎりぎりの深刻な問題なんだよなあと,改めて思います。 

 あすなろさんも三つの例を挙げて,発達障がいといった見方もなかったころの苦労を紹介してくださっています。

 「障がい」という理解の仕方は,そうやって一部の方を枠づけることで自分たちから切り離して排除する方向にも進みうるし,違いを前提にした援助や関係の調整のほうに進むこともあるし,両刃の剣というところがあります。

 いずれにせよある程度以上(その境目はむつかしいですが)に違いが大きくなると,自分が今ある程度安定して,健康的に自分を保てる範囲を問題の大きさが超えてしまって,相手を切り離すか,自分を変えるかしないとどうしようもない状態に追い込まれて行くでしょう。

 そういう問題なんだ,という理解が持てないと,今の自分の考え方,感じ方で,今の努力の仕方で問題に対処しようとし,また周りからもそうすることを求められ,それができなければ「自分の努力が足りない」とか「もっと頑張らなければならないでしょう」とか「それは我慢しなければ」とか,そんな圧力が自分の中からも外からも続くことになって,泥沼に入り込んでいくでしょう。

 あすなろさんの紹介してくださった例なども,それが本当に悲惨な状態に進んでいった例なのだろうなと思います。

 落語の人情話なんか聞いていると,「ああ,これは今なら人格障害の話になるんだろうなあ」と感じるものに何度か出会います。でも落語が作られた当時はそういう理解はないわけですから,そこはなんとか「人情」で問題に対処しようとし,それが美談になっています。ただ実際にはそんなに美しい結末で終わることはむつかしかったでしょう。一時そういう感じになったとしても,その状態が保てるかどうか。

 夫婦関係などは,どうしようもなく密室化していく可能性がありますし,以前,夫に対して殺意を抱き続けるまでになったエピソードも,なにかで読んだか聞いたかしたことがあって,当時はただ驚くだけで理解できませんでしたが,そこまで追い詰められたとしても無理はないような,そんな問題の深刻さを今はかなり感じ取ることができるようになってきました。

 (これを書いていてふと気づきましたが,少し前なら同じようなことを書くとき,そこで「追い込まれて苦しむ」の側の人としては,定型をイメージしただろうと思います。それは意図してそうなると言うより,自然にそういうイメージがわいてきてしまうという感じで。ところが今はアスぺの方も結局同じ状況に置かれていると,わりと自然に思え,上の文章を書きながら,イメージが定型の側に全然限られませんでした。これも自分の中に起こっている大事な変化の一つかもしれません)

 やはり違いを前提にしたつながり方を考えることがどうしても必要なのだと思いますが,そこで次に問題になるのは,違いがあったうえで,なおかつ繋がれるのはなぜか,なにがつながりを可能にするのか,という問題だろうと思います。このことについては,これまでは相手に何かの魅力を感じるとか,相性の問題とか,その程度のことでしか考えられなかったし,表現もできませんでした。

 今もそこに大きな前進があるというわけではないのですが,ただ,なんとなく次のようなことを今日感じて,それが心に残ります。

 B-bさんの言葉をお借りすれば,

「基本 ASの方は そのあたりが あまりにもサッパリしすぎていて 情 というものが ないようにも感じます、どれだけ 心をつくしても 伝わらない気がします。、いえ 伝わっているのかもしれませんが それを あらわす方法がわからない?のか とにかく 一方通行なんですよね・・」

 と定型の側からは感じられるような,そういうことに私も含めて多くの定型が苦しむんだろうと思いますが,これもふと,家のことを一生懸命やっているパートナーの姿とか,あるいは老人福祉関係の仕事で一生懸命老人の生活をサポートしている彼女の姿とか,そのイメージが湧き上がってきました。

 そして,彼女は人にとって一番基本で,一番大事な「暮らし」や「いのち」を一生懸命守ろうとしている,ということを思ったのです。そして彼女にとって私と暮らすということは,その一番大事なことを一緒にやることに他ならなかった,という理解が,なんだか今までになくリアルに感じられてきました。

 私はたぶん定型の中でも特に「観念的」な傾向が強くて,暮らしのことなどはおろそかにしがちです。家事も最低限用が足りていればそれで構わない,という感覚で,細かいところにこだわる気持ちにはなれません。そんな時間があれば,もっと「価値のある精神的なこと」ができるはずだと,そんな風に思ってしまうタイプです。

 そこまで家事に時間を使うよりも,もっと簡略化して,一緒にどこかへ出かけて楽しんだりしたほうがいい,と思ってしまうタイプです。

 だから,彼女が家事の細かいことにこだわることも,文字通り「へんなこだわり」としか感じられなかったし(もちろん定型で細かい人よりも,実際にかなり細かいのだとは思いますが),枝葉末節にこだわって「人間にとって大事な精神的世界の共有」を拒否されているような,そんな印象を繰り返し抱いてしまうことにもなりました。

 でも,そういう私の態度や感じ方が,彼女を苦しめていたわけですね。彼女にとっては私のこだわる「精神的な世界」とか「観念的な世界」みたいなもの,そして「感情の共有の世界」は,「暮らし」や「いのち」という一番大事なものの上に乗っかっているだけのもので,価値がないわけではないけれど,それこそが逆に枝葉の部分なのでしょう。たぶん。

 ですから,「家族」として一番大事にしあいたい「暮らし」や「いのち」に一生懸命になる自分のことを,枝葉の感覚で軽く見られてしまい,自分の価値,感覚が認められないことに苦しむ状態に置かれ続けていたのだろうと思います。

 そういうすれ違いの結果生まれた,すれ違いのことばのやりとりを,今になっていくつも思い起こすことができます。彼女の基準からいえば自分が本当に大事にしている「家事の価値」を認めてくれないことになる私の言動に,彼女は傷つき続けただろうと思います。

 それは彼女が私と「大事なものを共有しようとした」ことを,否定し続けたことになるのでしょう。それは私が「感情の世界の共有」とか,そういう,自分が幸せに直結すると感じるような大事な世界を拒絶され続けてきたように感じるのと,ちょうど裏返しの関係になっているのではないでしょうか。

 もちろんアスぺの方も多様で,りんごさんが経験された相手の方のように,家族という関係に特別の価値を感じないように見える方もあるのでしょうし,そのあたりも「スペクトラム」なのかもしれません。また育ってきた環境や親の価値観なども影響しそうですが,私のパートナーの場合は「家族」という関係は本当に全く別格の重要性を持っていると感じます。

 だから,彼女もその「家族」を一生懸命共有しようとしたのですよね。でもその思いの重さが私には全く伝わらなかった。今もその感覚のズレが根深く続いていると思います。

 そう考えていくと,定型アスぺ間でも,人による濃淡の差はあるでしょうけれど,「関係を大事にしようとする」とか「つながりを大事にしようとする」ということはかなり共通しているのかもしれません。ただ,何をすることがその関係やつながりにとって一番大事なことなのか,という点でズレが起こる。そこでもしかすると,お互いに傷つけあっているのかもしれません。

 もしそうなら,そこから逆に共通する部分を何かの方法で深めていくことはできないのだろうか,そんなことも思います。
 
 



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コメント

最近の記事やコメントがあまりにもリアルで真実味があり、私自身がスーッとアスペルガーの気持ちになれる(たとえ頭での理解であったとしても)ことがあり、そのような体感をすると「相手はこんな気持ちなのか」と、仕方がない故の行き場のない寂しさや悲しみが押し寄せます。

「でも,そういう私の態度や感じ方が,彼女を苦しめていたわけですね。彼女にとっては私のこだわる「精神的な世界」とか「観念的な世界」みたいなもの,そして「感情の共有の世界」は,「暮らし」や「いのち」という一番大事なものの上に乗っかっているだけのもので,価値がないわけではないけれど,それこそが逆に枝葉の部分なのでしょう。」
と書かれてますが、それは違うと思います。「精神的な世界」「観念的な世界」が大事でないわけでなく寧ろ定型よりも大事で、要はそれを「共有」することに根本的な疑問があるのだと思います。アスペルガーの方は基本的に「人は解り合えないもの」という観念が強いし、それは事実です。(何故なら、人それぞれ境遇も感性も価値観も何もかも違うし、自分と全く同じ人は居ないから。定型は曖昧に「大体同じ気持ち」というのを「共有」と呼びますが…)だから恋人でも家族でも「一緒に生きる」うえで求めることは「各々が自分の世界を大事にする」ということではないかと思います。言ってしまえば、解り合えなくて良いのです。定型は解り合うことを求めますが。正直、寂しいですけど…

私も思います。

アスペパートナーと別れてからも つらい気持ちは続いてましたが 最近 連絡をとるようになり 感じるのは

アスペと定型は 根本的にちがうんだ と割りきることが大切なのかな と思えてます。
考えてみれば親友ですら 通じあっているようでも 実は やはり人間どこかちがう …
相手の思いを尊重 大切に応援してこそ 親友関係も成り立ってます。
しかし 親友とは 考え 思いの相違をとことん追究し 語り合えぶつかりながらも理解し会える 歩み寄れる

アスペとは 相違がお互いちがいすぎて 理解ができない 感情でわかりあえないんだと思います。

無理にこちらの解釈でプラスにとらえようとした その解釈を 理解してもらえない

なぜなら 公式のように理論でしか考えてくれないから。

男性 女性の差はあると思いますが 受け止めかた 考え方 根本的にアスペと定型は ちがうのだと思います。

そこを理解しないと いつまでも同じところをグルグル回るだけだと感じます。
パンダさんは 幸い いま 奥さまのことが 紐解けてきたようですので そこで納得されて 進まれてほしいです。 Bbさんのコメントから 何かしら ふときっかけをつかまれたようなので 良かったと思います。

ずっと読んでいると 自分を含め みな どこにむかいたいのだろう ああでもない こうでもない と議論を続けて なにか最終的に これで解決しました!という日がくるのだろうか、と思えてきます。

少なくとも アスペ元夫との年月 関係性の変化などを経験してもなお 結論はでません

ならば 違いをみとめるしかないのでは
違いを認めて、それぞれを尊重していくしかない
それだけしか長い年月で歩み寄る答えはみつかりません。

こんにちは。
私はなんでもっと単純なことが定型にはわからないんだろう?と思いました。

パンダさんの家には猫がいると思います。
その猫は、当たり前ですが犬ではありません。犬のように尻尾を振ったりしないし、忠誠を誓う様なこともしません。
ですが、猫は犬よりももっと感情的にストレートです。
犬は飼い主だから「とりあえず寄ってくる」ことをします。でも猫はしません。
猫がそばにいる時には「猫が一緒にいたいとき」だけです。犬よりもずっと解りやすくそうです。
一緒にいたくないときは一緒にいません。1人になります。

その代り、猫は決して飼い主が心底落ち込んでいるときにどこかに行ったりしません。
適度な距離で座っているでしょう。
その距離と「空間を大事にしようとする」のを、もっと直接的にしてよと言われても彼らはできません。


>ASと関わっていくには 見返りを求めないこと どれだけ深い関係になったとしてもあっさり 別れがやってくることを覚悟の上でないと 定型は壊れてしまうと思います。

確かにそうかもしれませんが、ASもそうです。
相手が嘆き悲しんでいたら、うまい言葉で慰めることはできないにしても隣にいようとはします。
でも「隣にいるのがイヤだ」と一瞬でもASに感じさせたなら、ASはそれを尊重し始めます。共感の概念が無いからこそ、出された態度に従うしかありません。

もし、世界から言葉が無くなってしまったらどれだけ良いだろう?って思います。
ASはこれまで通り態度だけで相手を愛していると言えば良いのだもの。誰よりも愛情表現豊かな人間になれる。
でも今はそうじゃないから、どうしたら良いんだろう?って悩むばっかりの日々。

ものすごく簡単に言ったら、お誕生日の祝い方。

AS傾向の有る私は、定型にご馳走を食べさせようと思って普段は絶対に食べられないお肉を買おうとする。
その為に半年前から100円貯金をしてみたり、どうしたら喜んでもらえるのだろうと恋愛サイトなどで相談してみたりもする。
そこでご馳走の他にもランチョンマットやテーブルブーケなどを知り、当日ワクワクしながら用意する。

当日、きっと喜んでもらえるぞ!と、ご馳走を用意し、テーブルセッティングも完璧なんだけど、テンション低めで「おめでとう・・・」としか言えないか、半年間いかに自分が頑張ったかしか話せないので、定型はお祝いされていると感じられない。

ものすごく簡単に言ったら、きっとこんな感じなのだろうなって思います。

先のコメントでも書いたけれど、確かに愛情は有ります。
でも絶望的におしゃべりが苦手。
だから世の中から言葉がなくなったら、私はとっても愛情表現豊かな人間なのになって思います。

家族を大事にしたいという思いと、日常の細々としたことにこだわるということは、別ではないのかな?どう思います。
うちの例で申し訳ないですが、夫は食事の時、魚の向きやご飯の味噌汁の位置にこだわります。魚の半身が崩れてしまった、とか、たまたま急いで置いたらご飯と味噌汁が逆だった、とか、例外は許されなく、違うと不機嫌になり、茶碗を叩きながらかきこんだり、足を踏み鳴らしながら食べたり、周りには恐怖の食事になってしまう。
しかし、まるで気にしないで穏やかに食事にできるときもある。
何かの原因でコントロール不能なこだわりがでてしまう感じです。
荒れてしまった時、家族が辛い顔をしていることは分かっているみたいで、その分余裕があるときは楽しい食卓にしようと努力する。
家族もようやく危険信号をキャッチできるようになったけど、回避はできませんね。本人たちの中で、これは自分の問題でないと割り切るしか。
掲示板でも相談させていただいた、こだわり、や、パニック、といったものも、大きく関わっていて、本人もそれをしてしまったことには罪悪感があり、他で挽回するとか、自分で緩和させようとしているとか、そういう努力じゃないかと、
うちの場合は思います。

私も亜紀子さんやあすなろさんのご意見と同じです。

りんごさんの場合についても、私はちょっと違和感を持っておりまして。まだ失恋の傷の癒えていなさそうな女性に厳しいコメントを付けるのもどうかな、と思っている内に完全にタイミングを逸してしまったので、こちらに書かせていただきます。いくつかあるんですけども、あんまり並べると厳し過ぎる話になってしまうので、一つだけ。

りんごさんが与えようとしたモノは、その元婚約者さんが本当に求めていたモノであったのでしょうか。コメントを読む限りではその点にものすごい隔たりを感じます。元婚約者さんが求めていたのは、良好な人間関係よりも何よりも、まず安らぎだったのではないでしょうか。

日常生活これ即ち接待、では毎日毎日相当に疲労困憊していたはずです。やっと訪れた週末休日は、惚れた女の接待で普段以上に疲れる事になる。これでは休まる暇がありません。これを続けていたら壊れてしまいます。一年半後に突然捨てられたとりんごさんはおっしゃっていますけど、彼氏にとってみれば我慢に我慢を重ねた一年半だったのではないでしょうか。その表現方法については反省の余地が大いにあるだろうとは思いますけども。

本人が本当に必要としているものを、自身が気付いていないという事は往々にしてあります。そしてそれを察する事が出来るのが定型の一番の長所ではなかったかと。

Katzさんのご意見を伺って、またひとつクリアになったことがあります。

夫の行動についての分析は、掲示板で教えていただいた『こだわり』の心理が分かったからなんです。
この夫の行動に一番批判的なのは、アスペの息子です。彼は、他の部分で夫と同じこだわりスイッチが入るのですが、それが共通するものとは思っていなくて、自分のこだわりは正当だと言い張ります。
しかし、Katzさんは、その共通点に察しが付く。

掲示板でご意見を伺った方たちと、うちのアスペさんたちと、大きな何かが違うとは思っていましたが、それはアスペの傾向を本人が認識できるかどうか。定型との違いと、それが及ぼす影響が分かっているかどうかだと、気づきました。
(違っていたらまた教えてください)

そうすると、息子や娘の目指すところは、いずれアスペをきちんと理解し、アスペなりの処世術を編み出すことなのだと思います。
しかし、そこで壁となるのが、アスペ=障害、定型とは相容れないもの、嫌悪されるものといった偏見です。
Katzさんはじめ、ここでご自分の説明ができるアスペの方が増えていって、もっと意見を広めていってほしいと思います。

アスペのみならず、カナータイプの方でもしっかり自己分析のできる東田直樹さんのような方もいます。
精神的自立と表現方法は、別のものと認識しなくてはいけないのではと思うこのごろです。

落語に反応しまして出てきました(笑) 
お笑いの盛んな当地方のおばちゃん(私含む)の会話は、笑かした者でなければ、グループ内に入れない雰囲気がありましてね、田舎出身の私は随分鍛えられましたよ。

それが功をなして、夫に対抗?も可能になった一面もありまして、
当地の現在の若い主婦の方は、ちょっと違うのかもしれませんが、先輩に当たる年配の方々(女性)の話を聞いていたら、聞いたことのない落語のように面白い方もおられますよ。
家族の事を愚痴なのか悪口なのか、面白可笑しく周りの反応を伺いながら発散されている方をよくおみかけします。
眩しいほどに逞しくて、真似したいし尊敬までしちゃいますよ。

当然、人格、発達障害とか言葉は存在しなかった時代の方々です。今もご存じないだろうけど、呑助、賭博、遊蕩などの癖のあったろう旦那衆を 「かかあ殿下」 で乗り切ったであろうと、想像してしまいます。
そりゃ新婚時代は、弱々しかったのかもしれませんが、自分がなんとかしなくては家庭は破綻するすると、少しずつ強くなられたのでしょうね。


 
「結婚は契約」も「夫婦は同等」 も関係あらしまへん、ワテはオマハンより長生きして楽しく暮らさな、割合いまへん。昔から言いますねんで、後家さんの味知らず死ぬもんやないて

と 先輩等がよくお話しされています~(笑)

亜紀子さん

 亜紀子さんはご自分がアスぺか迷われていて,お母さんからの影響を強く感じられるようになられたのでしたよね?今回はアスぺ的な感覚により強く共感されてのコメントという感じでしょうか。あるいはどちらでもない?ちょっとその辺,どうなのか関心を持ちました。

>でも「隣にいるのがイヤだ」と一瞬でもASに感じさせたなら、ASはそれを尊重し始めます。共感の概念が無いからこそ、出された態度に従うしかありません。

 ここが私としては怖いところです。定型では矛盾した気持ちをそのまま抱えて行動することが結構あって,一つの表現はその矛盾した気持ちの一部を現しているだけで,それだけで決めてしまわれると困ることが多いからです。やっぱり定型は「迷いの過程を共有する」ということに大きな意味を感じているのだと思います。

 ところがそこで一瞬のことで決められてしまい,その後調整ができない,ということがあるような気が私もするんですね。そういうことが定型でもないとは言えませんが,アスぺの方はそこがすごくはっきりしている印象があります。

>当日、きっと喜んでもらえるぞ!と、ご馳走を用意し、テーブルセッティングも完璧なんだけど、テンション低めで「おめでとう・・・」としか言えないか、半年間いかに自分が頑張ったかしか話せないので、定型はお祝いされていると感じられない。

 私のパートナーも私の為にほんとに頑張ってくれていたことが,私が全然そう受け止められずに傷つけたことが何度もあるようです。困ったことに,「こういうふうに頑張った」と後から教えてもらっても,それでもなおぴんと来ないことが繰り返されました。

 多分理由のひとつはそのがんばりの内容が定型的には「普通のやりかた」だったりするからなんですね。それがアスぺの方にはどれほど大変なのかということが,なかなか実感できないわけです。アスぺの問題を知ってからでも結構そうでしたから,それを知らないときには,ほんとに分らないと思います。


あすなろさん

>家族を大事にしたいという思いと、日常の細々としたことにこだわるということは、別ではないのかな?どう思います。

 私はそう思います。こういうの,書き方がむつかしいなと書きながらも思いましたが,家事を大事にする思いは,定型アスぺに関係なくあることだと思うんですね。そこで家事への思いが夫婦で共有されずに問題になるケースも定型夫婦でも十分ありうると思います。

 一応そのことは前提にした上で,でもなお,パートナーの家族への思いの強さは,アスぺ的な特徴を持っているように感じました。「つながりを大事にする」思いは定型アスぺどちらにもあると思うし,ただしその具体的な中身ですごくずれることが多くて,そしてつながりを大事にする場として彼女の場合は「家族」ということが特別の意味を持っていて,その感じが定型にとって家族が大事だということとまたちょっとズレがある,そんなことを表現したかったんだと思います。

 ほんと,このあたり,微妙でむつかしいです (^ ^;)ゞ


Katzさん

>本人が本当に必要としているものを、自身が気付いていないという事は往々にしてあります。そしてそれを察する事が出来るのが定型の一番の長所ではなかったかと。

 これはほんとにおっしゃる通りだと思います。定型がアスぺの方を責める時に使う文句の中のかなりのものは,実は視点を変えるとアスぺの方からも同じように定型を責めたくなるものだったりするのだと,いろいろコメントを頂きつつ考えるほどにそういう思いが強まっていきます。「自分のことはよく分らない」というのは,定型アスぺのどちらにとっても同じだと思います。

>日常生活これ即ち接待、では毎日毎日相当に疲労困憊していたはずです。やっと訪れた週末休日は、惚れた女の接待で普段以上に疲れる事になる。これでは休まる暇がありません。

 この比喩がすごく実感としてわかりやすかったです (笑)
 これからは折に触れてこの比喩を思い出しながら考えていきたいと思います。
 そうなんですね,接待なんですね……


無名さん

>「結婚は契約」も「夫婦は同等」 も関係あらしまへん、ワテはオマハンより長生きして楽しく暮らさな、割合いまへん。昔から言いますねんで、後家さんの味知らず死ぬもんやないて

 大阪のおばちゃんでしょうか。

 この感じ,この逞しさ,すごいなあと思います。田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」を原作にした同名の映画を思い出しました。池脇千鶴演ずるジョゼのあのストレートな逞しさとまっすぐな思いやり,新屋英子演ずるジョゼの祖母の強烈な現実感。妻夫木聡演ずる「やさしい」恒夫のひ弱なへたれぶりがその二人の世界をさらに際立たせていました。

 そういう「どうしようもない現実に鍛え抜かれた逞しさ」を持つ生き方を軸に据えて,改めて定型アスぺ問題を考えると,かなり大事なことが見えてくる部分もありそうに感じます。

 またそんなコメントも宜しくお願いします。

私はずっと自分が定型であると信じてきました。
ですが、今回のコメントにあっては「アスペ寄りな自分の捉え方だと何の疑問も持たないこと」だなぁと思い、アスペ寄りの感覚で書かせていただきました。
というよりも定型の方が苦しんでいる内容が全くわからなかったんです。

パンダさんの書かれる「共有」が、私の中の言葉でいう「搾取」なのかな?と感じました。
在るものを在るがままにしたいアスペ。在るものを前提に発展した世界を楽しみたい定型。
あくまで私の場合なのですが、基本的に「今有るもの」以上の何かに目を向けるのは苦痛が伴うことだと感じます。
私が「誰か他の人」に興味を持つとき、無理やりに興味を持っている状態なのですが、定型は恐らくそれが普通のことで、その興味や発展させたそれを当然の事と感じる様に思います。
つまりアスペは精一杯提供しているつもりなのですが、定型には伝わらず「もっと頂戴よ」と言われている様に感じ困ってしまう・搾取されていると感じてしまう。

パンダさん、私の中に考えは有るのですが、今は言葉にするのが困難です。
また別の日に改めさせて頂ければと思います。

パンダさん

>一瞬のことで決められてしまい,その後調整ができない

もしかしたら、ここの認識がとても重要な気がします。
幼い頃から息子の療育をしてきて、一番難しく、トラブルの原因になるのがここなんです。
ある時、ある瞬間、相手を本人の中で勝手に裁断してしまうことがあります。
その後、どんなに説明しようが、弁解しようが、その印象はなかなか覆りません。本当に長い時間が経って、気付いたら変わっていたということが多い。
そのことについて触れれば触れるほど、本人の固定観念が強くなって逆効果になってしまうのです。
夫もこの傾向が強く、私の父親をはじめ、身内で『嫌な奴』と認識してしまった人が多くて、親戚の集まりでは本当に肝を冷やしました。
物事のこだわりと似たものがあるように思います。
こういうとき、本人はそこまで極端な行動に走っているという意識がないんですよね。
すべてのASDの方にいえるわけではないですが、ASDの独特の感覚から起こる行動が、定型からは非常識と思える行動になることがあるのは、否めません。


あすなろさん

それは 定型がきづかないうちに 何らかのアスペの方にとっての地雷を踏んでしまい、友人として… 恋人として 除外されてしまう…ということでしょうか?

定型からすると え?そんなことで? ということなのではないでしょうか?

今となっては 思い当たる出来事があるんです。
しかし もし新しくまたスタート出来ても、またちがう形で、似たニュアンスで地雷踏んでしまうのだろうなと思えたりします。

>どんぐりさん

恋人そのものを除外というのはわかりませんが、例えば息子の場合は、本当に些細なこと、しかも自分が何かされたわけではなく、他人とトラブっていたことを見て、『悪いやつ』と認識してしまい、事あるごとにその相手を責める、あるいは無視するということがありましたね。
私は、『ゲームやアニメに偏見がある人』と言います。私がそういう話をしようとすると、「どうせ分かろうとしないくせに、余計なこと言うな!」と一蹴されてしまいます。

夫は、ぼんやりした人とか、受け答えの曖昧な人、だらしない人が大嫌いで、初対面でもそういう雰囲気を感じとると、話を聞こうという姿勢にもなりません。
あと、声が大きくて話し好きな女性とか。
私もその中に当てはまるところが多いので、人格としては『嫌い』なタイプの筈なのに、『家族』としては大事。
だからといって嫌いな部分は嫌いなので、自分好みの家族に修正しようとしてか、何かにつけて責めてきました。
最近、家族なので自分が譲歩しなくてはいけないという『思いやり』を持ってきたようですが、我慢してやっているみたいな態度が見えてしまうのは、私には不本意です。

決めつける理由も、その範囲も、全く個人的なものです。
同じ傾向があろうが、似た性格だろうが、他人には誰にも理解できない分類方法だなと感じます。

あすなろさん
詳しく教えていただきありがとうございます。
私が元アスペパートナーとの出来事でイメージしていたこととは少し違ったかもしれません。
元パートナーは私の行動をみて勝手に私が離れたがってると決めつけて、(そうでないのに)私の知らない間にさっさと見切りをつけたのかなぁと思ったりします。

息子様の他人のトラブルを見て悪い人となってしまう… それは 定型にもあるような気がします。少なくとも トラブルを見て 自分にふりかからないように、と、その相手に警戒は誰しもするかもしれません。 息子さんも自分を守るための警戒?、注意しているというか、危うきには近寄らず?というか 身を守るための賢い選択のようにも思えます。 するどい直感がアスペの方にはある気がしてならないのですが、その直感に従っているような気がします。

>どんぐりさん

どんぐりさんのお話を伺って、知人の例を思い出しました。
知人の夫の家族の省みない行動を、家族で指摘したそうです。すると、夫は、家族に味方がいなくなったと(おそらく)思い、突然出て行ってしまったそうです。

『離れたがっている』と思うのが、相手への気遣いというより、自分の味方でなくなったという感覚に近いのかな?と私は感じました。

息子の決めつけ方は、明らかに定型とは違います。彼目線で一方的に思い込んでいるものです。
定型はその背景や経過からも判断しますが、息子はその一場面だけですべてを決めてしまう感じです。

あすなろさん
あすなろさんの知人の方のお話、うなずける気がします。
アスペは、配偶者を敵とみなす公式がある… と、どこかで読んだ記憶もあります。

あすなろさんの息子さんの話も、ご主人にしても、なんとなく定型にもありがちな気がするんですよね。 好きなタイプ、嫌いなタイプありますしね…。
ただ、友人や恋人は自分の心のままに従えばいいですが(選べる)、職場や学校でそれをあらわにしてはマズイということになりますが。

私も、元夫が、さっさと再婚→離婚して 、最近、会う機会もありますが、完璧に再婚相手に関わるすべての人が現在、敵です(苦笑)
子どもがいるのですが、妻にまかせきりだったようで、妻の取り巻きが、そこを問いただしたみたいですね。(当たり前と思いますが) で、すべてが敵となったようです。

彼にとっては、いつ、何をきっかけに、味方も敵と変わりかねません、
よかれと思って、つくした結果がそうだと、つらいですよね。

すみませ~ん、名前書き忘れていた大阪のおばちゃんです(^^ゞ

「ジョゼと虎と魚たち」みましたよ~明確に覚えています。
田辺聖子作品は沢山は読んでいませんが、確かに深刻に語らず笑いと共に軽い感じに表現されてありますね・・・そうか私はおせいさんを目指していたのか(笑)


度々すみません。またちょっと気づいたことがあり…。

>どんぐりさん

あくまで、私がアスペの家族と接してきて、勝手に思ったことなのですが。

息子や夫のような行動が、定型にもあるということですが、おそらくその心理が違うのでは?と思うのです。
定型の中にも、
人を見かけで判断する。狭い価値観で判断するという人はいます。
その場合、自意識過剰で他者に思いを寄せるつもりはない。他人のことなど知らないといった傲慢さがあるようにおもいます。
あるいはその逆で、自分に自信がなく、他者のことにまで目を配る余裕がないか。
あくまで、自分の都合で無意識のうちに視野を狭めている感じです。

しかし、アスペの場合、他者の言動の裏にある感情、その人の背景を読み取ることが難しいため、その場で起こった出来事で判断するしかない。しかし、それはとても不安要素が強く、良いことなら安心だけど、悪いことの場合、その不安は定型以上に大きなものになるのではないかと。そこで、自己防衛が過剰に働いてしまい、行きすぎると攻撃(敵とみなすのも同じ)になってしまうのでは?とおもいます。

息子はその感情がトラブルを招いてきたことを実感したのか、あるときから不安を感じる人には関わりを持たないという方法を取るようになりました。
家で「あいつらはバカだ」と言うことはありますが、一切関わらないのでトラブルになることはありません。
しかし、家族はそうはいかないので、ちょっとした行動で相手を『決めつけ』て、納得してしまうのです。

知人の場合も、家族は、関係を立て直そうと話し合いをしたのに、ぷっつり切られて、ショックは相当大きかったようです。
ダンナさんがアスペかもしれないというのは、私が他の話も聞いてそう感じただけですが、そうだとしたら、まず、『あなたを突き放したいわけではなく、今後うまくやっていきたいと思って話すのよ』という解説が必要だったんじゃないかなと思えます。
どんなに親しい間柄であっても、アスペの人は、他者の心理を読み取ることが困難だということは変わらないと思うんですね。

yasuさん

 あ,yasuさんも大阪のおばちゃんになるのか (笑)
 
 似たような逞しさを私は「アスペルガーライフブログ」の
 http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-category-14.html
 狸穴猫さんに感じるんです。

 あの雰囲気,大阪のおばちゃんだなあという気がして (^ ^;)ゞ

 大阪がお笑いの街になるのは,
 そういう逞しさと一体のものなのかもしれないですね。
 新世界の雰囲気とかも格別ですし。

あすなろさん
詳しく掘り下げて教えてくださりありがとうございます。 昨夜一文、一文読みながら、考えていました。
息子様を見ていて、あすなろさんが感じてらっしゃるのは、例えば、定型からすると、「そんなことで?」ということで、不安を感じて 敵となってしまうということですよね?
その 「そんなことで?」 は 相手は、好意あるものであったり 、親切であったり、心あるもの の可能性すらある、悪意に満ちたものとは限らない、ということでしょうか。
そして その判断を 軽く、浅く 、気づかないくらいの瞬間で、その人を判断してしまうということでしょうか?

すみません、ニュアンス的に取り違えていたら。

元夫も、そういった感じはあったので、 関わるときすごく緊張したり、気を使うことがありました。

そして知人さんのお話、ホントによくわかります。
元夫も、私も関係を良好にしたくて、歩み寄りたくて、話をしたいと伝えただけで、 シャットダウンされて、手をつけられない、どうしたらよいかわからない、途方にくれ どれだけ暗闇をさまよったか。 未だにそういう場面になれば元夫はシャットダウンして逃げ出すのだろうと思います。 だから 関わるのが怖くなるんですよね。 腫れ物にさわるように大切に、大切に…って感じになります。 今は近い関係にないので いいですが、家族、恋人となると ホントに答えのみえない迷路をさまよいますよね。

あすなろさん ちょっとよろしいですか?

子供をちゃんと育ててあげられなかった母親として心痛む思いで読ませてもらっていました。

私の亡くなった父親は説教マンでして、子供の頃は鬱陶しくて仕方なかったですね。
本人は良かれと思って、先の心配をしてのことであったろうとは思っていますが。
父親も不安で、それを説教という形で表現していたのだろうと、今は分析しています。

痛い目にあって二度と痛い思いはしたくない、と実感しない限りはどんな身に沁みないのでしょうね。
自立しては満身創痍(笑)になって帰ってきては、また再出発を繰り返している息子は、最近やっと、自分の人格に気付き始めたような?そういうことをずっと提示してきたつもりなのですがね、もう笑うしかない状態で(冷汗・・・)

以前に書いた曾野綾子氏の本が身に沁みたのは、私の状況がピッタリ当てはまりましたのでね。教会に通おうかしら、なんて一時気が迷いましたよ。(笑)

こちらは話合うつもりで言葉を尽くしても、転ばぬ先の杖を差し出しても、相手はピンとこないのですよ。
こちらとて安心するために話合おうとしているだけで、相手が経験体験しようとしていることを、封じ込めようとしているわけですから、相手も本能的に抵抗するでしようしね。

言葉は後付けで付いてくるものですから、本能で向かわれたら、引いてしまうのです。

私などは、痛い目に遭って帰ってこい、受け止めてあげるからと送りだすのですが、やっぱり痛い目に遭って、一緒に苦しんで・・・

懲りない奴です。親だから情けなくなんとかしてほしいと願いますが、友人としては面白い人生送っていそうな奴と、映っているようで、実際友人も多いですよ。

親が何を言おうと、果てしない時間を一緒に過ごし管理もできませんし、遣りたいようにやりはるだろうし、もう諦めて、見ているしかでけまへん。

「おかんも もう歳やでぇ、やってあげられへんで~」 「わかってんで~」
ほんまに分かってはるんやろか?
こないなったら、一緒に楽しまな損やわ

という状況の我が家で、先のこと考えないで楽しく過ごす時間を一度でも増やとうという思いだけです。

私がラクになったからでしょうか、夫も息子も穏やかな時間が多くなったような気もします。

あすなろさんも休暇とってくださいましね~

パンダさん

おばちゃんを通り越して、本物のおばあちゃんなんですわ
息子たちには、おかんの大阪弁変やで~と、いつも突っ込み入れられます。

まだまだ修行が足らんようで…ホンマに疲れますわ(笑)

>どんぐりさん

その通りです。はじめは相手も親切心というか、老婆心というか、少なくとも良かれと思っているんですよね。しかし、それに対してものすごい反撃を返されて、『なんだ?あいつ?』という思いが生まれ…。そういうトラブルばかり。
私が周囲に弁明して、あるいは弁明する前にこういうことがありますと予告して。中には相手が本当に悪いときもあったのですが、とにかくひたすら謝りました。息子には『(今回は)あなたは悪くないと』話しておいて。二枚舌と思われましたけど。(笑)
成長すればそんなこともできませんが、幸い『危うきに近寄らず』ということを覚えてくれて、こちらは全然気が楽になりましたよ。

夫にしても、職場の人のことを散々いうのですが、うーん、半分くらい思い込みだろうなーと、思います。
それと同じ調子で私にもひどい言葉を投げかけてきましたから、自分も責め、夫を憎み。
しかし、アスペだと思ったことで、彼自身も決して悪口を言って楽になっているわけではない。同時に私に落ち度があるわけではないと分かって楽になりましたね。トラブルが減るわけではないけど。
片方が正しいと認めると、反対側が悪いことになる。そんな風に考えがちですが、アスペ定型の関係では、どちらも悪くないのでしょうね。


>yasuさん

ああ、わかりますー!想像ができます!
息子の将来の姿が想像できるような……。
しかし、親のやってやれることはもうほとんどないし、本人がつまずきながら実感するしかないんでしょうね。

息子のほうはもう本人に任せています。余計なアドバイスには決して耳を貸さないので、頼られてきたら相談に乗るスタンスでいます。
しかし、まだ下にアスペの娘がいて、今まさにこの状態で親が間に入ってトラブルを回避しなくてはなりません。
それでも幼い頃よりはずっと学習して、トラブルは減りました。
本人も、「あの頃は私、どうしようもなかった!」と振り返るくらい、自分でも制御不能だったようです。でも独特の捉え方は変わりません。
あれ?育児相談みたいになってしまいました!すみません!!

お気遣いありがとうございます。^ ^

あすなろさん
そうなんですね…。
読みながら、元夫を思い出しながら、何となく重なるようで、微妙にちがうなぁと思いながら…。
元夫 の場合は、はじめから切る…より、たちが悪いかもしれません。まずは、親しくなるのです。もちろん、相手を好きだと思います。(男女の好きとかではなく、同僚、友人、仲間として気に入っている感じです)しばらくは善き関係なのですが…何かしら(相手は何が悪いかもわからないまま)関係を拒絶というか… だんだん 相手にたいして上から目線風に変化していき、見下す感じとなり… その頃には相手も 何かしら関係に違和感を感じはじめて、いきなり一方的に関係は途絶えていく感じがします。

自分が一番最優先、新たな興味対象へ目移り、心変わりしたら、情け容赦ない気がします。損得勘定が自然と備わっていて得にならなければ、バカにしたように見切りをつけている感じもします。
もちろん定型だって同じようなことあるかもしれませんが、度合いが深いというか、あからさまに解りやすすぎるくらい、切るときはさっさと知らない間に終結してる感じで、 その情け容赦ない変わり身というか、切り方に 愕然となり わけもわからず 意味さえわからず… 話し合い、歩み寄るの余地すらないまま…。
そこがあれば、救われるのですけどね。
切られた方も。

長くなってしまって、申し訳ありません!でも、もう少し突き詰めてみたくて……

>どんぐりさん

元夫さんの行動、想像できてしまうんですよね。
知人の話を聞いた時、私の夫も条件さえ揃えばそうなっていたし、これからもそうなる可能性もなくもない!と思いました。それで知人の夫はアスぺでは?少なくとも夫と同じ傾向があるなと感じたのです。
条件というのは、モテるかモテないか……
夫も若い時は、女性と親しげにした話を平気で私にするので、なんてデリカシーがないんだろうと思ってました。
一方通行で相手が相手にしてくれなかっただけで、今があるんだと思います。

夫にとって道徳心とは、妻がいたら他の女性と親密にならないということより、家族という形があるなら誠意をもって接するということのようで、彼なりに家族に尽くして関係を良好にしようと思っているようです。
本当なら自分の思う通りに家族が動いてくれて、余計なことは言わないというのが理想なんでしょうが、そんな理想が通じるわけはなく、彼の取った対策は、家族と顔をあわせる時間を極力少なくする、しかし、顔をあわせるときは積極的に関わるというものだったようです。
Katzさんのおっしゃる『接待』の時間を少なくしてストレスを溜めないようにし、接待の時間はとことんサービスするという感じかもしれません。
しかし、このとことんが、常にベタベタくっついてきたり、余計なことをしたり、必要以上の家族の行動のチェックというチグハグな行動になり、家族の反感を買ってしまう。
しかし、本人は一所懸命なのに、なぜ家族はつめたいんだ?と思うようなのです。

知人の場合は、そこにたまたま他の女性がいたために、疲れて逃げてしまったとも取れる。
しかし、知人にとっては、あんなに気を遣ってきたのに、この仕打ちは何?という疑問しか湧きません。

Katzさんのコメントの中に、
>本人が本当に必要としているものを、自身が気付いていない
と、ありましたが、まさに本人が何を必要としているか見失っているうえに、家族に独断で気遣ってきた悲劇なんじゃないかと思えるのです。

息子が、最初から関係を選んだり、Katzさんのように、まずは相手が正しいと思って接するという、人間関係の持ち方は、アスペの方が良好な人間関係を保つためにとても大切なのでは?と思うようになりました。

あすなろさん
相手が何を求めているか…を、定型も考えなければ 接待をさせてしまっているのかもしれないのですが、
相手が求めているのは、団欒ではない気がします…。
家族で旅行、とか、食事、とか、家族サービスなんてありえないです、おそらく苦痛以外のなにものでもないのだろうな…と。少なくとも自分の知るアスペ元夫は。放置してほしい感じ?
ホントに家族? と思える距離感で、これじゃ友人と変わらないよね、っていうか、友人より冷たくあしらわれて、子どもは誰の子?ってくらい関心ないし、その距離感が 定型には耐えられないかも。

あくまで私の知るアスペさんですが。

どうしていけば、歩み寄れるのか、、私は方法は正直ないような気すらしています。

>どんぐりさん

>定型も考えなければ 接待をさせてしまっている

ASDの理解は必要ですが、そこまでする謂れはないと思っています。
本人の中でも分からないものを、考えようがありません。
私は、少なくとも自分には落ち度はなかったと思うことで、少し楽になれましたが……

あすなろさん

>本人の中でも分からないものを、考えようがありません。

そうですね。
これまで 空回りに振り回されながらも、一生懸命やったつもりです。
それが正しかったか否かはわかりませんが ベストは尽くしたとは 思ってます。 でも なかなか癒えない何かは常にあります。

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