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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年3月24日 (火)

お金か愛か

 Katzさんからまた面白い問題提起を頂いて,ちょっと考えています。

 話の筋はこんなことです。

 私が記事「目的の共有」であすなろさんのコメントからヒントを頂いて,「目的を共有し,やり方は個々人に任せる」というスタイルが定型アスぺ間でもしかして意味があるのではないか,ということを書きました。

 ただし,それは「やり方はそれぞれで,一緒にはできない」という意味を含んでいて,そこでは定型が重視する「一緒にやる」ことで生まれる「一体感」については諦めざるを得ないことになりそうだと私が書いたことについて,Katzさんが

自分らしく生きるとか、相手を尊重するとか、個性を大事にするとか、そういうのの具体的方法論として「目的だけ共有」が挙げられるのではないかと。というか、私には他のやり方を思い付けませんでした…。

 とコメントを下さり,それで「定型的な一体感についてはあきらめざるを得ない」という私の説明がわかりにくいと疑問を呈されました。

 私は「定型は「目的の共有」だけではなくて,「一緒にやっているという感覚」に結構大きな価値を感じていて,場合によってはその感覚を得ること自体が「目的」にもなるんだと思います。」という形で説明を試みました。それに対して,Katzさんが今回こんな問題提起をしてくださったわけです。

言ってしまえば、「一緒にやっている感覚」が大事なら、それを「目的の一つ」として掲げてしまえばいいのではないかと。裏の目的として隠してしまうから、アスペ側からわかりにくくなるのではないかな、と…。明確にぶちあげるならやり方はあると思います。勿論、何を共有しようとしているかにもよりますが。

 これは私にとってはちょっと意表を突くような問題提起で,ことばの表面的な意味は分かるのですが,具体的には何を意味しているのか,どう受け止めてどう考えたらいいのか,よくわかんなくてある意味「頭が真っ白」になるような(笑),そんな感覚がありました。

 ということは,多分こういうところにも,定型アスぺ的なものの見方のズレが隠れていて,それは結構大事な部分なのではないかとも思えたのです。

 今もそれが何のどういうズレなのかつかみきれないのですが,とりあえず思いつくところから手掛かりを探すとすれば,まずは「裏の目的としてかくしてしまう」ということがぴんと来ませんでした。それはたぶん「目的の共有」ということと,「目的達成の過程を共有することから生まれる一体感を得ること」ということと,その二つを定型は(?)ほとんど区別していないんじゃないかと思います。だから,「目的の共有」を言うと,自動的に「一体感」がそこに付随してくる感じがあって,特に「裏」でもないし,「隠す」ことでもない。

 定型的にはたぶん「おそばを食べました」と言った時に,「そばつゆでたべました」と言わなくても,「ソースをかけてたべた」可能性は考えられていない,というくらいの感じで「暗黙の了解」になってしまっているのかもしれません。でもそこの「暗黙の了解」は定型アスぺ間では共有されない可能性が大きいということなのかもしれません。

 ただし,「目的の共有」と「一体感を得ること」は定型の場合でも必ずしも一致しない場合もあります。それはかなり「政治的」なやり取りの場合で,最近よく言われている言葉で言えば「戦略的互恵関係」でしたっけ?相手と感覚的には対立的になるんだけど,利害関係でつながりを保とうみたいな話ですよね。そういう場合は「利益が一致する」というところだけに焦点を当てるようなことになるのでしょう。

でも,わざわざ「戦略的互恵関係」とか大仰なことを言って,そういう関係であることを確認しないといけないように,そういう関係は「仕方のないやりかた」みたいな受け止められ方をしていて,その限りで普通ではない,という意識があるんだと思います。本当は「信頼しあう一体感」があるべきなのに,それができないからあとは利害だけで結びつくという,かなりマイナスの感じがあります。

 なんか最近見た韓ドラの恋愛コメディでもそのあたりがしつこく問題になっていました。経済的に苦しんで,そのせいで恋人とも別れざるを得なかったヒロインが,偶然にセレブの男性と出会って,ちょっと火花が散って恋に落ちる。ただ最初は相手がセレブだとは知らなかったのだけれど,知ってからは「貧しさから脱却するために」もその相手との関係を考えるようになる,ということが起こって,そこでもともとは純愛派だったヒロインが葛藤に悩みながらセレブの世界を目指していろいろな恋愛テクニックを使うようになるわけです。

 で,もともと過去に深く傷ついた心を,彼女の純愛によって癒されていたそのセレブの男性が,彼女によって自分が「利用」されようとしていた部分を知ることになり,ショックを受けて大変になるわけです。

 その周辺に描かれるセレブのカップルも,いずれも「ビジネス」と「愛」の葛藤を,「ビジネス」を最優先にして割り切る形で困難を乗り越えてきていて,夫婦関係でもそれはもう「取引」であって,「愛し合う」関係ではなくなっていきます。で,そういう割り切りができない人間はビジネスでは役に立たない人間だ,という話になっていく。

 「お金」か「愛」か,「利益」か「信頼」か,「目的」か「一体感」か,なんかそういうことが激しく矛盾してしまうときに,ドラマが生まれるんでしょうね。ヒロインは自分のせいで傷ついたセレブ男性に対して,「利用することと愛することの区別が今は自分にはわからなくなっている」というようなことを言うのですが,考えてみればそこを特に意識して区別していない方がむしろ普通の定型的な感覚なのかもしれません。そこをベースにしながら,人によって「お金」にウェイトが強くなる「利己主義者」と,「愛」にウェイトを強く置く「純愛派」が分れて時に対立するとか,そんな感じかも。

 もし定型の感覚での「目的」か「一体感」か,という話がそんなこととしてあるのだとすれば,「目的」だけを強調することは,定型にとっては「一体感」を失い,「信頼」を諦め,「利害」だけを計算して「お金」に目がくらみ,そのためには人を犠牲にしてもかまわないと考える生き方をする,といった,かなり極端な,冷酷なイメージにつながりやすくなるのではないでしょうか。

 で,にわとりさんが周囲からそういう非難を繰り返し受けていたというのも,にわとりさんのアスぺ的な誠実さとかが全く理解されず,通じない状況の中で,定型的なそんな感覚で勝手ににわとりさんの言葉や振る舞いを理解してしまった結果のことのようにも思えてきます。

 「一体感を求めるという目的を隠している」というKatzさんの受け止め方は,もしかするとそういう視点のズレから生まれることなのかもしれないと思いました。

 また,「一緒にやっている感覚」を「目的の一つ」として掲げる,ということについて,Katzさんはプロジェクト管理(私は全然そういうの知りませんでした(^ ^;)ゞ )というところですごく重視されていることにもつながる問題として書いてくださっていますが,「一緒にやっている感覚」を「目的」にする,という視点も私は意表を突かれる問題提起で,多分ここでも定型アスぺの感覚のズレが隠れていそうな気がします。そこはまた改めて考えてみたいと思います。

 


 



 
 



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コメント

私自身のアスペ的な誠実さというのがピンと来ません。
パンダさんから見た私のアスペ的な誠実さというのは具体的にどんなところでしょうか?
質問ばかりで申し訳ないですが、具体的に教えて頂けるとありがたいです。

「…「目的」だけを強調することは,定型にとっては「一体感」を失い,「信頼」を諦め…」とありますが、多分それも違うと思います。アスペルガーの方は、一緒に作業をしたり物理的に一緒に居なくても信頼や一体感には影響がないと思います。
例えば「一緒に映画を観る」という行為でも、定型が思い浮かべるのは一緒に映画館に行って食事をして感想などを話して…というものですが(それら一連の流れが「目的」だったりしますが)、アスペルガーの方(勿論、人によります)は別の日に各々が自由に見て自由な感想を持てば良いのだと思います。
「信頼」や「一体感」の感覚が違うのでは、と。
極端な話、仕事等でライフスタイルが全く違い夫婦でも会う時間がなかったとしても、それぞれに充実してれば夫婦としての信頼は損なわないと思います。

ジャスミンさんに質問です。

夫婦としての信頼感とは アスペの方は 何を持って信頼感が存在しはじめるのですか?

それぞれが充実していれば … とは
そのすれ違いの生活で、充実を感じられない、とすれば アスペの方は 定型のパートナーに対して どのように対処されますか

根本的なちがいはここにあると私は感じます。

どんぐり様。
「アスペの方は 何を持って信頼感が存在しはじめるか?」は、正直私にも解りません。だから不安になります。ただ、「すれ違い、充実を感じられない」と不安を感じてるのは私(定型)のようで、アスペルガーの相手はそれで「充実してる」そうです。「信頼があればずっと一緒に居なくても良い」「話さなくても良い」と言うので、何となくですが気持ちは分かる、という程度です。答えとして不十分で申し訳ありません。

ジャスミンさん
すみませんでした。ジャスミンさんのコメントを読んで、私はジャスミンさんがアスペの方なのかと勘違いしていました。 なので 質問してしまいました。

映画を一緒に見て食事して…定型は、映画や食事ももちろんですが、好きな人と一緒に過ごすことにワクワクしたり ときめいたり、 その人と共に過ごす時間が一番大切だと思うのです。
根本的にそんなところがちがうのでしょうね。

勘違いしてすみませんでした。

どんぐり様。
それだけにこのブログやコメントの密度が高く内容が深いのだと思います。

本当にその通りです。求めるものが違うのです。
アスペルガーの相手は美術館や映画館も一人で行くのが好きだし、愛情に関係なく「自分の世界を邪魔されたくない」そうです。ただ、尊重すべきと解っていても「一緒に居るだけで(何一つ自分の意見などを話さなくても)邪魔」、存在が邪魔と言われてるようで落ち込みます。
根本的な違いを、頭では分かっていても心はどうにもならず、傷付くのが現状です。

ジャスミンさんのお気持ち手に取るように理解できます。 ホントそうですよね。自分がみじめになるというか…自分ってその程度の存在なのか…と卑下したり…
恋人となっても、夫婦となっても、不安、孤独、そして自信などまるでなく、愛されてるという実感がありませんでした。
少なくとも、私は。

どうにかして距離感を縮めたくても空回りばかりで、振り回され、距離感は縮まることはありませんでした。ならば その距離感を大切に 相手の好む距離感を保ってるうちに、他の人のところへ行ってましたね。あっという間に。
いまだに、傷ついてます。 癒えません。

そうです。何年経っても全く距離感は縮まりません。「どうにかして縮めたくて空回りばかり、振り回される」ことすら相手にとっては「勝手にやってるだけ、別にそんなこと望んでない」というのです。(定型なら、いかに的外れな努力であろうと、結果的に迷惑なことであろうと、自分のために努力してくれる「気持ち」には涙が出るほど感激します。仮に好きでない人物でも)、それで「その距離感を大事に」するのは定型的には別離に等しく、精神的に多大な苦痛を伴います。

距離感は別離に等しい…よくわかります。 お付き合いの時は 半年会えないなんてザラでした。時に、距離感縮まった感を感じ、うれしく思っていてもぬか喜びで、縮まったと感じた分、また一からスタートですか?みたいなところへ逆戻りしたり。近づきすぎて別離を言い渡されたり。別離に等しい距離を保てても 自分が一番だという自信はないし、孤独だし、その気持ちを打ち明けても、理解してくれるどころか 、もう無理だ…でしたから…

にわとりさん

 私が感じるにわとりさんの誠実さは,抱えられた問題について,とても真っすぐ,真剣に問い続けられるその姿勢に感じ取ります。

 にわとりさんが繰り返し定型からいいように利用される経験を書かれていましたが,それもたぶんそういうにわとりさんの「誠実さ」が変に利用されているのかなと思います。

 という感じで説明になりました?わかりにくければおっしゃってください。


ジャスミンさん

>「信頼」や「一体感」の感覚が違うのでは、と。

 はい。私も基本的にそういうふうに考えます。その中身が何なのか,そのズレを前提にした前向きの関係調整はどんなふうに可能なのかが気になり続けています。 今はお互いにどういうところに傷つくのか,ということをまた少し考えているわけですが。

パンダさんお返事ありがとうございます。

本文中の
>にわとりさん のアスぺ的な誠実さとかが全く理解されず,通じない状況の中で,定型的なそんな感覚で勝手ににわとりさんの言葉や振る舞いを理解
してしまった結果のことのようにも思えてきます。
の部分と
コメント欄の私へのお返事
>にわとりさんが繰り返し定型からいいように利用される経験を書かれていましたが,それもたぶんそういうにわとりさんの「誠実さ」が変に利用されているのかなと思います。
の部分がまだつながりません(パンダさんの説明がわるいわけではなく、私の読解力がなくてすみません)。

再度お手数おかけして申し訳ありませんが、補足をおねがいします<(_ _)>

にわとりさん

>コメント欄の私へのお返事
>にわとりさんが繰り返し定型からいいように利用される経験を書かれていましたが,
>それもたぶんそういうにわとりさんの「誠実さ」が変に利用されているのかなと思います。
>の部分がまだつながりません

 ですが,確かにつながりを端折って書いてしまったかもしれません。
 つまり,にわとりさんの誠実さは相手の人の言うことを
 言葉通りに真っすぐ受け止める
 そういう素直さでもあるような気がするので,
 それを意地悪く見れば,「疑うことを知らない」人だから
 「簡単にだませる」とも見えるかもしれません。
 あるいは口先でごまかせば利用できる,と見られるかもしれません。
 相手も誠実な人であればいいですが,
 そうでない場合は,場合によってそんな利用のされ方をすることもあるかと。

 しかも定型アスぺのズレの結果,にわとりさんの言葉や振る舞いは
 定型相手にはすごく攻撃的に見えたりもする可能性があるので,
 そうすると「こんなふうに自分を攻撃してくるやつに対しては,
 懲らしめの意味も含めて利用してやっても構わない」
 というような気持が相手に生まれる可能性も感じます。

 もしそういう枠の中ににわとりさんが落ち込んでしまった場合は
 にわとりさんの誠実さが逆にひどい関係を生んでいくかもしれない。
 そんな意味です。
 もしそうだとして,どう対処したらいいのか,すごくむつかしい問題ですが。
 たぶんそのあたりの対処の仕方については
 場数を踏んでいるアスぺ父を持つ娘さんの方が
 ポイントをつかまれているかもしれません。
 

パンダさん

私の理解力が悪くてすみません。
やっと意味が理解できました。
ありがとうございます。

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