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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« ずるい定型 嘘つくアスぺ ? | トップページ | 生き方としてのアスぺと定型 »

2015年2月17日 (火)

だまし合いと友情

 定型アスぺでずれやすいポイントのひとつに,「仲間づくりへの欲望」の強さみたいなことがあるような気がしていました。多くの定型にとって,「生きる」ことは「いい仲間を作って,いい仲間を維持して,お互いに守られて生きる」ことで,そのために相当のエネルギーを使う。

 それで相手の人が自分に好意を持っているのか,悪意を持っているのかを見分ける力はものすごく重要になります。悪意を持つ人に対しては警戒しなければならないし,好意を持ってくれる人とはさらに深いつながりを作って助け合う必要がある。

 もちろん,四六時中そのことを意識しているわけではなくて,大体はほとんど直観的に印象で決めてしまっていますし(当たることも外れることもありますが),またそれを維持するために普段の生活の中ではほとんど意識せずにお互いに「私はあなたに好意的だよ」というサインを送り合っています。

 この「仲間」関係というのは,実際はものすごく不安定なところがあります。人もその人が生きる状況も,常に変化していますから,実際はいつ何が起こるのかは誰も予想はできない。だから常に「大丈夫だよね?」「私は信頼しているよ」といったサインを送り合って,その関係を維持する努力をし続けるわけです。

 親子とか,生まれながらの関係の場合には,比較的そういう努力をしないで「信頼関係」が続く場合もあるでしょうが(それも絶対ではありませんが),友達関係とか夫婦とか,後から作るような関係の場合はますます努力が必要になる。

 子どもたちはほんとに小さなころから,そういう人間関係の厳しい世界に生きているんですね。いじめの問題なんかまさにそういうものだと思います。いつ自分が攻撃の対象になるかわからない。何がきっかけになるかわからない。いじめられないためには仲間の中にいなければならない。自分が生きていくためにはいじめられる側ではなく,いじめる側に回ることさえ必要になるかもしれない。仲間外れにされることは一番厳しいことで,とにかくそれを避けるために必死になる。

 それが子どもが生きている現実の一面だという気がします。そうやって小さいうちから徹底して「鍛えられ」ているのが定型でしょう。

 アスぺの方が子ども時代にいじめられることが多いのは,その理屈に乗れないからではないでしょうか。

 たとえば朝起きた時に「おはよう」と言う。その一言の言い方で,「あれ?今日この人,なんか調子が悪いのかな」と心配したり,「この人私に何か文句があるのだろうか?」と感じたり,「ああ,今日もこの人といい関係でいられるな」と思ったり,言葉にすればちょっと大げさですが,直観的にそういうことを定型は見分けています。そしてそれに応じた対処を心がける。そういうことをいつも普通に,ほとんど意識もしないレベルでやっているわけです。

 ところがアスぺの方にとってそのあいさつ自体が頑張らないとできない場合が結構ありそうです。元気に外向きに活動できているときはまだいいのかもしれませんが,何かの原因で気持ちが内向きになられたりしているときには特に,そのことが強く出るのではないでしょうか。

 そうすると,定型にとっては「仲間であることの確認」や「仲間としてやりとりする出発点」みたいなことについて,アスぺの方からそれを得られないことが多くなります。それが得られないということは「この人は私と仲間になろうとしていない」と理解されたり,あるいはもっと強く「この人は私に敵対しようとしている」と警戒されたりします。もう初めから「仲間外れ」の対象になってしまうわけです。

 夫婦関係は定型的な感覚では,多分もっとも強い,特別な「仲間関係」でしょう。多分アスぺの方にとっても特別な関係であることは同じだと思いますが,ただそれは上に書いてきた定型的な「仲間関係」のひとつという感覚とはちょっと違うのではないか,という気がするのです。

 アスぺの方は一度夫婦関係になれば,もうその関係を維持するために特別のことは必要ないと感じられる場合が多いのではないでしょうか。だから定型から見れば「釣った魚に餌はいらない」と感じられる大きな変化が結婚後に起こったりする。結婚するまでは「関係を作る」ためにいろいろ相手に気遣ったり,特別に意識して努力することも多いけれど,一度結婚してしまったらそんな特別の努力は必要がなくなると,ごく自然に感じられるのではないでしょうか。


 ここでもやはり「仲間関係はつねに変化するものだし,いつもお互いに確かめ合って,維持していかなければあぶなくなる」という,定型にとっては暗黙の理解になっていることが共有されていないのだろうと思います。(もちろん定型でもそのことについてすごく気にする人と,わりにおおらかな人がいて,むしろごちゃごちゃ言わない「信頼関係」をすごく重視するタイプの人もいますし,個人差は前提ですが,それでもアスぺの方に比べればかなり
気遣っていることになるでしょう)


 定型の世界は,多分信頼と裏切りと,期待と期待外れと,そういうことが渦巻きながら動いているんだと思います。アスぺの方から見れば,それこそだましあいの世界に見えるかもしれません。だからこそ定型同士では安心できる「仲間関係」が大事になる。それは常に努力しながら維持しなければならないものです。そしてアスぺの方はむしろとても律儀で,そういう「努力」の必要性を定型のようには感じられないから,定型からは「この人は私との仲間関係を望んでいない。私に敵対しようとしている」と誤解されてしまい,攻撃の対象にもなりやすい。


 なにが定型とアスぺの間にそういう「仲間関係」への姿勢の差を生むのかは,まだ私は頭がごちゃごちゃしていて整理できませんけれど,「なぜ定型がアスぺの方の言動に傷つくことが多いのか」「なぜその定型の感覚はアスぺの方には理解しにくいのか」については,こんな風に考えると少なくとも一部は分りやすくなるように思いました。
 

 

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コメント

かずきです。

あいさつにはそんな側面もあるんですね。
私は頑張らないと挨拶できない派です。
されたら礼儀として返しますが、自分からするのにはなかなかできていない状態でいます。
そこに仲間意識の取っ掛かりみたいな、軽い様子うかがいのような要素が有るんですね。

私も以前は仲間内、と言う感覚を強く持っていたことがありましたが、
結婚してからは逆に、いつこの関係が壊れるかも分からないと言う意識と
結婚は永遠じゃないという両親の教訓(笑)のもとある意味緊張感をもって生活しています。
自然に定型の夫に合わせて定型流にしていたんだと思います。

結婚以前の人付き合いを考えると、
やはり釣った魚には餌をやらないと言われる付き合いでしたから
極力仲良しを作らなかった気もします。作れなかっただけかもしれませんが。

恐らく、今でもなにも考えずに人付き合いをしていいと言われたら
仲間認定した人には冷たい対応になるのだと思います。
その根底には、安定した関係性を望む気持ちが強くあるんです。
不変な関係と言うか、信頼したとしたらそれが揺るがない。
相手も揺るがない。
なにか大きな事件でもない限り、揺らぎの無いものだという、
そういう感覚があると思います。
変化を嫌う部分がここでも出てきてると言いましょうか。

だから、簡単に裏切ったり嘘をついたりうわべだけ良い顔したり、な関係性を、コロコロ変わる薄っぺらい、汚いものと認識しがちなのかなぁ、
なんて思います。

実際は、お互いの努力なしには関係を継続することなんて出来ないのは頭では分かります。
でも、どこか、安定した関係を望んでしまいます。

かずきさん

>その根底には、安定した関係性を望む気持ちが強くあるんです。不変な関係と言うか、信頼したとしたらそれが揺るがない。……だから、簡単に裏切ったり嘘をついたりうわべだけ良い顔したり、な関係性を、コロコロ変わる薄っぺらい、汚いものと認識しがちなのかなぁ、なんて思います。

 そんなふうに説明して頂くと,すごく納得します。

 一見,深い関係を拒否しているように定型には見える付き合い方が,逆にとても強く安定を求めていることなのだということ。それに比べて定型的な「気遣い」はものすごく表面的に感じられ,「安定した関係」にほど遠いものと思えること。

 「深い,安定した関係」を求める気持ちは定型アスぺで変わりはない。でも何がそれを可能にするのか,そこが大きくずれるわけですね。

 ほんとに大事なことを教えていただきました。

仲間認定したら冷たい対応…よくわかります。
冷たいというか、気を使わなくなりますね。ぶっきらぼうになってるかどうかは自分ではわかりませんが、少なくとも、気付いたら何ヶ月も連絡してない仲間なんか普通ですし。そんな友人にある日ふと思い出してメールの一本でも送ると、何事も無かったかのようにまた続きが始まります。
で、私の周囲ではそれが普通なんですよね。理系の人間同士では多いんじゃないでしょうか。安定した関係を望むというより、安定した関係が当たり前になっています。

あるいは安定してる友人だけが残ったと言えるのかも知れませんけど…。友達が少ないものでして…。そういえば友達付き合いってあんまりしないなぁ。付き合う暇も無いというか。孤立型なんでしょうかね、それでもあんまり寂しいとは思わないんですよね。年に1回くらい集まる友人グループが3つ4つあって、それで十分ですねぇ私は。で、いずれのグループも、そんなに気を使ったりしてません。向こうは気を使ってるのかな?年に1〜2回の顔合わせじゃ、気の使いようも無いと思いますが。

そういえば女性は違うみたいですね。カミさんが一度、さわりの部分だけ解説してくれた事があります。はい、男にはとても真似できません。私には、ではなくて、男には、です。間違い無く。

パンダさん

かずきです。

定型流「気遣い」は、意図が読み取れないことが多いので
戸惑ってしまうことが多いんですよ。
その場では言葉通りにしか理解できず、
後から、「あれってどういう意味だったんだろう」と悩んでみたり。
言葉の裏があったのかな、言葉のままなのかな、と。
でも悩めるのは時間差が、私の場合は日をまたぐ位の時間差があるので
意図することを理解(出来てるかは別にして)するのは後になってからなんですけどね。

Katzさん
はじめまして、自閉症スペクトラムの浅瀬に居るかずきです。

気を使わなくなると言うの、分かります。
私の場合、ご機嫌伺いとか、意図的な声かけをしなくなるんです。
なので女性の友人は親友宣言をしてくれた人も含めて一人残らず去っていきました(苦笑)
今でも年に数回声をかけて食事が出来るのは男性に友達だけです。
男性はそう言うドライな人間関係に耐えられるというか、
女性に比べて密なコミュニケーションを必要としない感じがありますね。
それでも連絡を取れば前回の続きのような感じ話始められるというおまけ付きで。
私は男性との方がストレス無く付き合えて気楽で良いのですが、
はたからみたら特異に見えるらしく結構誤解されて困ることも多々ありました。

すべてとは言いませんが
女性の付き合いかたは定型的と言えて、
男性の付き合いかたはAS的にといえる部分があるのでしょうか。

Katzさん

>それでもあんまり寂しいとは思わないんですよね。年に1回くらい集まる友人グループが3つ4つあって、それで十分ですねぇ私は。

 これは当事者同士もそれで特に問題を感じないのでしょうし,それでOKですよね。別に無理してそれ以上を考える必要もないし。ここでもKatzさんは周囲とそれなりにちゃんとしたバランスの取れた関係を作られているわけですね?

 一方で,夫婦間でそのあたりの感覚がずれたりすると,なかなかむつかしいものがあると思います。そのあたりはどうやってバランスを維持されているのか,またそのうちに宜しければ教えてください。


かずきさん

> 悩めるのは時間差が、私の場合は日をまたぐ位の時間差があるので

 そうなんですね?日をまたぐほどなのか……
 こうやってネット上でやり取りをさせていただいていると,
 そういう時間差をほとんど感じずに済みます。
 やり方次第で適度に距離をとって自分のペースを守りやすいということが
 ネット経由のコミュニケーションのよいところなのでしょうか。

 かずきさんから見ると,定型の世界って,ほんとに裏表の激しい世界
 という感じになるのでしょうか。
 その中で嘘のない自分の素直な世界を守ることって
 やっぱり大変ですよね?

パンダさん

かずきです。

そうなんですよ。リアルタイムのやり取りは苦手です。
いやみにいわれたことに本気で「ありがとうございます」と答えてしまい
変な顔をされたりすることはしょっちゅうです。
意図して居ることが読み取れず「??」となって、
分からない顔していると、「しょうがない」といわんばかりに説明してくれたり
「伝わらない?」と聞き直されたり、言わんとしてる事を読み取れず配慮できなかったり
空気読めない私です。
後から気付いて一人夜中に赤面したり後悔したり。


ネットのやり取りだと、多少のラグは許されますし
発言を何度も読み返せますから色々な解釈をしてからお返事出来るんですね。
助かります、私としては。


>かずきさんから見ると,定型の世界って,ほんとに裏表の激しい世界という感じになるのでしょうか。

そうですね、この社会しか知らないのもあるので、そうじゃないとどうなのかは分かりませんが、
言葉の裏の無い気遣いの要らない社会なら楽なのに、と思ったことは何度もあります。
裏表の激しい…。と言うより裏のある世界と言う表現が合います。


>その中で嘘のない自分の素直な世界を守ることってやっぱり大変ですよね?

正直に言うと結構大変です。
定型流対応をする度に自分を裏切っている感を感じますし、
かといって素の対応をすると人を傷つけたり困らせたりするのが分かりますし。
極力迷惑はかけたくないと考えては居るのですが、そうもいかないので、
その折り合いをつけながら「ま、いっか」を連発して暗示をかけながらの毎日です。
定型にはなりきれないし素にもなりきれない中途半端な私です。

anonimoです。

うちの主人とのやりとりでも、主人が「定型世界は裏表の激しい世界」と感じているということに気づかされることがあります。

私が、相手(主人)の嫌いなこと、相手を怒らせるようなことは言わないようにしている、と言うと、それを私が「おびえている」からで本当に相手(主人)と心から話をしていないととられ、彼は傷ついてしまいました。
信頼している相手には、思ったことをストレートに話すというのが主人の考え方のようです。その理屈もなんとなくわかりますが、その結果、信頼している相手、好きな相手を傷つけてしまう、という結果はなぜ考慮されないんでしょう?

だれか、この疑問に答えられる方がいたら、お願いします。

突然お邪魔いたします。

>信頼している相手、好きな相手を傷つけてしまう、という結果はなぜ考慮されないんでしょう?

そうなんですよね~表情とか空気を読めないにかかわってくるのでしょうね。
愛着がある相手には警戒心を一つ外した状態になり、思ったままをストレートに表現するのでしょうかね?言っても許される相手と認定されているようです。(家の場合だけかもしれませんが)

多分信頼という言葉の意味合いが夫婦間の認知のズレがあるのでしょう。
判ってはいてもそのズレを伝える話し合いが成立しないので・・・

最近、明らかに傷つけると思われる言葉を聞いた時点で、それをそのままオウム返しにたり、余裕がある時は言われた方の気持ちになるような話にもっていくようにしています。
その時点で行えば相手の気持ちを理解するようで、考え込んだりしています。

対処の仕方なんて聞かれていませんね。失礼しました。


横から図々しくすみません。

anonimo様
個人的な話ですが、うちは発達障害だらけの家庭で育ちましたからストレートな物言いは当たり前です。
親しい間柄だと、愛想がない言い方やぶっきらぼうな言い方をするのが当たり前で、思ったことも全て言い合うのが普通の感覚に思ってました。
ぐさっと来ることはありますが、具体的なアドバイスや指摘でしたし、親しい間柄ゆえの発言だと考えてますから怒りや不信感になることはないです。

ただ私の父はストレートに加え、相手をののしったり、見下しをこめた発言(さらに暴力)が多かったから不信感がありましたが、しかし父自身は自分が発した言葉の方は相手を深く傷つけるものだとの認識の方はもてないようでした。
父の人間性というよりは、父の特性として周りの気持ちを考える機能が足りないんだと思ってます。
また、相手への罵りであっても、家族には言いたい放題言っても許されるとの甘えや錯覚もあるようです(私は精神的に限界がきて家から逃げ出しましたが)。 

うちの場合は特別で、他の発達障害の方と一緒にしたら大変失礼かもしれませんが…。
わずかな部分であれ、参考になることがあったら幸いです。

横から図々しくすみません。

anonimo様
個人的な話ですが、うちは発達障害だらけの家庭で育ちましたからストレートな物言いは当たり前です。
親しい間柄だと、愛想がない言い方やぶっきらぼうな言い方をするのが当たり前で、思ったことも全て言い合うのが普通の感覚に思ってました。
ぐさっと来ることはありますが、具体的なアドバイスや指摘でしたし、親しい間柄ゆえの発言だと考えてますから怒りや不信感になることはないです。

ただ私の父はストレートに加え、相手をののしったり、見下しをこめた発言(さらに暴力)が多かったから不信感がありましたが、しかし父自身は自分が発した言葉の方は相手を深く傷つけるものだとの認識の方はもてないようでした。
父の人間性というよりは、父の特性として周りの気持ちを考える機能が足りないんだと思ってます。
また、相手への罵りであっても、家族には言いたい放題言っても許されるとの甘えや錯覚もあるようです(私は精神的に限界がきて家から逃げ出しましたが)。 

うちの場合は特別で、他の発達障害の方と一緒にしたら大変失礼かもしれませんが…。
わずかな部分であれ、参考になることがあったら幸いです。

anonimoさん

はじめまして、かずきです。

>信頼している相手、好きな相手を傷つけてしまう、という結果はなぜ考慮されないんでしょう?
考慮する前に発している、からではないでしょうか。
意図的に定型流の対応をするには、気を張っていなくてはいけませんから
このはりつめた気を抜いてしまう相手には、
定型流気遣いや定型流言い回しなとが後回しになる場合が多いんだとおもいます。
後から気づいたとしても覆水盆に帰らずですし、
そもそも近しい相手に対しては気づかないことも多いかも、と感じます。
幸い私の周りに残ってくれている人は、
「その言い方キツいよ~」と言ってくれる人なので、
本人が気づいてないようなら傷付いたことを伝えることから始めてみると良いかもしれません。
申し訳ないのですが分からないんですよ、本当に。
傷付けたと思っても傷付けていなかったり、傷付けない表現が出来た!と思っても傷付けていたりで
気を張っているときですらそんなですから、キッパリ教えていただけると助かります。

私自身が気を付けていることとしては、
・調子にのって身内(仲間)認定しない
・親しき仲にも礼儀あり
・夫婦だって親子だって一個人
です。

こんなで参考になれば…。

友達になっても、数年でたいがい関係がダメになってしまうのですが、そのあたり、やっぱり定型の方とはいろいろ違う部分があって支障が出ていたんでしょうね。

「挨拶」っていうのは今でも「何のために必要なのか」がまったくわからないけど「定型との接触をスムーズにするため」に仕方なくやっています。
とても苦痛です。
声の大きさやタイミングがつかみづらくて、つらい思いをしながら無理をしてやっているのにご注意を受けるので。

定型発達者の方が、体調が悪いと機嫌が悪くなるということを最近まで知りませんでした。
そういうことも知識として知っているのと知らないのとでは、関係を築く上で違うのではないか?と思いますが、そんなことを誰も教えてくれなかったですからね。

anonimoです。

いろいろな意見を聞かせていただきありがとうございます。

yasuさんへ

>愛着がある相手には警戒心を一つ外した状態になり、思ったままをストレートに表現するのでしょうかね?

確かに。とてもかわいがっている娘たちには、本当によく怒鳴り散らします。「理由もないのに泣くなー!」って。何か理由があるから泣いてるのに~。子供よりも、それを聞いている私の方がストレスに感じてるんですけどね。

>その時点で行えば相手の気持ちを理解するようで、考え込んだりしています。

うちの場合は、いつ言おうがすぐに「でも、それはxxx」と反論されますが、しばらくしてから頭に浸透するみたいで、けっきょくは私の言ったことを守ってくれようとしているのがわかります。ただ、どこまで納得して行動を変化させているのか、ただ私がお願いしたから変えてくれたのか、その辺は微妙です。まあ、私自身も、彼の考え方に納得できないとしても、彼に合わせて行動することもあるので、お互い様なのかな。

にわとりさん

>親しい間柄だと、愛想がない言い方やぶっきらぼうな言い方をするのが当たり前で、思ったことも全て言い合うのが普通の感覚に思ってました。

主人は、私や彼の家族に対してはものすごくストレートな言い方をします。でも、彼に対して家族がストレートな言い方をしたときに、彼が当たり前で普通と思っていたのかはとても疑問でした。私の(定型的な)感覚では、「お互いにストレートに言い合うのが普通の感覚」=「お互いのストレートの意見を受け入れる、もしくは聞き入れようと努力する」と解釈してしまうのですが、そこが違っているのかなと思いました。言い合うのは普通でも、それを受け入れられるとは限らない、むしろ受け入れられない場合がほとんどなので、言い合いになること自体も普通ということなのかな、と。(それが喧嘩に発展するのは予想外なのかもしれません。)親戚からみると、彼の家族はいつも喧嘩していると見られているようですが、ストレートに言い合っているからこその結果で、彼らにしてみればそれが普通ということなのでしょうか。慣れない私にはとても疲れることです・・・。

かずきさん

>気を張っているときですらそんなですから、キッパリ教えていただけると助かります。

かずきさんみたいに謙虚な方だったらいいんですけど、私が傷ついたことを主人になんとか理解できるように説明し終えたとき、「たまには意味のないことも言うことだってあるから聞き流して欲しい」と言われました。それから「でも、(そういうことを言わないように)なるべく努力する」と付け足し。

皆様のご意見と主人の性格を総合的に判断して、ストレートな言い方に対して、明らかに傷つくような場合はその場で指摘し、そうでない場合は家族だから気を許していると解釈してなるべく聞き流す、という感じでいくことにします。

でも、私は言い合いは好きではないので、(たとえ彼が望んでいたとしても)私の方からなんでもストレートに言う、というのはやっぱりできないと思いました。う~ん、でもそれがストレスにつながって、たまりにたまったときに大喧嘩になるのかも・・・。だったら、小出しにしている主人のやり方の方が小さな喧嘩で済むし・・・。たまにの大喧嘩と、いつもの小さな喧嘩、どっちがいいんだろ??


本当に、ここの皆さんの書き込みは、とても興味深いです。
私があまり疑問に思っていなかった事について、とても色々な見方がある事に気付きます。
…と書くと傷付く方もいらっしゃいますかね?今目の前の問題で苦しんでいる方にとっては「興味深い」などと言われたら傷付くかも知れない、という位の事は想像できますので、普段はそういう事は、なるべく書かないようにしています。ここではついつい、自分のそういう所をさらけ出してしまってますが。
私の口調でドンドンいっちゃうとこの場はマズい、と思った時には私はクチをつぐんでいます。ただ黙っているだけだと苦痛でしかないので、喋るよりも優先順位の高い作業を自分に課すようにしています。大抵は、周囲の様子を観察する、ですね。誰が何に対してどういう反応をするのか。それを分析するのが中心です。その場の指揮系統を調べるのに極めて有効ですし。話題についていくのと同時にそういう事をやってると、それだけで頭を全力回転させる事になりますので、それこそ喋っている暇が無くなります。実に好都合です。

と、これは慣れない場でのやり方です。慣れた相手だと、話を聞くと同時に、相手の今の感情やら、価値観とかモノの見方・考え方なんかも分析するようにしています。そういう事って、愚痴を聞いてる場合の方がハッキリ見える事が多い。愚痴には本音が出ますから。建前で愚痴る人間なんていません。だから私は他人の愚痴を聞くのが結構好きです。

ここから先は暗黒交際術とでもいうような内容になりますけども…
相槌を打つ時にはコツがありまして、基本的には相手を否定しない。「うんうん、そうだよね」「わかるわかる」「本当に君の言う通りだよ」…なんて上っ面で棒読みしようものならイッパツで見透かされちゃいますから、そこは相手の言葉を聞いた上でうまく肯定する言葉を作らないといけませんが。どうしても言葉が出てこない時にはオウム返しが便利。で、とにかく相手に喋らせます。
人間のやる事なんて、正しいも間違いもありません。どんな事でも肯定も否定も出来ます。愚痴を聞いて肯定する事は簡単なんです。自分の意見に固執してしまうと難しくなりますので、自分がどう感じるかについてはあんまり考えません。それこそ自分の世界を広げる練習だと思って、目の前の愚痴をうまく肯定するような世界観を、自分の中でシミュレートしてみます。コツがわかってくると、結構面白いです。
こういうのは、私にとっては「自分を偽る」のとは別次元の作業です。自分の価値観は、そういうのとは別の問題として分けて考えています。だからこれで苦痛を感じる事はありません。

自分の意見をまっすぐ主張するのは、かなり相手を選びますね。ネタによっても相手を選びます。…なんて事に気付くようになったのは最近なんですけども、お恥ずかしい事に。
ちなみに今のカミさんは、その点では非常に良い相手ですねぇ。論点を明確に提示する形で主張すると、カミさんも考えて回答してくれます。これが私にはとても心地良い。カミさんも楽しんでいるようです。

連続投稿でスミマセン。

喋るよりも優先順位の高い分析って、私のヤツは、定型の方なら考えなくても無意識に出来てる事だと思います。私の場合はそうではないという事ですね。
意識しなければ出来ない代わりに、そのもう一つ先「自分の価値観とは無関係に相手を肯定する」というワザを身に付けられたので、まぁそれはそれだと思う事にしています。

かずきさん
> 女性の付き合いかたは定型的と言えて、
> 男性の付き合いかたはAS的にといえる部分があるのでしょうか。

そういえば脳科学でこんな話がありました。
扁桃体でしたっけ、顔の表情などから感情を読み取る部分ですが、これの大きさって明確に男女差があるそうです。平均すると女性の方が大きいらしい。女性は赤ちゃんを産んで育てるという役割から、言葉を喋れない赤ちゃんの様子を把握する必要に迫られて、それが可能になるように進化したのだろうという話でした。
そのせいで女性は言葉にならない部分から相手を読み取る技術に長けているとの事。で、男はそれが、女に比べると劣っている。男の浮気は女の勘で見破られて…みたいのは、実はそういう裏があったとか。

パンダさん
夫婦での感覚のズレ、ですか。私の場合はあんまり…。というか、私のそういう感情って、相手の様子にものすごく左右されるんですよね。相手がベタベタしてくると私の気分も盛り上がって、相手が何となく冷却期間に突入するとこっちもそんな感じで、気付いたら2ヶ月くらいろくすっぽ会わなかった、とか。カミさん以外が相手でも似たようなものだった気がします、ハッキリ意識したのはカミさんと付き合うようになってだいぶ経ってからだったと思いますが。
なんでしょうね。こういうのも共感の一種でしょうか?共感というより共鳴と言った方がいいような感じですが。

Katzさんへ

 はじめまして。 杜若と申します。
 Katzさんのご意見はとても勉強になります。 ハウツー本のように読んでスーっと頭に入ります。 
共感というより共鳴、というのはよく考えていました。 我が家では、私が体調を崩すと、ほぼ確実に主人が具合悪くなります。 家族が病気になると母(妻)は我が身は二の次にして看病するものですが、妻が病気になると主人の方が重病人のようになってしまいます。 私の看病をするのが嫌なのかしら、と考えたこともありますが、私の入院中に本格的に体調を崩し有給を取って寝込んでいたと聞いた時に、共鳴という言葉が浮かびました。
 こんな話を友人にしたら、仲が良いのね、と誤解されますが、実際には二年間会話がなかったこともあります。
  Katzさんご夫妻はとても良い相性なのだとお見受けしました。 これからも良いやり取りを学ばせていただきたいと思います。 

Katzさんの『愚痴には本音が出ますから。建前で愚痴る人間なんていません。』との綴りの分析に圧倒されました!

私の感想はさておいて…『あいさつ』についてですが、私の父はあいさつを重要視しています
子供に対しても「あいさつ」には厳しい躾でした
他人に対しても「あいさつのない奴はダメだ!!」と非難します

しかし、母が「あいさつをしなさい」と言うのと、父が「あいさつをしろ」と言う理由が何か違う……
「あいさつ」ってコミュニケーションで気持ちの良いものなのに、父は「あいさつをしないと大変なことになる」「あいさつをしない奴は厳しい非難を受けても当然なんだ」と言うように「あいさつの大事さ」を語るも、マイナス面ばかり執拗でした

父は「母親はあいさつに厳しかった」と言ってました
恐らく父は何度言われても「あいさつの出来ない息子」だった
昭和さながら(?)の躾をしてた母は、あいさつが出来なければ(手記で綴った内容ですが)裸にさせ電柱に縛りつけたり、家から閉め出したり、食事抜き、叩いたり、罵られたりもしてたと思います
父がよく言う「親に恥かかせるな」「親の躾が悪いと思われるようなことするな」と私達子供に言う言葉も、アスペ父の親が執拗に言っていた言葉なんじゃないかと、今は思います……

それで父は「強迫的に」学習した
『あいさつをしないと怖い目にあう』んだと……

父は母親のこと「好き」なんです
だから、母親を「嫌い」になる解釈はしなかった

父は「おはよう」「ただいま」「ご馳走さま」「ありがとう」等のあいさつは言いますが、社交辞令はわかりません
「ありがとう」は様々な場面で使われますが、何か貰ったときくらいしか聞いたことないような……(汗)

あくまで私の父の一例ですが、アスペの方が『強迫観念的』に定型のように振る舞う場合は、こうした背景があるんじゃないかと考えました……m(__)m


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