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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 追体験できるやりとり | トップページ | ずるい定型 嘘つくアスぺ ? »

2015年2月 7日 (土)

矛盾するイメージ

AS-Pさんの説明を読んでいて思ったことがあります。

 定型アスぺ関係で,定型の側がショックを受けたりしやすいことの中に,アスぺの方からの問題の指摘のされ方,文句の言われ方があるように思います。私の場合はパートナーから家事の仕方とか何か文句を言われる時,なんだかほんとに嫌悪感を抱かれているかのように感じてしまう表情や声で指摘されることが多いわけです。

 そうすると私は「もうそこまで毛嫌いされてしまっているのか」とか「それほどひどいことを自分は彼女に対してしているのか」とかどうしても思ってしまい,でも同時に「なんでそこまで?????」という思いがわいてきて,とてもつらいわけです。

 で,例によって彼女に聞くと,そういうことではない,ということになるわけですけれど,じゃあなんであの表情や声になるのか,そこがどうしても分んなかった。その所がAS-Pさんの書かれたことでちょっと手掛かりが頂けたかも,という気になったのです。

 AS-Pさんはこんな風に書かれています。

「具体的に言うと、普通の方が、相手の立場を想像したり考えをめぐらしているあいだ、私は「あの人の行動を『私は』どう受け止めればいいんだろう」とか、「あの人に『私は』どういう態度を示せばいいだろうか」とか、あるいは「あの人にかき乱された『自分の気持ちを』どうやって立て直そうか」といった形の、すべて「私」主語の思考に時間を割いているような感じです。」

 ここでAS-Pさんは,ご自分が基本的には相手のことを考えたりはしない,と述べられているわけですが,同時に「あの人に『私は』どういう態度を示せばいいだろうか」とも書かれています。このことには定型的に理解すれば,「相手の立場を想像し,考えをめぐらし」,相手の気持ちになって,その人にも受け入れられる形で,自分に思いつく一番いい形を探してその態度を決めるということになるだろうと思います。もちろんうまくいくとは限りませんが,そうしようとする姿勢は基本的には保っているように思う。(それが全くなくなるのは,もう関係が破たんした時でしょう)

 けれどもAS-Pさんがここで 「あの人に『私は』どういう態度を示せばいいだろうか」と書かれる時,それはそういう定型的な態度とはちょっとニュアンスが違うのではないかと思うのです。そしてそこのズレがたぶん私には今までもうひとつもやもやしてよく分っていなかったことにつながりそうに思ったのです。

 AS-Pさんの基本的な姿勢はこういうものだと言われています。

「普通は、「あの人何考えてるんだろう」とか、「あの人はどうしてそういうことをするんだろう」というような、自分以外の誰かが起こした言動について、ちょっとは考えますよね。私はそのような時間が、日常生活のなかにほとんどありません。他人のことは、はなから「どうせ何も分からない」と仮定しているような感じ」

 ですから「あの人に『私は』どういう態度を示せばいいだろうか」とAS-Pさんが言われる時に,まず「相手がどう考えているか」ということは「どうせ何も分らない」からあまり考えない,という前提があって,その上で,自分がどう行動したら一番効果的だろうか,という「対処の仕方のパターン」のようなことを,それまでの経験などから頭で推理する,ということなんだろうと思えました。

 これはたぶん自閉的傾向の特徴,とされることについて,これまでも言われてきたことにつながりそうです。「自閉圏の人は相手の心の動きが分かりにくいから,形式的で機械的な対応になる」というような理解の仕方です。

 その見方が全く的外れだとは私も思わないし,ひとつのポイントとして大事だと思うのですが,でも定型的感覚だけから見てそこのイメージが独り歩きしてしまうと,すごくおかしな話になると思うんです。

 つまりその見方が一面的に強調されるだけだと,「自閉の人は,人の心を理解できず,人の心を持てず,人の感情を無視してまるでロボットのように利己的に実利的に生きている」というような,ものすごいイメージに結びつきやすいと思えるのです。

 実際にわとりさんはこういう経験を書かれています

「元恋人からも「おまえは鬼畜、……人の心がない悪魔だ」と言われ続けました。」

 でもそれは私が接してきて実感するアスぺの方のイメージとはやっぱりずれていきます。

 何がずれるかというと,まずひとつには,パートナーにしてもAS-Pさんにしてもにわとりさんにしても,ご自分の理解の仕方で相手(定型)のやりかたを取り入れようと努力され続けてきたということがあります。なんとか相手に応えようとする姿勢を,アスぺの方も持たれてきた(その結果絶望的になって諦める方もあるかもしれないにせよ)。

 さらに最近印象が強まっていることですが,定型が「言葉でなぐさめる(本心とは少しずれたとしても)」というような形で気遣うことについては,アスぺの方はむしろ「それは相手をだますこと」という気分になってしまい,不誠実でできない,という,とても(定型から見れば過度にあるいは融通が利かなすぎと思えるほどの)誠実さや実直さをだいじにされているのを何度も感じます。

 その点ではむしろ定型の方がずるがしこく,ひどい人間だという見方もできなくはないでしょう。そして定型のその「ずる賢さ」や「不誠実さ」にショックを受けるアスぺの方の話はいろんなところで繰り返し聞くことでもあります。

 そして「相手の為になることが嬉しい」ということも,私のパートナーもそうですし,AS-Pさんもこんな表現で言われています。

もしそれ(AS-Pさんが考えていることをコメントなどに書かれること)が誰かの何かのお役に立てるのなら、まさに望外の喜びです。」

  

 つまりこういうことです。定型的に見ると,アスぺの方は一方では「人の心を理解しない」,「無神経」で「ロボットのような」人間に見えること(そう責められること)もある。ところがもう一方では相手のことを気遣おうとし,馬鹿正直と思えるほどに誠実さを大事にし,他の人に喜ばれることを嬉しいと思う姿も感じられる。

 この二つのイメージは,全然正反対のもので,矛盾して見えますよね。一方は非人間的なイメージで,他方はすごく人間的なイメージだからです。その矛盾するイメージの両方を抱えれば,もし「アスぺはひどい奴らだ」みたいな言い方をされても,「いやそんなことはないぞ」という思いになるし,かといって「アスぺの方はやさしくて誠実で素晴らしい」と思ってみても,やっぱり定型の側は相手の言動に傷ついたりしてわけがわかんなくなる。

 そのものすごく矛盾したように(定型からは)見える二つのことが,AS-Pさんの文章ではとても素直に矛盾なく表れていると思えるのです。私なりにアスぺの方の発想をこんな風に想像してみると,矛盾がなくなっていくようにも感じます。

 「相手に認められることも,相手に喜んでもらうこともアスぺの方は基本は嬉しい。でも相手の気持ち(心)というものはどうやっても分らないものだ。だからそこは割り切って,自分にとってよくて,相手も困らないやり方を具体的に探っていくしかない。ただし,その時に「嘘をつく」ことはよくない。他人であれば,愛想も使ってごまかすことは仕方ないからするが,家族の中でそんな不誠実なことはできない。素直な自分の気持ちで接することが一番大切なことのはずだ。」

 仮にそんな感覚をアスぺの方が強くお持ちだったとします。そうすると,たとえば私が家事でパートナーが大事と思っているやり方から外れた時,それは彼女にとっては「いけないこと」ですし,「直すべきこと」です。それをされると,彼女の「理想」が崩されるわけですし,おそらくそれは私にとってもよくないはずのこと,と彼女は感じるのでしょうから,いら立ちも感じるはずです。

 ここで仮に定型が同じ立場に立たされたら,たとえまずちょっとイラついたとしても,それをすぐに表現することはあまりなくて,むしろ相手の気持ちをうまく動かして,相手の人が自分から修正しやすくなるような働きかけを優先することが多いように思います(特に日本に多い「気遣い」の関係ではそれが著しいでしょう)。

 もちろん何度言ってもうまくいかないとかになると,腹を立てて怒ったりもするわけですし,そこで相手に「暴力的に強制する」みたいなことも場合や人によっては起こりうると思いますけど,それはできるだけ避けようとして,最後の手段に残しておく。

 ところがそういうクッションのあるやり方は,アスぺの方は基本的にはとらない。とれないというより,取りたくないということなのかなと思うのです。極端に言えば「自分の素直な気持ちをごまかして嘘をついている」ことになって,とても抵抗感が強く出るのではないかと想像したのです。とくに大事なつながりの相手との間では,それはしたくない。

 そうするとアスぺの方は,自分の不快感をそのまま素直に表現することになる。それは相手を頭から否定するためでも,「最終的な否定の態度」を示しているわけもない。ただある意味自分の思いに素直で,そのことで相手にもある意味で誠実であるだけのことかもしれません。

 定型的が大事と感じている相手への「気遣い」は通用せず,定型にとっては相手との関係を断ち切るような「最終手段」として使われる態度が,アスぺの方には自然なものとして選ばれる。ところが定型はそういう態度を「最終手段の発動」として感じ取ってしまい,驚き,混乱し,傷つく。すると今度はアスぺの方が定型にそう受け取られることの意味がわからなくて途方に暮れる。

 ああ,そう考えてみると,逆に定型の側が「最終手段の発動」とか「最終警告の表明」として行うことを,アスぺの方が気づきにくいことがあることも分かる気がします。私の場合は「もう離婚しかないとまで深刻に思っている」ということを直接の言葉ではなく,間接的な言葉や態度で繰り返し示していたのを,彼女は全く気付いていなかったのですが,それは私にとって「最終警告」になるその態度が,彼女にとっては全然そういう意味を持たないからなのではないかとも思えるわけです。

 例によって私の勝手な想像ですが,なんかそれに近いようなことが起こっていないだろうかと,そんなことを考えてみました。
 

 

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コメント

このパンダさんの想像するアスペの方の考え方から、これまで主人とこの世の終わりのような喧嘩をした後でも、すぐに何事もなかったかのように振舞われてしまい、私一人が取り残されたような気持ちになっていたことの説明もつくのかなと思いました。
主人はただ、自分の不快感を素直に表現していただけ、私も同じような考えの下に行動していると捉えられていた。家族なので、愛想を使ってごまかすことをしていなかった・・・。

さらに付け加えるならば、主人は嘘をつくことは嫌いですが、ときどき自分の行動を曲げないために、本当に意味のない理屈を並べ立てます。これはAS-Pさんが掲示板でおっしゃっていることでもありますが。大きく矛盾した二つの側面を見極めてあげることが、家族の中でうまくやっていく秘訣になるのかもしれません。

anonimoさん

 ああそうですか。anonimoさんの体験にも当てはまるところがありそうなんですね。そうすると,こういう理解の仕方は,定型の側から定型アスぺ問題を考える時にはある程度有効な理解の仕方なのかもしれませんね。アスぺの方との共通理解がそこから何か生まれるかどうかは分らないですけれど。

>> 「相手に認められることも、相手に喜んでもらうこともアスぺの方は基本は嬉しい。でも相手の気持ち(心)というものはどうやっても分らないものだ。だからそこは割り切って、自分にとってよくて、相手も困らないやり方を具体的に探っていくしかない。ただし、その時に「嘘をつく」ことはよくない。他人であれば、愛想も使ってごまかすことは仕方ないからするが、家族の中でそんな不誠実なことはできない。素直な自分の気持ちで接することが一番大切なことのはずだ。」

 パンダさんのこのまとめ、少なくとも私にとってはズバッと正鵠を射抜いています。(ASの方一般にそうなのかは分かりませんが)。

 ただ、anonimoさんも書かれているように、「素直な自分の気持ちで接することが一番大切」だと分かっていながら、自分のなかの矛盾を回避するためなら、その「一番大切」なはずの「素直な自分の気持ち」も簡単に曲がっちゃうんですよね。それ自体がもう自己矛盾しているので、もう結局どう動いても矛盾しているんですが……そのなかでも、矛盾に対する抵抗感が、定型とASでかなり異なるのではないか、と想像しているところです。


お言葉に甘えてコメントさせていただきますね。

>ただし、その時に 「嘘をつく」ことはよくない。他人であれば,愛想も使ってごまかすことは仕方ないからするが,家族の中でそんな不誠実なことはできな い。素直な自分の気持ちで接することが一番大切なことのはずだ。

私の場合はそんな感覚は他人にも身内にも全くないです。嘘をつくことへの罪悪感はありません。
基本的には家族にはストレートに表現しますが、場合によっては身内にも嘘を言って慰めることはあります。
しかし発達障害者は嘘や演技が下手で、すぐにばれてしまうんですよね。

それに本心から相手に寄り添った言葉を言っても「あんたは心がないからよりそいの言葉は嘘だ!口先だけの寄り添い」「心がこもってないから説得力もない!」といわれたり、向こうが私生活や仕事の愚痴をこぼしてきて聞いてたら「発達には考える力もないからお気楽でいいよね、私の気持ちなんてわからないよね」とあてつけられたり、
兼業主婦やってる人に「家事、仕事両立できて尊敬します(私には仕事も火事もできないから純粋に尊敬してたから発した言葉を)」と言ったら、相手は「家事と育児に専念しろって嫌味を言ったわね」とひねくれた取り方をされたり、
仕事で怒られて本当に反省して、次からは失敗しないように努力してるのに「先地先だけの反省ね」と嫌味を言われたりなど、
色々あります。 

記事では言い方の話をされてましたが、私の周りの発達障害者を見てると、むしろ穏やかな人が多いです(他の発達障害者に聞いても私の言い方にも問題はないと言われる)。
発達障害者も大人になればストレートな表現は控える人も多いです。
なのに私達が言われる言葉は「冷酷非情」「我が身のみが可愛い」「良い人ぶってる」など心ない言葉ばかりです。

他人の心を察するのは苦手なために私達の親切が空回りしてるせいもあるでしょうし、定型からの一方的な偏見で全てを悪意に取られることもあります。
さらには発達障害者を一目見て毛嫌いする人もいて(発達障害のちしきがなくとも、勘の鋭い人は一目見てで発達障害者のオーラに違和感を感じると聞いたことがあります)、そうなるとはじめから手の打 ちようがないこともあります。

悪意は悪意に、善意は悪意にしか取られないので嫌になります。

AS-Pさん

 私の想像がそんなにずれていなかったようでよかったです。にわとりさんが書かれているように,またそこにもいろいろなバリエーションがあるのだと思いますが,そういうバリエーションを考える上でも,ここでひとつAS-Pさんと理解が重なってきたことは大事なステップになりそうな気がします。

>矛盾に対する抵抗感が、定型とASでかなり異なるのではないか

 ここ,興味がありますので,またお時間のある時にでも教えてください m(_ _)m


にわとりさん

 コメントありがとうございます。
 にわとりさんは私が想像してみたこととはまたちょっと違った部分もおありなんですね。

 にわとりさんが憤って(?という印象を持ちました)書かれていることについては,ああなるほど,多分にわとりさんはそう感じられるのだろうし,そして周囲の定型も特に悪意が強い人というわけではなくても,そんなふうな対応になりやすいだろうなと感じました。

 私の想像ですが,

>本心から相手に寄り添った言葉を言っても「あんたは心がないからよりそいの言葉は嘘だ!口先だけの寄り添い」「心がこもってないから説得力もない!」といわれたり

 それまでの付き合いの中で相手の定型の人はにわとりさんとうまく気持ちの交流が出来ず,にわとりさんの意図には反して,「傷つけられることを繰り返し言われる」という印象を作り上げてしまっているのだと思います。それは多分誤解なのですが,でもアスぺの方の言い方等,定型の感覚ではどうしてもそう感じてしまう場合があるんですね。

 もしそういう印象が作られてしまっていたとすれば,「本心から相手に寄り添った言葉」も「いつも人を傷つける人だから,本心でそういうやさしいことを言っているとは思えない」という一種の決めつけの見方になってしまうことが起こりえます。にわとりさんからすれば,それは偏見以外の何物でもないと思われると思うのですが,残念ながら定型の理解力ではそこがなかなか見抜きにくいんです。

>向こうが私生活や仕事の愚痴をこぼしてきて聞いてたら「発達には考える力もないからお気楽でいいよね、私の気持ちなんてわからないよね」とあてつけられたり、

 その方が愚痴をこぼしてこられたということは,ちょっとはその人が慰められたい気持ちもあったのだと思います。でも,話をしてみたら,期待する答えが得られず,逆に冷たく感じてしまう(これもにわとりさんの意図とは別に,定型的な理解ではそう感じてしまう)言葉がまた出てきて,それで「ああ,やっぱりこの人は分らないんだ」と思ってそういう言葉が出ることがありそうです。

 「発達には考える力もないからお気楽」という表現には,「あなたは私の話を聞いて,こういう理解の仕方をしたり,アドバイスや慰めの言葉をくれたけど,私が悩んでいるのはそんな話じゃないんだよ。あなたはそれが分らないでしょう」という相手の人の「うらみ」のようなものを感じます。ここでもやりとりが全然ずれちゃっていて,にわとりさんの善意が全く理解されないわけですよね。それで,にわとりさんもなぜそれが理解されないのかが分らないからショックを受ける。

>兼業主婦やってる人に「家事、仕事両立できて尊敬します(私には仕事も火事もできないから純粋に尊敬してたから発した言葉を)」と言ったら、相手は「家事と育児に専念しろって嫌味を言ったわね」とひねくれた取り方をされたり、

 これも想像ですが,やっぱりにわとりさんにたいする強烈な印象がもうできてしまっていて,それをベースに考えると,「この人はまた自分を攻撃しているんだ」という理解が先行してしまい,「こんなプラスのことを自分に言ってきても,それはきっと攻撃する気持ちを隠しているに違いない」と疑ってしまうので,それで「嫌味だ」という理解になってしまうのでしょう。 

 たとえば,にわとりさんが最初にコメントを下さったとき,定型に対しては批判的な内容(と感じられた)のコメントを名前なしで書かれましたが,あの時もご説明したように,それは定型的な感覚では「話し合おうとする姿勢が無く,ただ相手を一方的に攻撃するだけのことだ」と誤解されてしまいやすいやり方になります。というのは,もし定型がそういう形でコメントを出すときは,そんな意味があるからです。

 そこのところ,かなり周囲の定型の方とにわとりさんの間でズレが大きくて,それがたまっているのではないでしょうか。そういう背景があって,にわとりさんが憤慨されているような状態になっているのではないかと,そんな気がしました。

>仕事で怒られて本当に反省して、次からは失敗しないように努力してるのに「先地先だけの反省ね」と嫌味を言われたりなど

 これも前に記事で書いたことがありますが,「反省」されるのは分るけど,そのあと同じことを繰り返されると,「あの反省は口先だけだったんだ」と思われてしまいます。ところがにわとりさんとしてはたぶん定型から指摘されたことについて,にわとりさんの理解で一生懸命努力して直されているんだと思うんです。

 悲劇はその「ニワトリさんが理解した失敗の原因」と,定型が問題にした失敗の中身とがずれちゃっているときに起こります。にわとりさんは改善の努力を繰り返すのに,いくらやっても評価されず,逆にひどいことを言われる。定型の方は「反省した」と言いながら,相変わらず平気で同じ間違いをするずうずうしいやつだと感じてしまう。そんなことが起こっているのではないでしょうか。

>他人の心を察するのは苦手なために私達の親切が空回りしてるせいもあるでしょうし、定型からの一方的な偏見で全てを悪意に取られることもあります。さらには発達障害者を一目見て毛嫌いする人もいて(発達障害のちしきがなくとも、勘の鋭い人は一目見てで発達障害者のオーラに違和感を感じると聞いたことがあります)、そうなるとはじめから手の打 ちようがないこともあります。

 はい,多分そういうことが繰り返し起こっているのだと思います。
 ですから,このブログでは,どうしてそういう「誤解」が生まれてしまうのかについて,ずっと考えようとしています。そのためにもまた何か思われることなどがありましたら教えてください。

そうなんですよね~
その時の自分の状態を純粋に表現しているのも理解してはいるのですが、表現の仕方がね?(家はADHD傾向が強い)です。
で、「言い方がキィツイですよ~」と冗談ぽく返してみて、笑ってくれる時もあれば、「お前は一言多い」とくるときもあるわけです。

それにこちらが傷ついた言葉を同じようには使えないのですよね。
同じ言葉を投げかけること自体が、自分も傷つくように思ってしまうのですよね。

軽く冗談ぽく返すのは心掛けてから10年近く掛りましたが・・・汗
でもその心がけは勤務先で発揮されましたね、夫以外では人間関係にあまり煩わされることが少なくなってきたのです。思わぬ収穫でした(笑)。
 
たぶん夫の人格研究?が、自分の人格研究にもなったからだと思われます。
夫を理解することは、自分をも理解することに繋がっているので、なかなか止められません(笑)。


具体的なアドバイスありがとうございます。
前にも書かれていたこと、何度も読んで理解してるつもりだったのにできていなかったんですね。すみません。


>それまでの付き合いの中で(中略)「傷つけられることを繰り返し言われる」という印象を作り上げてしまっているのだと思います。
>もしそういう印象が作られてしまっていたとすれば, (中略)一種の決めつけの見方になってしまうことが起こりえます。
慰めや寄り添いの言葉をいってたのですが、全てを悪意に取られてたということは、それまでの経緯に偏見を持たれてしまうような出来ごとが積み重なってたんですね。

>何度も同じことを繰り返されると, 「あの反省は口先だけだったんだ」と思われてしまいます。
能力的に仕事がこなせなくて同じ失敗を繰り返してしまうことがあるために自分でもできる仕事(失敗を繰り返さずに自分でもこなせる仕事)につきました。
何とかこなせるようになった(上司から仕事はミスなくできてると言われた)今でも同僚からは「あんたには反省の機能がないんだね。同じ失敗を繰り返すね」と言われます。

>悲劇はその「ニワトリさんが理解した失敗の原因」とさ, 定型が問題にした失敗の中身とがずれちゃっているときに 起こります。
そうなんですか…。

>このブログでは,どうしてそういう「誤解」 が生まれてしまうのかについて,ずっと考えようとしています。
自分では何が悪いのか特定できないのが厄介です…。すみません。


また何回も質問すみません。
全員ではないですが、カタワである発達障害者は猿山の下っ端として奴隷に徹しろと知人から言われたことがありますが、世の中にはそんな暗黙のルールがあるんでしょうか?

また、障害者手帳を持ってる人は自らバカ認定受けてるために私達はブスとかバカ、基地外などと侮辱言われても反論する権利はないと言う人がいましたが、そんな暗黙のルールあるんでしょうか?

何もできない発達はカタワなのは事実ですが、私はそれを受け入れるほど心広くはなれません。
話を脱線させてばかりで申し訳ありませんが、お願いします<(_ _)>

初めまして! 突然のコメントで失礼させて頂きます。
昨年からこちらのブログを度々拝見させて頂き、
色々とヒント、参考にさせて頂いておりました。

個人的な話で恐縮ですが、
私の場合は友人(AS傾向高いと思われる)との関係性に悩み、
少しでもよりよいコミュニケーションを取れる様に自分なりに色々と
本やネットで調べたり、専門家にアドバイスして頂いたりしておりました。
しかし、「有効と思われる対処法」を試みてもなかなか上手く相手には
伝える事が出来ず...残念ながら何度も絶望感に打ちひしがれ...

その度に「自分には無理な事をしようとしているんだ...諦めるしか無い」
という気持ちになってしまっていました。

ちょうどこちらの記事は"まさに今の自分と相手のやり取り"と重なる部分が多く、
思い切ってコメントさせて頂きました。
これまで何度もパンダさんの書かれた記事を拝読させて頂いて、
コメントさせて頂きたい気持ちになっていたのですが、
やはり、どうしても私の場合は相手が"友人"であり、
自分の立場としては家族・パートナーの様に社会的責任も生じない状況で
"悩んでいます"という様なコメントを書かせて頂いて良いものか!?
と躊躇してしまいコメント出来ずにおりました。

ただ、その友人の存在は自分にとってはとても大切な存在ですし、
色々と感情的な行き違いはありますが、
相手も"その様な感覚"はこちらに持ってくれていると感じずにはいられません。
その友人は仕事もしていますし、基本的な社会生活ではそれほど大きな問題は
表面化して出ては来ませんが、その一つ下の階層、←(勝手な表現法ですが) 
より心に近く深く複雑なコミュニケーションになると非常に難しい面が出て来ます。

その友人に「相手の気持ちを感じようとする感情」が無いのではなくて、
確実にその気持ちは友人の中には存在していて、
ただし、それが存在する場所が本人にも解りづらく探し出せないでいる状態に
自分は感じてしまうのです。
これはあくまでも"定型的な自分の発想と感じ方"で見ているもので
間違っているかも知れませんが...

でも、それをどうしても感じてしまう自分がいて諦め切れずに悩んでしまう状態です。
相手からの辛辣な言葉にこちらは傷ついて、こちらは落ち込む。
やはり相手の状態を少しは解っていても、実際に痛いものは痛く...
その状況を相手は知って驚くか"問題を勝手に作り出している"と。
その繰り返しを経てこちらもあちらも消耗してしまう...

どうしても"定型的な想い"になってしまうのですが、
何とか少しでも彼女の中の"想いの格納場所"を見つける事は出来ないか!?
などと考えてしまいます。

私の文章力が高くなく上手くお伝え出来なくて残念ですが...

本当にいつも貴重な情報等をありがとうございます。
突然のコメントで長文にて大変失礼致しました。

 

yasuさん

>軽く冗談ぽく返すのは心掛けてから10年近く掛りましたが・・・汗

 これはほんとに重たい話です。それだけ大きくてむつかしい問題なわけですよね。
 もう体に染みついている感覚から問題になってしまうわけですし……

>夫を理解することは、自分をも理解することに繋がっているので、なかなか止められません(笑)。

 ああ,やっぱりそうですよね。それまでの自分ではどうしても理解が進みませんから,自分自身を見直してみるところがどうしても必要になる。そこに意義を感じられるかどうかは大きいと思います。


にわとりさん

>前にも書かれていたこと、何度も読んで理解してるつもりだったのにできていなかったんですね。すみません。

 私も同じことを何度もパートナーから言われているのに,なかなか理解できなくて彼女にショックを与えたりしますし,お互い様のことではないでしょうか。

>そんな暗黙のルールあるんでしょうか?

 その方たちは勝手に「ある」と思いこみたいんじゃないでしょうか。もしかすれば「売り言葉に買い言葉」みたいな状況にまでなってしまっているのかもしれませんが,そんなルールはあるかどうかではなく,どういう理由があっても,そういう言い方は許されないと私は感じます。


ムゥさん

 初めまして。どうぞよろしくお願いします。
 ブログが少しはお役に立っているようでうれしいです。
 ほんとに多くの方が同じようなことで悩んでいらっしゃるのだと思います。
 みんなで手探りできたらいいですね。

>何とか少しでも彼女の中の"想いの格納場所"を見つける事は出来ないか!?
などと考えてしまいます。

 ここが一番の難所なのかも。
 「想い」はあるのだけれど,その形がもしかすると結構違うのかもしれず,
 そこにほんとはある「想い」を見ることができていないのかもしれませんよね。

 それでも最近はほんとに少しずつですが,
 想いが重なる部分が見えてきているようでよかったと思います。

 パンダさんに振っていただいたので、「矛盾に対する抵抗感」について考えていたら、掲示板にアスペ父を持つ娘さんの書き込みがあり、「ああーなるほどー」という気づきがありました。

 アスペ父を持つ娘さんの話は、「本当は娘さんが覚えていない人のことを、娘さんが状況から推測することによって『覚えているように振る舞った』ことに、お父さんが嫌悪感を持った」ということですね。これ私よく分かるんです。

 私の場合は、他人に積極的に働きかけようとはしないタイプなので、もしその場にお父さんの立場で居合わせたら、心の中で「ああーこの人いま場に合わせて適当なこと言ってるな、人間ってなんかそういう汚いところあるよねー、自分にもあるよなー…」と勝手に暗い気持ちになるという感じです。この「なんかそういう汚いところあるよねー」に注目です。

 一般に「普通の人」(多数派?)がどう考えるのか、私は完全には把握できませんが、「なんかそういう汚いところあるよねー」までは共感をもっていただけるのでしょうか。あるいは、「誰も不幸にならないウソは悪ではないのだから、別にこの程度で『人間とは汚い』なんて極端すぎるんじゃない?」と考えるのでしょうか。この辺のとらえ方が、まさにASと定型の「矛盾に対する抵抗感」の違いなのではないか、と思ったわけです。(それこそアスペルガーというのは「スペクトラム」だということですから、「すべてのウソを許さない」方から「すべてのウソを許す」方まで様々なのでしょうけどね)

 そして、ASの「矛盾に対する抵抗感」の正体は、「自分に出来ないことを他人が普通に出来ている」ことへの抵抗感だと、私には思えます。「ウソを方便として使いながらうまく立ち回れる人がいる。自分には出来ない。くやしい。いっそウソを徹底排除した生き方を目指すしかない。そうだ、平然とウソがつける奴は人間として汚い!」という感じのこじらせ方、といいましょうか。勉強の苦手な子供が「こんなことを勉強しても何の役にも立たないだろ!」という考えに至る理屈に似ている気がします。

質問に答えていただいてありがとうございます。
とても参考になりました。

そうなんです。夫にだけは、苦しんできた思いをわかって欲しくて、嘘ではない自分をわかって欲しくて、結婚10年、子供からの愛情と、心理学を勉強し、親にやっと反抗し、自信がついたところで、いろいろぶちまけました。夫にしたら、今まで一緒にいた私はなんだったのか。とすっかり不信になり、避けられてい増した。
猫を被って結婚してもらったんだから、最後まで、猫を被ってあげればよかったんだ。と思いましたが、言ってしまった事は、今さらどうにもできません。
最近は、私が苦しみをさえ口にださず

すみません。投稿ボタンを押してしまいました。
すみません、続けます。
最近は、苦しんでいる様子を見せず、夫の仕事の邪魔をしないでいれば、それほど悪い関係には、ならなくなってきました。

まだ、こちらには来たばかりで、もっと過去の記事を読んでから、機会があれば投稿するつもりでいたのですが…、先ほどのコメントも、記事につい涙してしまい、感情を整理しようと思い書いたら満足するつもりでした。いろいろ、趣旨と違っていたらすみません。

あと、私は発達障害の検査は、病院で相談したのですが、知能テストのようなものを3種類ほどして、短期記憶は平均の半分。理解力は平均の倍との診断を受けて、仕事もなんとか続けているからか、それ以上は検査しない事となり、そのままです。
アスペとか、詳しくはわからないのですが、私が苦しんできた状況に近いため、なにかの発達障害はあるのではないか。と思って記事を拝見していました。

これからも、参考にさせていただきたいと思います。

無名さん
(次にコメントを頂くときは,何か適当に名前を書いていただけるとありがたいです)

 コメントありがとうございます。
 私はあくまで定型の立場からいろいろ想像しただけですけれども,
 無名さんの経験にもそれがつながるところがあったとのことで,
 よかったと思います。

 なかなかお互いの苦労や辛さがわかり合えないのが
 定型アスぺ関係だと思うのですが,
 それでもこうやって少しずつは理解できるところが増えて来て,
 しかも単に「頭で理解する」だけではなくて,
 感情も揺り動かされるようなやりとりができるのですよね。

 そういうところを手掛かりに,ずれてばかりの定型アスぺ関係に
 何か理解を深め合える道が広がってほしいと思っています。

 無名さんのコメントが趣旨からずれているとかは全くありません。
 無名さんも是非お感じの事やお考えのことをまた教えてください。
 いろいろ学ばせていただきたいと思います。


コメントに返信していただいてありがとうございました、無名です。
価値観、考え方がみんな違うという相互理解が進み、傷つけ合うことが少しでもなくなるといいなあ。と思います。
わかってあげれるだけでも、ぶつからないで済むけど、やっぱり理解されたいって欲はなくならないです。

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