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2015年2月 2日 (月)

定型アスぺのつながりを作るもの

 ここ数日,お由さんひとさんゆかさんKatzさんにわとりさん とアスぺとして苦労されているみなさんとのやりとりが続く中で,ひとつしみじみ感じたことがあります。それはお互いに理解しようとするつながりというのは,「理解できたからできる」のではないという(ある意味当たり前?)ことです。

 私としてはほんとに試行錯誤,手探りの中でですが,それでもようやくここにきて,アスぺの方から共感的なコメントをいただくことが重なってきました。定型アスぺ間でも,自分が大事だと感じている問題について,感情的な面も含めて一緒に考えあうような関係は全く不可能なのではない,ということが実感されてきて,ほんとによかったと思っています。

 とはいえ,それは私が「アスぺの方をようやくちゃんとわかったから」それにみなさんが応えてくださってやりとりができてきた,ということとはちょっと違うような気がするんです。依然として私にとってはアスぺの方の世界は,ほんとに謎に満ちています。「わかった」なんて口が裂けても言えない状態です。

 でも,そういう状態でも,少なくとも一部のアスぺの方とは,定型的に言えば「共感的」とも言えそうなやりとりが可能になるんですね。「理解してしまったから」つながりができるのではない。それってなんなのかなと,そう思うわけです。

 「理解しようとする気持ち」とか「理解しようとする姿勢」が大事だ,とか,そういうこともあるのかもしれませんが,それだけではないですよね,きっと。なぜなら過去の私もそうでしたし,この問題に苦しんでここに来られ,コメントを下さるような定型のみなさんも,なんとか相手を理解しようと必死の努力を,絶望の思いに至るまで続けてこられた方が多いわけです。でもそれがほんとに通じがたいという現実があります。

 「理解できたから」でもないし,「理解しようとする姿勢を持った」からでもない。なんなんでしょう。

 

 

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コメント

発達障害者にも他人に興味があるタイプとないタイプがありまして、私は前者です。
だから基本的に「理解しよう」っていう気はありません。
長いこと自分が障害者だということに気づかずに生きてきたので、「理解できていない」という自覚もありませんでした。
自分の障害を知ってから「理解していなかった」ということがようやく明らかになり、自分のことが少しずつわかってきて、それにつれて定型発達者のこともわかってくるようになって「理解をすれば、自分が生きやすくなる」と感じています。
理解するようになってきて、いいことばかりではありません。
過去の定型発達者からされてきたことに対して、激しい怒りを持つようにもなりました。

初めてコメントいたします。
全部読ませて頂いたわけではないので、頓珍漢なことも書き込むかもしれませんが、その時はご容赦くださいませ。

8年程前に人格障害とか大人の発達障害とかを初めて知った次第でして、それまで25年間の夫婦喧嘩が絶えなかったのか、なぜ穏やかな夫婦になれないのか、苦しんできたことが霧が晴れる様に理解できた瞬間でした。

仕事と家事の合間にいろいろ読み漁っただけの知識でしかないですが、たぶん夫がこれに当たるのではないかと、夫婦間の相性の悪さが成人した息子達に連鎖しています。
そして今現在も35年目の夫婦を続けています。

夫とは会話が成立すればとは思うのですが難しいです。理解できないことがあれば怒りが沸いてくる人で、こちらに余裕があれば冷静に説明もできるのですが、第三者が居合わせたら怒りが攻撃になるので対処不可能な状態になります(笑)
夫に冷静に対応できるようになったのは最近ですよ、人格障害という言葉を知ってからも7年以上かかっていることになります、本当に情けない次第です。
途中相手に問題があるのか?私が問題なのでは?と考えたりもしましたしね。今もはっきりしていないようにも思います。長い間夫婦という閉ざされた関係に浸っていたのだから仕方ない、と諦めに似た気持ちですね。

相手を理解するというか、こう言ったらこう言うだろうな、こういう反応するかな?と 傾向と対策みたいなものですね、私の場合はですが。
予測がビンゴとなったら攻撃されてもこちらは冷静に対応できます(笑)
そのためには理解する努力は欠かせないのかなとも思います。

「冷静に対応」することが一回でも多くできるようにと、こちらにお邪魔させて頂きました。長々と失礼いたしました。

ひとさん

 ひとつちょっと分りにくかったので質問させてください。

>発達障害者にも他人に興味があるタイプとないタイプがありまして、私は前者です。
だから基本的に「理解しよう」っていう気はありません。

 ひとさんは「他人にも興味があるタイプ」だから「理解しよう」っていう気はない,
 ということでしょうか? 興味があるということと,理解しようとすることは別のこと?

> 過去の定型発達者からされてきたことに対して、激しい怒りを持つようにもなりました。

 私のパートナーも,自分が「いじめられている」と理解するには時間がかかったと言っていました。このあたり,定型は意図していじめようとしている場合と,全然そういう意図はないのに,結果としていじめられたと感じられてしまう場合があるような気がします。私は特に後者のほうに関心が強いです。定型アスぺ間のつきあいで何を気を付けなければならないかにもつながりますし。


yasuさん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。

 お書きくださった経験について,ああ,やっぱりそういうふうになるんだなあと,ある意味とても納得でした。私のイメージする定型アスぺ問題の展開(を定型の側から見た時の見え方)にぴったりの感じがします。

 そうやってある意味人生をかけて努力や工夫を積み重ねてこられて,そして「冷静に対応」するために「理解する努力は欠かせない」という思いに至られたこと。なんだかすごく重みのある言葉として響いてきました。

 そうなんですね。「理解しあってお互いハッピー!」となればそれはもちろん最高でしょうけれど,それ以前になんとか一緒に生きていくために「冷静に対応する」必要と,そのために「理解する」必要があるということなわけですよね……


すみません。
ガッツリ間違えて書いていましたね。
私は「他人には興味がないタイプ」つまり後者の方です。

いじめに関しては自分の障害に気づく前に、うつ病のカウンセリングの中で気づきました。
仕事のことなどで自分が苦手とすることに関して「他の人だって我慢してるんだから」なんて言われたりしていたけど、他の人は自分ほどにはつらいわけじゃなかったんだなってことが後からわかって、腹が立つやら、ヤリキレないやらって感じですかね。
そういった「的外れな非難やアドバイス」をずっと受け続けて、最終的には他人から言われなくても自分でも自分を非難するようになってしまってボロボロだったなぁと。

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