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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年2月23日 (月)

ほっとする中身のズレはどこから?

  またこれまでに書いたことの二番煎じ三番煎じになるかも……(^_^;)

  定型もアスペの方も、家ではホッとしたいのは同じでしょう。安らぎをそこに求めるのも同じで、安らげないと苛立ったり、辛い思いになったりするのも同じだろうと思います。   問題はどうしたら安らげるか、に深刻なズレがあることのようです。

  古い言い方で「男は外に出れば七人の敵がいる」というような言葉がありました(細かいところはうろ覚えで自信ないですが(^_^;))。そして定型は家で「味方」に慰められることを期待する。労りの言葉や振る舞いで、傷を癒したい。また自分もそうやって相手を癒してあげたいと思う。

  アスペの方は、外の世界で傷つき、またよくわからない定型的な気遣いを強要されてへとへとになり、その自分を少しでも休めたい。それは「嘘」っぽく感じられる「気遣い」の世界から抜け出して、素の自分に戻ることなのでしょう、多分。

  病気になったときもそうですが、定型は回復のために労って欲しい。アスペの方は一人静かにしておいて欲しい。その違いはどこから来るのでしょう?   二つの可能性を考えます。

  定型は生まれながらに人の温もりで癒されるのに対し、アスペの方は生まれながらに人の温もりはむしろ不快で一人が心地よいという可能性がひとつ。もうひとつはアスペの方も、定型ほど強くなかったかもしれないが、やはり人を求めていたのに、自分の感覚に合った癒しが得られずに、逆の結果になるので、物心つく前の早い段階でもうそういう期待を捨ててしまい、一人で自分を癒す道を選んだのだという可能性。

  自閉的傾向の強い子の場合、赤ちゃんの頃から抱っこを嫌がってそっくり返られる、という話を聞いたこともあるので、そういう場合は一番目の可能性を感じます。ただ、それはかなり極端な場合でいわゆる「浅瀬」の方など,ある程度は定型的な「温もり」をもともとは求められていた可能性も私は否定できません。

 その理由の一つは,「人との接触を最小限にして,自分一人になって自分を癒そうとする」というやりかたは,定型でも問題が極度に重くなったりすれば,ありうることのように思えるからです。うつ状態とか,引きこもりの状態とかはそういうものではないでしょうか。

 もし定型のそういう状態とつなげて考えられるのなら,アスぺの方が「一人を望む」のは,それだけダメージが大きいからだ,という理解の仕方もありうると思えるわけです。別の言葉で言えば「二次障がい」だという見方につながるかもしれません。

 この問題,ずっと気になり続けていて,でもほんとにむつかしくて,牛歩の歩みで少しずつ整理されてきている部分もありますが,引き続き考えないといけない問題のようです。

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