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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 生き方としてのアスぺと定型 | トップページ | ほっとする中身のズレはどこから? »

2015年2月22日 (日)

「敵か味方か」

 にわとりさんから質問して頂いて,どうして私がにわとりさんの意図には反して,そのコメントに「攻撃的な感じ」を受けたのか,改めて考えてみたのですが,やっぱり定型は表現が「二段構え」みたいなところがあって,アスぺの方が比較的「ストレート」な表現になるところで,ズレが起こるのかなと感じました。

 そしてその「二段構え」の所で,定型は(私は?)半分は無意識的にでしょうけれど,すごく「敵か味方か?」みたいな判断をしてしまう癖があって,これがすごく冷静なとか,ゆとりのある判断を狂わせる元になっているのではないかと思いました。

 二段構えの一段目というのは,話している内容そのものです。たとえばにわとりさんが周囲の定型の方からほんとにひどいことを言われて苦しんできた。それは誰が何と言おうがにわとりさんの体験してきた「事実」であるわけで,にわとりさんはそれを確信をもって語ることができるはずです。

 そして二段目というのは,その「事実」を自分が語った時に,相手の人がそれをどんなふうに理解するだろうか,ということを気にすることです。場合によっては自分の意図とは全然違う意味を相手が誤解して読み取ってしまうかもしれないわけですから,そこをそうならないように常に工夫する。

 

 という,ここまでの話なら,要するにアスぺの方は一つのことを考えることは得意だけれど,複数の見方を同時にすることは苦手,みたいな「自閉的な特徴」がそこで出ているんだ,という話で終わるかもしれません。

 でもそういう話だけでは終わらない問題がここにあるような気がしたんです。

 それはどういうことかというと,「複数の見方」ができるかどうか,ということについていえば,たとえばKatzさんのように(違っていたらごめんなさい (^ ^;)ゞ),ものすごく頭が切れる方で,瞬時にいろんな可能性を知的に考えられるようなアスぺの方もいらっしゃるわけです。また,かずきさんのように,その場では気づきにくいことでも,あとからじっくりといろんな可能性を考えて調整される方もいらっしゃる。

 だから,問題は単に「複数の見方ができるか」というような「知的な能力」の話で済むとは思えません。Katzさんやかずきさんのように「複数の見方」を常に心がけられている方でも,やっぱり定型のやり方は簡単にはうまくいかずにかなり無理をされないと対応できなかったり,それでもずれてしまったりすることがあるわけでしょう。

 問題はだから「複数の見方」というより「どういうところに着目した見方か」ということではないかと思えるわけです。そこで定型が気にするポイントと,アスぺの方が気にするポイントにズレが生まれやすくなる。

 それで何がそのポイントになりやすいかということを考えた時に,こういう表現の仕方が一番ぴったりなのかどうかは私にはまだよく分りませんが,とりあえず今の段階で一つ重要になるかもしれないと感じたのが,上に書いた「敵か味方か」といったことです。

 「この人は私の味方になってくれる人だろうか?」(=私がつらいとき,なぐさめてくれるだろうか?私を傷つけることはないだろうか?私をかばってくれるだろうか?私と一緒に私の敵と戦ってくれるだろうか?私を必要としてくれるだろうか~必要なら味方になるでしょうし~?私の喜びを一緒に喜んでくれるだろうか~価値観を共有してくれることは味方であることのひとつの足場になりますし~?……)といったことを定型はいつもかなり気にしているんだと思います。

 だからたとえばあいさつにしても,その仕方によって,「その人の状態を知る」だけでなく,「その人と自分の関係がうまくいっているかを知る」意味が大きくなるし,相手に対して「あなたは私の意に反しているよ。私は気分が悪いよ」ということをそれとなく表現して,相手に反省を促し,関係を調整しようとする,といったテクニックもよく使っているわけです。女の子なら「拗ねて見せる」とか(笑)

 逆に自分の言葉や振る舞いで,相手に敵と思われてしまうことを極力避けるでしょう。だから表情や言い方にもそういうところですごく気遣う。ストレートには言わないことが多くなる。そこはアスぺの方から繰り返し定型の「嘘」みたいなことで指摘される部分でもあります。定型が誠実でないとアスぺの方に感じられるところでもありますよね。

 普段,あんまり意識はしていないように思いますけど,実際はそういうところにものすごいエネルギーを使うのが定型的なやり方で,大事な人との関係では単に「本音で付き合える」だけではなくて,常に「私はあなたの味方だよ」ということをお互いに確認しあって安心することも大事で,そのためにはいろんなクッションも使うし,場合によっては「嘘」もついて,相手を「傷つけないようにする」(anonimoさん)わけでしょう。そうやって相手との大事な関係を守ろうとする。

 ところがその点でアスぺの方は「事実を大事にする」傾向が強くて(ただし,「事実」の読み違いはありうるでしょうけれど),お互いの関係を守るためのあいまいな言い方や「嘘」などは受け入れがたい。仕方なくそれを受け入れる時はものすごく罪悪感も感じる(それか場合によってはもうそういう感覚も消し去ってしまって,ものすごくドライに対応する)。それはアスぺの方にとってはとても誠実な生き方になるのだろうという気がします。

 そしてそのある意味では「誠実な生き方」は,定型の側から見ると「この人は私の味方になってくれない」と感じられて,相手が自分にとって大事な人であればあるほど強いショックを受ける原因になる。「一緒に生きる」という感覚が失われてしまい,激しい孤独感を感じざるを得なくなっていく。

 にわとりさんから質問していただいたおかげで,なんかそんなずれの仕組みがあるんじゃないかという見方を思いつきました。まだわかんないことだらけですけど,とりあえずひとつ考える手掛かりになりそうな気がします。

 

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コメント

なんだかものすごく高く評価していただいているようで、恐縮です。しかし買いかぶり過ぎです…。どうにも落ち着きません…。

私もかずきさんと同じです。基本、リアルタイムで言葉を紡ぎながらの対応の調整は、私には出来ません。その点、掲示板やチャットなら、考える時間を取っても不自然にならないのと、発言を読み返して流れを確認する事が出来るので、私にとっては極めて都合が良いです。

事前に引き出しを用意してあれば、相手からの言葉に応じてその場で引き出しを変える事は出来るんですけども。それで普段から色んなケースを考えておいたり、本を手当たり次第に読んで人間のデータを蓄えたり、そんな事で引き出しを増やすようにしてます。しかし読書してたのは随分昔の話で、今はもっぱらマンガばかりですねぇ、恥ずかしながら。

「敵か味方か」というのはうなずける見方ですね。表現は極端ですが、例えば「仲間か部外者か」「気が合うか合わないか」と言い換えれば、この見方は非常に正しいように感じます。
で、少なくとも私の場合、「事実かどうか」の方が重要です。「認めがたくとも事実は事実」という…。恐らく多くの方が同意してくれるのではないでしょうか。この価値観が科学や技術と非常に相性が良くて、理系はアスペの巣窟になったりするのだと思います。

Katzさん

>どうにも落ち着きません…。

 失礼しました (^ ^;)ゞ

 まあでも正直なところ,AS-Pさんがご自分を分析される様子も驚きましたし,さらにKatzさんは具体的に周囲の定型とのやりとりを相当知的に分析してうまく対処されているようで,ほんとにびっくりしました。

 だから,定型アスぺの問題は「自分自身を分析できるか」とか「相手とのやりとりを分析できるか」のズレなんだ,みたいなことでは収まらないんだろうなと感じます。

 表現はさておき,「敵味方」の話について,Katzさんから見ても,そう見えるということで,またひとつ大事な手がかりが得られたような気分です。定型の側がアスぺの方とのやり取りで傷つくポイントは,かなりの部分この話から理解できそうな気が今のところしています。定型的には何を信じていいのか分らない,というような状態に置かれてしまうのでしょう。でもアスぺの方からすれば,同じことがまた違う意味を持ってしまう。そのズレが生み出す悲劇は多そうです。

 自然科学については,おっしゃるように今の自然科学や科学技術をここまで推し進めてきた大きな力として,アスぺの方の力があるのではないか,と私もなんとなく感じます。世界を「感情的理解」抜きで把握する技術ですしね。ヴァーチャルリアリティの世界なんか,さらに感情の問題も数字で扱う技術がどんどん進んでいるようですし,そういうことも含めてトータルに定型アスぺ問題を理解していく必要があるんだろうなと思います。「定型の基準に達していない人」=「障がい者」という理解では,もう追いつかない世界があると思えるので。

私の場合で言えば、いわゆる中二病にかかっていた若かりし頃、まぁ御多分に漏れず色々な事を考えていた訳ですが。その中の一つに「世界は理論と理論以外の何かから成り、理論を極めれば世界が見える」というのがありました。で、手当たり次第に理屈をこねて回っていたんですけど、その内の一つが「自分とは何か」だったのでした。
それ以来、結局今に至るまで、私の重要なテーマになっています。自分が欠点の多い人間である事は自明でしたし、とりあえず一番困るものから順番に、理屈でもって順序立てて理解して解決策を練ってきました。
そうやって一つずつ自分を理解して、一つずつ楽になっていく過程は、それはなかなか面白かった。そうか、あれからもう30年以上経つんですね…。思えば遠くへ来たもんだ。

> 「定型の基準に達していない人」=「障がい者」という理解では,もう追いつかない世界があると思えるので。

また過激な事を書かせていただくと、定型だけで構成された社会(またはコミュニティ)があったとしたら、それはゆっくりと衰退していずれ消滅すると思っています。空気を読んで動くという事は、つまり予想以上の事は決して起きない訳ですから。イヤな事が無い代わりに面白い事も無い。アスペやらADHDやら、あるいはその他の「発達障害」という存在は、つまり社会に活力を与えるカンフル剤としての役目があるのだろう、と考えています。

そう考えるとアスペの立ち位置のようなものも自ずと明らかになってきます。出来ない事は出来ない、だから周りに迷惑を掛ける事が多いのは事実。しかしコミュニティへのカンフル剤としての役目を自覚した時、その果たすべき役割とはつまり、新しい価値を生み出す事での貢献だと思うのです。掛けてしまった迷惑を帳消しにしてなお余る程の何かを提示できるか、と。
その為に自分がなすべき事は、自分の長所を見極めて磨き上げる事と、長所を他人に理解してもらう事、です。これは社会の多数派である定型の方と、少数派であるアスペと、それぞれの自覚と理解が必要です。

というわけでこの掲示板とパンダさんのブログの果たす役割は極めて大きいと、私は思うのでした。いやぁ実に壮大な話になってしまったものです(笑)

ご無沙汰しております。

質問なのですが。
下のスレッドでにわとりさんとやり取りをなさっていた時、例えばにわとりさんの一番最初のコメントは攻撃的に感じたと仰ってましたよね。

パンダさんは当時は、にわとりさんの文章の表現について指摘なさっていましたが、言葉の表現が攻撃的だと感じたのでしょうか?
にわとりさんの文章が攻撃的だと感じるのは、定型者全体を憎んでいるように取れる文章の使い方だったというより、にわとりさんが抱いている恨みそのものがパンダさんや他者からは「攻撃的に感じる」のかなと感じましたが。

http://communicative.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6310056&parts=1&num=5&width=360&fsize=12

先日、臨床心理士の方とお話する機会がありました。
アスペが嫌がられる本当の理由は、親や周りから否定されてばかり育ってるから性格がひねくれるとたからだとか、にわとりさんのように攻撃的な態度になりがちな人が多いからだとその方が仰っていました。
にわとりさんも前に同じようなお話なさってましたっけ?

パンダさん達もにわとりさんの怒り方がかなり激しいから攻撃的に感じて、生理的に拒絶を感じたのかなと。
いや、責めてるわけじゃないんです。アスペ当時者ですらにわとりさんのような激しい怒り方をする人は苦手だと言う人もいますし、そう感じるなら仕方ないとは思います。

あと心理士さんはアスペが人付き合いを上手くやっていく方法は、差別した人への憎しみを手放すことだとお話なさってました。憎しみを手放せば、相手に優しくなり、相手も態度が優しくなると。
憎しみを手放すことはなかなか難しいというか、私には神業に近いですが。

サロマさん

>パンダさんは当時は、にわとりさんの文章の表現について指摘なさっていましたが、言葉の表現が攻撃的だと感じたのでしょうか?

 すべてを見返してのお答えではありませんので、印象としての記憶での話になりますが、「表現」がトラブルの元であることは間違いないと思います。

 ただ、問題はなぜその「表現」がトラブルを生むかという、その中身のことになります。表現する側が言いたかったことと、その表現を聞いて聞く方に生まれる理解の間に定型アスペ間では頻繁にずれが起こる。

 なぜそれが起こるのか。そこをずっと考え続けてきているわけですが、挙げてくださったスレッドの最初の私の応答は、「にわとりさんの表現は定型にはどう受け止められる可能性が高いか」ということの解説になっていますよね。

 ここでも「あなたの表現はこういうところで誤解されますよ」ということを説明することで、なんとか無駄な対立関係を減らそうとしていることになります。


>にわとりさんの文章が攻撃的だと感じるのは、定型者全体を憎んでいるように取れる文章の使い方だったというより、にわとりさんが抱いている恨みそのものがパンダさんや他者からは「攻撃的に感じる」のかなと感じましたが。

 私は少なくともこのやりとりの段階では「攻撃的だと感じてしまう」ということは問題にしていますが、「攻撃的だ」と断定してはいません。同時に定型的なやり取りの中でこのような言い方がされた場合にはそれは「憎しみ」の表現として理解することはさほど的外れではないでしょうが、この段階では「そうではない」可能性を見ようとしているわけです。

>アスペが嫌がられる本当の理由は、親や周りから否定されてばかり育ってるから性格がひねくれるとたからだとか、にわとりさんのように攻撃的な態度になりがちな人が多いからだとその方が仰っていました。

 臨床心理系の方がわりあいしやすそうな理解の仕方だという気がしました。そういう面があることは私も否定しませんが、問題はもっと深いところにあるというのが私の理解です。つまりアスペの方はなぜ「否定ばかりされてしまうのか」が問題なのであって、「ひねくれる」などはその結果にすぎません。

 その方の理解の仕方だと、そういう根本のところがあまり追及されないまま、「アスペの人は当然に否定される行動をとり続け、それを正しく治せない結果、否定され続け、ひねくれる」ということになりかねませんが、それは非常に定型的な一面的な見方だろうと思えるわけです。

> パンダさん達もにわとりさんの怒り方がかなり激しいから攻撃的に感じて、生理的に拒絶を感じたのかなと。

 ほかの方についてはわかりませんが、私についてはそこはちょっと違うわけですね。上に書いたことですが。

>  あと心理士さんはアスペが人付き合いを上手くやっていく方法は、差別した人への憎しみを手放すことだとお話なさってました。憎しみを手放せば、相手に優しくなり、相手も態度が優しくなると。

 これも問題を個人の心の持ち方のレベルだけで考えてしまうその方の特徴がよく現れた言い方だと思います。真の問題はなぜそういう差別が生まれてしまうのか、ということのはずですよね。その方の言い方だと、差別はしょうがないから放っておいて、自分の気持ちの持ち方で気にしない形で楽になりましょう、と言っているように聞こえます。

 それは私の考え方とは全く違います。

 やり方は大変にまずいと思っていますが、にわとりさんが告発しようとしたことは、その心理士さんのような発想だったのだろうと、私は理解しています。そしてその部分については私はにわとりさんの目の付け所は正しいと思っています。

パンダさん

質問に答えていただいてありがとうございます。

にわとりさんの表現の仕方は、一般的には「攻撃的」「無関係な人にまで憎しみを持っている」と受け取れるとの忠告だったということでしょうか。

心理士さんいわく、「仮に自分に攻撃はしていないことがわかったとしても、人に恨みを抱いて感情的になっている姿は周りから見ればかなり引くし、生理的に受け付けない。無関係な人に恨みは抱いていなかったとしても、人に強い恨みを持って感情をぶちまけてること自体が攻撃的な性質を持っている(場合によっては危ない、怒らせると厄介だから関わらない方が良い人だと人は判断する)」と言ったんですね。
にわとりさんが人を憎むまでに至る過程は認識していても、他者にはその経緯は見えておらず、実際に見えてるのは「攻撃的なにわとりさんの姿」だけ。
仮ににわとりさんが差別されている現場を見ていたとしても他者にとっては関係ないことで、やはりクローズアップされるのは「攻撃的なにわとりさんの姿」なのかなと、心理士さんの話を聞いて感じましたが、一般的にはどうなんでしょうか?

>その方の言い方だと、差別はしょうがないから放っておいて、自分の気持ちの持ち方で気にしない形で楽になりましょうと言っているように聞こえます。

心理士さんは「差別している方も悪い。そういう人達は放っておきましょう」ということは前提にして話していたのですが、その心理士さんの話いわく、
「アスペでも家庭環境などに恵まれて育った人は周りから好かれてるし、対人関係が上手くいっている。対人関係が上手くいかない人は家庭家庭や育った環境に恵まれていない人が多い。長年アスペさんを診てきて感じること。」
だと言ってたんですね。
そもそもアスペは家庭環境などが恵まれずに脳の成長が止まったからとか、家庭環境などで伸び伸び育っていないから神経が緊張状態にあって神経の働きがスムーズにいかないなどの話もしてました。

心理士さんは他にも、
「人というのは(主に定型さんのことかな?)良い意味でも悪い意味でも共鳴をするの。人への憎悪、敵対心、報復心で一杯だと、相手もその心に共鳴して同じような行動になるよ。また自分が被害者だとの気持ちがあれば、自動的に相手が加害者だとの認識になるから、相手にもそれが伝わって同じように攻撃的になる」
と言ってたんですね。
一般的には「自分が攻撃的になれば相手も攻撃的になる」とは言いますが、アスペ定型間のいさかいの場合はどうだと思いますか?

心理士さんの話を元に考えれば、にわとりさんの攻撃的な心や態度が相手(何人かの常連さん達)に悪い意味で共鳴されてしまい、にわとりさんが非難されたり、blogが荒れる結果となったのではないかと感じることがあります。
にわとりさんやこちらの常連さんが敵対的で攻撃的だったかはその人達の心を探らない限りはわからないので断定はできませんが、相手が攻撃的だと私も攻撃的になる質なので、そう感じることがあります。

私が心理士さんの話をした後のパンダさんの文章を拝見して、
「アスペと定型間のお互いの認識のズレが歪みの原因となることも多く、アスペ側の人間性の問題が全ての原因だと片付けてしまうのは危険(アスペ側の人間性が問題でいさかいが現実に起こることもあるけど)」
だと仰っている(にわとりさんもそれを訴えていたと思う)のだと捉えましたが、心理士さんの話はどう感じますか?

再び同じような質問になりますが、お願いします。

サロマさん

 心理士さんの話についての私の感想を書けばいいでしょうか?

>心理士さんいわく、「仮に自分に攻撃はしていないことがわかったとしても、人に恨みを抱いて感情的になっている姿は周りから見ればかなり引くし、生理的に受け付けない。無関係な人に恨みは抱いていなかったとしても、人に強い恨みを持って感情をぶちまけてること自体が攻撃的な性質を持っている(場合によっては危ない、怒らせると厄介だから関わらない方が良い人だと人は判断する)」と言ったんですね。

 これを読んで思うことは、この方はあんまり深く外国の方と付き合ったことがない方だなということです。つまり、「普通」とこの方が思われているそういう感覚が、日本で特に強いものだ、ということの理解をお持ちでないように感じられました。日本のカウンセリングは独特な部分があると感じるのですが、それもこの方のこの、ある種の思い込みにつながる部分と思います。これは人がいい悪いの問題ではなくて、単に日本の中で生まれ育って違うものを深く知る経験がないから自然に誰でもそうなってしまう、ということかなと思っています。


>仮ににわとりさんが差別されている現場を見ていたとしても他者にとっては関係ないことで、やはりクローズアップされるのは「攻撃的なにわとりさんの姿」なのかなと、心理士さんの話を聞いて感じましたが、一般的にはどうなんでしょうか?

 昔心理学の本か何かで見て面白かったのですが、人が何かの事故だかなにかを見たりすると、まず最初はその原因をそれにかかわっている人に見ようとするんですって。それで、時間がたってくると、だんだんそれ以外の周囲の条件とかに原因を探すようになってくるという話でした。

 そうだとすれば、にわとりさんの姿を見て、まずはにわとりさんに原因を見る、というのは「一般的」といえることかもしれません。その場ですぐに「そうじゃないんだ」と思えるのは、自分も同じ体験をして「そうじゃない」ことを体で理解している人に限られるんじゃないでしょうか。そういう体験がないとか、本当は似たような体験をしているんだけど、その共通性に気づけないときには、自然ににわとりさん個人に原因を求めるようになると思います。

>「アスペでも家庭環境などに恵まれて育った人は周りから好かれてるし、対人関係が上手くいっている。対人関係が上手くいかない人は家庭家庭や育った環境に恵まれていない人が多い。長年アスペさんを診てきて感じること。」

 このこと自体は私もそうかなと思います。このブログの中でもなんどか問題になってきたことでもあります。でも、少なくともサロマさんが紹介してくださっているこの方の言い方だけで考えたとすると、ずいぶん矛盾したことを言われていることになります。

 なぜなら、一方で

>アスペが嫌がられる本当の理由は、親や周りから否定されてばかり育ってるから性格がひねくれるとたからだ

 ということで、嫌がられる理由を「アスペだから」と言われていて、他方で

>「アスペでも家庭環境などに恵まれて育った人は周りから好かれてるし、対人関係が上手くいっている。」

 と書かれているわけですから、実際は「嫌われる理由」はアスペだからではなくて、その人がそれまでに経験してきた環境の違いなんだ、ということになります。ところがこの方はご自分の言われていることのそういう矛盾には気づいていなさそうです。だからアスペの方についての理解が一面的になるのだと感じます。その結果として

>そもそもアスペは家庭環境などが恵まれずに脳の成長が止まったからとか、家庭環境などで伸び伸び育っていないから神経が緊張状態にあって神経の働きがスムーズにいかないなどの話もしてました。

 というような、「脳の問題」で決めつけてしまうといった安易な発想になってしまうという気がします。ここまでの言い方をしてしまうと、もう偏見とも言え、差別に近いと私は感じています。

>「人というのは(主に定型さんのことかな?)良い意味でも悪い意味でも共鳴をするの。人への憎悪、敵対心、報復心で一杯だと、相手もその心に共鳴して同じような行動になるよ。また自分が被害者だとの気持ちがあれば、自動的に相手が加害者だとの認識になるから、相手にもそれが伝わって同じように攻撃的になる」

 これはある程度言えそうな気がします。ただし、相手が攻撃的になると、こちらも攻撃的になるのではなく、「悲しむ」という形になる人や場合もあります。また相手を軽蔑する、と言う形になることもありますね。いろんなパターンがあると思います。

>アスペ定型間のいさかいの場合はどうだと思いますか?

同じことかなと思います。

>にわとりさんの攻撃的な心や態度が相手(何人かの常連さん達)に悪い意味で共鳴されてしまい、にわとりさんが非難されたり、blogが荒れる結果となったのではないかと感じることがあります。

 そうですね。私もそう思っています。ただし上にも書きましたように、そういう反応をしない方たちもいくらもいらしたわけです。

 このブログは「怒りに対して怒りをぶつける」ということはやめましょう、という姿勢でやってきていますので、それはこのブログとしては最も不適切な、ブログの趣旨を破壊するような行為だったことになります。私が断固とした姿勢をとらざるを得なくなったのはそれが理由です。なかなかそのことが伝わらずに消耗しましたが。

パンダさん

分かりにくい質問でしたね。
心理士さんの話についてのパンダさんの見解(見解と感想の違いがよく分からないのですが)をおたずねしていました。
質問に答えていただいてありがとうございます。

ここからは個人的に感じた話も含まれます。お付き合い願えたらありがたいです。

>少なくともサロマさんが紹介してくださっているこの方の言い方だけで考えたとすると、ずいぶん矛盾したことを言われていることになります。
>なぜなら、一方で
>アスペが嫌がられる本当の理由は、親や周りから否定されてばかり育ってるから性格がひねくれるからだ
>ということで、嫌がられる理由を「アスペだから」と言われていて、他方で
>「アスペでも家庭環境などに恵まれて育った人は周りから好かれてるし、対人関係が上手くいっている。」(略)

こちらは私の説明が悪かったです。
「アスペだから」というより、「アスペで人間関係が上手くいっていない人」といった方が正しいと思います。

「アスペでも恵まれた環境に育った人」は素直で優しく、前向きで愛嬌があったり、「対人関係が上手くいっている人」が多い。
「アスペで対人関係が上手く築けない人は家庭環境などに恵まれていない人が多い」。
またアスペでも、家庭環境や周りの環境などに恵まれずに育った人の中には(恵まれない環境に育ったアスペさん全員ではないと思いますが)ひねくれて攻撃的な性質になり、(アスペ側に非があるなしは関係なく)人から反感を買いやすかったり、人間関係が上手くいかなかったりすることもある。
心理士さんが言いたいのは「アスペだから」「アスペ度が高いから」人間関係が上手くいかないのではなく、
「アスペの家庭環境などに恵まれていないと対人関係も上手く築けない」
「周りから差別されて育ったために他者に攻撃的で敵対的な性質となり、(悪い意味で)周囲も共鳴されてしまって(アスペ側に非があっても非がないことでも)アスペ側が反感を持たれたり、周囲から攻撃的な態度を取られる結果となり、人間関係がなかなか上手くいかない」
とのことだと思います。
「アスペ」「アスペの軽重」ではなく、「その人個人の人間性)」「育った環境が大きな要因」だということだと思います。 
「アスペで人間関係が上手くいかないのは、家庭環境や親の育て方が原因ではない」と言われていますが、その説は間違いな場合もあるのかもしれませんね。

> >「アスペでも家庭環境などに恵まれて育った人は周りから好かれてるし、対人関係が上手くいっている。対人関係が上手くいかない人は家庭家庭や育った環境に恵まれていない人が多い。長年アスペさんを診てきて感じること。」
>このこと自体は私もそうかなと思います。

ここは理解しづらい部分があります。
パンダさんはよく「アスペと定型間のズレが誤解を生み、トラブルの原因になると感じる」とおっしゃっていますよね(私はそう捉えていますが)。
一方で「アスペで人間関係が上手くいかない人は家庭環境などが恵まれていないことも多い(個人的にはカサンドラになっている定型さんも家庭環境が複雑な方が多いと感じますが)」とも仰っていますが、「アスペと定型間のズレ」とも関連はあるのでしょうか?
「アスペで人間関係が上手くいかないのは、家庭環境などに恵まれずに育ったから性質がひねくれたり、攻撃的になったり、他者視点で見られなくなったりするから、人間関係が上手くいかない」との意味でしょうか?

>ただし、相手が攻撃的になると、こちらも攻撃的になるのではなく、「悲しむ」という形になる人や場合もあります。また相手を軽蔑する、と言う形になることもありますね。いろんなパターンがあると思います。 

いずれにせよ、(相手に問題があったにしても)怒りや感情任せな態度は+にはならないとのことでしょうかね。

>>アスペ定型間のいさかいの場合はどうだと思いますか?
>同じことかなと思います。

「アスペと定型間のズレ」が対立を生むのか?
環境に恵まれず、潜在的に攻撃的な性質を持つアスペ側の態度が定型側(反対もあるかな?)にも悪い意味で共鳴されてしまって対立してしまうのか?
どちらが原因なのでしょうかね?

>>にわとりさんの攻撃的な心や態度が相手(何人かの常連さん達)に悪い意味で共鳴されてしまい、にわとりさんが非難されたり、blogが荒れる結果となったのではないかと感じることがあります。
>そうですね。私もそう思っています。

ここはお互いの感じているものが違うようにも感じます。
後で書きますね。

>ただし上にも書きましたように、そういう反応をしない方たちもいくらもいらしたわけです。 

私が対象としていたのは「にわとりさんに反感を抱いた方達」のことで、「全員に対してではない」です。
失礼しました。

>ただし上にも書きましたように、そういう反応をしない方たちもいくらもいらしたわけです。 

私が対象としていたのは「にわとりさんに反感を抱いた方達」のことで、「全員に対してではない」です。
失礼しました。

>そういう体験がないとか、本当は似たような体験をしているんだけど、その共通性に気づけないときには、自然ににわとりさん個人に原因を求めるようになると思います。

にわとりさんがこちらで対立したのは、この部分が最初のきっかけだったように感じます。
にわとりさんがひどい目に合わせた人達への憎しみや攻撃的な態度が「何人かの参加者の方」には生理的に受け付けなかった(または「何人かの参加者」の方達には悪い意味で共鳴されてしまった)。
参加者の方からの言葉をきっかけににわとりさんが感情的になったことがありましたが、これも差別してきた人への憎しみを抱いていたにわとりさんをうけいれられず、悪い意味で共鳴した結果、「自然ににわとりさん個人に原因を求めた」のではないかと感じます。
一部のアスペの方が怒ったのもそこが原因の一つではないかとも考えています。
ある参加者の方達のコメントで傷ついたにわとりさんはさらに怒りや攻撃性を強め、最初はにわとりさんの性質についてやんわり指摘していた方達もにわとりさんに対しての批判や反感さらに強くなり、怒りのぶつけ合いになってしまった。
その方達にとっては最初から最後までわとりさんに対して共感を持てるような部分はなかった。
きっかけは「自分を差別してきた人に対する激しい怒りと攻撃性をにわとりさんが持っていて、何人かの参加者の方はそれに対して悪い意味で共鳴した」ことだったように感じます。にわとりさんがこちらでのコメントを始めた当初はパンダさんや参加者の方達に対する恨みは全くなかったとしても(にわとりさんを差別している人を対象に言っていたとしても)、「何人かの参加者の方達」にはそれは関係ないことのように感じます。
にわとりさんがもともと自分を差別してきた人に対しても穏やかで友好的な気持ちを持っていたなら、「にわとりさんに原因を求めていた何人かの参加者の方達」もにわとりさんに反感を感じなかったのではないかと感じます。
これが私自身の見解です。

>>にわとりさんの攻撃的な心や態度が相手(何人かの常連さん達)に悪い意味で共鳴されてしまい、にわとりさんが非難されたり、blogが荒れる結果となったのではないかと感じることがあります。
>そうですね。私もそう思っています。ただし上にも書きましたように、そういう反応をしない方たちもいくらもいらしたわけです。

私の見解は上で話したとおりですが、パンダさんはどういった意味で仰っていますか?

サロマさん

 ちょっとバタバタしているので、中途半端になったらごめんなさい。

>見解と感想の違いがよく分からない

 感想は個人がそう感じたというだけ。見解は個人の意見なんだけど、ほかの人に対するなんか根拠のある(と本人は思っている)主張、くらいでしょうか。感想はそれぞれ言うだけ。見解は是非をめぐって議論になる。

>「アスペで人間関係が上手くいかないのは、家庭環境や親の育て方が原因ではない」と言われていますが、その説は間違いな場合もあるのかもしれませんね。

 たぶん、「アスペになるのは」ということについては「原因でない」ということだと思いますが、「人間関係がうまくいかない」のは家庭環境や親の育て方の問題が大きいですね。あと家庭に限らず世の中の受け止めによってぜんぜんかわるとおもいます。

>「アスペで人間関係が上手くいかない人は家庭環境などが恵まれていないことも多い(個人的にはカサンドラになっている定型さんも家庭環境が複雑な方が多いと感じますが)」とも仰っていますが、「アスペと定型間のズレ」とも関連はあるのでしょうか?

 「アスペと定型間のズレ」→「調整がかなり必要」

  で、環境によって調整がしやすい環境、調整の力が付きやすい環境とそうでない環境があって、アスペだが調整の力が育ち、周囲もよい環境にあると「人間関係がうまくいかない」ことが少なくなり、その逆はむつかしくなる、ということだと思っています。


> (相手に問題があったにしても)怒りや感情任せな態度は+にはならない

 結局その怒りや感情が「私のために怒ってくれている」と相手が感じられるかどうかで全然変わると思います。感じられれば得られるものは大きくなりますが、感じられなければ悲惨な結果になりやすい。

> 私の見解は上で話したとおりですが、パンダさんはどういった意味で仰っていますか?

 お書きになったことは、特に違和感はありませんでした。それだけですべて言えるかどうかはまだわかりませんが、お書きになったような面は確かにあると思います。

 「そういう反応をしない方たちもいくらもいらした」ということの意味は、サロマさんが「怒りで接しられると怒りで応答する」と書かれていて、それはそうだけれど、怒りに悲しみなどで接することで関係が変わる場合もある、ということを付け加えただけです。あるいは愛で接するということもあるかもしれません。いずれも傷つけられても傷つけないという話でもありますから、なかなか度量か、生来のやさしさが必要になってむつかしいことだとは思いますが、そういうもんだと思います。
 

国語力が弱いために見解と感想(あとは意見)の違いがわからなくて、教えていただいてありがとうございます。

>「アスペと定型間のズレ」→「調整がかなり必要」

こちらはどういう意味でしょうか?
心理士さんは
「家庭環境などに恵まれたアスペさんは前向きで明るく、素直で愛嬌もあり、性格も良いから、周りからも好かれて人間関係が上手くいく」
「家庭環境などに恵まれなかったアスペさんはひねくれたり、性格が悪くなる人もいるから、周りから嫌われ、人間関係が上手くいかない」
と話してました。
これが「アスペと定型間のズレ」→「調整がかなり必要」ということなんでしょうか?

>「人間関係がうまくいかない」のは家庭環境や親の育て方の問題が大きいですね。あと家庭に限らず世の中の受け止めによってぜんぜんかわるとおもいます。 

人間関係がうまくいかないアスペさんは「親の育て方や家庭環境に問題(原因)があった」ということなんですね。
特に成人している子供さんが人と上手く馴染めなくて悩んでいる親御さんにとっては「親の育て方や家庭環境の問題」だと言われると受け止めるには厳しい話ですが、仕方ないということですね。

また話が戻りますが。
>>にわとりさんの攻撃的な心や態度が相手(何人かの常連さん達)に悪い意味で共鳴されてしまい、にわとりさんが非難されたり、blogが荒れる結果となったのではないかと感じることがあります。
>そうですね。私もそう思っています。

にわとりさんが非難された原因は、
「過去に差別をして来た人への憎しみや攻撃性を持っていたことが、何人かの参加者の方に悪い意味で共鳴されたことが原因(その憎しみや攻撃性がもともとはパンダさんやblogの参加者の方に対する恨みではなく、にわとりさんを差別した同僚や知人に対するものだったとしても、にわとりさんに悪い意味で共鳴するものでしかなかった)」
ということですよね?

私自身はにわとりさんが他の方から「障害を盾に甘えていないか?」などと言われて反論なさったことから、掲示板が荒れる方向に向かったと思っています。

パンダさんの見方としては、
にわとりさんが他の方から「障害を盾に甘えていないか?」などと言われたこと自体、
「にわとりさんを差別してきた同僚や知人に対する恨みや報復心、敵対心を持っていたことが、相手に悪い意味で共鳴されたことが原因(にわとりさんが荒れるきっかけとなった発言をした方には何の問題もなかった)」
ということですよね?

たとえにわとりさんが相手から「障害を盾に甘えていないか?」などの言葉を言われて傷ついたとしても、相手のことを受け入れるべきだったのに、にわとりさんがその方達に感情的になって反論したことが、掲示板が荒れるきっかけとなった全ての原因だということですよね?

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