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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年1月26日 (月)

ユーモアのむつかしさ

 子どもと話をしていて,あることをちょっと私が勧めたのですけれど,子どもはそれをすると後で悲しくなったり落ち込むからやめておく,と言いました。それで私は「じゃあこんど,悲しい気分になりたいときはそれをしたらいいんだね」と笑顔で言って,子どももそれで笑っていました。

 するとその直後,話を聞いていたパートナーが真剣な表情で私に「なんでそんな人を傷つけるような無神経なことを言うの?」と言うんです。私は一瞬混乱して,子どもの顔を見たんですが,子どももパートナーの言葉に戸惑った表情をしていて,一呼吸おいてから,そんなことはないよとパートナーに説明を試み始めました。

 すると今度はパートナーの方が混乱して,何でそういう言い方で人を傷つけたことにならないのか,分らないと言います。

 私はどう説明していいのか迷いました。まず彼女がなぜそれを「傷つける発言」と感じたのかがすっとは分りませんでした。もしかすると私の言い方が「子どもに<悲しい気分になりなさい>と言ったに等しい」という受け止められ方のしたのかな,とも考え,「これはユーモアなんだよ」ということを説明しようとしました。

 高校時代,英語の先生が「イギリス人のユーモアというのは,<可笑しことを言う>というようなものじゃないんだ。悲しんでいるひとを目の前にして,君は悲しむことを楽しんでいるねと話しかける。そういうのがユーモアなんだ」と言っていたのを思い出しました。そういうユーモアがパートナーには伝わりにくいんじゃないかとかんじたわけです。

 そういうユーモアは定型的には愛情の表現にもなりうるし,場合によっては相手をけなすことがむしろ親愛の情の表現にもなります。親しくない同士なら「攻撃」の意味を持ってしまうような言葉も,親しい間では「垣根を外して親しくなんでも言い合う」という意味になり得ますし,その言葉は相手を傷つけることを意味しないという暗黙の了解がお互いに成り立つ。

 そういえば,学生時代に読んだ本によれば,サルの子どもだってじゃれて遊びあう時には,攻撃的なことを笑いながらやるんだそうですね。そうすると「これは本気の攻撃じゃないんだよ」という意味になるらしい。

 そう考えれば,こういう「ユーモア」とか,「親しみを込めたからかい」のあるやりとりを,彼女が全然理解できないことは考えられなかったし,実際そういうのを彼女もやることがありそうな気がしたので,猫の例で話をしてみました。

 つまり,彼女は猫が好きで,猫とはスキンシップを自分からすることもあるんですが((T_T)),そうしながら猫をけなすことがあるように思ったんで,その例を出して,けなすことが愛情の表現にもなることもあるでしょう。と言ってみました。そのこと自体は彼女も了解なんですが,子どもと私のやりとりをそういうものとは感じられないらしく,とても不満な様子です。

 それで,「○○さんが僕のことを<馬鹿だ>とかいうこともあるでしょう。ああいうのもそうじゃない」と言ったのですが,これには「はあ?」という反応。それを見て,私は思わず吹き出してしまいました。

 つまり,彼女がそこで「馬鹿」と私を言っているのは,親愛の情などではなく,言葉そのままの意味だったのですね! 


 結局私や子どもが説明を試みたことには納得ができないらしくて,そういう定型的なわかりにくいコミュニケーションに,改めて「得体のしれない」ものだという不信感を抱かれたような気もしました。いやあ,ユーモアってほんとにむつかしいです。

 

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コメント

以前に少し書き込みしたことがある、お由と申します。
私は未診断なので奥様の気持ちと違うかもしれないけれど、自分の感じ方だと

⚪︎悲しくなったり落ち込んだりする"それ"について、お子さんが感じている以上に深刻なものと捉えてしまった。
⚪︎自分が真面目に話した出来事について、相手が親愛の気持ちやあるいは元気づけたいからだとしても冗談をいわれたら傷つくから。
⚪︎悲しい話に対して冗談を言うのは不謹慎だという事の仕組み(どうしてかという部分)誤学習。
→"悲しくなる"という言葉が出てきたらどんな場合も冗談を言っちゃダメ、みたいなかんじに。

こんな風かなと思いました。

お由さん

 ありがとうございます。またこうやってコメントを頂けるのは嬉しいです。

 「それ」は別に大したことではなく,日常で多くの人が普通にやるようなことなので,
 それで落ち込むというのはちょっと意外な感じでした。
 
 書いてくださった中では

 「自分が真面目に話した出来事について、相手が親愛の気持ちやあるいは元気づけたいからだとしても冗談をいわれたら傷つくから。」

 というのが,あ,もしかしてそんな感じなんだろうか,という気がしました。
 真剣な話を,基本は真面目だけどユーモアを交えてやりとりしようとすると,
 なんか怒られることがあるなあと思えたので。
 彼女の中では真面目さとユーモアは同居しにくいのでしょうか。

発達障害者は障害特性として「冗談がわからない」というのがあったように記憶しています。
私も実際に冗談を言われても真に受けてしまうことが多く、周囲に変な顔をされます。
自分から冗談を言うこともないのですが、私はふざけることが多く、気づくと周囲から大ヒンシュクという状況になっています。

「からかわれること」は私にとっては全て「不快」なだけですね。
定型発達者にとって「嬉しいからかい」みたいなものもあるのでしょうか?
私はとても周囲からからかわれやすかったのですが、悪意があるものしかなかったと思っています。
もしかしたら一部そうではないものもまざっていたのでしょうか?

ひとさん

>定型発達者にとって「嬉しいからかい」みたいなものもあるのでしょうか?

 からかいというのは軽い攻撃でもありますから,
 それが相手を痛めつける意味を持つこともあるし,
 展開次第ではおたがいの垣根をとって,親しく付き合うきっかけになるとか,
 あるいは親しさを確認する意味も持つだろうと思います。

 定型はそういう「プラスにもマイナスにもどちらにも転ぶようなやりとり」を
 結構使うんじゃないかなと思います。

>私はとても周囲からからかわれやすかったのですが、悪意があるものしかなかったと思っています。もしかしたら一部そうではないものもまざっていたのでしょうか?

 「どちらにも転ぶようなやりとり」の場合には
 相手の反応によってどっちになるかが決まっていくようなことがよくあります。
 そうすると,そこで定型が期待するような応答が返ってこないと,
 「悪い方に転ぶ」ことが多くなるのではないでしょうか。
 それで結局「悪意があるものしかなかった」という状態になるのかもしれません。

 そう考えてみても,定型は「あいまいな表現」や
 「どっちにも取れる表現」をたぶんあえていっぱい使っているんですね。
 それは状況を見ながら関係を調整するための手段なのでしょう。
 それをほとんど無意識でやっていると思います。

 そこのところがアスぺの方にはものすごく分りにくいところなのかも。

 

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» 発達障害者のユーモア [asdおじさん]
発達障害者は基本的に、ユーモアが理解できず、言葉を文字通り解釈すると言われている。 実際、発達障害者と接していて、そう思うことも多い。 そう感じる人は、冗談も言うことは少なく、生真面目な印象がある。一方、発達障害者でもユーモアの塊のような人もいる。 本人も冗談をよく言うし、ユーモアをわかってくれる。 この違いはどこから生まれるのだろうか。 考えてみたけれども、ユーモアを言えるかどうかは、ひとつの理由として、相手の性格、反応をよく見ているかどうかが重要かもしれないと思った。 ユーモアを言えている人は、... [続きを読む]

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