2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« ユーモアのむつかしさ | トップページ | 分かち合うと悲しみが半分か倍かの話 »

2015年1月28日 (水)

「本当は私だって」

 このところ,アスぺの方から「私も本当はにこにこして会話したいんですよね」(にわとりさん)とか「私だって話し合いができなくて抑うつ状態になる」(ゆかさん)といったコメントを続けていただいています。


 たびたび書くように,アスぺの方のどこまでの範囲の方がそうなのかは私にはわからないのですが,少なくとも一部の方については,「本当は」とか「私だって」と表現されるように,定型的な付き合い方を求めているのに,それができない状況に追い込まれて,その結果「アスぺ的」とみられるようなことになって定型から否定されてしまう,ということが起こっているようです。

 ベースの所で定型アスぺの感覚に違いがあるから,ズレが蓄積されてそういう「追い込まれる」状況になってしまう,ということはたぶん間違いのないことでしょう。違いは確実にある。でもそうだとしても,追い込まれた結果として,仕方なくそうせざるを得なくなっている部分について,「アスぺの根っからの特性だ」と決めつけてしまうことはやはりできないと思うんです。

 そこの区別ってすごくむつかしいことですけど,でも時間がかかってもいいから,そこは見つめていきたいところです。

« ユーモアのむつかしさ | トップページ | 分かち合うと悲しみが半分か倍かの話 »

コメント

私のコメントを載せてくださってありがとうございます。
パンダさんが親身になって考えてくれる気持ちがものすごくつたわります。

パンダさんの優しさに甘えて、また質問で申し訳ないのですが、非常に悩んでいるこてなのでお願いします。

まず私自身の話からさせていただきたいのですが、以前働いてた同僚から私ほどひどい人間性は見たことがないと言われたことがあります。
元恋人からも「おまえは鬼畜、キチガイ、人の心がない悪魔だ」と言われ続けました。
「俺を大切に思ってくれる気持ちは伝わる。それを他人にも同じように思いやれ」ともよく言われてました。

しかし私にはピンと来ないのです。
私だって人に寄り添ったり、心配したり、できる範囲で人に助けようと思うことはあるのになぜ否定されるのだろう?
パンダさんがよく仰ってる共感性のなさや定型と発達との行き違いではなく、私の場合は人間性そのものが鬼畜だとの言い方です。

周りの人間(発達、定型関係なく)をみてると、困ってる部下や友人の相談や愚痴を聞くなどの光景はよくみかけます。
しかし他人に対して、家族や恋人のように尽くしてる人は見たことがありません。
例えば、生活に困ってるから自分の生活に支障がない範囲でお金をあげるとか(金のやりとりは基本タブーですが)、足の不自由なご近所さんのために買い物を無償でしてあげるとか、夜中に人気のないところで車をパンクさせてしまった友人のところにかけつけて無償で修理してあげたとか、自分の立場を悪くしてまで理不尽ないじめを受けた同僚や近所の人を助ける、などの話はあまり聞きません。
世の中にはいやな人も(定型、発達関係なく)います。
人を陥れたり、人の借りた金を返さなかったり、弱い者いじめをしたりなど。
それらを元恋人に話すと、「そんな奴もいるけどおまえの場合は論外だ。健常者はおまえよりもずっとあたたかみがあるぞ」と言われました。

それと前にもお話しましたが、私は障害のことや容姿のことでさんざんばかにされてきたり、都合の良いように使われてました。
そんな人には共感も優しい気持ちすら持つことはできません。
しかし恋人は「バカでブスで気持ち悪いのは事実だからばかにされるんだ。いじめられるのもおまえが鬼畜な人間性だから悪いんだ。もっと人に思いやりを持て」と言われました。

個人的な話が長くなってすみません。
私自身は元恋人から言われた言葉には納得できませんが、発達障害者が定型者から(根本的な人間性が)鬼畜だとまで言われる背景はパンダさんが以前私の返信などでおっしゃったことが全てなんでしょうか?
定型者が(家族や恋人以外の)他人に対して思いやりの行為というのは具体的になんでしょうか?

大変な長文、駄文ですみませんが、お許しください。

にわとりさん

>(根本的な人間性が)鬼畜だとまで言われる背景はパンダさんが以前私の返信などでおっしゃったことが全てなんでしょうか?

 いろいろなケースがあると思います。なにか一つのことで全部理解できるというのはむつかしそうです。

 どんなときに鬼畜というすごい表現をされてしまったのか,その具体的な内容がわからないと,何がどうすれ違ったのかを考えることはむつかしいと思います。なにか覚えていらっしゃって書いても大丈夫なことがあれば,教えて下されば私も考えてみますし,他の皆さんからもなにかご意見をもらえるかもしれません。

>定型者が(家族や恋人以外の)他人に対して思いやりの行為というのは具体的になんでしょうか?

 人によって何を求めるかはいろいろあるかもしれません。道で転んだ人に「大丈夫ですか」と声をかけるとか,大きな荷物を持って運びずらそうにしている同僚に,自分から声をかけて手伝うとか,何かに失敗して落ち込んでいる人になぐさめの言葉をかけたり,話を聞いてあげるとか,具体的なことではさまざまなことがあると思います。

 「あの人,やさしい人だね」と言われる人がどんな行動をしているか,というのを観察するのはひとつの手掛かりになるかもしれません。ただ,その人の行動のどの部分をやさしいと他の定型が感じているかがわかりにくいかもしれませんね。その場合はどこがやさしいと感じられたのかまでを尋ねる必要があるかもしれません。あくまでひとつの手掛かりとしてですけれど。

無理な質問をしてすみませんでした。
皆からは具体的な説明を求めても答えてもらえなくてわからない状態です…。

本当にすみません。これで最後にしますね。
私達発達障害者は状況や非言語サインを読みとるのが困難、会話を弾ませるにも非常苦手なんですが、そんな私達が定型者の集団とやってく方法はありますか?

にわとりさん

>私達発達障害者は状況や非言語サインを読みとるのが困難、会話を弾ませるにも非常苦手なんですが、そんな私達が定型者の集団とやってく方法はありますか?

 はい,そこを今みんなで手探りで探している状態だと思います。
 ですから,にわとりさんもどうぞあせらずに,この場でもじっくりと
 いろいろ疑問を述べたり質問をしたり,
 ご自分のペースでいいですから,あきらめずにやりとりしてみてはいかがでしょう。
 そのうちに,少しずつでも何かが見えてくるかもしれません。

 にわとりさんの書かれることは必ずいろんな方にも参考になると思います。

>これで最後にしますね。

 というわけで,最後にならない方が私の方は嬉しいです (^ ^)。

何度もお付き合いさせてしまったら大変すみません。ありがとうございます!

最後と言っておきながらまた出てきてしまってすみません。

パンダさんは奥様や発達に対して、鬼畜、悪魔、こいつほどひどい奴は見たことないと思ったことはありますか?
もしあるなら、具体的(といっても差し支えない範囲で)にどんなところですか?

にわとりさん

>最後と言っておきながらまた出てきてしまってすみません。

 私の方は歓迎ですので,どうぞご遠慮なく。

>パンダさんは奥様や発達に対して、鬼畜、悪魔、こいつほどひどい奴は見たことないと思ったことはありますか?

 パートナーについては鬼畜とか,悪魔とか,そういうことを思ったことはありません。ただどうしようもない怒りを抱えていたことはあります。特に子どもに対する対し方はほんとに納得がいかず,子どものためにも離婚すべきではないかと思ったことも一度や二度ではありませんでした。ただ「鬼畜」とか「悪魔」とか,そんな感じではなかったですね。

 他のアスぺと思しき方については,結果としてひどい仕打ちを受けたことがあります。ある意味,私自身より,事情を知っている周囲の方が激しく怒られたりもします。おそらく本人はそういう理解は全くできないだろうと思うので,これも鬼畜とか悪魔とかは思いません。定型アスぺのズレが理解されないことで拡大される悲劇は確実にあると思います。

 というわけで,誰かを鬼畜とか悪魔とか理解することは,私の場合はあまり多くはなさそうです。全くないとは言い切れませんけれど。

お返事ありがとうございます。
パンダさんは鬼畜などとは思わなくとも相当な不信感は感じたんですね。

私の父は発達障害、母は軽い知的障害者です(そもそも社会適応できない障害者が子作りすることが問題なんですが)。
父は一言で言ったら、意地悪姑のような人です。
常に家の中や冷蔵庫、家の外をチェックし、揚げ足を取って母を責めたり、小言をいったりします。
常に自分一番で、家族への思いやりは全くなく、病気の家族のために家事を手伝うことはなく、高熱で寝ている母にはのんきに寝るなと物を投げるような人です。
気に入らないことがあると家族を殴ります。
自分の非は一切認めません。
母は逆に謙虚で穏やかで人への共感能力は高いのですが、他人との関係づくりが上手くできず、何をさせても頼りない人です。
例えば私や姉が父から理不尽に殴られても助けてくれなかったり、こっちが悩んでる時にアドバイスができない人です。
母は親身に話を聞き、共感してくれたり、励ましの言葉もかけてくれますが、肝心のアドバイスがないのです。
母も障害持ちで成功体験がないために子供にアドバイスできないのでしょう。私はイライラするだけでした。

それに励ましの言葉にしても心から優しい言葉をかけてくれる母からの言葉を聞いても気分が暗くなるだけでした。
逆に表面的だったとしても定型の知人からの言葉に励まされたことがあります。定型者の中には励まし方が上手い人がいるんですね。
私の姉も同じことを言ってます。
他人よりも母の方が心がこもってるのになぜ人の心を掴めないのか? 母は頼りなく、人生においての成功体験がないから言葉に説得力を感じな
いのか?

昔から母といるだけでもなぜかストレスがたまります。定型の姉も母にはかなりイライラしてます。
母の場合はイライラする
理由がわからないだけによけいにモヤモヤしてます(自己中な父は論外です)。私は両親と距離は置いてます。一人引きこもって気を休め、余力残さないと仕事も家庭もやりすごすことはできません。
しかし母も私に色々ストレスや不満はあるかもしれません。お互い様かもしれません。

パンダさんの事情がピンときませんが、事情はうちとは全く違うかもしれませんが、ストレスを相当感じていた点では気持ちはわかるような気がします。

名前抜けてました。失礼しました

パンダさんのところの事情を知らないのに「ストレスがたまる理由ながわかる気がする」なんて偉そうで無神経な言葉でした。
しかも私も家族や他人に迷惑かけてる立場でもあるのに自分のことは棚に上げ、失礼なことを言ってしまって申し訳ありません。

にわとりさん

 厳しい家庭の事情を教えていただいて,前に

>私の場合はそんな感覚は他人にも身内にも全くないです。嘘をつくことへの罪悪感はありません。

 と書かれていたことがもう少しわかるような気もしました。そういう厳しい状況の中で子ども時代を過ごしてこられたとすれば,子どもとすればそれが「普通のやり方」になってしまうでしょうから,周囲の人との関係がうまくいかなくなったとしても,無理はないと思います。

 そこは「アスぺだから」ということだけではなくて,そういう環境のせいで問題が大きくなったところがあるのではないかと,そんな気がしました。その部分でにわとりさんがずっと傷つき続けてこられたことが,何かの形で癒される必要があるように思えました。なんとなくの印象ですけれど。

>失礼なことを言ってしまって申し訳ありません。

 失礼というふうには思いませんでした。いろいろお気遣いありがとうございます。

>私の場合はそんな感覚は他人にも身内にも全くないです。嘘をつくことへの罪悪感はありません。

というのは
(矛盾してるイメージという記事の文章中にある)
>「相手に認められることも、相手に喜んでもらうこともアスぺの方は基本は嬉しい。でも相手の気持ち(心)というものはどうやっても分 らないものだ。だからそこは割り切って,自分にとってよくて,相手も困らないやり方を具体的に探っていくしかない。ただし,その時に 「嘘をつく」ことはよくない。他人であれば, 愛想も使ってごまかすことは仕方ないからするが,家族の中でそんな不誠実なことはできない。素直な自分の気持ちで接することが一番大切なことのはずだ。」
の中にある「愛想を使ってごまかす」ことに罪悪感を感じないことであって、平気で嘘をつけるという意味では書いてませんよ。


>そういう厳しい状況の中で子ども時代を過ごしてこられたとすれば,子どもとすればそれが「普通のやり方」に なってしまうでしょうから,周囲の人との関係がうまくいかなくなったとしても,無理はないと思います

自分で書いておきながら、私自身の理解力がなくてすみません。
どういう意味ですか?

にわとりさん

> 「愛想を使ってごまかす」ことに罪悪感を感じないことであって、平気で嘘をつけるという意味では書いてませんよ。

ちょっとここでにわとりさんが何を言おうとされているのかがよくわからないのですが、にわとりさんが「嘘をつくことに罪悪感はありません」と書いていらっしゃったことについて、とくに私の方から何か書いたことはなかったように思うので、にわとりさんの方で何か誤解をされたか、あるいは私の方で理解できていない何かがあるのか気になります。

定型アスペ間ではこういうコミュニケーションのずれがいつでも起こりうるので、こういうときは何がずれるのかを考えるいいチャンスかも知れません。

> どういう意味ですか

子どもは生まれたあと、親とのコミュニケーションの中で一番基本的な人付き合いの仕方を学んでいくと思います。親のやり方をそのまま真似る部分も、反発してその裏返しのやり方をすることもあると思いますが、どちらにしてもほんとに基本的なところで強く影響されてしまう。

で、そこで作り上げた付き合いの仕方がその後の他の人たちとの付き合い方をかなり決めてしまうところがあるので、家庭での親のやりとりの仕方が厳しくて、上手な関係の取り方が親から学べないときには、子どもも外で苦労することになりやすいと思います。私の場合はそうですね。

そう考えると、にわとりさんが紹介された子ども時代のお父さんやお母さんの様子からは、上手な人付き合いの仕方を学ぶのはとても難しい環境だったように感じられましたし、そこでにわとりさんはすごく苦労され、また傷ついてこられたように感じました。

それがひとつの原因になって、にわとりさんの意図が誤解されたり、ひどい言われ方をするような状況になったり、今にわとりさんが苦労されたり憤ったりされる状況が生まれているのかもしれない、というようなことでした。

説明が分かりにくければおっしゃってくださいね。

読解力なくて申し訳ありません。本当にすみません。
説明くださってありがとうございます。

両親との関係というよりは、障害者が障害者を育てたために適切な教育ができなかったことが原因として大きいと思います。
しかし定型の姉は生まれ持った定型の感覚と、周りを見ながら人とのやり取りを覚えたのでしょうか(親を反面教師にしたということでしょうか)。小さい時から友達がたくさんいて、先生からもかわいがられ、彼氏もいます。普通に仕事もしてます。
姉は家族のことで嫌な思いもしてましたが、それでも周りの姉と私との接し方が違うと感じることがあります。
平等に接してくれる人もいますが、私にはばかにした態度やそよそしい態度でも姉には愛想良く接してる人もいます。
同じ姉妹でも全く違うんですね。

せめて姉に話を聞けたら参考になるところもあると思いますが、姉も私達を嫌ってるためにアドバイスを求められないのがつらいところです。


個人的な話を長々と失礼しました。


にわとりさん

私の勝手な想像ですが、多分お姉さんにも色々な人には理解してもらいがたい苦労があると思います。それでご実家とも距離をとられているのかも知れません。

ただ、ダメージの大きさということでは、にわとりさんがおっしゃるように、アスペであるがゆえの苦労が重なって、周囲の定型の方たちとは一層関係が難しくなりやすいのではないでしょうか。定型の私が想像しても、きっと本当に大変だろうなと思ってしまいます。

(同じ内容が重複して投稿されていた分を、先ほど一つにしておきました)

私のためにお手数かけて大変申し訳ありませんでした。ありがとうございます。

確かに姉も発達家族を持ったせいで精神的に追いつめられたり、私達家族のせいで周りからも偏見をもたれてるでしょう。
姉の将来を考えてもカタワだらけの家族は人生のマイナス点でしかないですからね。
私達が健常者だったら姉は周りから偏見を受けずにすんだし、もっと穏やかに幸せに過ごせてたかもしれません。
(それとも定型者であっても苦労はしてるとの意味でしょうか?間違っていたならすみません)

ただ、同じ偏見を受けながらも、
姉はつらいときには支えてくれた友達や先生や恋人がいたし、
姉も「友達や先生や恋人がいなかったら自殺してた」と話したことかあります。
しかし私には自殺まで考えても寄り添ってくれる存在はなかっち。

近所の中には姉には色々親切にしてくれて優しいけど、私には露骨に嫌う人もいた。

その意味では定型と発達の差を感じましたね。

にわとりさん

定型は別に努力して定型になっている訳じゃないし、アスペの方も別に選んでアスペになっている訳じゃないし、その意味ではみんな同じなはずなんですけどね。だれも自分の生まれを選べないわけですから。

たまたま世の中の主流に乗っかったからといって、それで別に偉いわけでも優れているわけでもないだろうに、でも世の中的にはそういうことになっていますね。別に誰も苦労したくて苦労している訳じゃないのに。

立場は正反対ですが、にわとりさんとアスペ父を持つ娘さんのお話を読んでいると、同じ不条理を感じてしまいます。お二人が悪い訳じゃないのになあと。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/58739151

この記事へのトラックバック一覧です: 「本当は私だって」:

« ユーモアのむつかしさ | トップページ | 分かち合うと悲しみが半分か倍かの話 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ