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アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年1月30日 (金)

分かち合うと悲しみが半分か倍かの話

 前に少し取り上げたような気もしますし,関連するコメントもいただいたと思うのですが,「悲しみは分かち合えば半分になる,喜びは分かち合えば倍になる」という言葉は,定型にはかなり通用しても,アスぺの方にはなかなか通用しないということがあるようです。むしろ「悲しみは分かち合えば倍になる」という感じがあるらしい。「喜びは分かち合えば半分になる」かどうかは分らないですが。

 もしそうだとすると,それって何が違うからそうなるんでしょうね。アスぺの方が悲しみが倍になってしまうのも不思議な感じですが,逆に言えば定型はなんで半分になるのかも,考えてみれば謎です。あらゆる場合にそうなるとは限りませんが,結構そうなることがある,というのは実感としてそう思えます。カウンセリングの働きも,きっと半分はそういうことでしょうし。

 気持ちを分ってもらえた,ということは,仲間が増えたという感覚につながるのでしょうか。もしそうなら定型お得意の「群れを作りたい」欲求に関係する話なのかもしれません。「士は己を知る者のために死す」という言葉まであるわけですし,「承認されたい」という定型の気持ちはほんとに命がけなわけですよね。そこにつながる話なのかどうか。

 ただ一方で,ゆかさんは私がアスぺの方の苦しみを想像して書いてみたことについて,自分の気持ちを代弁された気がするとおっしゃってくださり,さらに「これで明日から少しトラウマのフラッシュバックが減るかもしれない」とも書いてくださっています。この場合は「悲しみが分かち合われたことで半分になった」ということだと考えてよいのか,それはまた違うことなのかも気になります。

 アスぺの方で悲しみを分かち合うと倍になるといわれるのは,たとえば自分が自分の悲しみについて相手に話し,それを聞いて相手も悲しんだ場合,悲しみが二人分になるから倍になるというふうにも考えられるし,あるいは自分が悲しいだけではなく,そのことで相手まで悲しませてしまったという罪悪感が自分に重なって,悲しみの苦しみが倍になるということなのかもしれません。どっちなのか,その両方なのかは私には分らないことですが,そこも気になります。

 アスぺの方は基本的に自分の悲しみや苦しみは,自分自身で解決しなければならないと感じられているように思います。それは生まれながらにそうだということなのか,それとももともとは他の人に助けを求めていたのに,常にその結果に裏切られ続けてきて,人に頼ることはしない生き方の方がむしろ楽なのでそうなったということなのか,そこも私にはまだわかりません。ただもしそこで「自分のことは自分で」というある種の「倫理観」みたいなものが強くアスぺの方の生き方を支えているのだとすれば,「悲しみを分かち合う」あるいは「共有してくれることを望む」ということは,よくないことと感じられるのかもしれません。

 なにしろ分らないことだらけですけど,それでも「何が分らないのかが分ってくる」ということは前進でしょうね。

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コメント

パンダさん
2回連続引用、本当にありがとうございます。心から嬉しく思います。
あれからフラッシュバックが軽くなりました。パンダさんのおかげです。

私が気持ちを代弁してもらえたと感じたとき、悲しみが半分になったと読んですぐには正直あまりピンとこなかったのですが(すみません(^^;)、私は孤独じゃないと思うと安心しました。多分私が「悲しみが半分」っていう比喩表現に疎いせいかもしれません(笑)もしかしたらこれがそういうことなのかな?と思います。あんまり答えにならなくてすみません(>_<)

>自分が悲しいだけではなく,そのことで相手まで悲しませてしまったという罪悪感が自分に重なって,悲しみの苦しみが倍になるということ

私の場合、基本これです。
でも自分が悲しみを味わったときは、友達に聞いてほしくなってしまいます。
そして、話したあとで、友達にまで悲しい顔をさせてしまったことを後悔します。
でも自分が喜びを味わったときは、また友達に聞いてほしくなり、友達が「自分のことのように嬉しい」と言って目一杯の笑顔を見せてくれると、その味わった喜び以上の幸せを感じます。

パンダさんが私のコメントで嬉しいとおっしゃってくれたとき、気持ちを代弁していただけた以上の喜びを味わえました。これが感情を分かち合うということなのかなと思うと、アスペルガーの私にもそれができたことがより一層大きな幸せです。


長々と拙いコメント失礼致しました。

ゆかさん

 アスぺの方にもいろいろなタイプがあるでしょうから,どこまでの方に意味があるのかは
 私には分らないままですけれど,
 それでもゆかさんにはそこまで喜んでいただけて,ほんとによかったです。

 「自分はアスぺである」という思いでそんなふうに苦しんでこられた中で,
 それでも通じ合うことで気持ちが楽になる場合があるということですよね。
  
 そういうつながり方が,ちょっとずつでも広がっていくといいなと思います。

 またいろいろ教えてください。

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