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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年1月 5日 (月)

夫の未練,子の割り切り

 みなさん お正月は少しはゆっくりできましたでしょうか。

 私は久しぶりにお酒が解禁になったので,子どもとかなり飲みました (笑)
 親の介護関係でまた実家にも行ってきましたが,改めて「崩壊家庭(?)」の現実を見せつけられてきた気がします。人間というのは,シビアな状況で育てば,その中で生きていけるように,必死で独特の対処法を身に着けていくんでしょうね。 自分自身の変わり者の部分も,その対処法として考えるといろいろ納得する部分もあったりします。

 そのことは,私のパートナーも含め,アスぺの方たちにも多かれ少なかれ,かなり言えることではないのかと感じます。
 それから,前にも少し考えた,パートナーに対しての自分の「可能な限りさらに理解を深めたい」という姿勢と,親に対する「もう理解は不能ということを前提に,現実的な対処を考える」という姿勢と,その相当違う姿勢がどうして自分の中に共存しているんだろう,という問題も改めて気になるところです。

 パートナーに対しては,自分も変わっていくことを大事だと思うのですが,親に対してはそれがあんまりないんですね。まあ上手に対応できるように変わりたいというのはありますが,「わかり合えることを目指して」みたいな,そういう乗りではありません。この,親に対する自分の一種の「冷たさ」が何なのか,ちょっと気になっています。

 そういえば,私がパートナーに対してまだ未練がましく抱いているあるひとつの希望について,子どもからはあっさりと「そこはもうあきらめるしかないよ」と言われました(笑) 子どもって意外に親に対してそういう割り切りが早くできるんでしょうか? できるとすればそれはなぜでしょう?


 

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コメント

パンダさん、皆さん、あけましておめでとうございます。
パンダさんが奥様に対してずっとあきらめられないのは、過去の話だとしても、確信をもって選んだパートナーで、自分の判断に間違いはなかったのだと思いたい。それで、希望を捨てきれないからではないでしょうか。あきらめたら、パンダさん自身が終わってしまうようで、否定されたようで辛いのではないでしょうか…。だから、だれが見ても感じの悪い態度を取られ続けても、耐え抜いてこられたのでは。理想から遠ければ遠いほど、何故かその相手に縛られる、のはあると思います。執念のような?
しかもパンダさんは自己犠牲精神が強くてお釈迦様みたいな人でしょう?そういう人でないと、奥様を相手にはできないと思います。
表現が不適切かもしれませんが、奥様は強面の俺様男や、自分より権威のある人には絶対服従で、相手に弱みを見つけると冷淡になり軽んじる傾向がありませんか。なんというか、パンダさんは優しすぎる。優しすぎて奥様の横柄さを増長させる、のでは…。いまさら、厳格にはなれないでしょうが、そして、穏やかさはパンダさんの長所に違いないはずなのですが。わたしが男なら、なんだ、その態度!ってバシッといくかもしれません。ほんとにすごい忍耐力です。
わたしも、AS彼の言動を良いほうへ良いほうへと解釈して納得しようとしてました。なぐさめのような、自分がみじめっぽくならないように明るく捉える努力?でも・・・。
なにも変わらなかった。なにが言いたいか、結局、ASの人に何かを与えても、返ってこないです。すみません、例外もあると思います。わたしの彼に関してです。返ってこない。いろんなものが。だから、配偶者にしてしまったパンダさんには…かける言葉がないことが心苦しいですが。
それで、お子さんは母に対してあきらめている。これは、悲しいことではあるけど、あきらめるからこそ、子どもは自分の人生を生きられると思うんです。ずっと母に縛られ、母の期待に応えようとしたり機嫌をとったり。そういう時間は自分が生きるために使うものであって、むしろ、親に絶望した子どものほうが自立も早く、家族から距離をとって自由に生きられるのではないでしょうか。仲が良い家族は素敵なものですが、わたしは親元を離れ、苦労しながらでも家庭を築くことが一番だという考えです。
ですから、子どもさんのあきらめは、わたしならポジティブに捉えます。

晴子さん

 おめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 いただいたコメント,「なるほど!」と「あれ?」の混在でした (笑)

>パンダさんが奥様に対してずっとあきらめられないのは、過去の話だとしても、確信をもって選んだパートナーで、自分の判断に間違いはなかったのだと思いたい。それで、希望を捨てきれないからではないでしょうか。あきらめたら、パンダさん自身が終わってしまうようで、否定されたようで辛いのではないでしょうか…。

 これは「なるほど!」のほうです。間違いはなかったというか,その時の自分は,本当に彼女を必要としていたんだということをやっぱり改めて感じています。そしていろいろ問題は起こったけれども,一緒に子育てをしてきて,その子どもが,親ばかですけど,苦労を自分なりに乗り越えてほんとに頑張って生きていて,その生き方に私が感動してしまうんですね。

 そういう過去と現在を否定する気持ちにはなれないのかな。

>だから、だれが見ても感じの悪い態度を取られ続けても、耐え抜いてこられたのでは。理想から遠ければ遠いほど、何故かその相手に縛られる、のはあると思います。執念のような?

 ここは同じアスぺの方が見れば,「感じが悪い」と感じられるかどうかが私にはまだよく分りません。

>しかもパンダさんは自己犠牲精神が強くてお釈迦様みたいな人でしょう?そういう人でないと、奥様を相手にはできないと思います。

 ここは「あれ?」で,自分が自分に抱いているイメージとは違ってました。悟りには程遠い人間なので,するときは怒りまくって喧嘩もしますし(笑) 最近も親と喧嘩してきたところです (^ ^;)ゞ

>表現が不適切かもしれませんが、奥様は強面の俺様男や、自分より権威のある人には絶対服従で、相手に弱みを見つけると冷淡になり軽んじる傾向がありませんか。

 ここは彼女にそういう傾向は私自身は感じたことがありません。むしろそうでないところは彼女の魅力かなという気がしています。
 最近,男性がアスペのカップルで,もしかすると,定型的な「男性優位」=「男性の横暴さ」の部分が極端に出てしまう場合があるのではないか,ということを考えるんです。だから社会的には「優位」な立場に置かれていた私(今は全然優位じゃないけど(^ ^;)ゞ)と彼女との間に起こる問題とはかなり違うシビアさが,男性アスぺ=女性定型のカップルで起こる場合があるのかもという気がします。晴子さんの書かれている人物像なんかは,私の中ではそんな感じがします。

>なんというか、パンダさんは優しすぎる。優しすぎて奥様の横柄さを増長させる、のでは…。いまさら、厳格にはなれないでしょうが、そして、穏やかさはパンダさんの長所に違いないはずなのですが。わたしが男なら、なんだ、その態度!ってバシッといくかもしれません。ほんとにすごい忍耐力です。

 同上,ですが,横柄な感じは私は受けたことがありません。ただ得体のしれないこだわり,ということは感じてきましたけど,基本的にはそれも含めて彼女の方は「いじめられて(いじけて)いる人」の印象になります。「え?私(パンダ),ぜんぜんいじめてないんだけど」とこちらが言い訳したくなるような感じです。「私を悪者にしないで!」というか (笑)

>わたしも、AS彼の言動を良いほうへ良いほうへと解釈して納得しようとしてました。なぐさめのような、自分がみじめっぽくならないように明るく捉える努力?でも・・・。
なにも変わらなかった。なにが言いたいか、結局、ASの人に何かを与えても、返ってこないです。すみません、例外もあると思います。わたしの彼に関してです。返ってこない。いろんなものが。だから、配偶者にしてしまったパンダさんには…かける言葉がないことが心苦しいですが。

 たぶん「よい方へ」という「よさ」の基準自体に定型アスぺ間では結構シビアなズレがあるんだと思います。だからこちらが「よい方」に解釈したつもりが,相手にとっては「なんでそれがよい方なの?」と訳が分からないことになり,まったく関係は改善しないか,むしろ逆効果になる。

 その辺りが定型アスぺ問題のむつかしさではないでしょうか。文化が違う方と接すると,似たようなことがよく起こると私は感じるのですが,それがある面ではもっとシビアに起こっているのかなと感じています。

 そういう時は,文化の異なる人との接触でもそうですけれど,「何をよいと感じるか」というところから理解を調整していかないと(そこが大変ですけど),永遠の平行線で,平行線でおさまればまだいいですが,そこに失敗するとそれこそ殺し合いにも発展します。お互いに「私はよいことをしている」という「信念」を持ち,「なんで相手は私のこの善意を否定するのか」と憤りながら。それって悲劇だよなと感じるんです。

 で,最近改めて思うんですが,「なにがよいことなのか」については,つっこんで考えていくと,どうも根っこのところでは定型アスぺ同士で結構共通するものがありそうな感じがするんです。まだちょこっと見え始めた感じにとどまっていますけど,ここはもう少し深めていけば,もっと見えてきそうな予感がしています。予感ですから,なんの保証もありません (^ ^;)ゞ

>それで、お子さんは母に対してあきらめている。これは、悲しいことではあるけど、あきらめるからこそ、子どもは自分の人生を生きられると思うんです。ずっと母に縛られ、母の期待に応えようとしたり機嫌をとったり。そういう時間は自分が生きるために使うものであって、むしろ、親に絶望した子どものほうが自立も早く、家族から距離をとって自由に生きられるのではないでしょうか。仲が良い家族は素敵なものですが、わたしは親元を離れ、苦労しながらでも家庭を築くことが一番だという考えです。
ですから、子どもさんのあきらめは、わたしならポジティブに捉えます。

 子どものあきらめをポジティブに,というのは私も同感です。
 あと,もうひとつ子どもを見ていて思うことは,そういうあきらめをできるのは,そうではないところで,私にはまだできないつながりを,パートナーとの間でちゃんと持てているからなんだろうと思うんです。だからそれとのバランスで「あきらめ」ることができている。「あきらめる」ことが「断ち切る」ことを意味しなくなってるんじゃないでしょうか。

 そのあたりはもしかすると運命的に最初からつながっている親子と,あとからくっついた夫婦の違いかもしれませんね。なんかそう考えるとちょっとわかりやすいところがあります。

ご挨拶遅れました。
あけましておめでとうございます。
昨年はこちらで貴重な情報交換をさせていただいて、考え方がかなり変わってきました。本当に感謝しています。

前にパンダさんとのやりとりでもありましたが、この記事に書かれていることが、目下パンダさんの一番の疑問で、それを手掛かりに、パートナーさんとの関係の謎を解いていかれたいのだなと感じます。

参考になるかはわかりませんが、私も毒親に育てられたクチで、しかも身体的虐待でもネグレクトでもなかったので、最近までそれは普通のことなのだと思っていました。しかし、ある心理士さんのお話で、それも明らかに虐待に含まれることがわかり、自分の生き辛さは私のせいではなかったと思えたのです。
ずいぶん前からACは自覚していたにも関わらず、改善できなかったものが、一気に晴れ渡ったようでした。
その変化のきっかけは、親を切り離してみることでした。これまで親に与えられた傷を、親を恨むことで回復させようとか、逆に親も大変だったと同情してみようとか、いろんなことをやればやるほど苦しくなって、それが出来ない自分を責めました。しかし、親を親族という関係を切り離してただの人間として割り切ることで、いろいろなことが見え、同時に自分はたまたま不利な環境にいただけで、本質は何も悪くはないのだと思えたのです。
パンダさんは無意識に自分を守るためにお母様の性格や生き方を切り離そうとされているのではないでしょうか。そして、それはとても、有意義なことなのではないでしょうか。

そうだとしたら、パートナーさんとの関係とは全く別問題じゃないかと思うのです。
アスペ=定型の間に生まれる確執と、虐待とは、まったく違うものですから。
もちろんアスペ=定型の確執が親子間では虐待になりうることも十分にあるのですが。

私がアスペ=定型の間での歩み寄りで、最近大事だなと感じているのは、相手と方向を合わせないということです。
話し合って、あるいは感情を、ぶつけ合っても、同じ方向を向くことはなく、大事なのは、相手はそういう捉え方をするのだと知ること。
そして、また違う方向に向かって歩き出したときにぶつかりそうになったら、「そういえば、相手はこれは嫌だと言っていたよな」と思い出して、ちょっと避けてみる。
そんな関係性を築くのがベストかなと感じています。
お子さんの言う、お母さんは変わらない、というのは、別にそれでもいいし、それがお母さんらしさなんじゃないの?
という素直な気持ちのように思えます。

また、長文失礼しました!

今年もよろしくお願いします(^∇^)

晴子さんの言われていること、あすなろさんの言われていること、パンダさんの言われていること、それぞれ、そうだよなあ思います。

私が感じるのは
パンダさんは心の奥底では、一般的にASはこういうものなのかな・・とわかっていても、奥様のASに対しては、どこかパンダさんの希望がいつか叶う・・とあきらめきれず 逆に奥様にパンダさんの思い(希望)をいつか理解してもらいたい?という思いもあるのでは? と思えたりします。 

心配に感じるのは、パンダさんは(特に共感?)に対して強い執着の様なものを感じたりすることです・・。  お子様たちはお母さんはこういう人だから・・・・と割り切っている。

割り切るという言葉にはちょっとマイナス的要素も感じますが、そうではなくて「割り切る」=「本来のお母さんの姿を認めている」のだと思います。・・・
だから私も晴子さん同様、お子様たちの割り切りはとてもポジティブに感じます。軽やかと言いますか・・
やはり親子なので、本来のお母様のアスペ的なところがあっても、切っても切れない親子の縁がありますから安心感もあるのでしょう。

パンダさんは理解しようと努力しながらもやはりどこか認められない?のかなあ・・・と思います。 どこまでも奥深く奥深く分析していく姿に、とても感銘や優しさを感じます。
でも ある意味、重いものを感じてしまったりもして・・・・ すみません・・・・何かこう、違和感を覚えます。 そしてパンダさんも言われる通り、夫婦は所詮は他人ですから、アスペのつれない態度にどこまでも不安を覚えて、不安定さがあるのでしょう。

どこまでも分析して何か答えが出るとよいのですが・・ 

私が感じるアスペと定型のズレとは、例えば川のように、ある一定の距離があり・・それはあるときは橋があるところではl気持ちが歩み寄れても、また橋がなくなるとそのほとんどが距離を保ったまま平行線・・・というイメージです。 橋の存在があるから 時に期待をしたり、希望も持つけれど・・でもやはりその距離は埋められない・・・・
お互い右側川岸と左側川岸で同じ速さで同じ方向に歩んでいても、川がある限り・・歩み寄れない・・
無理やり歩み寄ろうとするならば、どちらかが川に流されてしまいそうになったり、おぼれそうになる・・だからお互いの安全のために、永遠にその距離を持ちつつ進むしかない・・

アスペと定型の関係ってこんな感じになんだか思えてます。
そこを納得するしかないのかなって・・・。

パンダさん

いろいろな要素があると思いますが,奥様がそれだけ素敵な方だからというのは 大きいでしょうねぇ
今まで読んできて 私も魅力的な方だと思ってきました。

でも、奥様ご自身が認めていらっしゃるようにー ご自分から気がつかれた というところがまたすごいところだと思いますがーアスペと定型の問題はあり続けるわけですよね。

パンダさん

それから どんなに努力しても できないこともある ということをポジティブに捉える人たち,若い世代に少なくないですよね。(高度成長期に仕事をしてきた世代との違い、 時代背景が関係しているのかもしれませんが)
できないことより,できることを なるたけ楽しく,と切り替えていくというのでしょうか。

パンダさん

こうして書いてみると 私は 夫婦だから,親子だからってあんまり思わないみたいです。
身内のことでつらい時は,友達だったら付き合っているタイプかな とか 世代の違いかな 考えることで割り切れてラクになっています。
元々は そうではなかったんですけど,年々そうなってきているんですよね。必要にせまられてでしょうか。

でも 不思議と そこまで腹をくくると,案外 夫婦だなぁ 親子だなぁと思える いい時に出会えるように思います。
一筋縄ではいかない関係って そういうところがあるのかもしれないですね。

あすなろさん

>親を親族という関係を切り離してただの人間として割り切ることで、いろいろなことが見え、同時に自分はたまたま不利な環境にいただけで、本質は何も悪くはないのだと思えたのです。

 なるほど……。
 私の場合は,自分の困った部分は,この親から生まれてこの環境で育ってくれば,まあ仕方ないかなあという,ある種のあきらめと,その自分がよくも悪くも,その自分を引き受けていくしかないんだろうなあという,ある種の「覚悟」みたいな感じを抱いています。
 あすなろさんの場合と微妙に似ているような違いもあるような,なんなのかよく分りませんが。私の場合は自分へのあきらめが強いのかな。
 
>パンダさんは無意識に自分を守るためにお母様の性格や生き方を切り離そうとされているのではないでしょうか。そして、それはとても、有意義なことなのではないでしょうか。

 自分でも驚くんですが,いい年をして,やっぱり母親からの刷り込みは恐ろしいほどに深く自分の中にしみ込んでいることに気づかされます。それはもう骨の髄までしみ込んでしまっているので,私の感覚ではもはや切り離しようがないんです。

 ただし,自分が持って生まれてきたベースの部分は明らかに母親と違うという確信はあって,その自分のベースの感覚については,無理やり母親基準にあわせられてきたことをやめたほうがいいというふうには確信できるようにはなりました。

 たとえ話で言えば,最初に日本語(母親のやり方)を身に着けちゃって,その「母語」を使ってしか自分の考えをあらわせなくなってしまったんだけど,でも表したい内容はあきらかに母親の語る内容とは異質だということに気づいたということでしょうか。

>そうだとしたら、パートナーさんとの関係とは全く別問題じゃないかと思うのです。

 たしかに別だとも思いますし,同時になんとなく裏表でバランスをとっているところもありそうな気がしています。

>お子さんの言う、お母さんは変わらない、というのは、別にそれでもいいし、それがお母さんらしさなんじゃないの?という素直な気持ちのように思えます。

 この彼女らしさをそのままに受け入れる,ということが大事なんだということは頭では理解しつつ,いざ具体的な生活の中でそれをどう実現できるかというと,ほんとにむつかしいです。

 まあ,受け入れるも何も,そもそもそういうもので,それ以外ではないのだとすれば,そのことを「理解する」だけのことなのかもしれませんが……


B-Bさん

>私が感じるのはパンダさんは心の奥底では、一般的にASはこういうものなのかな・・とわかっていても、奥様のASに対しては、どこかパンダさんの希望がいつか叶う・・とあきらめきれず 逆に奥様にパンダさんの思い(希望)をいつか理解してもらいたい?という思いもあるのでは? と思えたりします。 

 パートナーにいつか理解してもらいたいという私の「欲望」はほんとに根深いような気がします。ただ,一般的にASはこういうものだけど,パートナーには,という感覚は(少なくとも自覚できる範囲では)なくて,一般に定型アスぺ関係ではそういう「欲望」が成り立つ関係が可能なんじゃないか,というこだわり方ですけど。

>心配に感じるのは、パンダさんは(特に共感?)に対して強い執着の様なものを感じたりすることです・・。

 そうですね。このあたり,私のそれこそ「煩悩」の部分なのかなと思ったりします。なんだか根深い問題のような気がしています。

>割り切るという言葉にはちょっとマイナス的要素も感じますが、そうではなくて「割り切る」=「本来のお母さんの姿を認めている」のだと思います。・・・

 ここはほんとに大事なポイントだろうという「理解」はあります。ただし「頭」での理解のレベルにあって,「体で分かる」感じにはまだしばらくかかりそうです。

>パンダさんは理解しようと努力しながらもやはりどこか認められない?のかなあ・・・と思います。 どこまでも奥深く奥深く分析していく姿に、とても感銘や優しさを感じます。でも ある意味、重いものを感じてしまったりもして・・・・ すみません・・・・何かこう、違和感を覚えます。

 ここはなんとなくわかる気もします。多分パートナーもそういう重さとか,しんどさを感じている部分があるんじゃないかとも思うんです。そこはなんとかならないかと思いつつ,他方で自分なりの納得をしたいという強い欲望(煩悩?)が業のように自分を支配しているようなんですね。今のところはそれは私の「自分らしさ」に関わる問題なので,簡単に解決できない問題として残ってしまっています。

>どこまでも分析して何か答えが出るとよいのですが・・

 まあ,これは「予感」の問題ですので,「当たるも八卦当たらぬも八卦」ですよね (^ ^;)ゞ

 ただ,なんか私にはここにかなり大きな重要な問題が隠れているという感覚がなくならない,というのは正直なところです。ま,私の誇大妄想にすぎません (笑) 

>私が感じるアスペと定型のズレとは、例えば川のように、ある一定の距離があり・・それはあるときは橋があるところではl気持ちが歩み寄れても、また橋がなくなるとそのほとんどが距離を保ったまま平行線・・・というイメージです。 橋の存在があるから 時に期待をしたり、希望も持つけれど・・でもやはりその距離は埋められない・・・・お互い右側川岸と左側川岸で同じ速さで同じ方向に歩んでいても、川がある限り・・歩み寄れない・・
無理やり歩み寄ろうとするならば、どちらかが川に流されてしまいそうになったり、おぼれそうになる・・だからお互いの安全のために、永遠にその距離を持ちつつ進むしかない・・

 このたとえ話はすごく印象的でした。

 例の「黒の舟歌」でしたっけ?「男と女の間には~」という歌。あれにも通じますよね。「どうせ渡れぬ川なれど,えんやこら今日も舟を出す」とかいうやつです。渡れないことを承知で舟を出すのか,両岸を歩調を合わせて歩いていくのか,いろんなスタイルがあるのかもしれません。みんなそれぞれ自分に一番しっくりくるスタイルを探すしかないのかも。


ココチさん

>今まで読んできて 私も魅力的な方だと思ってきました。

 ありがとうございます。自分のパートナーが褒められるのは嬉しいですね (^ ^;)ゞ

>できないことより,できることを なるたけ楽しく,と切り替えていくというのでしょうか。

 これ,子どもにも似たようなことを言われました。なんというか,人生の極意みたいな,そんな感じがします。私もそういうポジティヴさを持ちたいと思いながら,なかなかむつかしいというのが現状でしょうか。でも,そういうの私は理想です。

>身内のことでつらい時は,友達だったら付き合っているタイプかな とか 世代の違いかな 考えることで割り切れてラクになっています。

 なるほど……。
 なんでしょう,ちょっと距離を置いて見直してみる,みたいな感じでしょうか。定型アスぺ問題の肝は,そういう距離感の問題に収束していくような気もしますし,また考えていきたいことです。

パンダさん

なんか夫婦の力関係だけみると、我が家と同じように感じます。
私は、パートナーさん側かな?

うちの場合、ADHDの私の行動を、夫がアスペ的感覚で矯正しようとするので、ますます腑に落ちないんですが、夫の感情としては、何で言っても直らないんだ?ってことばかりだとおもいます。

あくまで私の夫への主張ですが、
私はそれが夫の機嫌を損ねていることは十分分かっている。できるだけあなたの前では気をつけようと思っている。
けれど、職場でも定型的なやり方に合わせようと常に神経を使い、家のことも配慮しなくてはいけない重大事項がたくさんある。
それらに神経を使っていれば、あなたの前ではそれに気をつけようとしても無理が出て、つい、元のやり方に戻ってしまう。
そこばかりを見て指摘されても、私にはもう余力はありません。
命にかかわるようなことでなければ放っておいてください。
嫌なら見ないでください。

ってところですね。

夫には言うと大変なことになって、理解どころではないので、直接はいえませんが。
私も定型とのズレに悩む一人として、パートナーと少しは似た感情があるかな?と感じました。

失礼!

最後、ーパートナーさんとー でした。

パンダさん

(あすなろさん B-Bさんへのも含めて )パンダさんのお返事、私にはとてもわかりやすかったです!

言い落としましたけど、うちは結婚生活の前半 15年位自営業的な仕事をしてきましたので、濃い密度で 一緒に行動したり 話し合ったり 時にはぶつかったり さんざんやってきたと思います。
その上で こうなっています。


あすなろさん

女性の仕事は 目立たないことの集まりのようなものですものね。
今日中に 今週中に できることは限られている、という感覚 私にもわかります。
それに加え、近年は 一生のうちに 元気で動けるうちに できることは限られている、という感覚が出てきました。
それもあって、元来 気の長い私が 結構割り切って進んでいます。


あすなろさん

>私はそれが夫の機嫌を損ねていることは十分分かっている。できるだけあなたの前では気をつけようと思っている。けれど、職場でも定型的なやり方に合わせようと常に神経を使い、家のことも配慮しなくてはいけない重大事項がたくさんある。それらに神経を使っていれば、あなたの前ではそれに気をつけようとしても無理が出て、つい、元のやり方に戻ってしまう。そこばかりを見て指摘されても、私にはもう余力はありません。命にかかわるようなことでなければ放っておいてください。嫌なら見ないでください。

 これはダイレクトに気持ちに突き刺さってきました。
 たぶんパートナーも似た感じを持っているんじゃないかという気がします。
 もちろん,今は私は露骨に「指摘」し続けるようなことはもうありませんけれど,
 指摘したくなる気持ちがなくなっているわけではありませんから,
 きっと彼女への接し方にそういうものがにじみ出てしまうこともあるのではないかと
 そんな風に思います。

 相手にとっての精一杯をリアルに感じ取ることのむつかしさ,
 そして自分のそういう感性の鈍さを感じます。

 もちろん,定型アスぺのずれがそこをさらにむつかしくしているのだとは思いますが。

 私にとってはちょっと長期的に考え続けなければならないポイントのようです。


ココチさん

 わかりやすいと言っていただいて素朴にうれしいです。
 パートナーには常々わかりにくいと言われていますし,
 どうやったらより多くの方に通じやすくなるのか,悩みどころです。
 なんか,理解したい欲望と理解されたい欲望が強いんでしょうね。

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