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アスペルガーと定型を共に生きる

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2015年1月23日 (金)

共感的理解が可能だということ

 

ゆかさんから「私のようなアスペルガーの女性の苦しい気持ちを代弁していただいたような気持ちになっています。」というコメントを頂きました。

 私にとってはこれは最もありがたい感想です。こういう言葉を戴きたくて,ずっとこのブログで考えてきたとも言えます。

「アスぺの方を理解する」と言っても,いろんな理解の仕方があります。たとえば定型との違いを並べ立てる。違いに関係するかもしれない脳の性質を調べる。脳にも関係するかもしれない体のいろんな機能の違いを調べる。認知的な仕組みの違いを調べる。などなど。

 私はちょっと違う視点から問題を考え続けてきました。それは,定型的な言葉で言えば「共感的に理解する」ということです。もちろん,もしもアスぺの方が全く「共感」というようなことがない方たちで,そういう方たちのことを「共感的に理解する」というのは最初から不可能なことなのだ,と言われてしまうと,「まあそれはそうかもしれないけど…」と言わざるを得ません。私が私の「共感的な理解」を押し付けたところで,そんなのは定型的な自己中心的やりかたにすぎないことになります。

 だから,私は「アスぺの方は,もしかするとこんな風に感じているのかも」と,自分の想像力を発揮して「共感的に」理解してみても,いつも「そうかもしれないけど,そうじゃないかもしれない」としか言えませんでした。私のその「共感的な」アスぺ理解が的外れでないかどうかを決められるのは,アスぺの方だけだからです。

 そんなふうに,私は自分のアスぺ理解が「正しい」かどうかは,自分がその考え方で納得するかどうかでは判断しません。あくまで自分の説明に,アスぺの方が「うん,そうだね」と言われたときに,初めて「ああ,こういう理解で大体いいのかもしれない」と思えるんです。

 そして今回,「気持ちを代弁して」もらえたとまで言っていただくことができました。特に,ゆかさんがこれまでずっと苦しんでこられた,そのとても大事な部分でそういっていただけことになります。

 もちろん,アスぺの方にもいろいろありますから,どこまでの範囲の方たちに同じように感じていただけるのかは全くわかりません。でも,少なくとも一部の方には,そう感じていただけるのだとわかったことは,私にとっては本当に大きなことです。

 定型アスぺの間で共感的に理解をしていくことは,少なくとも何かの条件があれば,決して不可能なことではない。それは単に私の勝手な思い込みや単なる幻想ではなく,現実に起こりうることなのだと,今はある程度安心して言うことが出来そうです。

 このところ,定型アスぺ問題を考えるということについて,ようやく入り口にたどり着き始めたと感じていたところですが,今は入り口を入ったと感じられるようになりました。やっと準備段階の模索が一区切りついて,これからが本番になるのだと思います。

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コメント

まさか記事にしていただけるとは!
つい家族がいるリビングで泣きそうになってしまいました!

アスペルガーとはいえ私が感情でものを考える「女性」だということもあるのかもしれませんが、実際に鬱になっているアスペルガーさんが多いのも同じ理由かもしれません。
これで明日から少しトラウマのフラッシュバックが減るかもしれないと思い、私こそ感謝の気持ちでいっぱいです!

これからもブログ拝見させてください!

ゆかさん

 なかなか厳しい,悲劇的な関係が多い中で,
 こんなふうに定型アスぺ間でやりとりができるっていいですね。
 これからもお互いに工夫を積み重ねながら,
 いいやりとりができるといいなと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

 

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