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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年12月 5日 (金)

布団の上げ方

 今朝は久しぶりに布団のたたみ方についてパートナーに文句を言われました(笑)。

 前からときどき言われていたことではあるんですが,もう諦められたのか,しばらく何も言わなくなっていたんですが,復活です。要するに彼女の目から見て「だらしない」ので,気持ちが悪いらしんです。私は合理的なやりかただと思うんですが(笑)。

 それでなんか可笑しくなって,「面白いよね。アスぺの人って,あなたはあなた,私は私ってすごく分けるじゃない。だけど,こういうことって,あなたのことだから,にならないんだね。」と言ったのですが,そうしたら「他人だったら言わないわよ。他人じゃないから言うんでしょう。」と言われ,しばらくして「アスぺだからどうだとか,決めつけないでよ。」と怒られました。

 ということで,怒られる,という形で「あなたは私の身内」ということをまた伝えられたことになります。昨日とかも書いたことですけど,やっぱりストレートに本音を言えるのが,自分にとっては特別な人なんですよね。彼女の場合も。

 もちろん定型にとってだって,他の人には言えないことを素直に言える人は大事な特別の人です。そこのところは一緒なんですよね。でも,そこにもなんか定型的な「気遣い」がある。アスぺの方もそこに気遣いがあるんだと思うけれども,でもやっぱり気遣い方がお互いにずれてしまうわけです。それがなんなのかはまだちょっと言葉にならないんですが。

 ということで,定型アスぺ間で,次のようなことはそこに含まれる深刻な「ズレ」になんとか対処できれば,とりあえず「共通の足場」として考えてみる可能性があるかもと思います。

 ひとつはお互いに「相手を大切に思う気持ち」は持っていること。もちろん定型の中でもそういう気持ちがほとんど感じられない人も,とても篤く感じられる人もあるように,アスぺの方にもそういう個人差があるでしょうけれど,それぞれの人なりにそういう気持ちはあるように私は感じます。

 そしてもうひとつは「大事な人との間には本当の気持ちで接したい」という感覚。定型の方はここに「共感的な関係」とか「思いやりの関係」みたいなことがくっついてきて,そこで問題がズレてややこしく,すごくむつかしくなるような気がします。

 この「相手を大切に思う気持ち」も,「大事な人との間には本当の気持ちで接したい」という感覚も,定型の側から見れば,多分アスぺの方から拒まれ続けているように感じる大きなポイントではないかと思います。だからアスぺの方はそういう人間的な思いが足りないか,欠如したひとに感じられてしまう。けれども,ちょうどその裏返しのことを,アスぺの方が定型に感じている可能性があると思えるわけです。

 ということは,「大切」とか「本当の気持ち」とか,そういうことを大事にする感覚自体は共有されていることになります。ただ何が相手を大事にすることなのか,本当の気持ちで接することと「共感」との関係をどう思っているのかという点で,恐らく定型アスぺ間には悲劇的とも言えるようなズレがあって,お互いに相手にその気持ちを感じ取れず,ひどく傷つけあう関係になってしまうことが多い。

 とりあえず,今の段階では私の中でそんな整理ができつつあります。

 「いくら理屈をこねたって,傷つく気持ちはどうしようもない」というのもリアルな感覚でしょうし,自分がずたずたに傷ついて倒れそうな状態の時に,「相手のことをもっと考えなければ」というのもおかしなことになると思います。自分だけが一方的に問題をなんとかしようと努力していて,相手がまったく意に介していないように感じられる状況なら,それ以上一方的な自己犠牲を払うこともすべきではないように思います。

 それらのことについてはまた別にいろいろ考えたり,具体的な支え合いが必要になると思いますが,その上で,改めてもし関係修復を目指そうという気持ちになった場合には,たとえば上の二つくらいは足場の手掛かりになるのではないでしょうか。

 で,布団の話なんですが,その後「気持ちが悪い」ということについてちょっとやりとりがあって,それから彼女の方からひとつの提案がありました。

 提案というのは実は布団のことではなくて,その前に私の方から,今後の生活設計など,ちょっと直面しているいろんな問題について,また話をしていきたいんだけど,いつがいいだろうかと聞いてみたことについてです。

 まず彼女はおよそどんな話なのかを聞いてきました。それから,自分は意見を求められてその場で答えるのはむつかしくて,ある程度時間をかけて考えないといけないから,具体的な問題を書いて渡してくれないかと言われたのです。

 ああ,それっていい方法なんじゃないかなと思いました。彼女にとって(特に重要な問題であるほど),その場のやりとりで一緒に考えていくという状態はものすごいプレッシャーになるようです。定型的な感覚で相手が求めていること,関係するいろんなことを,理解するのがほんとに大変で時間もかかるのに,その場で応答しなければならないという状況は,ほとんどパニックを起こすようなものなのでしょう。

 提案の中身も私なりに納得できるものでよかったですし,なにより,そんな風に彼女の方から具体的に提案をもらえるのが嬉しいです。

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コメント

質問です。

パンダさんの奥さまは これまでも奥さまなりの 表現で 家族には、本当の自分を表せる事が大切、一緒にいるということが大切、と伝えてらっしゃるとのことでした。
私からしたらそれだけで、そこを納得して
そこを自分たちの関係の根本として、土台がしっかりしていきそうにも感じてならないのですが、(私たちの場合、話し合いにもなりませんでしたから…)
また、 このブログでも 幾度となく アスペの方から奥さまと同じ意見があがっているようですよね。

しかし 今回の布団あげにしても、先々のことの議題を早めに教えてほしいと提案されたこと、 同じような体験をしていても、何度となく 同じ発見で確信を強めていく…? … この繰り返しを なぜだろうと思えます。
いえ、わかるのです。
ことあるたびに 自分も振り回されていましたから。結果 離婚してしまいましたが、 、 、
パンダさんは 奥さまが自己を振り返り 必死であるとわかっていても、やはり何かしら そのしっくりこない感とか 不安?物足りなさは 続いているのでしょうか?
とても信頼しあえてるご夫婦のように ブログでは感じたりもしていますが、そして奥さまに対しても そういうことか!という感じは多くあるようですが、やはりそれでも まだまだ 何かしらパンダさんのなかでは 埋まらない何かが ずっと沸々とおありでしょうか? パンダさんは、奥さまがすべて変わることをゴールとして、分析などされているのでしょうか?
それとも こういうパターンのときは こうとらえていけばいい という指針のようなものを探ってらっしゃるのでしょうか?

アスペと定型の問題は ある一定の距離があり ズレに対しても、こういうもの!という割りきりがないと そこを分析しても 混乱しませんか?

寄り添い、すべてをよい方向にとらえていく作業に 説明しがたいですが 何か ちがうというような 自分でもわかりませんが そのようなものを感じたりします。

これは わかりあえるには無理だろうというところを どうにかわかりあえる法則を探してらっしゃるのでしょうか?

どんぐりさん

 当たり前ですけど,あくまで私個人の模索で,「これでうまくいく」という保証は何もないし,「頑張ったけどやっぱり無理だよね」という話になるのかもしれないし,それは全然わかんないです。もちろん「みんながこうすべきだ」みたいなことは考えもしません。(もしそういう表現になってしまっているところがあれば,すみません。直します)

 ただ,どういう展開になるにしても,私がこんな風に考えてこんな風にやっていったら,こんな変化があって,こうなった,ということについては,皆さんにもひとつの例として参考になることがあるかもしれないし,私も幸い皆さんからいろんなコメントを戴いたり,皆さんのやりとりを拝見していて,次々に新たな気づきとか,発見をさせていただいているので,ほんとに感謝,というブログです。

 ということを一応前提にさせていただいた上で……

>ことあるたびに 自分も振り回されていましたから。結果 離婚してしまいましたが、 、 、 パンダさんは 奥さまが自己を振り返り 必死であるとわかっていても、やはり何かしら そのしっくりこない感とか 不安?物足りなさは 続いているのでしょうか?

 定型同士のカップルでも,年月を経ればいろんな問題が出て来るでしょうし,しっくりこない感が残り続けるのは普通かも,という気がします。ただ,定型アスぺ問題では,その「しっくりこない感」が定型間で起こるものとはやっぱりレベルが違うので,それがなくなってしまう状態というのは,私にはなかなか想像できないです。

 まあ,言ってしまえば「生きる」ってどこまでいっても「しっくりこない感」をその都度抱えながら「どうしたもんかなあ」と悩んだり,愚痴ったり,ちょっと前進したと感じては嬉しくなったり,まただめになったと思っては落ち込んだりとか,そんなことの繰り返しなのかなという気がします。
 
 たとえて言えば,「おなかがすいた」と思ってご飯を食べて「おいしかった!おなか一杯!」と思ったって,また時間がたてばおなかがすきますよね。で,また食べなきゃいけなくなる。延々とそういうことの繰り返しで,それができなくなったら人生が終わります。

 そうやって苦しい思い(おなかがすいた)や喜び(おいしかった!)や怒り・悲しみ(まずかった!),後悔(こんなの注文しなきゃよかった!),誇りや自己満足(うまく料理で来た!)なんかを繰り返していくわけですけど,それでなにか変るのかと言えば,まあ「最近ちょっと太っちゃった」とかはあるかもしれませんけど,よほど栄養に問題があるのでなければ特に変わったこともない日常の食事が続いて,その先に何が待っているかと言えば,「死んじゃった」になるわけです。だれでもここは変わらない。

 そういうたとえに絡めて言えば,私がここで考えながら書いていることは,料理についてのブログとおなじですね。今日はこんな風に工夫してやってみたらちょっとうまくいって嬉しかった。今日はこんな風に失敗しちゃった。もっとほかの工夫もあるかな。……とか考えていって,まあ,ただ料理の腕はちょっとずつでも上がっていくわけです。で,どこまで行っても「これで完成」という料理はない。永遠の修行です。

 で,私の場合は「料理の修行」を自分の人生をかけるに足る大事なものと感じたとしても,他の方はそこで苦労するならもっと別なことに苦労したい,と思われることもありますし,そのへんはいろんな成り行きとか,性格とか,趣味とか,そういうことで違うのかなと思います。

> パンダさんは、奥さまがすべて変わることをゴールとして、分析などされているのでしょうか?

 私自身はそういう考え方は一度も持ったことがありません。「一緒に変る」ということは考えていますが,どこかにゴールがあるとも思わなくて,人生はいつでも「過程」だという感覚があります。分析は,私の趣味です (笑) ま,困難に出会ったときの身に着いた生き方と言ってもいいですけど。

>アスペと定型の問題は ある一定の距離があり ズレに対しても、こういうもの!という割りきりがないと そこを分析しても 混乱しませんか?

 ズレがあることは分るんですが,「こういうもの!」という割り切りはできないんですね。もちろん「私の目から見てこう見える」というのはあるんだけど,そこはアスぺの方から見れば全然ちがうんだろうなということも分かるので,それだと私は自分の見方に納得できないんです。割り切れない。

 唯一,「私にはこう見えたんだけど,アスぺの方から見てもそうなのかな」ということを書いてみて,アスぺの方から見ても「それはそんな感じだよ」と言われたときに,その点については「こういうものなんだ」とある意味安心できます。幸いこのブログでもそういうことがなんどかありました。

 たぶん,まったく理解し合えずに傷つき合い続けてきた両親を見ていて,「自分の見方だけでつっぱしる」ことがどんな悲劇を生むか,ということを思い知らされてきたという個人的な体験が,強烈にきいているのだと思います。

>寄り添い、すべてをよい方向にとらえていく作業に 説明しがたいですが 何か ちがうというような 自分でもわかりませんが そのようなものを感じたりします。

 ここは性格とかの違いも関係するでしょうけれど,そのほかにひとつ,どんぐりさんと私で抱えている課題が違う,ということが関係しそうな気がします。

 「割り切れない」感覚をもって,うじうじとこだわり続けている点ではどんぐりさんと私は同じなのかなと思うのですが,どんぐりさんはすでに関係を終わらせるというひとつの結論を出されていて,その結論について,改めて納得してご自分の幸せを見つめたいという課題を抱えられているように感じます。

 私の方はたまたま関係を持続させる,という課題を抱えていて,その中でちょっとでも幸せになれればと思っていますから,どうしても向き合ってプラスのポイントを模索することが中心になります。

 そこはいろんな経緯の中で,それぞれの人の生き方の中で,個性的な「課題」が生まれてくるわけですから,その違いの問題のように感じます。別にどっちがいいとか悪いとかいうことではなくて。

>これは わかりあえるには無理だろうというところを どうにかわかりあえる法則を探してらっしゃるのでしょうか?

 言葉の遊びみたいですけど,「分らないことが分かった」というのは「わかった」ことのひとつなんだろうなと,そんな感覚を持っています。分らないならわからないで,どうして分らないのかを自分なりに納得したいし,その過程でわかることがふえていけばそれはいいと思うし,分らないことが分かれば,そこで自分の見方や姿勢を切り替えてまた別のわかり合い方を考えたらいいし……

 そんな感じでしょうか。

 

パンダさん

詳しく教えていただきありがとうございます。

そうですね
ひとつ大きな違いがあるのは パンダさんは関係が続いていて 私は終わっているところですね。

終わっても やはり いい形としてプラスにとらえたい気持ちもあります。それがあるから いまでもあれこれどうにかならなかったのか… アスペルガーって何だ? と こだわるのかもしれませんね。

憎んで別れたわけではないのですが どこか許せない気持ちもあるし 特性を引き継いだ子供がいるので やはり 何かしら 私も探っていくのでしょうね。
別れても 思う気持ちもあるのです。元夫を。

何だか複雑で説明しがたいです…。自分でも、まだ渦の中から抜け出せなくて、抜け出せるのかもわかりません。

パンダさん同様、私にも アスペルガーを 深く理解したいという気持ちと、割りきらないとやってられないでしょうという思いと、
なんだか いってることが矛盾だらけだなって思いつつ、 素朴に疑問に思ったことを質問させてもらいました。

丁寧に心をもって答えていただきありがとうございました。


 いつもパンダさんの例え話には感動させられます。 たしかにいっぱい食べても、またお腹はへりますよね。 その繰り返し…だけどまったく同じ食卓はないんです。

 夫婦間が冷えきっていた頃、息子に「なぜ離婚しないのか?」と問われました。
 「人生はいつも思い通りになるわけではない。結婚生活は最後まで修行だと考えているから。」と答えました。 まだアスペルガーという言葉を知らない時でした。
 私はあきらめが悪くて、意地っ張りなだけで結婚生活を続けてきただけなのです。
 ある日友人の話からカサンドラ症候群のことを知り、このサイトにたどり着き、1ヶ月かけて過去ログをすべて読み込んで目の前に光りを見つけたのです。
 知らなければ来年の末子の中学校卒業時に離婚届を置いて家を出る計画でした。
 どんぐりさんの心中、とても他人事と思えず、思わず胸が痛みました。 苦しまれたことでしょうね。 でもお子様と新しい生活を始められた勇気に、心からのエールを送らせてください。

 私はあきらめの悪さを発揮して、もう一度始めから主人を分析することにしました。  本人にASのことは一切話しません。 明らかに特徴的な言動もあれば、経験上や仕事によって培われた定形風の振る舞いもあります。
 以前は理由のわからないまま混乱していたことが、パズルのピースがはまるように見えてくる…。 カチンとすることが皆無ではありませんが、眼鏡を新しくした時の様に生活しやすくなりました。

 あくまで我が家に限った話ですが、私自身が価値観をひっくり返すことで再構築の方向に進んだのだと感じます。
 それはこちらで沢山の方が本音で語り合ってくださっていてくれたおかげです。
 最近では、私の方が主人より極端な意見や提案を出すので、家族がアタフタし始めました。 そしてその様子を楽しむゆとりも生まれました。

 ≪他人を変えることはできない。 変えることができるのは自分自身だけだ。≫
という言葉を実感している今日この頃です。

 今現在、定形AS問題が価値観の話だけではなく、現実生活や子育てで苦しんでいる方々にとっては簡単に言ってほしくないと思われるかもしれません。
 お気を悪くされた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。

 いつまた主人にスイッチが入って言い争いが始まるか、心配がないと言ったら嘘になります。 でも、今度は堂々巡りではないと思いたいのです。
 こんな家族もあると片隅にでもお知りおきいただければ嬉しく思います。

パンダさんと私の抱えているもの、似ていると思われる部分が見えた気がします。

物事の捉え方、分析したくなる性分、似ていますよね。私も、親友に「そんなに分析ばっかりしたって、解決にはならないでしょ!?」と言われたことがありす。その通りなんだけど、「知りたい。相手を理解したい。諦めたくない。」という想いが先立ってしまう。

私の場合、主人と出会わなかったら、そんな自分の本当の性分に気付かなかったかも知れません。周囲にも恵まれ、欲もなく、自分に出来ることを出来るようにやって、のほほんと生きてきちゃいましたから。ある意味、修行を強いられている?主人に感謝しているのです。視野が広がりましたから。

彼からしたら、平和ボケ?していた私に「安心して依存できる相手」という存在価値?を見出し、
私からしたら、生育環境で苦労している彼に「私が何とかして救ってあげたい」という使命感を見出してしまったんですね。

でも、そこに定型アスペ問題があったがために、お互いが相手のことを理解し難く、相手を想えば想うほど、お互いが苦しくなって堂々巡りになってしまった。お互いがお互いの考え方のまま向き合えば向き合うほど、八方塞がりでした。

お互い、辛い、苦しいという思いは同じでした。相手を憎むだけでは終われない。

私がカサンドラの時には、彼に非があると思うばかりに、私の思いをストレートにぶつけて彼を認めることができなかった。

アスペのことを知識として理解してなお、お互いが一緒に改善するべきでしょっと思うばかりに、やっぱり彼に思いをぶつけまくってました。彼には、「そんなに俺を攻めたいの?」と言われる始末。そんなつもりは全くなかったのに・・・。

でも、パンダさんのブログ、掲示板でアスペ当事者の方の考え方だったり、捉え方だったりを具体的に知ることができ、私との違いをはっきりと理解することができた時、彼に求めても無理ならば、気づき、考え方を変えることが出来る私の方が、理解を示し、自分を大事にしながら歩み寄ることができるかもと思えるようになりました。

この心境の変化ってすごいことだな・・・と自分でも思います。

人間って、いろんな可能性を秘めているものなんですよね。

そして、最近気づいたことですが、「共感」で終わればいい事でも、「同調」しすぎて自分まで苦しくなってしまう傾向があったな・・・と振り返れます。

彼の生育環境に同調しすぎて、「もし自分がその環境にいたら・・・」と自分のことのように捉えすぎていたのかも。彼の辛さを私が引き受けようとしても無理なことなんですよね。この事は、自分自身がカウンセリングを受けてみて気づいたことです。

この「同調」という現象が、定型アスペ問題の苦しみから抜け出せない原因のひとつかもしれませんね。「割り切る」っていうことは、「共感はすれども同調はしない」ということなのかもしれません。少なくとも、私はそうすることで、更に楽になりましたよ。

どんぐりさん

>何だか複雑で説明しがたいです…。自分でも、まだ渦の中から抜け出せなくて、抜け出せるのかもわかりません。

 ここが一番重要なことのような気がしました。みんな多かれ少なかれそういう矛盾を抱え込みながら,なんとかかんとかその時々でバランスをとろうともがいているような気がしますし,だからAと言われれば,「それはそうなんだけど,でもBはどうするの?」と言いたくなり,逆に Bと言われれば「じゃあAはどうなるわけ?」と感じてしまう。

 もしかするとそのへんの感じ方に定型アスぺで少し違いがある可能性はあるのかもしれませんけど,少なくとも定型はそういう矛盾を抱えながら,あっちに振れ,こっちに振れながら進んでいくような気がします。


杜若さん

 私のたとえ話を気に入ってくださってありがとうございます。できるだけ自分の気持ちの中で無理なく収まる形で,分りやすく説明するとどうなるんだろう,と思いながら書くんですが,それを面白がっていただけるのはとても嬉しいです。

 その点について私がもう一つ気にしているのは,そういう私にとってわかりやすい例えは,はたしてアスペの方にはどの程度通用するかということです。アスぺの方には婉曲な言い方やたとえ話はよくなく,直接的な言い方がいい,ということはしばしば言われると思いますし,ある程度そういうこともあるように感じはするのですが,ただすべてがそうなのかどうか。もしかすると「定型アスぺで通用するたとえ話」もあるんじゃないかとか,そんなことを考えています。

 あと,杜若さんの「離婚か否か」の岐路で,このブログが杜若さんにお役に立つことがあったということで,とてもありがたく思いました。私は自分自身のこだわりで,うじうじと考え,書いているだけなんですが(アスぺ父を持つ娘さんの言う「私事」そのものです(笑)),それでもそういう場でいろんな方の思いが交錯し,またそこから何かが生まれて来るなら,願ってもないことです。

 記事を全部読んでくださったというのもびっくりの感謝です。もう記事数は560位になるみたいですし,コメントは4000を超えています。私自身,ちょっと恥ずかしい気持ちもありますし,過去に書いたものを全部見るのはむつかしそうです (^ ^;)ゞ 

 ということで,全体として,ありがとうございます m(_ _)m

 
コクーンさん

>ある意味、修行を強いられている?主人に感謝しているのです。視野が広がりましたから。

 次の例えは定型自己中的でちょっと微妙ですけど,昔の哲学者が言ったという言葉をどっかで聞いたのを思い出しました。若者に結婚を進めて,こんなようなことを言ったんだそうです。「いい奥さんを持てば幸せになれる。そうでない奥さんを持てば哲学者になれる。だからどっちにしろ結婚はすべきだ」 (笑)

 私もパートナーと結婚しなければ,あの新婚当時の幸せは経験できませんでしたし,その後の大変な展開を経て,彼女との関係がなければ決して目を向けることが無かっただろうたくさんのことに,深く目を向け,自分を考え直し,生きなおすきっかけを与えてもらっている,という感じを今は持つようになってきています。そこもコクーンさんと似ていますね。

>「割り切る」っていうことは、「共感はすれども同調はしない」ということなのかもしれません。

 なんか,これも昔の異人,じゃない,偉人(笑)とされる人の言葉を思い出してしまいました。「小人は同じて和せず,大人は和して同ぜず」だったかな。なんかそんなやつです。孔子ですけど,同じ極意なのかなと。なんか大きく悩んだ人は,結局似たようなことを考えるようになるのかもしれないですね。

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