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2014年12月29日 (月)

日本的定型的間接的……

 掲示板の方で,アメリカから日本に来て(かな?)日本人のパートナーと暮らしていらっしゃるaspieさんから,日本での人間関係のやり方についてご質問がありました。

 aspieさんは定型アスぺのズレの問題と,文化間のズレの問題と,その両方を抱えていらっしゃることになりそうです。以前からこの二つのズレのことについては気になっていたことでもありますし,こちらで考えてみたいと思います。

 aspieさんは次のように書かれています。

>アメリカで習った心理学療法によると、対人関係の問題が起きたら、相手と直接に話し合った方がベストですが、日本では何をすればいいでしょうか?


 私の想像ですが,アメリカでは「相手と直接に話し合うのがベスト」と教わり,それである程度問題が解決されたけれど,日本ではそのやり方がうまくいかないようにaspieさんは感じられたのではないかと思います。

 私の個人的な印象ですが,日本人に多く見られる対人関係の問題解決法は「直接」を避け,「間接的に」を重視するように思います。たとえば,


問題が軽い場合

  相手に直接言葉で表現することを避け,かすかな表情や行動で
  自分が問題を感じていることを相手にあらわし,「相手が気づいて
  修正してくれるのを期待する」という間接的なやり方をする。

 このやり方は日本的な人間関係で特徴的なところかと思います。異文化の人が日本で苦労されるのが,このやり方ではないでしょうか。もちろんアスぺの方はとても苦労されるポイントだと思います。
それがうまくいかない場合

   相手に直接言うのを避け,自分の友達など,周囲の人に
   「愚痴をこぼす」という間接的な行動をとる。

 その意味は我慢できなくなった自分の怒りを周囲の人に話すことで,気分を落ち着かせ,また改めて相手に冷静に(穏やかに)対処できるように気持ちを整えることではないかと私は感じています。話す側は,この段階では周囲の人に話を聞いてもらえればそれでいいことも多く,その場合は周囲の人に積極的に動いてほしいとまでは期待していないと思います。ただ自分の気持ちを聞いてもらって,落ち着かせてもらえればいいのではないかと思います。
それでもうまくいかない場合

  相手との接触を避けるようになり,そうやって直接の衝突を
  回避しようとする。そして自分の怒りを周囲の人により強く話す。

 こういう展開が結構多いような気がします。この時は自分の気持ちを聞いてもらうだけでなく,周りの人が調整のために動いてくれることを期待していることが多いと感じます。つまり,この段階でも,自分が相手の人と直接話し合うことで解決しようとするのではなく,他の人たちを通して,間接的に問題を解決しようとすることが多い気がします。

 周囲の人たちも,トラブルを抱えた二人を直接話し合わせるようなことはあまりせず,会わせる場合はある程度調整が進んで,あとは本人同士が穏やかに関係の調整をできるようになってからの場合が多いと思います。

 そんなふうに,日本の人間関係では,できるだけたくさんクッションを入れて,直接ぶつかり合わないように工夫することが多いと思います。もちろん個人差があって,そういうやり方を好まず,直接相手に言う,ということを重視する人や場合もあると思いますが,日本では少数のように思います。 

 ですから,aspieさんがアメリカ的なやり方がうまくいかないようにもし感じられることがあったとしても,それは日本的な人間関係の調整の仕方からすると,当然のように思いました。


 それで,この日本的な「間接的」で「クッション」をたくさん作る人間関係は,定型の日本人でもややこしくて苦労しますし,定型の異文化の人はさらに苦労するし,そしてアスペの方の苦労は想像を絶するくらいだと思います。

 ただ,外国の人の場合(特に欧米系の方の場合),日本的な(または定型的な)対人関係とは違うやり方をされたときにも,「この人は外国人だから,日本的なやり方ができなくても仕方ない」という理由で,それほど問題にされない場合もあると思います。

 ですから,「日本では間接的なやり方が好まれる場合が多い」ということさえ念頭に置いて,そこであまり直接的なやり方を強く取ろうとしなければ,「どうやって間接的にやるか」ということについてはうまくいかなくても,日本人のアスぺの方より意外に周囲から受け入れやすいかもしれません。

 もしそういうことが本当にあるとすれば,ちょっと興味深いことでもあります。

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コメント

暗黙の〜というものが、日本には本当にたくさんありますよね。
そして、いかにそれをたくさん識っているかが、社会性の高さを象徴するという。ここまで共通意識が高く、それを重視するのは、狭い日本の特徴じゃないかと。アメリカなど、国土が広すぎて、全国民が共通理解できるものって限られているのではないかと思うのですが。どうなんでしょう?

ちなみに、直接聞くか聞かないかの問題もあれば、どういうふうに聞くかというのも問題になります。
同じ内容を聞いたつもりなのに、Aさんは波風は立たず、Bさんは相手の機嫌を損ねてしまう。言い方やタイミングも重視されますね。
掲示板で紹介したASDとADHDの違い一覧表からすると、ASDは会話の文脈が理解できていなかったり、状況が読めていなかったりという特性があり、ADHDは状況は読めていても、衝動性が抑えられず、余計なことを聞いてしまう、また、相手に配慮できない言葉を使ってしまうという特性があって、どちらも『空気が読めない』ことになるようで、なるほど!と思いました。
ましてや文化の違いがあれば、日本独特の複雑な空気なんて読めませんよね。
発達障害にしろ、異文化の方にしろ、情報量と経験が限られてしまうことが問題で、失敗したので次の場面ではこうしようと、地道に覚えていくしかないし、失敗したからといって、重大問題に発展することでなければよしと割り切るしかないような気がします。
逆に、直接指摘せずに空気読め、表情読めというほうが無理難題を押し付けているのかもしれません。

aspieです。ブログの記事も読ませて頂きました。


>つまり,この段階でも,自分が相手の人と直接話し合うことで解決しようとするのではなく,他の人たちを通して,間接的に問題を解決しようとすることが多い気がします。
……
そんなふうに,日本の人間関係では,できるだけたくさんクッションを入れて,直接ぶつかり合わないように工夫することが多いと思います。もちろん個人差はあって,そういうやり方を好まず,直接相手に言う,ということを重視する人や場合もあると思いますが,日本では少数のように思います。

上はとても勉強になりました。相手の気持ちを探った方がいいという風に注意された事がありましたが、その言葉の意味がうまく理解できなかったと思います。クッションを入れて相手の気持ちを探るのは、少し面倒に感じますができなくはないと思います。頑張ります。


>「この人は外国人だから,日本的なやり方ができなくても仕方ない」という理由で,それほど問題にされない場合もあると思います。

確かに僕は日本のアスペより周囲から受け入れられやすい気がします。外国の人(欧米人)はまるで注意不足障害かのうようだというイメージもありますので、そのような、ノリがいいけどちょっぴりKYの外国人が好きな日本人に好かれることがあります。でも…僕は普段そんなにイケイケって感じじゃないですので、人の期待を裏切る場合があります。

あすなろさん

>アメリカなど、国土が広すぎて、全国民が共通理解できるものって限られているのではないかと思うのですが。どうなんでしょう?

 大きさもさることながら,とにかくいろんな文化の人たちのごった煮状態ということが大きいような気がします。お互いに得体のしれない者同士で作っている社会だ,という前提があれば,共通理解の作り方は問題になるけど,共通理解を持っていることを当然と考えるような姿勢は少なくなるんじゃないでしょうか。

>逆に、直接指摘せずに空気読め、表情読めというほうが無理難題を押し付けているのかもしれません。

 これはきっとそうですよね。むつかしいのは日本的定型的な人間関係では,「空気を読まない(読めないというより)」とか「表情を読まない」というのは,「相手への配慮が足りない」と考えられてしまうことかなと。それは「思いやりのなさ」「愛情のなさ」という評価につながりやすいんだろうなと思うんですね。だからアスぺの方のコミュニケーションの取り方が「愛情の欠如」として理解されやすくなるのではと思います。


aspieさん

>クッションを入れて相手の気持ちを探るのは、少し面倒に感じますができなくはないと思います。頑張ります。

 頑張ってください。

 でもほんとに日本的な人間関係での「気持ちの探り合い」はものすごく独特のものがあって,そう簡単に身につくものではないような気がするので,失敗してもあまり深刻に悩まなくていいような気がします。

 それより,もし失敗したと思ったら,「いやあ,日本人の配慮(気遣い)のレベルはものすごく高いですね!私にはほんとにむつかしくて,なかなかまねできません」などと言えば,相手の人も悪い気はしないでしょうし,受け入れてくれやすくなると思います。

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