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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年12月14日 (日)

定型アスぺ問題模索の今

 早いものでこのブログをはじめてから,あと一週間もすれば丸四年になります。振り返ってみると,その四年間,同じようなことを繰り返しぐちぐち考え続けているようでありながらも,でも定型アスぺ問題についての私の理解が,だんだんとポイントを替えてきているような気がします。

 ブログを始める前はそもそもそこに「定型アスぺ問題」があるとは思っていなかった時期です。パートナーの私に対する「仕打ち」は,彼女の私に対する「拒絶の気持ち」とか「悪意」に近いものとしてしか理解がむつかしかった(納得しきっていたわけではないけど,他に考えようがなかった)状態にありました。

 それから彼女が「自分はアスペルガーだと思う」と言いだしてからの時期。改めて違った目でそれまでの葛藤をとらえなおそうとし始めました。そしてこの時期以降,「違う理解の仕方」の模索の仕方がだんだん広がりつつ深まっていくように思います。

 そしてブログやネットを通して,他の定型アスぺ問題の当事者の方たちとも交流が行われ始めます。私のスタンスは,「専門家の客観的な知識や目線」から問題を考えるのではなく,ずぶずぶの素人の,当事者の目線で自分(たち)が突き当たっているしんどさを素朴に,できるだけ正直に考えてみようとすること,ただし,そのしんどさについての感じ方や理解は定型アスぺ間でものすごくずれている可能性があって,そこを定型的な感覚だけで決めつけないようにすること,といったことでした。

 幸い定型アスぺの両方の立場から,ブログでも経験や考え方を教えていただくことができて,私が定型的な感覚で「当然」と思っていたことについて,アスぺの方が全然違う感じ方や理解の仕方をされていること,逆に自分の理解の仕方がアスぺの方には全然違う意味で受け取られたりしていることを少しずつ知ることができてきました。

 ただ,このころは「違いに驚く」感じが多かったように思います。そして私には全く予想できない形で炎上することもありました。ただ,違和感があるから相手を否定する,という感じにはやはりならなくて,「なんでこういう違和感が生まれてしまうんだろう?」「なんでそれがこんな形でねじれた対立になってしまうんだろう」ということが気になり続けました。

 大雑把に言えばこのころは「違いを理解する」ことがメインだったような気がします。

 やがて少しずつ,私の定型的な感覚を使って,「もし自分が今の自分とは違って,こういう状態で育ち,そこで自分を作り上げていって,その上でこの状態に置かれたとしたらどんな理解になるだろう?」という想像力が働き始め,「ああ,もしそうならアスぺの方がこう感じたり,そう振る舞われるのも分らないでもないなあ」という感じがところどころしてくるようになりました。

 そしてその感覚をベースに,「もしかしてこんなことでしょうか?」と記事に書くと,アスぺの方から「そういうこと」だと賛成して頂くコメントがぼちぼち出てきました。お互いに全然違うんだけど,でもよりつっこんで想像力を働かせてみると,意外に「ここまでくればおんなじじゃない」と感じられることが少しずつ出てきて,しかもそれが一部かもしれませんが,アスぺの方とも共通理解になることも起こり始めたわけです。

 これは私にとっては初めての体験でした。外から「あなたはこういう人です」という形で理解するのではなくて,「あなたはこんな感じ方や見方をしているんですね」という感じで「内側から」理解する形が,ほんの少しずつですが,でき始めたことになります。

 この「理解」という点では,今は部分的に「こんなことかな」と感じ取れるようになってきたことが,少しずつ横にもつながるところが出てきた感じでしょうか。もちろんどこまでうまく理解できているかはなんとも言えません。ただ,私の感覚としては,というだけのことです。

 

 一方,定型アスぺのズレを理解しようとするその過程で「自分自身を見つめなおす」ということも私の中では進んできたように思います。

 ひとつのポイントは,なぜ自分がパートナーを選んだのか。彼女を選んだことと彼女がアスぺであることにはなにか関係があるのだろうか,ということでした。今のところの私の理解では,彼女の「さらさらした(⇔ねっとりとした)」人間関係の作り方に魅力を感じたんだろうということ,そしてその感じはたぶんアスぺ的な人間関係の作り方とつながっているところがあるだろうということです。その意味で,私はアスぺ的だから彼女を選んだと言える部分がありそうでした。

 次のポイントは,なぜ私がそういう彼女のタイプを求め,それにとても救われた気持ちになったのか,ということです。そしてここは恐らく私と母親との関係がとても大きいだろうと思えました。母親的な世界に苦しんできた自分が,それとはまったく正反対の世界で生きている彼女に救いを感じたんだろうということでした。

 そして,このところ少し考えているポイントになりますが,その後彼女との間では激しい葛藤を抱えて苦しい思いを続けてきたにもかかわらず,さっさと別れないで彼女との関係にこだわり続けているのはなぜかということです。

 この点はまたゆっくり考えるべきことのように思いますが,アダルトチルドレンの話とか,ある視点から見れば,私は「機能不全家族」の中で育ち,「支配と従属」の関係の中で自分が作られた結果,自立した関係が困難で,「共依存」的な状態に陥っている,という解釈もされるんだろうなという気がします。

 まあ,そういう見方も私なりにわからないではないですが,それはかなりバイアスの掛かった見方になってしまうような気がします。自分についてうまくその見方が当てはまるかどうかという問題を超えて,そういう見方自体が依存と自立のこんがらがった関係を,余りに単純化しすぎているような感じがするんですね。

 人間関係ってもっといろんな要素が絡まり合って,どうしようもない矛盾を抱えながらいろんな生き方を生んでいて,その「生き方の多様性」には大事な意味があると私は感じるんです。その感覚をはずしてしまうと,定型アスぺ問題は結局「優れた人間関係を持つ定型と,そこに障がいを持つアスぺの間の困った問題」になってしまう気がします。

 そうなると,それぞれの人が,定型もアスぺも,それぞれに「自分」というものを抱え込みながら,そこを足場にそれぞれにそれぞれの人らしい努力を積み重ねて生きていく,という姿が見えにくくなってしまうように思えるんです。どうもそういう視点からでは,私の場合は自分が自分らしく生きながら定型アスぺ関係に向き合っていくことはむつかしそうな予感がします。まあ,この点はほんとにゆっくり考えていけばいいことかなと思います。

 

 

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