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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年11月 6日 (木)

和か真実か

 ままさんからこんな問いかけを戴きました。

「 暗黙のメッセージについては  自分もよくいろんな人から指摘されますが…  なんというか  不快に思おうが、喧嘩になろうが、和を乱そうが、  “それが事実である以上隠し通そうとするのは不当だ!”  という思いが強いので、言うのですよね…自分の場合ですが。  ほんとうに、  喧嘩になるから隠す、という意味が、分からないです。 (いや、喧嘩をとにかく避けたいという気持ちが大きくある場合は、自分は避けますが…つまり、たいして親しくない相手なら、避けます。少々どうでもいいし…)  思えばそういうことでよくトラブルになってました…。  いまだに分かりません。  暗黙のメッセージが読み取れない、というよりも、  大事なのは和を乱すか乱さないかではなく、真実を隠すか隠さないかだ、  と思うんですよね…。  というのは、定型でも普通にあることなのでしょうか、  アスペの人はこういう思考をするわけではないのかな?」

 最近はずいぶん「丸く」なりましたけど(ほんとかしら?(笑)),私自身は定型の中ではままさんに近いものを持っているように思います。つまり,「ここはごまかすべきではない」と思った場合には,喧嘩になろうが和を乱そうが,一種の義務感を持ってとがって発言する,ということがしばしばあったという意味です。

 これは持って生まれたものなのか,親からの生まれてからの影響なのか,というと,まあ前者もあるでしょうけれど,親の子育ての仕方の影響が強いように思います。なにしろ激しかったり偏屈だったりする親でしたから。

 その意味ではままさんのその感覚は,ある程度わかるところもあるように思います。

 違いがあるとすれば,ひとつには「喧嘩になるから隠す,という意味が,分からない」と書かれているところでしょうか。ままさんがどういう意味でこれを書かれたか,ちょっと理解しきれていない感じもあるのですが,私の場合は「そんなのなれ合いじゃないか」ということで,反発を感じることはありましたが,「意味が分からない」という感覚ではありませんでした。

 それから,これは興味深く思えたのですが,「たいして親しくない相手なら,(喧嘩を)避けます」と書かれているのは,かなり重要なことかもしれません。つまり「親しい相手なら避けない」ということも言われていると思うわけですけれど,とくに日本的な人間関係の場合,逆に親しい人間関係なら喧嘩をしないことが望ましい,と考えられる傾向が強そうに思えるからです。

 「日本的な」と断ったのは,私の経験からすると,海外の人の場合,親しい人ならそういう遠慮をしなくなる,という場合もしばしばあるように思えたからです。むしろ親しいからこそ,すごく激しく喧嘩をしたりということもあるような気がします。その感覚はもしかするとままさんの書かれていることと通じる部分があるのかもしれません。

 そんなふうに考えてみると,ままさんの書かれていることは,なんとなくアスぺ的な特徴もあると感じる一方で,状況次第では定型でもありうることかなという気もします。

 ですから,ままさんのような姿勢というか,考え方というか,生き方というか,それは状況次第では定型も同じようにそうする可能性があるけれど,それがどんな場合に発揮されるか,というところで,もしかすると違いがあるかもしれない,というふうにも思いました。まだよくわからないのですが。

 もうすこし,状況などを具体的に見ていかないと共通点やズレが見えてきにくいかもしれませんね。なんとなく違いはありそうには感じますけれど。

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コメント

パンダさん
 丁寧に考えてくださって、ありがとうございます。
 おお、近いものがありますか!
 自分はけっこういつも尖っている感じなので(笑)
 他人には、特に面と向かっては、しないんですけど…。
 自分の場合は、親はろくに会話をしてくれなかったので(笑)、生まれつきです。
 もしかしたら自分がパンダさんの親のような感じなのかもしれませんね…。

 意味が分からない、というのは、言葉が適当でなかったかもしれません。
 どちらかというと、そういう(隠す、などの)行為に怒りを覚える、という感じなので、
 「馴れ合いじゃないか!」というのと、近いような気もします。
 もっと言うと、
 嘘や誤魔化しなんて許せない、と言う感じです。
 あ、尖ってますね(笑)。

 それから
 親しい相手か、そうでないかの話ですが…。
 私もここには戸惑っています。
 親しいからこそ、分かりたいのに、
 どうして避けるのか。
 とても、人間として近づくのを嫌がってるように感じてしまいます。
 日本人って基本的にそうなのでしょうか…。
 どうもそういう感覚がずっと分からないできました。
 喧嘩をしても、話し合いに移行しないでなあなあにして終わる。
 なかったことになる。
 本当もやもやします。そんな相手を信頼できません。

 そういえば、自分は日本が好きになれないのです。
 いろいろ理由はある気がしますが、これまで納得できないことばかりだったからかな、とも思います。
 気使いを「すべき」と思っていること、とか
 気を使うけど、その気使いに気付いてもらえなかったら怒る、とか、
 とても外見に気を使っていること、同時に外見=人柄と思ってること、とか
 それって全然本質と違う!と思うことが気になって、
 毎度毎度小さなことに怒りを覚えます(笑)

 私自身、夫に「外国人と思えば普通」と言われているので
 単にそれだけの問題かもしれません。
 よく
 アスペの人は外国人みたいだ、という言い方をされるので
 そういうものなのかなあ、と思って、お邪魔させてもらったのですが
 全然関係ないかもで、本当にすみません…。

ままさん

>全然関係ないかもで、本当にすみません…。

 あ,全然,関係ないとかは感じませんでした。大事な問題だと思います。
 多分ところ変われば品替わるで,その地域地域でいろんな人間関係の
 作り方があるんでしょうね。
 その中で日本的な人間関係というのは,「距離をとる」ということが
 かなり重視されているのかなという印象はあります。
 
 私,韓流ドラマとか結構はまっていたことがあるんですが,
 あそこに描かれている人間関係なんて,びっくりするくらい「密」ですし。
 ただ,そうはいっても向こうには向こうのやりかたで「遠慮」があるみたいで,
 「なんでそこでもっと突っ込んでいかないんだ!」と
 いらいらするような場面もあったりしましたけど (笑)

 もしかすると定型には定型的な「遠慮」と「突っ込む」ことの
 バランスのとり方があって,
 具体的なバランスのとり方は国とか社会とかで違うこともあるけど,
 その定型的バランスのとり方は一緒,みたいなことも
 あるかもしれません。

 そのところで,もしかするとアスぺの方と違いが生まれるかもしれないと,
 ちょっとそんな可能性も考えました。
 単に「頭で考えてみた」だけで,具体的には全然分んないんですが (^ ^;)ゞ

 まあ,何にしても日本的な人間関係は
 「察する」ことにものすごい価値を置いているということは
 間違いないように思います。
 ここまで「察する」ことを重視する社会というのは
 あんまりないんじゃないでしょうか。
 その点,アスぺの方には特に生きづらいかも。

 

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