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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年11月24日 (月)

変らないのに変る

 親の介護でまた実家に行っていたのですが,人生最後の道行きに来て,数か月前まであの壮絶な,まるで日々が戦場だった両親の関係が劇的に変化してきていることに,心から驚いています。

 友達などに聞くと,家庭というのは安らぎの場で,一番気持ちが落ち着く安心できる場所だと言われたりします。ああ,そういうものなのかと,すごく素朴にひたすら驚いてしまうのが私なんですね。私の場合は家庭は戦いの場であり,ある意味命がけの攻防が繰り広げられ,そこでどう生き抜くかということこそが「生きる」ということの意味なのだと,無意識で思っていたりしたものですから,そうじゃない人たちがたくさんほんとにいるんだと知って,「すごい!」とある種感動してしまいます。

 またこちらのほうは感動というより,痛みを覚えた話ですが,昔,あるカウンセラーの方の講演を聞いたことがあります。その方は子ども時代を本当に幸せなひと時として,疑いもなく聴衆に語り掛けられていて,それに驚いたんですね。その方は有名な方で,共感能力も抜群。私もほんとにすごい人だなあと感じる方でしたけど,その言葉に傷つく思いをする人間がいることには気づかれていないようでした。

 私は「安らぎの家庭」にそんな驚きなどを感じてしまうような人間に育ったわけですが,まあそれだけ両親がそれぞれに強烈に「個性的」で,およそ理解しあうことなど不可能という感じでした。お互いにひたすら傷つけあうような関係だったわけです。しかも母親はそれなりにある種の「パワー」もあって,揺れ動く自分の感情によって周りを激しく巻き込む「能力」も持っています。

 対する父親の方はいわゆる自閉系の方とはちょっと違うようにも感じるのですが,しかしほんとに人間関係というものが分らない人で,世渡りも下手ですし,その分ひたすら得体のしれない頑固さで身を守ってきました。母親の激しい攻撃にも,とにかくその頑固さと暴力的な感情の爆発で対応してきた人です。

 老境に達してその二人の関係が少しはおだやかになるかと思いきや,相変わらずいつも激しいことばの応酬です。ときどき様子を見に行ってまたその状況を体験すると,「ああ,自分はこんな状況で育ったんだ」と改めてそれまでの自分の生きてきた過程を少し客観的に知ることになり,我ながら子供時代の自分自身がかわいそうにも思いました。またこういう育ち方をすれば,自分がなんとも生き方の下手な人間になるのも無理はないと,そんな「言い訳」を見つけてかすかな「安らぎ」を感じる皮肉もありました。

 この春にはいよいよ父親の最後も見えるようになり始め,どうやってその最後の道を支えるかを考えなければならない状態になりました。母親の精神的な混乱には一層の拍車がかかり,それに対応するのは大変でした。

 さすがに長年の経験で,そういう母親への対処の仕方もある程度は身についてきましたので,激しく振り回されながらも,なんとか現実的な対応はしてきました。しかし私に考えられるのは,なんとか母親も体を壊さずにいられ,父親が「物理的には」静かな最後を迎えられる条件を整えることまででした。二人の関係をどうこうなど,およそ空想してみることすら不可能でした。

 これも私からすればほんとに「身勝手」と思える経過で,両親は勝手に遠い場所に終の棲家を作ってしまっていまい,「あなたたちには一切迷惑をかけない」などと豪語していました。でももちろん体も弱って老老介護状態になれば,そんなことが通用するはずもなく,結局遠方まで私の兄弟でかわるがわる駆けつけるよりなく,そして介護の皆さんの力をお借りするしかなくなります。

 ところが母親はそういう「援助者」を巻き込んで混乱状態を作り出したり,時に精神的に激しく傷つけたりするタイプの人です。その上援助をしようとする人たちの間に混乱を引き起こして対立させかねないのです。これまでもそういうトラブルを繰り返してきましたので,そうならないような「援助」の形を私たちは模索しなければなりません。たとえお医者さんでも母親のような(しかもかなり強烈な)タイプを経験したことのない方にはあの「巻き込み力」に対応しつつ援助者同士の協力関係を見失わず,現実的に振る舞うのは並大抵のことではありませんので,そこへの配慮や対応も欠かせません。

 そういう困難を抱えて,さらにこれまでもどうしようもなかった両親の関係を,最後の時にそれ以上どうにかしようということなど,想像もできなかったわけです。

 ところが意外なことが起こりました。母親の主観的な「善意」に基づく激しい抵抗をなんとかなだめつつ,介護の皆さんや医療関係の皆さんなどと相談しながら,もはや限界を超えていた家での老老介護をやめて,なんとか施設にお世話になることができたのですが,そこで変化はまず父親に起こりました。

 それまでもう余命1か月は無理という感じだったのが,だんだんと元気になり,目にも力が戻ってきて,食欲もしっかり戻ったのです。もう最後の見取りを施設で行うために受け入れると考えていた施設付きの医者は「話が違うじゃないか」と憤慨(?)するほどでした。そしてあれほど頑固で周囲を困らせていた父親が,なんと施設の中では職員の皆さんに対しても基本的には協力的で,「静かに状況を受け入れる」という姿勢になったのです。

 その様子を見て,夫婦関係の困難がどれほど父親を心身ともに追い込んでいたかが分かりました。母親の方は自分の熱い「善意」で,父親を家に取り戻そうと繰り返ししていましたが,当初は「自分の家で最期を」ということに強くこだわっていた父親の方は別に家に帰りたいとは言わなくなりました。施設の方が楽だと思ったんでしょうね。

 今回私が駆け付けたのは,またもや母親が不安から動揺して一時帰宅の父親をもう施設に帰さないなどと言いだしたからです。幸いケアマネさんの素晴らしい対処でとりあえずは収まったのですが,一度私も行ってその後のケアをする必要を感じたのでした。

 そうやって母親の愚痴を1日半ほどいろいろと聞いたあと,二人で施設に父親を見まいに行き,改めて父親が落ち着いてマイペースでしっかり食事をとっているのに付き合いながら,母親ともその場で話をしていました。そして改めて私がここは父親の「マイペース」へのこだわりが結果的には尊重されるような施設なんだね,という話をし,それが父親にとっても心地よいんじゃない?と母親に聞いてみたんです。

 すると,母親が素直にそれを認め,「自分の感覚でここはだめだと思っていたけど,この人のこだわりには合っていたのかもね」と言いだしました。そしてさらに,今まで自分(母)と父親はどうしてこんなに違う人間なのかと思っていたけれど,そういうこだわりということではすごく似てたのかも,というのです。それまで母親はそんなふうに自分と父親との関係を客観的に見ることが決してできなかった人でしたので,内心驚きながら,「そうだね。こだわりの中身は全く違うんだけど,こだわりぬく点でほんとに一緒だね」と答えました。母親はうなづくような感じでした。


 そのあと,私はもう少し話が先にいけるだろうかと思い,最後の見取りについてはどうするかまた考えることとして,今は父親はこの施設にお願いして,母親はそれに甘えて自分の体をケアしたり,自分自身を大事にさせてもらっていいのではないか,と話してみたのですが,それにも納得した様子でした。

 まあ,今はそういっても,また何かのきっかけでまったく正反対のことを強烈に主張し始めて周りを振り回すとか,そういうことはこれまでも延々と繰り返されてきたことなので,今回のことでこれからそのままうまくいくという安心はしていませんが,ただ,一時的にせよ,そこまで自分の見方を大きく変えてみる,ということはほとんどなかったように思うので,そのことはとても心に残りました。

 父親にしても母親にしても,その強烈な頑固さや「身勝手」さを生み出している根っこの性格は今もまったく変わっていません。ところが介護の方や施設の方にうまい具合に間に入って頂ける形になり,両親の間に一種の距離を作ることで,お互いの関係が変り,その「頑固さ・身勝手さ」の現れ方が全然変わったのだと思うんです。それはいい意味でそれぞれが自分の持って生まれた性格を無理なく発揮できる環境を作り,そのプラスの変化をお互いに感じられるようになってさらに気持ちに余裕を生み出し,安心して自分に戻れるようになる。

 ある意味本人たちの中身は全然変化していないんだけど,でも具体的に生きていくうえでは大きな変化が今は起きているともいえます。

 定型アスぺの関係でも,持って生まれた「定型」という枠組みも,「アスぺ」という枠組みも,変わりようのないものでしょう。でもそれがある関係の中に置かれたとき,そこに大事な変化が起こる可能性を感じます。そして私の両親の例から考えても,多分その変化には,距離をとって関われる第三者の方たちとの関係がとても大事になるような気がしています。そこでカギになるのはどういう関係なのかはまだ私にはよく分らないのですが。

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コメント

読みながら お父様も、お母様も よい方向へ進まれているようで よかった! と 熱いものがこみあげました。
私も、これまで元気ピンピンだった父が 今年に入り、体調を崩し入院をきっかけに いきなり認知症となり、現在、悩んだり考えることが多いです。

第三者が入ってくれることで よい方向へ進んだり 思いもしない救われるようなアイデアいただいたりしているので よくわかります
私も 介護を今後どうしていけばよいか 方向性がなかなか定まりませんが…

後悔のないようにしていきたい とだけは思っています

うまく言えずにすみません

どんぐりさん

どうもありがとうございます。
人生最後の時って、その人自身やそれを取り巻く人たちの生き方を
改めて整理していく時間になるのかも知れないですね。

うーん、そうすると、その時間って、「死から逃れるための最後のあがき」
というような時間ではなくって、終わりへの大事な準備、整理の時間 に
なるわけでしょうか。

そう考えると、次に自分自身の順番が来たときも、
なんだかやるべきことは沢山ありそうな気がしてきました。
でも認知症が進んじゃうと、自分ではできなくなるのか……。

あ、話がそれました (^_^ゞ
とにかく、自分がもって生まれたものは取り替えようもない訳ですが、
それがどんな意味を発揮するのかについては、
本当に状況次第で色々になるし、父親も認知症もある程度進んでいますが
人生最後のときにすらそこにその人らしい変化が
起こりうるんだなあと思いました。

なんだか色々考えさせられることは尽きないものですね……

トマトです。

人生の終焉に向う時間というのは、ご本人も、近しい者もある意味、一番学びや感じ入ることの深いときではないかと感じます。

『またこういう育ち方をすれば,自分がなんとも生き方の下手な人間になるのも無理はないと,そんな「言い訳」を見つけてかすかな「安らぎ」を感じる皮肉もありました』
どこか寂しい納得というものは、本当に深いところから生まれると思います。

『多分その変化には,距離をとって関われる第三者の方たちとの関係がとても大事になるような気がしています』
これは、まさしく人が社会の中で生きている証しですね。

私は・・・何の因果か
また障害を持たれている方の人生の歩みの中に入ってしまいました。

家族も友人も支援者も専門的なスタッフも居る。
沢山居る。
なのに・・・遠巻きに見ていた私が気がつけば至近距離になっている。

いわゆる「巻き込み」なのでしょう。
私は巻き込まれてしまいやすい波長を持っているのかも知れません。

障害を持っている人が懸命に生きようとすれば、それは身近な者にとっては大変な余波をかぶる側面もあります。
でも、その激しさやひたむきさに、魅了されてしまう人も居ます。

要は、その最中・・どれほど腹を据えて対峙するか。

状況にも心境にも「負けてはいけない」という試練の時となります。

そんな激しい時間の先に
ふいに訪れるやわらかい世界。

今回のパンダさんのテーマを拝読し、涙が止まりません。


トマトさん

そんな風に私の体験とトマトさんの体験がシンクロしたと知って、改めて自分の経験を深く体験しなおす思いでした。ものすごく定型的な出来事かも知れませんけれど。

パートナーの話を聞いていると、トマトさんが書いてくださった「どこか寂しい納得」を、彼女は小さい頃からずっと繰り返し続け、もうそれ以外の世界が想像できないほどになったのではないかと、そんなことも思ったりします。

そう思うとなんだかすごくいとおしくもなってしまうんですね。残念ながらこの私の感覚が彼女にそのまま伝わることは無いような気はしますけれど、例えそうでも私のその思いは無くならなそうです。

人間が生きるって、どれ程寂しく悲しいものであるかということを、私は彼女を通して、初めて知ることができたのかも知れませんね。如何に自分が傲慢に生きてきたのかということも。

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