二つの無限
今日は今遠方にいる子どもからSkypeがあって母親と話したいということでした。ちょっとホームシックなだけというのですが、これまで本当に大きな葛藤があったので、そんな風に話したい気分になってくれたことがまず嬉しかったです。
最初は5分ぐらいと言っていたのですが、そのあと結構長いこと話をしていて、パートナーの表情も穏やかで微笑みもみられたのがさらに嬉しかったですね。
多くの家庭では何のこともないひとこまなのかもしれませんが、私には本当に心に染み入るようなひとこまです。これからもいろいろあるでしょうけれど、それでもこういう時間が成り立つようなところまでは何とか来たんだなあと、そんな感慨があります。
そう言えば「無限」の話って、数学苦手の私でも面白いと思えるんですが、1、2、3、4、5、…と数を大きくしていけば、どこまでも無限に大きくなりますよね。ところがちょっと注目するところを変えて、1と2の間を見て、その半分の点(1.5)、その半分の点(1.25)、さらに半分(1.125)また半分(1.0625)…… と細かくしていっても切りがありません。1と2の間にも無限が、それも無限種類の無限がある。
なんだか不思議な感じがして面白く思うんですが、自分の生きている世界もそういうところがあるような気がします。世の中の大きな動きには目が向きやすいかもしれませんが、一人の人と人とのほんの小さなやり取りのなかにも何か無限を感じさせるものがある。
これまでの自分は大きな無限の方に目が向き勝ちで、目の前の世界の無限をちゃんと感じ取れなかったような気がします。
そう思うと、老人のケアにか変わる仕事を大事にしているパートナーが、ときどきわたしの感覚に違和感を言っていたことの意味が、何となくわかる感じもしてきました。もしかすると彼女は目の前の無限の世界に目を向け続けてきたのかも。
« 感情とことば | トップページ | 定型アスぺが共有する「お化粧問題」 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント