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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年11月13日 (木)

涙は化粧か?

 ままさんとお葬式で悲しむのは振りなのか本当なのか,ということのやりとりをしていて,私は悲しい気持ちもほんとうだし,めんどくさいと思う気持ちも本当だし,矛盾している気持をどっちももっているんじゃないか,ということを書きました。

 そしてこのどっちつかずのどっちもありの矛盾した気持ちを抱えながら,状況に合わせて揺れ動く傾向が定型にはとても強いのにたいして,アスぺの方はAかBかにはっきりさせる傾向が強いんじゃないかと考えてみたわけです。その説明はままさんにはわかりやすいところもあったようで,それでこんな体験を書かれています

「 卒業式のときとか、別れの場面で、泣いたことがあります。 けれど、そのあとすぐに、ああ、また雰囲気に呑まれてしまったなと思うし、 実は全然悲しくもなんともなかったことに気付いて、馬鹿馬鹿しいなと思うのです。自分が。 悲しくないのになんとなく流されたんだなと。 泣いておいたほうがいいと思って「装った」のだな、化粧したのだなと。 そういうこともあって、「みんなもそれが装いだと分かってるくせに…」と思ってしまうんですよね…。」

 これを読んですごく面白かったのですが,「泣いた」ということがまずあって,それから「雰囲気にのまれた」と思い,「実は悲しくもなんともなかった」と気づいて,あの泣いたのは「装っただけ」だと理解する。そういう展開があります。

 ちょっと理屈っぽくなりますが,「悲しくもなんともなかった」とか「装っただけ」というのは,あくまで「後からそう理解した」ということですよね。言い換えれば「冷静になって」「客観的に」理解したことでしょう。

 アスぺの方のそういう理解の仕方というは,私の印象ではだいたい「感情を伴わない理解」のように思います。まさに「冷静に」という感じです。そうやって冷静に当時を思い起こしたとすれば,その時はあったかもしれない感情的な体験もすっかりそぎ落とされて,感情が伴わない「泣いた」という行動の部分だけが思い起こされてしまい,そうすると「悲しくもなかった」のだから「装った」ことなのだという理解になっていく。

 もしままさんが後に理解したようにその泣きが本当に感情を伴わないのだとすれば,アスぺの方は泣いたり笑ったりという表現を,感情抜きでできることになります。そうすると,アスぺの方は言ってみればまったく感情のない,ロボットのような存在ということにもなってしまいそうです。

 で,私はそこは到底そうは信じられないのです。やっぱりままさんも他のアスぺの方も悲しくなったから泣くんだろうし,腹が立つから怒るんだろうと思うんです。俳優が涙を流すときだって,あれ,自分の悲しい体験とかを思い出して,涙を出すんですってね。やっぱりそういう感情状態になることが必要なわけです。それはアスぺの方も同じでしょう。

 その証拠にままさんは「雰囲気に呑まれてしまった」とか「流された」と書かれています。雰囲気に呑まれるということはつまりそういう雰囲気に自分自身もなってしまうことですし,それは「悲しい」雰囲気に違いありませんから,そうやって悲しい雰囲気の中で涙が思わず流れたわけでしょう。

 だけど,「冷静になって」考えてみると,ご自分は卒業式などで悲しむような人間ではない,と思われるから,だからあれは「悲しくもなかった」のに「装った」という理解になるし,そしてそうやって冷静に思い出すことには感情が伴わないから,ますます「何も感じなかったのに涙を流した」という理解になる。


 もしかすると,アスぺの方の感情理解には,こういうパターンがすごく多いのかもしれません。もしそうなら,アスぺの方の語る感情についての話は,定型には全く理解が困難になるでしょう。逆に言えば,上のような形で理解してみると,アスぺの方も本当は豊かな感情を持っているという強い印象と,それにもかかわらず,定型的には理解がむつかしい感情についての語り方をされる,ということの理由が,私には矛盾なくかなりわかりやすくなります。

 簡単に言うとこういうことかも。定型は感情を伴ったものとして過去の体験を言葉にして思い出す。でもアスぺの方は感情的な部分は切り離した形で過去の体験を言葉にする傾向がある。だから定型は過去を語るとき,さまざまな感情のやりとりが成り立つけれど,アスぺの方はそこがスパっと抜けた形で「事実」だけがやりとりされる傾向が強い。

 そう考えるといろいろわかりやすくなることがあります。たとえばアスぺの方は「感想文を書けと言われるのが苦手だった」という話を何度か聞きました。「どう思ったか,どう感じたかをそのまま書けばいい」と言われるのだけれど,それがむつかしくて途方に暮れるというのです。

 これも同じことではないでしょうか。感想文は過去の「事実」を書くだけではなく,その時に感じたこと,感動や悲しみや喜びや怒りや,そういう感情の動きを再現することが含まれます。それを言葉を使ってやるわけですよね。それは定型にとっては特にむつかしいことではなく,むしろ言葉を使うというのはそういうことでもありますから,普通にそうなります。ところがアスぺの方にとって言葉がそういう意味を持ちにくいのだとすれば,感想文を書くのが苦手というのは私にはとても分かりやすくなります。

 でも決して感情がないわけではない。ただ,感情は感情のままで,言葉の世界に結びつきにくく,言葉の世界とは別に動く傾向が強いのでしょう。そうだとすれば,定型が言葉で相手を慰めたりする,そういうことがアスぺの人には意味がない,ということも理解できます。言葉はあくまで事実の問題で,感情を伝えたり調整したりするためのものではないし,それによって自分の感情がうまく理解され,整えられるものでもないからです。

 もちろんこれは大雑把な話ですし,アスぺの方にとって感情が全然言葉の世界と結びつかないかと言えば,それはもうちょっといろいろありそうにも思います。いわゆる「スペクトラム」のことを考えても,感情と言葉の結びつきやすさにもそういうスペクトラムのような差が人によってあるとも考えられます。

 それは一応そういうことかもしれないとして,それでも大づかみに言えば,定型アスぺのズレのポイントとしては,言葉に感情が結びつく程度がかなり大きく異なるために,やりとりで何を伝えたいと感じているか,何を読み取れると考えているかに大きな誤解が生じ,お互い「通じない」「理解できない」事態に混乱して,どんどん関係がしんどくなってしまう,とは言えそうです。

 仮にそうだとすれば,言葉では調整しずらい感情の世界を,どんなふうに通じ合わせられるかが(少なくとも定型にとっては)大きな意味を持ちそうです。


 そこでひとつ今思い起こしたことがありました。

 それは自分が感動したものを,自分の大事な人に伝える時の,パートナーを含めた何人かの方のやりかたです。前にも書きましたが,私のパートナーは,人影のない小さな池に一つ咲いた蓮の花を見つけて,そこに私を連れて行ってただ何も言わずに見せてくれました。

 他のアスぺの方のコメントで教えていただいたことでは,そういう伝え方というのは,「自分の感想を押し付けず,相手の感じたままに任せる」という大事な意味があると言います。そしてそれで相手が喜んでくれればそれでいいし,特に感じなければそれはそれでそういうものだ,ということで終わる。
 
 自分にとって大事なものを,「見せてあげたい」という気持ちはアスぺの方にも起こるわけですよね。それは定型語で言えば「共有したい」という思いにもなります。ただ,アスぺの方の場合は同時に「押し付けたくない」という思いも相当に強い。無理に共感を求められることについてはものすごく敏感なのだと思います。それだけそのことに苦労させられ続けてきたからなのかもしれません。

 この問題,まだいろいろ考えるべきことがありそうです。

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コメント

化粧のたとえ、とても興味深く読みました。

そして、最後にあった「自分が感動したものを,自分の大事な人に伝える時のやり方」「押し付けたくない」を読んで、私がずっと疑問に思っていた主人の行動が、理解できる気がします。

この行動も、似たようなことなのかな?

買い物だったり、どこかへ遊びに行った際、私も娘たちも、『この人、ただ何も言わず一緒にいるだけで楽しいのだろうか?逆にこっちがこの人を振り回しているだけじゃないの?・・・彼が何を考えてるか、どうしたいのかわからないから、一緒に行動するのが辛い。』と思い、彼に「時間待ち合わせして、別行動してもいいよ」と伝えたのだけど、「いや、一緒にいるよ。」と言ってずっと着いてくる。「あっちへ行ってて」と長女がはっきり言ってしまったら、主人は「俺が邪魔なのか!!」と大人げない態度をとり最悪ムード。

化粧の仕方が主人も娘も下手くそってことなのでしょうかね。あっ、娘はまだ子供なので、化粧の仕方が下手くそでも仕方がないと思いますが。

そうは言っても、私も自分の感情を押し付けたくない人間なので、Iメッセージとして発するようにしているし、他の人の意見も「なるほど・・・」と受け入れることができるんですけど、ASの方ってIメッセージも難しいのかしら?それとも、幼少期に辛い経験をしているから、自分と違う意見=否定と捉えてしまい、無意識にIメッセージをも避けてしまっているということになるのかな?。

ASであっても、幼少期に受け入れてもらえる経験を積んでいれば、自分の考えを発することができるってことでしょうか?

確かに、こちらにはASの方々も自分の意見をはっきりと述べられてますね。
私も、主人とこんなふうに会話(議論)できたらな・・・と思ってしまいます。

自覚のないAS主人には、私が何を言ってもまともに受け入れてくれません・・・。

パンダさんの分析、解説の力を借りて、AS主人のこと、その主人と私との間でどのようなズレが生じているのかということが、明確にわかってきたのですが、どんなに私がAS主人を理解し納得できても、私が許すことができず、我慢し続けることもできない。
自分が壊れそうになった時に、娘達が独立するまでという期限を付けて自分の身を保つことにしました。

分析、理解、納得のその先、共に生きていくためのアプローチの仕方を知りたいという思いが強くなってきました。

なので、最近、私との間にズレがあるという事に気づいてもらう言葉かけをするようにしています。効果はいかに?

あれ?なんか、自己主張で終わってしまって申し訳ないです。

コクーンさん

>ASであっても、幼少期に受け入れてもらえる経験を積んでいれば、自分の考えを発することができるってことでしょうか?

 これは今まで寄せていただいたコメントなどから想像すると,かなり違いが生まれるような気がしました。自分の考えを発するかどうかというか,周囲の人に対する接し方の柔らかさというか,まだうまく私は理解できていませんけど,小さいうちにしっかり受け止めてもらえた体験はすごくプラスに働くようです。

>分析、理解、納得のその先、共に生きていくためのアプローチの仕方を知りたいという思いが強くなってきました。

 頭で理解しても,自分の感情はそんなに簡単には変わらないですよね。そういう感情の変化はすごく時間もかかるように思います。私もこのブログを続けながら,ほんとに少しずつ少しずつ変ってきた気がします。ある種の「修行」のような感じもあるかも。

>最近、私との間にズレがあるという事に気づいてもらう言葉かけをするようにしています。

 これ,どんなふうな言葉かけをされたらどうなるか,とても関心があります。多くの方がここで苦労されているようにも思います。たぶんアスぺの方の個性によってもすごく違いが出るのじゃないでしょうか。

 いずれにせよ,「アスぺ定型のズレ」がそこにあることを,お互いに認め合えるようになるのとならないのでは,その後にかなり大きな違いが出て来るでしょうね。

 また,何か発見とかあったら教えてください。他の皆さんにもお役に立つと思いますし。

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