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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年11月21日 (金)

一方的な「共感」

 このところ皆さんとのやり取りや掲示板での展開などを見ていて,これまで自分の中でなんとなくもやもやしていたことが何か整理されてきた部分を感じ,それを言葉にしてみています。今日も引き続きそんな私の勝手な思い込みの話です。



 ふと思ったのですが,定型の「相手の喜びは自分の喜び」「相手の悲しみは自分の悲しみ」という,いわゆる共感的なつながり方は,もしかすると定型がアスぺの方と関係を持つときにも結局重要な足掛かりになるんじゃないでしょうか。

 もちろん,定型アスぺ問題は,定型がそういう「共感」を求めても,まったく無関心に対応されたり,むしろ迷惑がられたりなど,繰り返しうまくいかないところから起こるものがたくさんあるし,ある意味定型にとってはそこが一番つらいところでもあるわけですよね。「共感」による「喜びの共有」がほんとにむつかしい。

 そこでまたふとこんなことを思ったんです。「共感って,相手がどう応じるかに関係なく生ずることもあるよな」ということです。たとえば……

 アスぺの方がどこまでどうなのか,ちょっと今分らないのですが,少なくとも私の場合,赤ちゃんが嬉しそうな表情をしたり,声をたてて笑ったりすると,なんで嬉しいのかとか,そんなことは全然考えもしないでただ嬉しくなります。それは他に何もいらなくて,ただそれだけで自分が心地よくなる。

 大人同士でも,親しい人が嬉しそうにしていたら,何が嬉しいのか分らなくても,なんとなくこっちも嬉しくなってしまうことがよくあります。で,そのあとで「どうしたの?なんかいいことあった?」とか原因を聞いて,それを聞いて自分もまた嬉しくなることがある。

 こういうとき,相手の人が自分の喜びを見てさらに喜んでくれたりすれば,お互いの喜びはさらに増していくわけですが,そういうこととは関係なしに,まず最初に相手の嬉しそうな姿を見ただけで嬉しくなるということがあるわけです。


 ただ,見ず知らずの人がまったく理由が分からない状況で,一人で大声で笑い続けているような場面にもしであったとしたら,そういうときは嬉しくなることはまずまれで,むしろ緊張したり,警戒したりするように思います。

 なんで同じ大人でも,親しい人の喜びには理由が分からなくても「共感」してしまい,見ず知らずの人だとそれがないのか。こんな例を考えてみるとわかりやすくなるかもしれません。

 ある,明らかに自分に敵対する人がいたとします。極端な話,自分を苦しめることを喜びとしているような,そんなふうに思える人とか,これも極端ですが映画のシーンで言えば,自分を殺しに来た人間だとか,そんな人です。その人が嬉しそうにしているのを見る。これは共感しにくいですよね。

 なんでかと言えば,たとえばその人が嬉しいことは私の不幸である可能性が高いわけですし,「嬉しそうに自分を痛めつける」とか「喜んで自分を殺しに来た」という理解が成り立つような場面になるわけです。これは共感などしている場合ではなく,寒々とした思いになるか,怒りに震えるかして身を守るしかありません。

 自分が仲間外れにされた状況で,みんなが笑っている時も同じようなことになるでしょう。みんなが自分を無視して笑っていることは,自分がのけものにされたことを意味しているわけですから。

 つまり,安心できるような場合に,そういう「共感」は起こりやすいわけでしょう。なにか危険が待ち受けているかもしれないような状況では,共感などしている余裕はありません。(そう考えると,定型的世界がほんとに理解しにくくて,一体何が起こるかわからず,いつも緊張していなければならないような状態に置かれやすいアスぺの方の場合,「共感などしてられない」ということになっても不思議ではないわけですね。もともと「共感しにくい」ということがあるのかもしれないけれど,それだけではないような気がします)

 というわけで,「安心できる状況では」という限定がもしかするとつくかもしれませんが,何にしても定型は相手が嬉しそうにすればそれで嬉しくなってしまうということがあります。(ああ,でも今思い出しましたが,私のパートナーも,自分のやったことで相手が喜んでくれればうれしくなるということはやっぱりあるんですね。逆に自分がやったことで相手が苦しむと辛そうです。定型の場合とそれが同じことなのか,ちょっと今は何とも私にはわかりませんが,その辺りも微妙に定型アスぺで共通する部分かもしれません。)


 さて,そうだとすると,そういう素朴な自分の姿に立ち戻って,「原因はともあれ,とにかく相手が喜んでくれれば自分は嬉しい」という形で定型的に「共感」の喜びを感じ取ることはもしかして本当はできるんじゃないかと思えたわけです。まあ簡単に言えば「どうやったらしんどい思いをしているパートナーが喜んでくれるんだろうか」ということでしょうし,「もし喜んでくれたら素朴に嬉しいのになあ」ということなんでしょう。とにかくいろいろつらそうなので。


 とはいえ,実際にはそういう共感の喜びも感じにくい状態に定型の側は追い込まれてしまっているかもしれません。ですから,その問題をなんかの形でクリアできなければ,定型の側が定型アスぺ関係で「一方的な共感」に素直に喜びを感じられるようにはならないように思います。それはまたちょっと改めて考えてみたいと思います。
 

 

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コメント

相手に共感するのは、相手との関係次第というところ、なるほどと思いました。

そこで、ふと我が家のASたちのことを考えたのですが、
ふたりの子どもと私はとても共感できるものが多く、とくにAS兄妹はふたりでいろんな話をして笑い合っています。
その上の定型の姉が混じっても、それなりに同じ趣味の話で盛り上がっている。

ただ、ときどき誰かが調子が悪いと、そのひとりが訳のわからないことを言い張って、バランスが崩れるといった感じで。
そのときは同じAS同士でも、相手が何にキレているのか分からないようです。
まあ、一種のパニックなんでしょうね。調子がよくなるとまた協調できるようになる。
基本、『共感』ができているのです。

ただ、夫はここに入れません。
一緒に会話に入っても、どこかズレていて、見当違いのことを言って寒い空気が。
さらに機嫌が悪いと皆が険悪なムードになり、だんまりになってしまいます。
息子など、あからさまに父親を避けて、食事も途中で席を立ってしまったり。

夫は、家族であろうが、夫婦であろうが、『共感』できるほど安心した関係が築けないのではないかと思います。
前にも掲示板で書きましたが、それは彼がASである部分以上に、これまでの経験がそうさせているのではないかなと。

つまり誰もが『敵』に近いんですよね。
とくに馴れ合いでいろいろな負担をかけてくる家族は『敵』
逆に職場などでかわいがってくれる上司は『味方』
彼の線引きは、『自分に負担を掛けてくる人間』かそうでないか

家族と協調することも彼には負担と捉えられるようです。

ASの特質以上に、対応を難しくする問題だなと感じています。

あすなろさん

 このご家族の「共感関係」のお話,すごく刺激的です。

 これまたふと思ったんですが,私のパートナーの場合は
 子どもと一緒に漫画とか描きながら楽しそうに話していることもありますし,
 猫の気持ちなんか,私よりよほどよく理解しているように感じたりします。

 だから,アスぺの方が感情的な交流が人と全然できないとか,
 そういう見方はやっぱり無理があるだろうと思います。
 少なくとも定型的には「共感」と表現したくなるような
 他人とか他猫(笑)との付き合いはあるんだと思います。

 ただ,何にどういうときにそれが成り立ちやすいかとか,
 どんなふうに展開したり壊れたりしやすいかとか,
 そんなところにいろいろ違いがあるかもしれないし,
 そういう状態をどう自分自身で理解するかについても
 もしかすると見方の違いがあるかもしれませんけど。
 
 そして,そういう「共感」の起こり方について, 
 その人のそれまでの経験がすごく聞いてくるのではないかということも
 私もそんな気がしています。

先程はすみません。
タップミスで入力途中で投稿されてしまいました。
最初から入力します。m(_ _)m


そういえば、以前ネットで、自称アスペのAさんと知り合いました。
Aさんの書き込みを読んでいると、明らかに私より定型寄りでした。
でも、Aさんもアスペの特性があって悩んでいました。

そんなAさんから、ある時、私の書き込みに、
「分かる!」
と共感コメントを頂きました。
でもその時私は、
「Aさんは、本当の意味で私に共感したのではない。」
と思い、嬉しいとは思いませんでした。
(でも、そんなことはAさんには伝えません。Aさんは、本当の意味で共感してくれたのでしょうから。)
私は、Aさんを、本当の意味で同じ仲間だとは思っていなかったということになるのでしょうね。
大きな意味では仲間だと思っていましたが。

こんなこと書いている私も、どこかで
「共感したようなレスくれたけど、本当の意味で共感してないな。」
と思われているかもしれませんね。(^_^;)

同様に、自分の悩みに対して、定型の人に
「分かる!みんなそうだよ!」
と共感されても、
悩みのレベルが違うと思うので、嬉しいとは思いません。
やっぱり仲間意識ですかね?

ここまでは、アスペの悩みをテーマにして書きました。

別の仲間意識があるテーマについてだったら、
アスペと定型でも、共感が喜びに繋がるのかもしれませんね。

みみりんさん

 なんかいろいろ考えちゃいます。

 その方が本当の意味で共感をしたのではないと感じられたのは
 どういうわけだったのか,すごく興味があります。
 逆にいえばみみりんさんはどういうときだったら「本当の共感」と感じられるのか。
 そのことも知りたいところです。

 共感という問題,ほんとに奥が深い!

抽象的な書き方で、分かりにくくなりましたね。すみません。m(__)m

例えば、私が
「育児が大変。」
と言うと、殆どの定型のお母さんも
「そうよね。みんな大変よ。」
と答えると思います。

けれど、定型の人は、「大変」と言いながらも、
育児・家事をこなし、空いた時間にテレビまで観ています。

私は、毎日やらないといけない家事・育児がこなせず、
どんどん溜まり、寝不足が続き、疲れ果てています。
テレビを観る余裕があるなんて、信じられないのです。

ですので、定型の方が「育児が大変」に共感してくれても、
私の大変さは全く理解されていないと思います。
ですから、共感してくれたとは思えず、嬉しくないのです。

でも、私と障害の度合いが同程度だと何度かやり取りをして分かっている人から
「私も一緒。」
という言葉が来ると、
その人も、きっと、私と同じくらい疲れ果てているだろうと想像し、
「同じ人がいるんだ!気持ちを分かってもらえたんだ!」
と嬉しくなります。


ついでに、アスペと定型でも、例えば同じ趣味を持っていれば、
その趣味について、共感し、それによって喜びを得ることができると思います。(^_^)

みみりんさん

有り難うございました。すごく分かりやすかったです。

そして、そういう感じ方は定型とほとんど一緒だなあと思いました。
あの人は口では共感したように言ってるけど、本当は全然分かってないとか、
あの人には分かるはずがないとか、そんな風に感じてちっとも嬉しくないか、
逆に白けてしまうこともあります。

ただ、定型の場合はそういうときでも一応嬉しい振りをすることも結構あって、
そこはアスペの方とは違うかも知れませんね。

同じ趣味等は共感しあえるかもということもなんか希望が見える感じがして
嬉しいです。

実際はスペクトラムとか、個人差も大きいでしょうから、
どんなことについてどんな風にどこまでそういう共感が成り立ちやすいかは
それぞれのカップルで色々でしょうけれど、
でも、少なくともそういう種類の共感は成り立つ可能性がちゃんとあるし、
アスペの方もそれは嬉しいことなんだろうと感じられたのは、
私には大きな収穫でした。

こういうことって、定型アスペが直接対話するからこそ
分かり合えたりするのでしょうね。
そう感じられるのも嬉しいことです。

あすなろさんの回答をさせて頂く時に気づきましたが、私の場合は共感ではなく、受容してほしかったんだと思いました。

カウンセリングや福祉現場で言われる(共感 受容)の意味とは全く違うかもしれませんが、私の中での共感というのは「同じ立場に立って相手の気持ちを理解する」で、
受容というのは「相手の状況を受け入れる」とのイメージがあります。

私は「こっちの立場になったつもりで感情移入や共感、同情」はしてほしくないです。ただ自分の特性を正しく理解した上で受け入れてほしいです。

にわとりさん

急いで書くので、言葉を練れないため わかりにくかったらごめんなさい。

わたしだったら、(否定しないで )受け止めてくれたらいい と思うところがあるかも。

私も 福祉系の人に(プロにしても ボランティアにしても)聞いてもらうことがありますけど、その人たちは大勢の人の話を聞いてるわけですから 全部の人に共感できなくて当たり前だと思う。
テーマによっては、全く価値観が違うこともあるだろうし。

だから おおむね受け止める感じでー否定しないで聞いていたり、そうかもしれないぐらいの感じでフンフンと聞いていたり、(あなたは)「~と思ったのね」とまとめてくれたりしたらーいいかと。

で、時々だけど「よくわかります」とか 「私もそう思います」などと共感してくれるくらいの人の方が 長い目で見てブレないし、押し付けてこないので、私はつきあいやすです。
(私も そうなりたい。)

なので私は、
1 (否定しないで)受け止める
ふんふん (あなたは)~と思うのね
2 時々 共感する
よくわかるわ そうですよね~
を分けているかも。


(ただね、例外的に たっぷり共感して欲しい状況というのもあるんですよね。その時はそうしてくれたら、理想的。)

今読み直しして見たけど、返事 書きにくい書き方しちゃってますね。

書きにくかったら、いいですからね。


ココチさん

ありがとうございます。
読解力がないために話がかみ合ってなかったらすみません。

おっしゃるように相手も共感できることばかりではないと思います。
でも本音を言えば反発されるし(よく考えてみたら、私も本音を言われたら100%受け入れられないと思います;)、かと言って共感ばかりでは嘘くさくも感じます。

>おおむね受け止める感じでー否定しないで聞いていたり、そうかもしれないぐらいの感じでフンフンと聞い ていたり、(あなたは)「~と思ったのね」とまとめてくれたりしたらーいいかと。
>で、時々だけど「よくわかります」とか 「私もそう思います」などと共感してくれるくらいの人の方が 長い目で 見てブレないし、押し付けてこないので、私はつきあいやすいです。 (私もそうなりたい。)

なるほど!否定も肯定もしない話し方は私も受け入れやすいです。
共感も時折交ぜられるくらいなら「この人も同意見なんだ」と思えますね。
ただこの場合は共感してもらったとの認識ではなく、「あなたも同じ経験があるんだね」「あなたも同意見なんだね」との認識です。
逆に定型者と話す時には使いやすいかもしれないですね。

>(ただね、例外的にたっぷり共感して欲しい状況というのもあるんですよね。その時はそうしてくれたら、理想的。 )

ここは私とは違いますね。
腹が立ったり、悲しいときなどはただ黙って愚痴を聞いて欲しいことはあります。ただ共感はしてほしくないです(最初にココチさんが仰っていた「にわとりさんはこう思うのね」との言い方)。

その後に望むのは「ジャーナリストの視点」です。
例えば自分の特性にあった現実的な対処方法。
人とトラブった時に相手と私との間でどういう食い違いがあったのかということを説明してもらえること(現実はそれをしてくれる支援者がいないからイライラするのですが)。

私の中で共感が成立するのは同じ境遇に立った人だけです。
それ以外の人には「特性ゆえに困難があることを理解してほしい。それを軽蔑せず、責め立てずに受け入れてほしい」と思います。

連続投稿すみません。

逆に相手の話を聞いてる時には「分かる~」とか「(あなたとは立場は違うけど、あなたの立場で想像したら)そう思うのは分かる、仕方がないよね」などと言ってましたね(嫌いな相手の話は共感したふりして聞き流してましたが)。

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