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2014年11月22日 (土)

頭と気持ちの葛藤

 例によって「ふと思い出したこと」です。

 朝起きてパートナーに「おはよう」と言うんですが,先に起きている彼女はこちらと目を合わせることもなく,暗い顔(に見える)をして,何も言いません(聞こえません)。それで私の気持ちがちょっと暗くなり,自分は嫌われているのかなあとか,自分が彼女に悪いことをしているのかなあとか,自分は彼女の力にはなれないのかなあとか,そんな「気分」に一瞬なるんですね。

 で,以前,その彼女の表情や態度のアスぺ的な意味が全然分からなかったときは,他の出来事とも重なり,そういう「気分」はどんどん積み重なって,ほんとに深刻になってしまいました。でも,今はすぐに「あ,違うんだよね,これは。」と頭で軌道修正をすることができます。

 この軌道修正も最初はすごくむつかしくて,なにしろ感覚的には圧倒的に暗いマイナスのイメージが押し寄せて圧倒される感じになりますから,「いやこれはちがうんだ」と「頭で考え」ても「でもこのくらい顔と返事のなさ」に彼女からの拒絶感をどうしても感じてしまう気持ちと頭が,完全にちぐはぐになってしまって,しんどいわけです。

 それでも少しずつそういう軌道修正に慣れてきて,「あ,違うんだよね,これは。」と考えるのも早くなるし,それ以前に,まず「きっと彼女は今日も暗い顔で返事もしないだろうな」という「予想」をあらかじめして,「それは僕へのマイナスのメッセージではないんだ」という「心構え」を持てるようになりますから,それを実際に見たときのダメージも少なくなってきます。

 それはそうなんですが,でもやっぱり彼女の表情から与えられる印象の力は強いですし,頭では「そうじゃないんだ」と考えても,どこかで「ほんとかなあ」という気持ちが消えてしまうことはありませんでした。そんなとき,アスぺの方たちとのやりとりがまた少しずつ私の受け止め方を変えていきます。

 私がそのことについて「ほんとかなあ」という感じを持っていたのが,「ああ,ほんとなんだ」と思えるようになったのは,かずきさんの次のコメントを読んだ時でした。

「また、朝のやり取りも、「人と関わるモード」というのをOFFしてしまうと、私の場合もそうなる気がしました。寝ているときは完全に一人な世界なわけですし、起き抜けから「他人(と関わる)モード」を展開するのは厳しいものがありますので、私の寝起きは時間がかかります。PC立ち上げに時間がかかる感じです。ましてや、先に起きて過ごしていた一人の時間を唐突に終わらせられる(立場的に)とするとちょっと抵抗したくなります。私は同居なので、部屋を出たら即「他人モード」にしなくてはいけなくてその為の起動時間が長く必要で、誰よりも遅く起きるダメ妻&母です。(苦笑」

 

 私にはこのPC立ち上げにかかる時間という比喩がすごくヒットして,「なるほど!」と感じてしまったんですね。というのは,それまでも自分自身が朝起きて頭がはっきりするまでの間の体験を,なんだかPCの立ち上げをしている時間みたい,と思ったことがあったからです。

 眠っていてすっかり意識のない状態から,なんとなく周囲のもの音とかで起こされ始め,布団の中にいることに気づき始め,あ,今何時だろうとか思い始め,自分は何をしなきゃいけないのかと考え始め……といったことをだんだんと思うようになって,頭がはっきりしてくる。たまに出張とかでホテルで目が覚めたりすると,「あれ,ここはどこだっけ?」と迷い,そのうちに「ああ,今家じゃないんだ」とか気づき,といったことも起こる。ちょっとずつぼーっとした意識がはっきりしてくるその感じがPCが少しずつソフトを読み込んで立ち上がっていくイメージに重なってきて,面白いなあと思っていたんです。

 その自分自身についてのイメージに,かずきさんの説明がピタッと当てはまってきたんですね。それで「あ,そういう感じならなんとなくわかる」と思ったわけです。

 ちょっと古い話ですが,アップルのパソコンでウィンドウズを動かすソフトというのもありました。アップルのパソコンでウィンドウズを動かして,そのウィンドウズでウインドウズのソフトを使えるようにするわけですが,パソコンとしては余分な仕事をたくさんしなければならないわけですから,ウィンドウズのモードに入るまでに時間もかかるし,仕事としてもすごく負担が大きいわけです。要するにそんなイメージです。

 アスぺの方の「自分モード」はアップルパソコンのようなもので,定型のやり方はそこでは通用しない。で,アスぺの方が定型のやり方を受け入れるには,その「自分モード」の上にもう一つ「他人モード」を立ち上げないといけない。つまりウィンドウズを立ち上げる必要です。そういう比喩が私にはなんか「ぴんときた」んですね。

 それで「ほんとかなあ」という印象が「ああ,ほんとなんだ」という印象にかわった。(ただ,今のところは彼女の表情を見て,一瞬反射的に気持ちが暗くなること自体は残り続けています)

 ……,と前置きが長くなりましたが (笑),以下は「ふと思ったこと」です。

 あるところでは「はい」という返事をするときに,首を横に振り,「いいえ」の時は首を縦に振るんだという話を誰かに聞いたかテレビでみたことがあります。これ,日本に住んでいる人からすれば,すごい混乱しますよね。事前に説明を受けていれば「今この人は首を横に振ったけど,これは拒否してるんじゃなくって,OKのサインなんだ」と,頭で一生懸命翻訳して「ああよかった」と思うでしょうけれど,説明が無ければ大混乱は確実ですし,説明を受けてからも,ずっと一瞬の混乱やある種の気分的な葛藤は残り続けるでしょう。

 そういうことを経て,それでも長いことそういうやりとりをしていけば,まあそれでも慣れていくのかなあと想像してみます。

 で,考えてみると,こういうのって,いわゆる異文化のところにいくと,よく起こる問題ですよね。もう骨身にしみついた感覚のズレで,こまってしまう。

 たとえばこれも昔本で読みましたけど,遺体を砕いて鳥に食べさせる「鳥葬」というやり方があるそうですけど,もうびっくりでした。まず自分の身内の遺体を砕くことがショックですし,鳥に食べさせるのもショックですし。

 でも,その人たちにとってはそれは「手厚いお葬式」の一部なんでしょうね。それがなくなった人への「思いやり」でもあるんでしょうし,自分も将来そうされることを願っているんでしょう。いやあ,まいったなあという感じでした (^ ^;)ゞ

 そこでふと振り返って考えてみると,日本では火葬をして,そのあと親しい人がそのお骨を拾い集める,ということを火葬場でやります。これなんか,私はなんの抵抗感もなくやってしまうわけですが,欧米の人かなんかがそれを見てすごいショックを受けていたという話も聞いたことがあります。(その割にはヨーロッパに行くと沢山の骨で飾った「骸骨寺」みたいなのがあって,見てびっくりですから,なんのこっちゃと思いますけど(笑))

 

 そういう「頭じゃわかるけど,気持ちがついていかない」というずれを持った人間同士が,どんなふうにお互いのやり方を認めてうまく一緒に生きていけるのか,ということが文化の違う人同士の間では大きな問題になるんだと思いますが,定型アスぺ間の問題も,そういうところがあるんだなあと改めて思いました。

 もしそうだとすると,定型の側の「理解」の進み方にはこんなステップを考えることができるかもしれません。

 まず最初はお互いの感覚の違いに全然気づけなくって,ひたすら自分の感覚で相手を判断してすごいショックを受けてしまう段階。

 次に「どうもこれは同じことについてかなり違う感覚を持っているらしい」と気づき始め,一体それは何がどう違うんだろうかと考え始める段階。

 それから少しずつ違いの中身が見え始めて,自分の感覚ではこれは判断しきれないなあと思うようになるけど,でもなんで相手がそんなふうに感じてそんな風に行動するのか,まるで異星人にしか見えない段階。

 そしてどうやら相手には相手の「これがいいやり方だ」という,すごい違う価値観の持ち方があることに気づき始めて,自分の価値観を押し付けにくくなる段階。この段階位になると,「頭じゃわかるけど気持ちが付いていかない」という葛藤の問題が結構深刻になるかもしれません。

 その次に「あれ?この相手の感じ方や行動の仕方って,自分の経験で言えば,こんな時に感じることやすることと似ているな」と気づき,自分の経験を手掛かりにして,相手の感じ方をなんとなく感じ取れるように思えることが出て来る段階。部分的ですが,それまで訳の分らなかった相手の世界に,ちょっと「共感的」な理解ができ始めます。

 さらにそれまでバラバラに,部分的に共感的な理解ができ始めたいくつかのことがなんとなくつながって見えてきて,それがひとつの「合理的」な生き方として少しずつ説得力も持ってくる段階。

 

 まあ,これは私自身の個人的な体験を整理しただけですので,どこまで他の定型の方にも通用するのかはわかりませんし,さらにはアスぺの方にはどうなのかはもっとわかりません。「自分の経験を手掛かりに,相手の感じ方をなんとなく感じ取れるように思える」といっても,それはあくまで定型の私の感じ方なわけですから,どこまでほんとに通用するのかはアスぺの方に聞くよりありません(今のところは「そんな感じ」と言ってもらえることが割とあったようには思いますが)。

 それから,私の現状は上のようなステップで,アスぺの方の生き方がある種の説得力を持って感じられ始めたところまでに留まっていますけれど,今のところはこれで頭打ちという感覚はなくって,その先もありそうに思います。ちょっとずつ模索し始めている感じです。さてこれからどうなっていくのでしょう。


 

 

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コメント

この記事を読んで思い出した出来事があります。
次女のオムツを変えようとしていたとき、長女も「うんち!」と言い出したので二人ともオムツを替えなければならず、ソファで寝転んでいた主人に「XXX(主人の名前)、長女のオムツ替えてくれるかしら?」と子供部屋から居間に向かって頼んだところ、ものすごい勢いで怒鳴り返されました。
そのときは、寝ているところを邪魔されておむつ交換を頼まれたことに対して怒っているのかと思い、子育ての協力も相手の都合のいいときしか頼めないのかと腹が立ちました。それでも、(お互いの)怒りが収まってきたころに主人の言い分をじっくりと聞いてみると、寝ているときにおむつ交換を頼まれたこと自体は問題ではない、寝ているときに頼みごとをするときは、まずちゃんと呼んで起こして、起きたのを確認してから頼みごとをして欲しい、と言うのです。私としては、名前を呼んだことが起こすという行為を含んでいて、彼の言い分は寝起きで不機嫌になったことに対する言い訳に過ぎないと感じていました。それが、「PC立ち上げ」の喩えを見て、あ、これのことだったのかとなんだか納得してしまいました。
まあ、誰でも寝起きに頼みごとをされれば多少は不快な気持ちも出てくるでしょうが、普通は(私の場合)その不快な気持ちを無意識に横に押しやって相手の頼みごとを聞きます。でも、アスペの人(うちの主人の場合)は、そういう無意識に不快な気持ちを横に押しやるっていうのがないのかなと思いました。
いずれにしても、彼の言い分を単なるわがままととらえず、頭の中で起こっているプロセスが違うと考えれば、いくぶんか納得できるように感じました。

anonimoさん

>アスペの人(うちの主人の場合)は、そういう無意識に不快な気持ちを横に押しやるっていうのがないのかな

 なんか,このあたり,結構大事なポイントなのかなと思ったりします。
 特に自分にとっての「身内」には,そこはストレートに正直に振る舞われるのかなと。

 逆に言えば,なんで自分がそういうやり方ができないのかなと,
 ある意味そこは興味深いとも言えそうです。
 「思いやりがある,ない」といった話はちょっと横において,
 そのあたり,理解しなおす道があるかどうか……
 よくわかりませんが,なんとなくそんなことを考えます。

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