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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年11月 7日 (金)

定型の世界=お化粧の世界?

 最初はほんとうにただただ訳の分らなかったアスぺの方の「生き方」について,いろいろな体験を皆さんから教えていただいたり,やりとりをさせていただく中で,私としてはたとえそれが一部の方に留まるかもしれないとしても,ようやく今は多少なりとも「かみ合った議論」もできはじめた感じがしています。

 そうやって少しでもかみ合う話ができるようになるには,私の場合は本当に自分の足元を掘り返し,場合によって崩すような作業が欠かせませんでした。自分が自分のこれまでの人生で積み重ねてきた「常識」を,あるいは「常識」ということさえ気づかずに持っていた感覚を,ひとつひとつ見直していかなければ,アスぺの方との「共通の足場」のとば口を見つけることは私にはむつかしかったです。

 もちろん,人は「常識」を持っているから安心して生きられる,というところがあって,その常識を仮にでも崩してみるわけですから,それは痛みも伴いますし,場合によって危険でもあります。特に定型アスぺ問題に今絶望的な苦しみを感じているさなかにあったりする場合には,とてもではないけれど,そんな余裕は出てこないでしょうし,逆効果にしかならないかもしれません。まずは傷つきすぎた自分をケアすることの方が大事になることもあるでしょう。

 あくまでも,そういう「もっとも辛い状況」はなんとか過ぎて,お互いに多少なりとも前向きになれてからのことですけれども,改めて自分の足元を見直してみるような作業というのは,ほんとにいろいろなことを新しく教えてくれるものだなあと感じます。

 たとえばアスぺの方が定型的なやりとりの仕方の,どういうところにおかしさを感じたり,わけのわからなさを感じるか,といったことを教えていただいて,「なんでそんなふうに感じられるのだろうか」ということを私なりに想像していくと,今までは気づくことのなかった「定型社会の秘密」のようなものがよく見えて来る感じがして,かなり刺激的でもあります。

 そうすると,今気が付いたことですが,そこで私が新たに見えてきたと感じることをストレートにここで書くことには,ちょっとためらいが出てきたりするんですね。なぜかって,それは定型的に言えば,すごく「皮肉な見方」にも感じられそうだからです。「なんでそんなひねくれた見方をするの?」とか「なんていう冷たい見方をするわけ?」とか,そんなふうに受け取られてもおかしくないような気もするからです。

 って,つまり,アスぺの方が定型から非難されるパターンの一つですよね?少なくとも,私がパートナーに対して今まで感じ続けてきたことはそういった「皮肉な見方」に対する反発心でした。うーん,なるほど。もしかすると,アスぺの方の発言がしばしば定型の怒りを引き起こすのは,そういう仕組みなのかもしれません。

 たぶん,アスぺの方が見ている定型の社会というのは,かなりえぐいものなんでしょう。パートナーの語る定型的人間関係って,かなりそんな印象を受けます。

 ふと,こんなたとえを思いつきました。定型の社会って,お化粧を大事にするんじゃないでしょうか。お化粧って,実は「嘘の自分」を作ることともいえなくはないですよね。お化粧でつくられる自分は素の自分ではなくて,「こういう自分を人に見せたい」という自分になります。それで,お互いにそれは「化粧」であって,「素のその人」ではないことを知っているんだけど,でもその化粧が「似合っている」こととか,その人を「素敵に見せる」ことについて,お互いに褒め合ったりするわけです。

 お化粧してお互いに褒め合っているところに,だれかがやってきて,「これ,あんたの起き抜けの素の顔の写真だよ。あんたほんとはこんな顔でしょうが」とか言ってきたとしたら,多分言われた方はスーッと冷たいものを感じて,「あんた,何のつもり?」とか怒り出しそうです。あるいは「それを言っちゃあおしまいよ」的な (笑)

 でも素の顔の写真を見せた方からいえば,本当のことを言ってるだけだし,そのことを隠して「お互いに褒め合って」いる姿が白々しく見えて,そのことを指摘しているだけなのに,なんで怒られなきゃいけないんだろう,と不思議に思うんじゃないでしょうか。

 多分,この「お化粧の世界」というのは,定型には無くてはならないものなんだと思います。お化粧をするというのは,自分をよく見せようとすることでもあるし,同時に相手に対する気遣いでもある。また相手のそういう「努力」を褒めることもまた,気遣いの一種なのでしょう。その気遣いを否定されてしまっては,白けるか,あるいは傷つけられた思いに腹が立つかになってしまいます。

 そうすると,その「お化粧の世界」を否定する相手とは,だいたいの定型はやっぱりお近づきになりたくなくなるかもしれません。そしてだんだんと無視したり,のけ者にしたり,場合によってはいじめの対象にもしてしまう。

 うーん,なんかアスぺの方の発言がしばしば定型の地雷を踏む理由の一つが,なんとなくわかったような気にもなりましたが,さて果たしでどうなんでしょうね。

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コメント

すみません
 前記事のコメント欄に書こうかと思ったのですが
 この記事もピンと来てしまったので、ここに書かせてください。

 お化粧の世界、という感じ。
 みんなが、何者か(なりたい何か、見せたい自分)になろうとして、
 自分をそう装うこと。
 これが、ものすごく、違和感あります。
 もしかしたら自分もしてるかもしれないのですが
(そういうことがあるのでまたややこしいです)
 まさに【「嘘の自分」を作っている】感じ。
 これがもう、とにかく、嫌。
 なのです。が、
 アスペの人はそういうのが嫌なのかなあ…。

 という感じで、ものすごく「それだ!」と思うことが時々あるので、
 近いのではないか、とついつい思ってしまうのですが、
 アスペの人の反応とか、いろいろなことが自分には当てはまらないので
 やっぱり違うのかな、と、冷静になってみたり…。(そもそも感覚過敏・鈍麻等がありません)
 すみません…。 

 いただいたお返事を読んでいて
 自分は「察する」というのがとにかく苦手なのは間違いないな、と思いました…。
 気使いについても、たぶん普通気付くのに、気付かないから、なぜやらない!とか、やってやったのに!とか、言われるのかな…。

 またいろいろ読みながら、考えさせていただきたいです!

 お化粧のたとえ、とてもわかりやすくていいですね。
 ただし、お化粧は目で見えますが、定型の気遣いや気配の察し方は見えないから難しい。 モード切り替えが一目でわかるようになれば、定型AS問題は5割くらい解決できそう(^^)d
 ままさんもご苦労が減るのではないかと思いました。

  私は普段はほとんどお化粧をしないで素っぴんで過ごしていますが、とある方に「女性が素っぴんでいることはマナー違反」と言われて困りました。 本当にお化粧が苦手で、公式の場に出るような年に数回くらいしかメイクアップはしません。
 それだけでも疲れてしまうのに、ASの方に始終フルメイクを強いるようなことはかなり厳しい要求なのですね。
 またひとつ認識を改めてさせていただきました。

ままさん
杜若さん

奇しくもお二人とも「化粧 」の例えに関連してコメントを下さいましたが、実はこの例え話、私もなんか分かりやすい気がしていました(^o^)

嬉しいのは、書いてる私とそれをお読み下さったお二人との間に「面白さの共有 」が成り立ち、しかも定型アスペの違いがありつつそれが共有されたのかも知れないですということです。

まあ、定型アスペ間の共有ということについては、ままさんが書かれているように、ままさんの「定型的な部分 」でそう反応してくださったのかも知れませんし、他のアスペの方にどこまで通用するのかは私にはよくわかりません。

でもひとつの例え話が、もしかすると定型アスペの両方の方に意味があるとすれば、それって結構大事なことなんじゃないかと思うんですね。定型アスペ間の理解の共有ということについて、またひとつの新しい可能性が見えたのかも知れないからです。

その意味でも、この例え話が他のアスペの方にどこまで通用するのか、ちょっと気になるところです。(私の話はパートナーには分かりにくいことが多い様なので (ToT) 特に……)

>杜若さん

 話しかけてくださってありがとうございます!
 なんだかこのブログに変な(異質な)風を入れてしまったのではとひやひやしていましたが、少しほっとしました。
 「モードの切り替え」という概念が新しく、まだよく分からないので、これからそれを念頭に、いろいろ考えていければなと思いました。
 また
 化粧のことはまったく同感です(笑)。
 私もしません。式とかに招待されたとき「のみ」です。
 「マナーだよ」は私も聞きました。が、……今は正社員でもないし言われるまでいいかとスルーしています(笑)。
 私にはメリットがなく、デメリットが多く感じられるからです。簡潔にいうと、面倒だし、綺麗に見られる必要を感じません(笑)。

 自分はこのとおり、化粧はもちろんそれで例えられる「装い」が全体的に好きでなく、避けますが、
 避けずに生きていけるのだというのはその程度ということだし(たまに衝突しますが)、
 避けられないので装うしかない、となったら、それは大変苦痛だろうな、と思ってしまいます…
 想像でしかないですがっ…。


>パンダさん

 ほんとう、
 アスペの方にはどんなふうに映るのでしょうね。
 気になりますね…。はい。

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