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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年11月20日 (木)

努力が認められない

 何か解決しなければならない困難を抱えてしまったときに,定型がアスぺの相手の方も含めて一緒に問題を考えようと真剣になっているときに,その「一緒に真剣に」という感じがうまく共有されず,話がむつかしくなってちょっと考え込んでる時に「もう疲れたから」とか言ってすっと去って行かれてしまったり,自分の趣味を始められたりして,定型の側がショックを受ける,というようなことはないでしょうか。私はそういう感じのことがしばしばあって,定型アスぺ問題に気づかないときはもちろん,気づいてからも,なんでちゃんと問題を共有しようとしてくれないのか,と感じて自分の気持ちの処理に困ることが繰り返されました。

 もし自分が彼女の立場であれば,可能な限り一生懸命一緒に問題を考えようとするし,そこで解決が見つからない時も,「むつかしいね。どうしたらいいんだろうね」と言い合ったりします。そういうことの意味は,「今は一緒に考えても答えがまだ見つからないけれど,これからも一緒に考えていこう」という気持ちをお互いに確認することだったりするのでしょう。

 そういう展開が無くて,なんだか「疲れた」とか「明日の仕事があるから」とか,いきなりという感じで自分の都合を一方的に言い渡されて話を断ち切られる,という感じになってしまったり,まるで関係ないことを始められてしまって「そのことは私は興味ないし,関係ないよ」と言い渡されてしまったような思いになったりするわけです。

 これも定型的に見ればいわゆる「共感的な関係を作ってくれない」冷たい態度,という受け止め方をする例になるんでしょうね。

 ただ,彼女がふざけているのかとか,問題をまともに考えようとしてくれないのかとか,そういうふうに考えてみると,それはなんとなくそうじゃなさそうな気がしていたわけです。彼女は彼女なりに頑張って相手をしてくれるんだけど,すぐに疲れてしまったり,我慢が出来なくなって,もう考えられなくなってしまうのではないか。そしてそうなると,もうそれ以上相手の気持ちへの配慮もできず,「お化粧」抜きで,「正直に=露骨に」自分のしんどさを言って終わりにしてしまう,ということなんだろうか,とか考えていたわけです。

 でも,なぜかわかりませんが,もしかしたらそれはちょっと違うのかもしれない,と思いました。そして自分の中の定型的な感覚を使って,定型的な想像力を働かせて,そんなふうに彼女がなるときの「気持ち」をもう少しつっこんで考えてみたわけです。

 もし自分がなにかの困難に突き当たって不安に思い,誰かに助けを求めたり,相談したりしたくなったとします。ところが周囲の人たちは全然自分の言うことを理解してくれません。一応なんらかの対応をしてくれたとしても,どれも的外れな感じで,全然自分の不安を解決してくれない。

 そういう状態が,生まれて以降,ずっと繰り返され続けたとしたら,自分の気持ちは伝わらないのが普通のことで,人に相談してその言葉で自分の不安が収まったりすることはないのが当たり前,という感覚にならないでしょうか。

 それが自分にとっての当たり前,常識になったとすれば,何か問題を抱えた時,不安に思う気持ちに対処できるのは自分だけということになります。そこで人に何かを求めることはほとんど意味がない。具体的な問題について,技術的な解決ができることであれば,それは一緒に考えて解決が見つかることもあるし,そうするけれど,「気持ちの整理」とか,そういうことは各人それぞれの課題で,人は自分に何の助けにもならないし,自分も人に何の助けにもならない。それが当たり前になるかもしれない。

 もしそういう感覚が普通になったとしたら,定型の相手から何か相談を持ち掛けられたとして,それが自分にも関係していれば特に,一緒に問題を考えることはするでしょう。それはあくまで「具体的な対処の仕方」について,技術的に現実的に考えることです。

 けれども定型の側は,そのことはもちろん必要だとしても,それだけではなく,問題に対処するための「気持ちの整理」のようなものに多かれ少なかれこだわります(もちろん人によってそこへのこだわりの強さは様々に個性があるでしょうけれど)。そしてその「気持ちの整理」の中には,人間関係の調節みたいな要素がすごく入ってくる。

 そうすると,アスぺの方からすれば,そこはそもそも相談によってどうにかなる話ではないところになります。そこは自分で解決するしかないのです。

 それでも相手が真剣に相談してくるから,一応は頑張って考えてあげようとはしますが,やはり意味あるやりとりにはならず,訳の分らない問題が繰り返し訴えられて,ほんとに困ってしまって,お手上げ状態になる。頭は空回りするだけだし,ただ疲労がたまっていくだけです。(訳の分らない高等数学の問題を無理やり「解け,解け」と言われ続ける状況をちょっと想像したりします)

 そうやって相手のためにお付き合いはしてみるものの,そのことに大きな意味も感じられず,相手が考え込んでだまってしまったら,なんだかわからないけど,これで一応一段落かと思い,疲れたからもう休むと言ったり,あるいは自分の趣味で自分の気分を立て直したりする。自分はできる限りのお付き合いをしてあげたのだし,それで精いっぱいの誠意は示したわけです

 ところが定型からは自分のその努力が認められないで,「一緒に考えてくれない」とか「冷たい」とか,ひどいときには「ふざけている」とか「馬鹿にしている」と言われる。いったいこの人は何を言っているのかとまた訳が分からず,ショックを受ける。

 もしかすると,そこにはそんな展開があるんじゃないでしょうか。例によって定型パンダの勝手な想像ですが……

 

 

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コメント

そうかもしれないし そうでないかもしれないし、そのあたりはわかりませんが、
相談をして、そのようにアスペのパートナーからつれない態度をとられた、その瞬間、まさにその時に、パンダさんがおっしゃるように思えたら、問題にはならないのでしょうけれど…。
時間がたち、悩み 考えた挙げ句 定型は きっとこうなのだろうな…とパンダさんのようにプラスにとらえ、きっとそうなのだと信じこむ…
しかし、また つれない態度をとられてしまうものだから いいようにとらえていただけか、と、自分の幻想のようにも思えてしまう
要は なにか起こったその瞬間に プラスにとらえておおらかになれたらよいですが 実際は そのときは 到底そうはとれないことですよね

私も
相談したいことがある と パートナーがアスペと知らない頃、話しかけたら
相談はちょっと… と話すら聞いてもらえなかったり

なにか問いかけると
しばらく う~ん と考えては見るものの
知らない わからない
と答えられ
なぜ? と聞くと
面倒だから…

で終了。

私のことなんてどうでもいいんだ… と うちひしがれましたね

それでも パンダさんのように プラスにとらえるように時間をかけて頑張るのですが…

満たされない思いに 我慢 そして心身の不調 という悪循環に陥ってしまう危険もありますよね

とてもよく想像できます。

パンダさんのところはすっと『逃げ』たり、話を『はぐらかし』たり、という手段を取られるようですが、我が家は突然イライラが始まり「なんでいま、そんな話をするんだ!」と怒鳴られます。
その『今』が何時ならいいのか考えあぐねた結果、私の考えた最良のタイミングで話を振ってみると、「何度も言わなくてもわかってる!」と言われ、その後その話は忘れ去られてしまいます。

大事なことを相談したいのに、この人にはどう話を持っていっていいのだろうか?

本当に家族の一大事も、相談することができないのかと嘆いてきましたが、どうやら、夫にはその解決方法どころか、その内容を理解することも難しいのでは?と思うようになりました。

仕事が順調だったり、自分の気持ちが充実しているときなら、理解出来るらしいということもなんとなく分かってきました。

そして、早々に解決しなければいけない、急がれる案件でなければ、いったん振っておいて、忘れたころに答えを返してくれたり、行動に移してくれることも。

夫にとって、仕事も、通勤時のストレスも、体調も、同レベルで負荷が掛かっていて、さらに家庭のこととなると、パンク状態になってしまうんじゃないかな?
でも、私が突然振ってきたことを、頭の片すみには置かなければと意識を向けようとするけど、やっぱりどうにも処理できない→爆発 という図式なのでは?
とこの頃感じます。

パンダさんのおっしゃる「一応は頑張る」という気遣いこそ、家族への思いやりとも取れますね。
「あー、それでも、限界っ!」という心の叫びが、
パンダさんのパートナーさんの「もう疲れたから」という呟きだったり、わが夫のイライラ爆発だと考えると、つじつまが合います。

結局、多くは自分で解決するしかないのが、辛いところですが。
それを承知でとりあえず『振る』のも大事なのかなと思っています。

どんぐりさん

多分がまんするために考えるというパターンは、すごく辛くなりそうですね。いくら頭で理屈で考えても、それだけで自分の辛い思いがなくなることは難しそうに思います。

私の場合は何で自分が辛い思いをするんだろうと考え、そして自分自身がある程度感覚的に納得できる形で、パートナーは何をどうして辛いと感じるのかを理解したいと思っているんだと思います。

パートナーがどうして辛いのかを理解しようとすると、辛い思いの原因のひとつが自分になったりするわけですから、自分を被害者にしておけず、加害者としても見てみる想像力が必要になるので、それ自体がなかなか辛い作業にもなります。

ただ、それである程度実感として「なるほど、そういうことなら彼女の反応はとても自然に感じられるなあ」と思えるところまで来ると、なんだか自分の被害者感情も、加害者という罪悪感も軽くなって、「お互い様」という感じをベースに、なんか別の道を探る気持ちが出てくるみたいです。私の場合は、ですが。


あすなろさん

あすなろさんの夫さんとの対比が面白かったです。なんかどっちが男かによって、アスペの方の対応の仕方が逆方向になったりするのかなあとも思いました。

とりあえず振っておいて待ってみる、というやり方、私もやっているので、ああ、おんなじだ!と思いました(笑)。

なんかどっちかが一方的に配慮するんじゃないという理解が共有される道はないものかと思いますね。

なるほどですね~
自分自身を分析されて そっかあ~と思えました。
パンダさんは 心がとても大きくて あたたかな方という ものが 伝わってきます。

自分も もっと おおらかだったら 結果はちがっていたのでしょうか…

いまだ 何がいけなかったのか と 振り返り 苦しくなります

どんぐりさん

 お財布は小さくて寒いパンダです (笑)or(泣)

 何がいけなかったのか。
 ズレなんじゃないでしょうか。

 得体のしれないいろんなズレに,いろんなところでいろんないろんなひとが
 苦しんだり悲しんだり,憎しみ合ったり,果ては殺し合ったり,
 そんなことばっかり起こっているのがこの世の中のような気がします。
 お互い良かれと思ってやることが裏目に出てしまうというのが
 一番やり切れません。

季節に加え 心も 懐もピュ~ピュ~冷たい風が吹きあれて 寒い どんぐりです
ホント そうですね。
ズレ…。

アスペとわからない頃、メールの返答や、会った時の話で え?????? となることが なぜ おこるのか… あちらは頭がいい人でしたから 私が頭のレベルがちがいすぎるのかな…
賢くならなくては! と 得体のしれない 必ずおこる ズレに 自分がおかしいのかな と 必死だったことがあります。 でも どんなに仲良くしていても ちょっとした行動、目線、言葉にズレを感じては 帰ってから悩む日々。 私にだけ こんな態度をとるのだろうか… と…

アスペとわかり、今 仮に関係が戻っても上手につきあえないような気がします。

このズレ ばかりは
ホント 難しいですね。

毎回 ちがうズレがおこり パターンもちがい、それがつもり積もって 会わないことが仲よくすること とすら 思えていましたね 。
あ~
寒い((+_+))
(笑)

どんぐりさん

 「会わないことが仲よくすること」,これ,私的にはすごいヒットです。
 そういう発想もあるんですね!

 定型アスぺのカップルがその後どうすべきかの分かれ道に来た時,
 そういう感覚になるかどうかはひとつの大事な判断基準かもしれないと
 そんなことを思いました。

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