2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 臭いに敏感な理由 | トップページ | ブログの役わり »

2014年10月17日 (金)

「仮にそうだとして」というスタイル

 今朝,親の介護のことでパートナーと話をしていたときにふと思ったことがあります。

 前にも記事で会話をしていると,思わぬところで「話の腰を折られる」という感覚になることについてちょっと書いてみたことがありました。私からすると,話の本筋とは思えない細かいところで「それはどういう意味?」とか「なんでそう言えるの?」とかにこだわってこられて,言いたい話にたどり着けなかったり,くじけて話す元気がなくなったりしてしまう,というようなことです。

 今朝もちょっと久しぶりにそんな感覚が生まれるやりとりがありました。ただ,今はお互いにだいぶその辺は「そういうことがある」ということを分ってきたのか,なんとか話を先に進められたのですが,その後,「ああ,この会話のズレって<仮に>という聞き方をするかしないかの違いなのかな」と思ったんです。

 例によってすでにみなさんからのコメントで教えていただいていることなのかもしれませんが,その辺は私の理解力のなさということでお許しいただくことにして (^ ^;)ゞ,定型の場合も,相手の話を聞いているとき,相手の言うことを全て理解できているとか,納得できているということはないと思います。全然ないわけではないでしょうけど,むしろまれなんじゃないでしょうか。

 でも,途中で「え?それどういうことなんだろうな?」とか,「そこはちょっと違うような気もするけどな」と思ったとしても,そこでいちいち尋ねたりはあまりしないで,「仮にそうだとして,この人はその先何を言いたいのかな」というふうに聞き続けることが結構あるような気がします。それで先の方まで話を聞いていると,さっきよくわかんなかったことが分ってきたりすることもあるし,やっぱり違うなあと思うこともあるし,その段階で改めて必要なら尋ねてみるとか。

 あるいは人によってはわかんないところや違うと思うところは適当に聞き流して,理解できたり納得できたり共感できたりするところだけ,「うん,そうだね」とか応じて「角が立たない」ようにするタイプの方もあるように思います。

 どちらにしても,相手の話に分からないところがあったとしても,「仮に」そこは置いておいて「その先にこの人は何を言いたいのかな」というところに気持ちを持って行くことをするんですね,たぶん。

 それに対してアスぺの方は,この「仮に」という聞き方が少なくて,ひとつひとつ自分の納得する形で理解を積み上げていく姿勢がすごく強いのかなと思ったわけです。

 「障がい」という理解の仕方でもし説明するのなら,定型の方は自分と相手とか,複数の人の見方や視点を組み合わせて理解を進められるのに,アスぺの方は一つの視点で理解を組み立ててしまい,違う視点を自由に組み合わせたり切り替えたりすることがむつかしい,とか,そんな話になるんでしょうね。それで「仮に」という形で自分の視点から相手の視点に切り替えることもだからむつかしくなるとか。

 ただここでは障がいかどうかということはあんまりこだわらずに,自分の特性に合わせたスタイルの違い,ということで考えてみたいんですが,そうすると,コミュニケーションについて,定型とアスぺではかなり大きなスタイルの違いがあることになります。

 定型の場合,コミュニケーションは「相手との調整」みたいなことにウェイトが強くあって,お互いに納得できなかったり,理解できなかったりする部分があっても,バランスを重視して先に進むというスタイルをよくとるのにたいして,アスぺの方の場合は「相手に話を聞いて自分の理解をしっかりと積み上げていく」ことにウェイトが強くあって,自分が納得できないところが出てくると,話を進めることよりそこが大事になる,というスタイルになる。

 そうすると,同じようにコミュニケーションをしたとしても,そのコミュニケーションで何をしようとしているのか,お互いに気づかないままその目的が微妙にずれちゃったりしているので,なんか話がスムーズに進まないし,お互いに困っちゃうんじゃないでしょうか。

 目的が微妙にずれちゃうということは,コミュニケーションに何を期待しているか,ということがお互いにずれちゃうということでもあります。そうするとコミュニケーションに期待しているものがなかなか得られなくて,それで消耗したりということも起こるでしょう。

 これって,やっぱりお魚を八百屋さんに買いに行って,みつからないのでショックを受けて悩んじゃう,みたいなことになっているのかもしれません。八百屋さんではおいしい野菜を見つけて満足できればいいんだけど,そこでそこが八百屋さんだということになかなか気が付かなくてショックを受ける,みたいなことが起こっているのかも。

 まあ,でも魚屋さんだと思ったから行った(結婚した)のに,いや,ほんとうは八百屋だと言われてこまっちゃう,みたいな話もあるんでしょうけれど。そのとき,「まあ,でも八百屋も自分には大事だし,魚屋さんの他に八百屋にもよろうと思ってたし」とか「八百屋なんだけど,時々はサービスで魚も仕入れてみようか」みたいなこととか,そんな気持ちや態度の調整が可能なのかどうかも問題になるのかな。

« 臭いに敏感な理由 | トップページ | ブログの役わり »

コメント

かずきです。

全体へのコメントはまとまらないのですが…

「仮にそうだとして何が言いたいのか」
は、相手の話を聞いていてイライラしてしまったときに心がけます。
とくに親しくない人や子供相手には…

正直、「だからなんでそうなの?」「意味がわからない」等々
いいたくなるのですが、それをしたら話を折ってしまい、会話になら無いことが多いから言わないようにしています。
か、どうも態度に出ているようで、「何で怒ってんの」と言われてしまいます。

やはり最後まで話を聞いてみると言うのは得策なのですね。
あまりにもこちらの理解を越えてくると、つっこんで聞かざるを得ませんが…
そのタイミングも早いのかな、と思いました。

仮にそうだとして…。このフレーズをさきにつけてもらえたら、
少しは穏やかに聞けるのかな?と考えたとき、
夫がよく使う表現だと思い至りました。

「もし、こうだとして、だよ?」と前置きすることや
「こうだとしたらこうなるよね、だからそうなるんじゃないか」
と細かく説明してくれるとかとか。

私も私の考えは置いておいて、そのルートで考えてみるよう切り替えがスムーズにできてる気がします。
もちろん、その「仮にそうだとして」に納得できないときは突っ込みますけど…

かずきさん

そうなんですね!
「仮にそうだとしたら」という表現をかずきさんの夫さんがよく使われて、それがかずきさんにも聞きやすいということに、ちょっと感動です。

ひとつには夫さんのそういう細やかな工夫に感動ですし、もうひとつにはそういう細やかな工夫が実際にかずきさんに意味があって、かずきさんもそのことを実感されていることに感動です。なんかすごくいいご夫婦だなあとしみじみ感じます。

まあ、その感動は置くにして、「仮に」という言葉をかずきさんご自身も意識して使われることで、定型とのコミュニケーションが少しとりやすくなる場合があるし、逆に同じ言葉を定型が使うことで、かずきさんも理解しやすくなる。

「仮に」という言葉はある意味、定型アスペのコミュニケーションにとって、それをスムーズにする「魔法のことば」のひとつとして、使える場合もあるのかも、と考えると、また感慨深いものがあります。

トマトです。

なんか良い流れに水を差すようで申し訳ないのですが、私の周囲には「仮に」「もし」という「例え話はしないで欲しい」というASの人が数名居ます。

その理由は
■この問題とその例え話は関連が無い。例え話で納得することはあくまで例え話の中のこと。
■話をたくみにそらして自分の言い分を通そうとする策略話法だと感じる。
■「例えば」というワードがとにかく嫌い。
■例え話が出て来ると、話が長くなり、以前の内容が訳分らなくなる。

「話を最後まで聞けない」理由を聞いたら
「とにかく疑問や異論を感じたその時に言わなくっちゃ!と思ってしまう。それを我慢すると、我慢した時点からの話が耳に入って来ない」
「我慢して最後まで聞いたら、話としては納得に行き着くことも多いんだけれど、我慢したストレスが残ったままになる」

ですから・・・会話でことをなしている定型は「いろんな話し方」を身につけ、「いろんな話し方」や上手い「例え話」をされることで、より主旨が伝わりやすくなり、賛同や共感を得やすくなるという、良い意味での幅をもつわけですが

ASの人の受け取り方は、定型の予想外のことが多いですから「この人には有効か有害か」が「とにかく話してみなければわからない」という一からの手探りとなり
その方法も、会話なのか、端的なメモの質問がよいのか、図形なのか、数字や数式を用いた方がよりスムーズなのか
会話でも、ジョークやお天気などの世間話OKなタイプか、自分の感情表現を一切さっぴいた会話が良いのか、その人の趣味やこだわりの世界の話題限定で感情表現もジョークもOKなのか

ASの人には・・・ではなく「このASの人には」と考えるべきではないかと思うのです。

かずきさんのように「仮に・・」という会話がOKな方でも、
もしかしたら旦那さんとの関係性で、旦那さんの声やリズムや話し方での「仮にだよ」という例え話が受け入れやすいのであって
まるで同じ言葉で同じ内容であっても、嫌なタイプの人ならはなから拒絶感を持ったり、早口やハイトーンボイスの人に言われたらスムーズに理解できない可能性はないでしょうか?

これは、ASの人に同じ内容を同じ言葉の選択で伝えても、声質やリズムや雑音や気温など・・・定型にはさほど影響しない事柄がハードルとなり理解度や受容が全く違うので、そのASの人にマッチした条件というものが、定型とASの「会話」を左右すると・・・
感じた次第です。

トマトさん

 そうですね。「魔法の言葉」はあくまでそのカップルの中で通用する「魔法の言葉」で,
 それが他のカップルにもそのまま通用する保証は全然ないわけでしょう。
 そのあたり,オンリーワンの関係でそれぞれが個性的に作り上げていく
 「魔法の言葉」の世界があるのかなと思います。

 あと,かずきさんのお話で面白いと思ったことは,その魔法の言葉が
 御夫婦で自然に作り上げられてうまく共有されているということとか,
 夫さんのそういう言葉かけで,かずきさんの気持ちの持ち方が楽になられるとか,
 そういう「魔法の力」をその言葉が持ったことでした。

 ある意味,気持ちが通じている状態が実際できているという印象を持ったのかな。
 お二人でそういうつながりを作り上げていらっしゃるというのは
 いいなあと,なんか素朴に感じたんですね。

トマトです。

そうですね。その二人ならではの、伝わる状態を作り上げているということ自体、微笑ましく素敵なことですよね。
お二人の相手への努力や信頼感が感じられるASと定型のご夫婦やカップルを知ることは、励みになります。

かずきさんの最初のコメントが、確か旦那さんが「妻がASということに戸惑っておられる」時期の不安に満ちたものだったと記憶していますが、日々向かい合って、根気づよく相互理解されている姿勢は、やはり相手を大切に想っているからですね。


パンダさん、トマトさん

そこまで言っていただけるとなんだか恥ずかしくもなりますが、
実際、最初の頃相談させていただいたような不安は言わなくなりましたし、
夫も私も大きく変わって来ていると思います。

「良く分からないことは分かるけど、そうだと仮定して聞いて」とか
「何で出来ないかは分からないけど、出来ないんだね」とか
受け入れてくれていて、尚且自分も無くさずに居る夫を尊敬です。

そしてトマトさんのご指摘で気付きましたが、
「仮定の話」に抵抗を感じるのに、夫が言うなら聞いてみようという気になれるのは、やはりそこには信頼があるからだと思います。
親しくない相手に言われても反発心が芽生えてしまします。
夫に言われても我慢して聞いているのに、そこまで信頼していない相手に言われても…
「仮の話は仮の話でしょ」と反発するか聞く耳を持たない可能性も大きく有ります(苦笑
グッと我慢ができるようになったのは大人になってからですし、
そこは私のスペクトラムの浅瀬だから、という部分かも知れません。

かずきさん

>そこは私のスペクトラムの浅瀬だから、という部分かも知れません。

 というところ,私にはかずきさんのお話は分かりやすいことが多くて,
 私が理解したいポイントを突いてこられるお話に,
 いろんな刺激を頂いているのですけれど,
 そうなる理由の一つにはその「浅瀬」は関係するのかもしれませんね。

 その意味ではかずきさんだからこそ成り立つコミュニケーション
 ということがあるのでしょうけれども,
 でもだから「限界だ」ということともちょっと違いますよね。

 まずはお互いに比較的距離が近くて
 分りやすい関係の中で,相互理解の新しい工夫を積み重ね,
 それをベースにもう少し遠い距離の者同士でも
 理解を深められる道を探っていく,
 というやりかたも有効じゃないかなと思ったりします。

 なんにせよ,かずきさんご夫妻の関係が変ってこられているとのお話,
 なんかうれしいです。
 私の所もずいぶん変わってきているように思うのですが,
 そういう可能性の輪が広がるのであれば,心強く思います。

 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/57702569

この記事へのトラックバック一覧です: 「仮にそうだとして」というスタイル:

« 臭いに敏感な理由 | トップページ | ブログの役わり »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ