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アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年10月26日 (日)

もうひとつの「普通」

 定型アスぺの葛藤の中でしばしば問題になる「普通」という話ですが,たぶんその「普通」を持ち出すのはだいたい定型なのでしょうね。アスぺの相手の方の言動がまるでわかんなくて,こまって文句を言ったりして,それにたいしてアスぺの方が何を問題にされているのかが分らないから正直に尋ねると,今度は定型の方が混乱しちゃって,そこで出てきやすいセリフです。「普通そうしないでしょう」っていうやつですね。

 もうそんなの説明しようにも,定型としてはなにも考えずにやってることだから,改めて言葉で説明できないわけです。それで「そんなこといちいち言わなくてもわかるでしょう」となる。まあ,たとえば「あなたは右手の親指をどうやって曲げますか。やり方が分からないから言葉で説明してください」と言われたとしても,「ほら,こうやって」と動かして見せてあげるくらいしかやりようがないわけです。

 お医者さんなら何とか筋をどうやって動かして,とか説明できるかもしれないですが,「じゃ,そのなんとか筋はどうやって動かせるんですか」とか聞かれたら,もうアウトになりますよね。別に意識してそれを動かしているわけじゃないですから。「なんとか神経で指令を出したらいいんです」とか,そんなことを言ってみてももちろん同じです。で,「普通そうでしょう」という呪文に逃げ込むしかなくなる。定型同士ならそれで通じますし。

 アスぺの方はそういうわけのわかんない「普通」でいつも怒られるわけですから,「普通」に対して不信感を持っても不思議ではありません。

 それで,繰り返し引っ張り出して申し訳ないですが (^ ^;)ゞ, トマトさんが何度か言われていることに,定型の側は何人かのアスぺの方と交流した方がいいということがあります。まあ一般論としてはいろんな経験を積んだ方が積まないよりいいだろうとは思うわけですが,もう少しその「きも(肝)」が分らない感じがしていました。

で,最近改めて思ったんですが,それって要するに「もうひとつの<普通>を見つけること」の意味なんじゃないかということです。定型は他の人との気持ちや考え方のすり合わせとか調整をして,お互いの見方や感じ方や価値観などを共有することをかなり重視しています。もちろん「私は独立独歩,自分の道を行く。群れて生きるのはいやだ」という人や場合も定型にもあるわけですが,ベースにはやっぱり他の人との価値観の共有みたいなことがあるし,「己の道を進むのはカッコいい」みたいな価値観がそこに絡んでたりして,そこには「他の人もそのカッコよさを認めてくれるだろう」という思いがなんとなくあったりするようにも思うので,その意味でやっぱり定型的です。

 ですから結局定型は他の人といつも「普通」というひとつの基準をすり合わせて生きようとしているし,時代を変える人はそこで「新しい普通」を作り上げたりもするわけですね。もう定型はほんとにこの「普通」から逃れられない生き方をしているように感じます。

 それで,もしその定型がたったひとりのアスぺの方と向き合っていたとすれば,その相手の方は自分の普通には全然あてはまらなかったりします。だからとてもしんどくなる。でもそのとき,二人目,三人目のアスぺの方との交流があって,そこで「この人もそうだ,またこの人もそうだ」ということになれば,「この人たちの普通」というもうひとつの「普通」がそこで見えてくることになる。

 で,定型というのは(アスぺの方と同様)自分の見方で相手を見てしまいますし,自分が普通と思っているものを相手にも押し付けがちですが,ただ同時に「自分とは違う,もう一つの普通」というのが見えてくると,それでちょっと相手との距離をうまくとれるようになったり,たんに自分の感情で反発したりせずにすむ場合が出てくるように思います。

 前にも少し書いたことにつながってきますが,相手のことを理解するというとき,特に定型の場合は「この人はどうなのか」という,私と相手の二人だけの関係での理解はすごく限界があるんでしょうね。どうしてもそこで「この人たちはどうなのか」という要素が必要になってくる。

 これはいつも問題になることですが,「この人たちはどうなのか」という見方だけが暴走してしまうと,「アスぺの人はこういうものだ」という決めつけが始まって一人ひとり個性的に生きている姿が見失われてしまいますし,それは場合によってひどい差別も生んでいくでしょう。でも,だからと言って「この人たち」という見方を捨てて「この人はどうなのか」という見方だけに閉じこもってしまうと,それはそれで出口のないブラックホールに吸い込まれるようなことになりかねない。

 その両方の見方をうまく行き来しながら,バランスを探して関係を調整していく,という作業が,少なくとも定型の側にはどうしても必要になるのかなと思いました。その時に手掛かりになるのは「もうひとつの<普通>」を理解することで,そのために複数のアスぺの方とある程度密な交流をすることが大事になるのでしょう。

 

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コメント

ああ、本当にそうですね、伝わるものがあります。
「アスペの数だけそのアスペにとっての『もうひとつの<普通>』がある」と表現しても過言ではない気がしています。
幾分似通ったモノはありとしても。


仕事に限るかもしれませんが
何度確認してもしたりないくらいの「定型にとって、普通こうするだろうという作業」、
…例えば、いかにその相手をあまり怒らせない(不機嫌にさせない、鬱陶しがられない)ように詳細を尋ね、何を以って【完了】というのか確認し、経過を速やかに報告する、
…こういった確認作業を重ねることで
相手にはこちらの「もうひとつの<普通>」がじわじわと浸透していっている、のかもしれません。
そんな風に感じています。
(それこそどストレートに「わたくしのこの確認の仕方ってどうですか?細かすぎますか?鬱陶しそうな顔をされてるなーって感じてはいるんですけどやはりそうですか?」とかなんとか聞いてもたいてい本音は話さないモノ、なんですよね…??)

蛇足です(すみません)、
…昔、学生時代に「ひとりひとり、その人それぞれの『歴史』があるんだから、それを知らずして知った風なことは言えない、まずはその人の『歴史』、つまるに背景を聞いて、で、どうしてそういう考えに至ったかを知らないといけない」みたいなことを悶々と考えてたことを今思い出しました。

トマトです。

ASの人達に、勝手に学んだこと。
「普通」って多数決で決まったことを言うんだな。

つぶやき的に。


「みんな」って何人から?
それ、たった3人じゃん。
(っていうネタの笑いどころはわかります。)

少なくともわたくしの中での話ですが
他人に確認した数だけ
教示(注意、指摘、叱責)された数だけ
自他(時に【他】はその場全体)との差異や「メジャー」「多数派」な括りが強化されます。

あおいよる。さん

>それこそどストレートに「わたくしのこの確認の仕方ってどうですか?細かすぎますか?鬱陶しそうな顔をされてるなーって感じてはいるんですけどやはりそうですか?」とかなんとか聞いてもたいてい本音は話さないモノ、なんですよね…??

 これはケースバイケースのような気がします。
 私の場合はストレートに聞かれれば,どっちかというと答える方かも。
 ただ,少し婉曲に答える可能性はありますね。
 「うっとうしいとか,そんなことはないけど,まあもうちょっとおおざっぱでもいいかも」
 とか。

>「アスペの数だけそのアスペにとっての『もうひとつの<普通>』がある」

 定型にしろアスぺの方にしろ,自分の考え方を「普通」と思い込みやすいというのは
 面白いことだなあと感じます。
 アスぺの方は「人はみんな違う」ということを強調されると思うのですが,
 それでもやっぱりこのブログなんかでも定型の考え方を説明されると,
 びっくりされたりしますものね。

 でもアスぺの方の「普通」と,定型の「普通」では
 もしかするとニュアンスに違いがあるのかも。
 

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