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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年10月 6日 (月)

発達の「同じ」と「違う」

 記事思い通りにならなければ」について,乳幼児の発達に関して知識をお持ちで,実際の関わりもされている,アスぺのあおいよる。さんから頂いたコメントと,精神科医の知り合いを持ちながら数多くのアスぺの方のサポートをずっと続けてこられている定型のトマトさんから頂いたコメント が,定型パンダの私の中ですごく面白くシンクロしました。

 私の理解がずれていなければ,あおいよる。さんが強調されていることは,たとえアスぺの子であっても,基本的な発達の順序は定型と共通していて,ただしそのペースが遅い(あるいはどこかで頭打ちになる?)ということなのではないか,という見方です。

 たしかに,どの子でもお座りができて,独り立ちができて,よちよち歩きができて,走ることができるようになって,という順番は変わりようがないですよね。言葉だって指さしができるようになって,単語を話せるようになって,文章を話せるようになって,という順番もたぶん変わりようがないでしょう。そういうところは定型でもアスぺの子でも,きっと同じなんだろうと思います。

 ただし,同時にカナータイプの子と付き合った経験からすると,たしかに言葉は出るようになるんですけど,その言葉の使い方がなんだかとても個性的なんですね。ちょっとすぐにいい例が思いつきませんが,何を言っているのかわかりにくかったり,スムーズな「やりとり」にはなりにくいたどたどしさがあります。「同じ」というだけでは説明しきれない,大事な違いがそこには感じられて,なんかやっぱり「自閉的」です。


 トマトさんの書かれていたことで私がすごく印象的だったことは
発達障害の子どもと母親の関係性で「この子は、ほかの家族や友達を必要としない。すべての人間関係を私ひとりでまかなおうとしている」という例は多い」というところでした。

 私なりにそれをどう感じたかというと,その発達障害の子どもたちも,他の子どもたちと同様,人を必要としているのですね。そこは同じです。ただ定型の子どもたちの場合はそれが母親だけでなく,いろんな人にも同じように広がっているのに,発達障害の子の場合は「母親だけ」になってしまう場合が多い,ということでしょう。

 そしてそういう傾向が,大人になっても続いている例が普通にあるというわけです。
職場でも「あの(どこからみてもASであろう)社員さんは、特定の1人の上司や同僚のみに完全服従、心酔しているように見える。他の人は眼中にないように排他的」という人が居ますが、こういうASの人はフツーに多いと思うんです。」

 で,お二人のコメントを合わせて考えてみると,定型であろうとアスぺの方であろうと,人とのかかわりの中で,人を必要としながら生き,その中で成長していくということ自体は基本的に変わりないし,その中でたとえば言葉の発達などについても,基本的なところは結構似たように進んでいくところがあるという見方ができそうです。

 ただし特に人を必要とするというところで言えば,定型はいろんな人に広くそれを求める傾向があるのに対して,アスぺの方はごく狭い範囲の方とのみ,ものすごく特別の関係を作る傾向がある,ということかもしれません。
 もし仮にそうだとして,どうしてそういう違いが生まれるのかについては,やっぱり定型的なコミュニケーションの取り方については,アスぺの方は理解がしにくく,応用も利きにくいので,母親とか特定の上司や同僚のみに力を集中して関係を結ぶことになり,定型から見ればとても不思議な人間関係の作り方に見えてしまうのかもしれません。

 あるいは,もともと定型ほどには「他者を求める」気持ちは少ないので,この定型社会で生きる必要もあって,その少ない気持ちをごく限られた人に集中するからそんな風になる,という見方もできるのかも。たぶんその両方なのでしょうね。

 まあ,みなさんのコメントを拝見したり,私の限られた経験などからパンダの白黒の目で思ったことですので,それでいいのかはよくわかりませんが,こんなふうに考えてみると,今まで整理できずにもやもやしていたことがちょっとすっきりする感じもあります。

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コメント

初めまして。自分のアスペルガーに関しては正確に診断された訳ではないことだけ伝えておきます。
確かに、一人の人とってのはありますね。一人いたら、人間関係的には満足するんです。友達沢山の定型さんには不思議かもしれません。
あと、あまりに社交的行動をすると疲れを感じるので、一人が精一杯といったところもあります。私のなかで、人付き合いは、ルール化して落とし込んでいるだけですので、メールを書くにも、どの表現が相手にとって失礼か分からないんです。よってあーでもないこーでもないと無意味に長く時間かけて書くわけです。数人となんてとてもとても…
また、ある一定以上の時間を過去一ヶ月に過ごしてないと何考えてるか分からなくなって疎遠になりますね〜。

アスぺ疑いの人 さん

 初めまして。どうぞよろしくお願いします。

 この記事で考えてみたこと,アスぺ疑いの人さんには
 ある程度当てはまりそうな感じですね。
 またちょっとアスぺ的世界への理解が進んだかもしれません。

 一定以上の時間を過去1か月に過ごしていないと疎遠になる…
 「去る者は日々に疎し」とか言いますけど,
 定型にとってのそういう話とはまた少し違うのかもしれないですね。
 なんなんでしょう。またちょっと考えてみたいところです。

>「同じ」というだけでは説明しきれない,大事な違いがそこには感じられて,なんかやっぱり「自閉的」です。


> 私なりにそれをどう感じたかというと,その発達障害の子どもたちも,他の子どもたちと同様,人を必要としているのですね。そこは同じです。ただ定型の子どもたちの場合はそれが母親だけでなく,いろんな人にも同じように広がっているのに,発達障害の子の場合は「母親だけ」になってしまう場合が多い,ということでしょう。


パンダさんの、レスにあたるこの記事を一番最初に拝読した時に自分の脳内にあったのは
軽い憤りもしくはショックもしくは既に結論めいたことが記されていることによるすぐに話(レス)ができない苦しさでした。

それは例えば、今再現するなら以下のような文言です。


強調はしていない、
『みんな「同じ」だ』ということだけを書きたかったわけではない、
トマトさんのおっしゃられる通り、なのは至極当然だしそんなの自分自身とっくにそう感じていた、
…etcetc。


いつかこの↑モヤモヤしたモノ(当初はここまで言語化できていませんでした、脳内には"ことば”はあるのですがいわゆる言葉として表面化するにいたっていなかった、)を
レスしようかどうするのか?!
などなど逡巡して
結果的に改めて今更ながらにコメントさせていただいた次第です。

パンダさんの上記引用部分を含めて何度目かの読み返しで、
けしてわたくしの強調点があげつらわれたわけでもなく
『ベースは同じだろうけど、やっぱり自閉圏の人たち子どもたちはある特徴をも合わせ持つから、そこも考慮しつつ関わることが大切だよね』
ということに導かれておられたことを読解できました。

まずは謝ります、勝手に憤っていました、それは事実です。
そして改めて自分が書いた内容の意味(自分自身の中の言語定義や意義)を書かせてください、
…発達の順序は、重度の心身障がいであってもASDであってもADHDであっても
【順序は同じ】だと学びました、それは実体験でも自分自身の生育の記憶でもそうだと言えます。
しかしそれはけして
『どんな子もその順序で発達遂げるんだから、ただ遅いか早いかだけだから、普通に育ててたらそのうち獲得する』
という乱暴な主旨ではありません。

それは育てる側、関わる側が
「その他大勢の普通の子どもと全く違う障がい児だから特殊な関わりをしないといけない、関わってもどうせ話すことはできないんだから体の世話だけでいいだろう、」
という認識を持たないようにする、ひとつの考え方であり可能性でもあり
誤解や思い込みを避ける視点だとわたくしは考えます(捉えています)。

どんな子どもでも
遅かれ早かれ一定の順序で獲得する。
そして『獲得するには、その子どもの固有の障がいや脳の認知(個人的にインプットとアウトプットと名付けています、)の特徴を掴み取りながら、目の前のその子が「これから獲得する発達」を見据えつつ、その子にピッタリくる伝え方、身につく方法などを子どもと過ごしながら一緒に見付けていく』、
…そういうことであろうと個人的には考えています。
(…こういうこと、もしかしなくても【言わずもがなな当たり前のこと」でしたら……重ねて申し訳ありませんでした)


その自論(?)でいくと…
なので、ASDであると「対人関係の障がい」でもあるために
どうしても一対一対応でしか学びが得にくく
しかも(少なくともわたくしは、)相手が変わるとその人の「声、顔、口調、私への声の掛け方、触れ方、距離感、言葉の使い方」etcをまず整理するところからスタートなので
幼ければそれだけ純粋に一人の「本当に安心できる人、自分にとって心地いい人(←見方を変えると「都合の良い人、思い通りに動いてくれる人」)」にだけ懐くのも至極当然かな、と。
そんな風に考えます。

ですので以下の記述に賛同しています。


>アスぺの方はごく狭い範囲の方とのみ,ものすごく特別の関係を作る傾向がある,ということかもしれません。

>もし仮にそうだとして,どうしてそういう違いが生まれるのかについては,やっぱり定型的なコミュニケーションの取り方については,アスぺの方は理解がしにくく,応用も利きにくいので

>あるいは,もともと定型ほどには「他者を求める」気持ちは少ないので


…長文大変申し訳ありませんでした。

トマトです。

あいよるさんの
【しかも(少なくともわたくしは、)相手が変わるとその人の「声、顔、口調、私への声の掛け方、触れ方、距離感、言葉の使い方」etcをまず整理するところからスタートなので
幼ければそれだけ純粋に一人の「本当に安心できる人、自分にとって心地いい人(←見方を変えると「都合の良い人、思い通りに動いてくれる人」)」にだけ懐くのも至極当然かな、と。
そんな風に考えます。】

というコメント・・・定型がASの人に対応するとき、まるで同じだと感じました。

>アスぺの方はごく狭い範囲の方とのみ,ものすごく特別の関係を作る傾向がある,ということかもしれません。

定型はごく狭い範囲のアスぺの方とのみ,ものすごく特別の関係を作る傾向がある。(周囲に別のASが居ても関わろうとしない)


>もし仮にそうだとして,どうしてそういう違いが生まれるのかについては,やっぱり定型的なコミュニケーションの取り方については,アスぺの方は理解がしにくく,応用も利きにくいので
 ↓ 
もし仮にそうだとして,どうしてそういう違いが生まれるのかについては,やっぱりAS的なコミュニケーションの取り方については,定型は理解がしにくく,応用も利きにくいので

定型の応用力は、驚くほどASに機能できません。
それは、応用という理論で考えるべきことに、感情が入交じるので、応用することは→思いやりだ という定型自身も気がつかない「それはASには理解してもらえないでしょシリーズ」という結果にころがることは多いと思います。


あおいよる。さん

>  『獲得するには、その子どもの固有の障がいや脳の認知(個人的にインプットとアウトプットと名付けています、)の特徴を掴み取りながら、目の前のその子が「これから獲得する発達」を見据えつつ、その子にピッタリくる伝え方、身につく方法などを子どもと過ごしながら一緒に見付けていく』

 ということ,おっしゃる通りと思います。

 あおいよる。さんがそういうことを考えていらっしゃらないとは
 特に思っていませんでしたが,
 コメントのほうでは「共通点」の方を書くところまでで止めていらしたように
 見えたので,その範囲でご紹介させていただきながら,
 トマトさんのコメントに書かれた内容と対比させることで,
 問題を考える視点を私なりに整理しなおしてみました。

 「強調」という意味も,
 「当然その共通性だけではない面も見ながら,あおいよる。さんは
 あえて共通性の面を強調して述べられたのだと思いますが」
 というようなニュアンスを含ませたつもりでしたが,
 こういう言葉遣いの仕方が分かりにくいということなのでしょうね。
 そこはほんとに気が付きませんでした。

 また表現が不十分だったり,ずれていると感じられましたら,
 どうぞご指摘ください。
 理解に時間がかかると思いますが,
 ちょっとずつでも修行をしていきます m(_ _)m

おはようございます。
まずは…パンダさん、本当にこちらこそが勝手に憤っていた話でありますから……(そう自分で自分を見つめつつも)こうして長文のコメントに至ったこと、改めて申し訳ありませんでした。

読解していた内容に違いはなく、そして何よりもわたくしが述べたかった(考えていた)こともとっくに伝わっていたことに
良かったと感じていますが
申し訳なさも感じています。
どうぞ謝られないでください、どうぞお気にされすぎず……。


トマトさん、(と改めて焦点を当ててお呼びすると馴れ馴れしい感覚に陥りますが(謝)、)改めて初めてまして、です。
>定型がASの人に対応するとき、まるで同じだと感じました。

…ああ!それも伝わってくるものがあります。
そうでしたか…『やはり』という感覚です、
そこから派生した個人的な連想ですが
相手にそれだけの労力や迷惑や負担etcをかけていることは多いにありうるんだと
職場では日々自己分析と記憶の整理と自戒の日々です。

あおいよる。さんへ  トマトです

まず、お名前を間違って呼びかけたこと、すみません。
(誤字、脱字、ネーム間違い甚だしく自己嫌悪です)

定型の「みんな」とか「一般的に」とか「普通は」という多数派の連帯性概念が、ASの人に通用しないので、会話の前提からズレるのだと思います。

対してASの人は、自分が周囲に対して通用しないので慢性的な自信喪失や懐疑的な気持ちになるのだと思います。

定型にとっては、共通概念という疑う余地もない部分を、いったん破壊や放棄しないと自閉圏の人と共存できにくいし、共感や共有や一体感を「フツー」としている定型は、誰の共感や共有も得られず、独りで考え独自の判断のみで行動し続けることは不安や苦痛です。
対して
自閉圏の人に、多数派の感覚やルールをしつけようとすると、それはおしつけになり「みんなで」や「いっしょ」が恐怖や苦痛になると思います

定型が周囲の共感や理解を得られず追い詰められると「カサンドラ症候群」になるのに対して
ASの人が、周囲の理解や肯定を得られず追い詰められると「鬱」「パニック」になるという(質の違いはありますが)例は多いと思います。

いわゆるASの浅瀬の人の努力や気苦労は、もっと定型に理解してほしいところです。

(パンダさんのブログですが、コメント内でのやり取りになりますことお許しください。)
トマトさん、トマトさんも(も、と言いますのも変な日本語ですが、)
どうぞお気にされすぎないでください。
大丈夫です。

>「フツー」
まさにそれは、少なくともわたくしには謎の物体です。

>誰の共感や共有も得られず、独りで考え独自の判断のみで行動し続けることは不安や苦痛
これは、(これも)少なくともわたくしの脳内にも存在したりするのですが
わたくしの場合は共有は『成文化されたあらゆるモノと周囲の言動との合致』で
その不安や苦痛は『調べ尽くす』『観察しまくって全体像の見通しを持ち続ける』ことで埋めている部分もあります。


…すみません、自分語りになりました、
またここや他の記事のコメントでお邪魔させていただく際には
宜しくお願い申し上げます。

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