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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年10月 5日 (日)

思い通りにならなければ

 パートナーからすごくわかりやすい話を聞けました。ここで書くのは私が彼女の話をヒントに考えたことですが,例によって定型的な感覚から出発して考えてみます。

 世の中,なかなか思い通りにいかないものですが((^ ^;)ゞ),ときどき,もうにっちもさっちもいかなくなることがあります。何をやっても裏目に出るし,周りがどうなっているのかもよくわかんなくなるし,自分も混乱して動揺してどうしていいかわからなくなる。とにかくぎりぎりまで追い詰められたような状態になる。

 そんなときってどうするでしょうか。大雑把に言って究極の形では二通りありそうです。ひとつは何もできなくなって,ぼーっとしてしまったり,あるいはひたすら内にこもったりする。もう一つは「ぷつんと切れて」怒りを激しく周りにぶつけ,強引に自分に従わせようとしたり,相手を屈服させようとする。

 最近の世の中を見ていてもそうですよね。ひたすら自分に閉じこもってしまったり,逆に激しく周囲に対して攻撃的になったり。個人でもそうですし,社会全体でもそうなっているような気がします。そんなふうに両極端を揺れ動いているように私には感じられます。

 「得体のしれない」定型多数派社会に生きているアスぺの方にとっては,もう生まれたときから(?)世の中というのは,そんなふうに「まったく思い通りにいかない」世界になる可能性が高いでしょう。当然いろんなフラストレーションとか,不安とか,そういうものがたまりにたまるはずです。

 そんな状態で安らぐことはむつかしいわけですし,精神は常に不安定に脅かされ続けることにもなります。その状況をなんとか生き抜いていかなければならない。

 そうするとひとつの有力な方法は,やっぱり自分に閉じこもって,周りに影響されない世界を作り,その中で安定を保つことです。人とのコミュニケーションは最低限にとどめておきたくなるでしょうし,ごちゃごちゃ考えずにお決まりのパターン化したものにしておきたくなるでしょう。

 もうひとつの方法は相手を支配することです。訳の分らない相手のやり方に合わせるのではなく,自分の理解できる形に相手を従わせることで,なんとか関係をわかりやすい安定的なものにする。

 アスぺ父を持つ娘さんのお父さんは,その後者の悲劇的な例ではないでしょうか。そのお父さんは世の中では全く受け入れられず,自尊心を傷つけられ続け,怒りをためている。せめて自分の家族の中では自分が素直な気持ちで生きられる場を作りたいと思う。でもなかなかそれがうまくいかず,結局は暴力的に従わせる形で目的を達成しようとする。

 パートナーの子育ての仕方に私が疑問を抱き続け,そして大きくなってから子ども自身も似たようなことを言うのは,彼女がものすごく子どもに対して「支配的」に見えたことでした。もちろん彼女の気持ちとしては「支配しよう」ということはありませんでした。だから私が「そういう支配的なやり方はよくない」と言っても,まったく納得しませんでした。

 彼女はあくまで自分が本当に大事だと思うことについて,子どもに一生懸命伝えていただけなのです。けれどもそれが子ども自身の自然な感覚などとずれてしまっているので,結果的に無理なことを強制していることになってしまっていたわけです。

 私との関係でも,彼女が一生懸命になるほど,なにか私には合わない,納得のいかないやり方などを強制されているような感じを受けることがしばしばでした。そしてそのことについて疑問を言っても,「なんで自分はあなたのためにこんなに頑張っているのに,そんな風に否定するのか」と言われてしまうんです。

 その後,定型アスぺのズレの問題にお互いに気づいて,彼女もだんだんと自分のやり方が相手には通用しない,ということを頭では理解してくれるようになっていきました。とはいえ,何が通用し,何が通用しないのかは予めはわかりませんから,その後もおなじようなことは続きます。それで私がそれに耐えられなくなってそう言うと,こんどは「やっぱり私がやることはよくないことなんだ」ということになって,それで「関わりを減らす」という方向,自分の中に閉じこもる方向に進みがちになります。

 

 何が原因で「思い通りにならない」のかについては,個人個人でももちろんさまざまですし,もうすこし大きく見れば,定型の場合とアスぺの方の場合でそれぞれに違ったものが原因になりやすいでしょう。けれども,「思い通りにならない」状況で,ぎりぎり追い詰められて行った時に,どうやって自分を守ろうとするか,ということを考えてみると,その基本的なやり方は定型もアスぺもかなり共通していないでしょうか。

 アスぺの方の方が圧倒的に少数派で孤立しているので,その追い詰められ方が半端ではなく,調整してごまかしたりすることも困難なので,それが極端になるということはありそうですが,でもその極端さは定型のやりかたの延長上にあるような気がします。

 「そもそも人に対して無関心だから自閉的になる」のか,「人との関係が取りにくいから自分の世界を大事にして周囲とのかかわりを減らすようになる」のか……。私は両方が絡んでいるような気がします。そして今までの自閉的な傾向についての理解は,ちょっと前者の面を強調しすぎているんじゃないかという気がしています。アスぺの方も,決して人を必要としていないわけでも,ひととのつながりを求めていないわけでも,共感を必要としていないわけでもないと思えるのですが,前者の話だけではその面を見えなくしてしまうのではないでしょうか。

 
 

 

 
 

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コメント

トマトです。
パンダさんのーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「そもそも人に対して無関心だから自閉的になる」のか,「人との関係が取りにくいから自分の世界を大事にして周囲とのかかわりを減らすようになる」のか……。私は両方が絡んでいるような気がします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

というコメント。
前者が強いと、自閉度が強く重度と判定され、後者が強いと自閉度が弱く軽度と判定されるのではないでしょうか。

確かに、特質と環境の影響の度合いやバランスはありますが、人は同じ環境の中でも、影響の受け方や捉え方が個々別です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アスぺの方も,決して人を必要としていないわけでも,ひととのつながりを求めていないわけでも,共感を必要としていないわけでもないと思えるのですが,
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という点も、個々別で「必要としている」「求めている」というのは定型的ヒューマにティにあふれた感覚ですが「必要と感じない」「つながるのはイヤ、恐い」と素直に感じているASの方も多いと思うのです。

気持ちが触れ合ったという手応えに「嬉しい」とかの・・・感想というか感情が「湧かない」「そういう感覚がわからない」というASの人も居るわけですから・・・
頭の中では、いろいろアイデアがわいても、いざ目の前のAS(定型)に対応するとなると、もう「その人のみ」を一から理解して行く作業になるので・・・
「この人の場合はこうなんだ」という個々の価値観や感覚を、どれだけ幅を広げてバリエーション多く受容できるかが定型の努め方だと感じるのですが。


トマトさん

 ああ,そのご指摘の点については,
 確かにかなり気を付けて考えないといけないですね。
 私の経験はこういう場所でのアスぺの方とのやり取りなどに限定されますから,
 そもそもわざわざこういうところでコメントを下さるという
 そういう人間関係への積極性をお持ちの方に限定されています。

 ですから,そこで感じ取れるものがより多くのアスぺの方たちの中で見れば
 ある偏りを持っている可能性は十分にあるわけですね?

 それは一応納得ということの上で,学生時代にカナータイプの
 自閉の子たちと付き合った経験を思い起こすのですが,
 いわゆる自閉度という点からすれば,かなり重い子たちだろうと思います。
 で,印象的だったことは,その重い子たちが遅れて言葉を話し始める頃,
 それまであまり見られなかった,お母さんの後追いのようなことを
 し始める場合が結構あったということです。
 言葉を身につける上では,そういう人を求めるような人間関係の深まりが
 かなり影響しているんじゃないかと思えました。

 もちろんその「求め方」は定型的なものとはやはりずれがあるので,
 関係の取り方がむつかしかったりはしたわけですけど,
 「ない」という感じではなかったように思えます。

 私の場合,一応そのあたりのことも含めて
 人間関係とか,人に求めるものとかを考えてみたいなと思っています。

おはようございます。
(まずは先日は拙コメントからの新たな記事、有難うございました、本来であればそちらへ御礼と所感等のコメントを出すべきですが先にこちらが気にかかった(より強く感じた)ため、こちらに出した次第です。)

前置きが長くなってしまいましたが
記事コメントでのパンダさんの、カナータイプの子どもさんとの関わりの下りで
発達との関連のほうもあるのではと感じました。
以下ほんとにただの感想という名のウンチクです。

…個人的に乳幼児の発達をかじっていたりもしまして、実際にも関わることもあったりしまして
なので
運動発達、認知と言語社会の発達は心身に障がいがあってもなくても
順々に獲得していく(という考え方をする「流派」がある)そうなので
単に発現(周囲から見ての「出現」「変化」「成長」)が他の子より遅かっただけ、とも考えられるかなと感じました。
実際、そういう観点で観察していると
ほんとに発達の獲得順序の教科書どおりだったりして
興味深いのでした。(←蛇足、面白いというと「よろしくない」という学び。)

トマトです。

私個人の感想ですが・・・自閉圏の人とのコミュニケーションにおいて「特質論」と「環境論」は二つの主軸だと思います。

で・・「環境論」に傾いたとき、現実に心得ないといけないのが「選ぶのも決定するのも自閉圏の人側にある」という点です。

自閉圏の人の特質に「いろいろ様々を受け入れられない」があり、定型が関わろうとしても「あなたはここまで」というバリアというか限界があり
「自分にとって声や言葉に抵抗感がない相手はこの人」「追従してしまうオンリーワンの相手はこの人」という限定がみられることも事実です。

発達障害の子どもと母親の関係性で「この子は、ほかの家族や友達を必要としない。すべての人間関係を私ひとりでまかなおうとしている」という例は多いと思いますし

職場でも「あの(どこからみてもASであろう)社員さんは、特定の1人の上司や同僚のみに完全服従、心酔しているように見える。他の人は眼中にないように排他的」という人が居ますが、こういうASの人はフツーに多いと思うんです。

自閉圏の人からのコミュニケーションは「限定コミュニケーション」なので、誰彼がいろんな誠意を与えようとしても受け取れないし、自らが反応した相手やモノゴトのみから、成長していくように見えます。

ですから、「人は」とか「ASは」というくくりではなく「このASの人は」という、コミュニケーションのとり方が必要だと思うのです。

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