ブログの役わり
このブログを私が書き始めたのが2010年12月21日で,あと二か月もすれば4年目に突入です。書き始めたころは自分が自分の思いを整理することが一番の目的でしたし,その中で多少なりともこの問題の当事者のみなさんと交流することができればと思っていたくらいでした。
けれどもその後,紆余曲折はありながらも,本当に多くの方のコメントを頂き続け,カウントも気が付いてみればもう90万に届こうとしています。仮に一人の方が平均して30頁位をお読みくださったとすれば,今までにもう3万人位の方が見てくださったことになりますね。アスぺの方が人口の1%とすれば,日本では120万人位。アスぺの方と深いかかわりを持つ定型アスぺ問題当事者の方がその3倍とすれば360万人になりますから,そのうち1%弱の方がある程度繰り返してご覧になった勘定でしょうか。(ま,いい加減な計算ですけど (^ ^;)ゞ)
ログを拝見すると,コメントはなさらない方でも,本当に毎日のように熱心に読みに来てくださる方も少なくないようです(もちろん,それがどなたなのかは全然分らないのですが,ログごとに最近何回位来られているのかは見られる仕組みになっています)。
基本的にはブログの記事は,自分がその時に気になったことや考えたことなどを好き勝手に書いてきただけですので,私とパートナーの関係が少しずつ変わってくるのにも伴って,そのテーマもまただんだんと変ってきているように思います。(あんまりちゃんと振り返って考えたことはありませんし,昔の書いたものは殆ど読み返してないので,なんとなくの印象ですけど)
もちろんパートナーとの関係だけではなく,みなさんとのコメントを通したやり取りの中で,私の中でも本当に多くのことを学び,考えを深めたり広げさせていただいていますし,そのことによってまた記事の中身が大きく変わってきているようにも思います。
そんな中で改めてこのブログって何の役割を果たしているんだろう,このブログがある意味って何なんだろう,ということをちょっと考えたりします。
「最近感じること」にもちょっと書きましたが,定型アスぺ間でそれぞれが自分の経験や悩みを振り返ったり,お互いに相手を理解する糸口を探したり,そういう交流の場になってきたということはひとつありそうです。
そういう場ができるということは,定型アスぺの問題で悩んでいる方にとっては,「こんな風に対話する可能性もある」ということを感じていただける役割を果たせるかもしれません。またすでに身近にそういう対話の関係やつながりを作られている方には,「次の一歩を探る」何かの手掛かりを,皆さんのコメントなどから得られる場になっているかもしれません。
ただ,そのような形でこの場を利用して頂ける方は,やはり定型アスぺ問題になんとか前向きに向き合おうとされる方に限定されるかもしれません。
なんでそんなことを改めて書くのかというと,頂くコメントの中に,ご自分の辛さを書かれるというよりも,誰にもぶつけられない恨みを投げかけているような印象のものがあったりするからです。
もちろん,そんな風にこじれる可能性を持つまで,問題が深刻であることは明らかですし,そのつらい状況をごまかして表面だけつくろっても意味はないわけです。ですから,その深刻な問題を投げかけられること自体は大切なことだと思いますし,そこから学べることも本当に大きい。実際,「恨み」ということではありませんが,ほんとに深刻な問題を投げかけてくださっているアスぺ父の娘さんからもとても大きなことを教えていただいています。
ところが,ログで見てみると,恨みを投げかけるようなコメントをされた後は,全く来られない方もあるようです。もちろんいろいろな御事情があるのかもしれませんけれど,いずれにしてもご自分が投げかけられた問題について,この場で一緒に考えようということではなかったのでしょう。
ご自分の抱えられた現実の中で,どう考えても前向きに考えられるような状況を持てず,ただ絶望や恨みを抱くしかない孤立を生きられる中で,その方の場合はそんな風に結果としてただ言い捨てるだけでもう来られないようなやりかたにならざるを得ないのでしょうか。
そういう方にとってはこの場は無力なのかもしれません。まあ,全ての方のあらゆる場合に対話的に臨んでいただけるような場は、望むべくもなく、そのこと自体はしょうがないのでしょうけれど。
(コメントでご指摘を受け、一部舌足らずの表現を補足しました)
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コメント
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>ログで見てみると,恨みを投げかけるようなコメントをされた後は,全く来られない方もあるようです。もちろんいろいろな御事情があるのかもしれませんけれど,いずれにしてもご自分が投げかけられた問題について,この場で一緒に考えようということではなかったのでしょう。
…~ という パンダさんの ご意見にちょっと疑問を感じました。
恨みの様な気持 絶望な様な気持 打ちひしがれる気もち みじめな気持ち
アスペとは なんぞや?と学びたい気持ち・・ 他にも 想像できないような状況 また 気持ちを持たれている方々 こちらにいらっしゃる方の思いは人それぞれだと思います。
こちらは ひどい目に会って うらむ気持ちを持った方は 訪れてはいけないブログなのでしょうか? そのうらむ気持ちを 許す気持ちにかえられず 傷をもちながら苦しみながら生きている人間は こちらでコメントをしたり ここへやってくることは 許されないのですか? カサンドラのような状態になっていて 読みながらもコメントできないことだってあると思います。誰にもぶつけられない 恨みの気持ちを ぶつけては いけないのですか?
うらむ気持ちをコメントして 全く来ない と 言われるならば アメンバーのように パンダさんご自身が 認めたかただけ 読めるようにされたら よいかと思います。
パンダさんのように アスペのパートナーを持たれて 状況に振り回されて苦労されながらも アスペのパートナーさんと 幸せにされている方と・・・・・
まるで そうでない方もいるのです・・・
アスペの恋人・夫を持ち 信じ 理解しようと努力して いとも簡単に裏切られたもの・・
知らぬ間に 浮気されたり 結婚しながら離婚され子どもまで捨て 大変な目に会ったもの・・ ドタキャンや 放置 音信不通 わけがわからずにとまどうもの・・・・暴力をうけたもの・・・ だまされたもの 離婚したものの 養育費さえ 払おうとしないもの・・さまざまだと思います。
それを いとも簡単に「恨み」を投げかけて。。という言い方は 納得できないです。
お聞きしますが パンダさんは すべてに対して コメントを ぉかえしされていますか??
とくに感じますが パンダさんは つきあいはじめて 間もない方や おつきあいに関しての コメントには いつも あっさり たんたんと 終わらされている 印象が 私には あります。時には パンダさんからのコメントが こちらにコメントした人に対してない場合だってあると思うのです。 (別に求めているわけではありません。それは それで 普通だと思いますが) コメントしない場合 いろいろな 考えが新たに出てきて
コメントを 控えることなど ないですか???
パンダさんにとっては アスペルガー当事者の意見 考え 夫婦問題 自分が疑問に思っていることには 食いつくような姿勢さえ 感じられますが・・・ そうでない場合は コメントすら ない場合だってあると思います。
また 簡単に 相手のことを考えると コメントできなくなってしまった・・ そういう意味ではなかったのだけれど・・ と そんなことはないですか????
パンダさんも 納得いかないところ 何度繰り返しても 理解できないところがあるからこそ こちらのブログで 気持ちを何年も投げかけ コメントで 励まされたり 疑問が解消された気持ちになったりされてらっしゃるのではないでしょうか?
でも それは エンドレスに おそってきませんか? 疑問や ????!!!という
気持ち 一度納得しても また わいてきませんか?
うらむ気持ち なんとか すこしで プラスの方向へ 変化できないだろうか?と
何年も苦しむ気持ちが パンダさんにはわかりますか?
うらぎられ ひどい目に会い その傷をいやしたくて
一体 アスペルガーというものは なんだったのだろうか? と 自分自身を
納得させたくて 読ませていただいている人もいると思います。
いつか 許せる気持ちになりたい・・ または 恨むしか 自分を成り立たすことができない状況のものだって いるのです。
ログで いろいろなことを 調べている・・という 状況をお知らせされましたが
こちらを 読ませていただいて感謝していますが なんとなく 恨みを持っている方は
お断り・・ という 牽制にすら感じてしまった 私は やはり カサンドラで まっすぐに とらえられなくなっているのかもしれません。
パンダさんも アスペのパートナーさんと ご結婚されたのでしたら・・
割り切る というか ひとつひとつを 深く 深く 分析ばかりするのではなく・・
時には こういうもの! と 認めるというかされてはいかがですか?
すべてにおいて それは 厳しいのは わかっています。
毎日 生活をともにするからこそ 疑問点が たくさんたまって行かれるのだと思います。 そこは わかります。
でも そこを 深く 深く 分析していくのは パンダさん自身も 納得できなかったり 混乱したり 「恨む」気持ちすら生まれそうだからでは ないですか???
そうならないための 心の整理のための場所なのですよね?
ここへ おとずれる人の状況などを 知りもせず「恨む」という 表現は 失礼だと思います。
いつも 読ませていただいて 心から感謝していますが
今日は 残念に 感じました。
投稿: | 2014年10月20日 (月) 12時40分
私はパンダさんが、そういった方もおられる事に関し、対して、大雑把ですが《自分の力不足》というように感じていらっしゃるのかな…と感じました
男性なので…自分の“不甲斐なさ”というような気持ちの表現が曖昧になってしまわれたんじゃないかな…と思いました
違ってたらごめんなさい
間違いであれば本当に失礼しましたm(__)m
ただ、私としては今じゃ勝手に掲示板を使って、好き勝手に書き進めて、それでも励ましてくれているパンダさんにとても感謝してるので…そのような気持ちであれば、私はパンダさんに救われていることは知っておいて欲しいと思いました
投稿: アスペ父を持つ娘 | 2014年10月20日 (月) 15時20分
トマトです。
多分「ブログの意味」は、訪れる人にとっては100人100様ではないでしょうか。
疑問を投げかけ答えや手応えが欲しい人。聞いて(読んで)欲しいだけでリアクションは望んでない人。自分だけじゃないんだと安堵する人、励みとなる人。共感を求めたい人。共感した人。つい反応してコメントした人。コメントされた人。愛読書みたいになっちゃった人。専門家や本からは知り得ないことを知れる場所と思う人。人とのコミュニケーションの場所になっている人。本当に様々・・・・。
しかし多くのブログ主さんは、不特定多数に出来うる限り丁寧に対応しようと努めているうち、時々ご自分のブログの意義とか役割とか存在価値などを考えるみたいですね。
友人がブログを開設して、半年ほどで閉めちゃいました。
「自分も相手も、平和的なやりとりばかりではない。時に感情の地雷を踏み踏まれ、心のよりどころとして始めた場所に自分が居たたまれなくなった。
ブログを開くには覚悟が必要だった」
趣味などの分野でなく「アスペルガーと定型」のブログですからね。
いゃあ、最難関のテーマでよく4年間もつづいてますわ。
投稿: トマト | 2014年10月20日 (月) 19時49分
はじめまして。
定期的に記事を読ませていただいています。私は自分がアスペルガーではないか、と疑惑を一年以上前から持っている者です。
私にはパートナーと呼べる人もしませんし、一人暮らしなので家族も近くにいません。ですから、現在は生活に強い影響を及ぼすような問題がありません。また、病院に行っていないのでアスペルガーかどうかも、分かっていません。そのため、今までコメントはしませんでした。
しかし、今回の記事にはコメントをしたいな、と思いました。ROM専の気持ちは、こんなタイミングでないとなかなか書く機会がない気がするので…
私は子供の頃から「何かが変だ」と言われてきました。それこそ、人生の半分以上が教師生活、というベテラン教師にさえ「会ったことのないタイプだ」と言われる始末で、常に困惑の中で過ごしてきました。
そして、その「変」の原因は「私の思いやりは他人に伝わらない」「他人が思いやりだと主張することが思いやりとして受け取れない」という相違だ、という結論を自分で下し調べるうちにアスペルガーを知りました。
しかし、インターネットで知るアスペルガーの特徴(社会性、コミュニケーション、想像力の障害)がしっくりこないし、よく分からなくて困っていました。
そんな中、パンダさんのブログに出会いました。
ここでの皆さんのやりとりを読んでいると、私と思考のパターンが似ていると感じる方がいたり(勘違いかもしれませんが…)、私の周囲の人々に関する分析は幾分あっているようだと確認ができたり、いろいろな物事を客観的に分析することに役立っています。
また、その分析により記憶にこびりついている様々な出来事を整理することが出来ています。
私は人との齟齬を起こさないようにするためには、凄く頭を使う必要があるんです。そのためには、分析が、データが不可欠なんです。ワタシ基準の感覚で行動すると、大変なことになります。
とにかく、私にとってここは広く客観的に思考するために大切な場所になっています。共感というものがイマイチ分からないので、他人の情動も理屈やパターンで理解していないと怖いんです。
とりとめのない、長いだけの文になりましたが…上手く言えませんが、とにかく私はパンダさんのブログに、そこで行われる皆さんのやりとりに、大いに助けられています。
投稿: 碧 | 2014年10月21日 (火) 00時07分
多分私が書くべきこと,あるいは書けることはとてもシンプルなことのような気がします。
つまり,このブログにも,もちろん私にも,常にその時々の限界があって,そのことについては私自身も勘違いしないようにしたいということがひとつ。これはアスぺ父を持つ娘さんが書いてくださったことにもなりますね。
それから,以前,私のパートナーもすごく憤慨していたあるコメントについて,私が批判的に対応しないことについて,多くのアスぺの方から厳しく問題にされて炎上状態になったことがありましたけれど(そういう場合に私がどう対応すべきかは今もはっきりとはわかりません),基本的には私が強く疑問に思う場合も含め,慌てずじっくりと対話する姿勢を保ちたいと思っていることがひとつ。
ですから,今回の記事に書いたような,「書き捨て」になってしまうコメントはやはり困るなあと思うことが一つです。
無名さんが誤解されているのかなあと思うのは,私には「恨み」を問題にしているつもりはないということです。「恨み」を持たざるを得ない状況が現実にあるわけですから,そのことをないことにはできませんよね。それ自体が考えるべき深刻な問題だと思っています。
そして,それが深刻な大事な問題だと思うからこそ,それについて「対話する」構えなしに書き捨てのコメントをされることはご遠慮いただきたいのです。それぞれの方が抱えている御事情で,書き捨てて二度と見にも来られない気持ちになられる場合がありうることは私にもある程度は想像が付きますけれど,だからといってそうしてよいということはないと思うのです。
何について書いても,どんな書き方をしても,誰もそれで傷つかないとか,そういうことはほとんどあり得ないように思います。もちろん当たり障りのない問題について,当たり障りのないことを書くのであれば,問題は起こりにくいでしょうけれど,もともと多くの方が深く傷ついている問題について何かを考えようとすれば,どんなに気を付けていても,思わぬところで意図せずに誰かが傷つくことは避けようがありません。
極端な場合には,ある方にとって救いになる文章が,他の方にとっては深く傷つくものになる可能性もあります。そうすると,それで黙ってしまうのでなければ,あと可能なことはもしそれで傷ついた人があれば,その人とちゃんと対話する構えを持つことしかないんじゃないでしょうか。
書き捨てということは,そういう可能性を失わせてしまうと思うんですね。だからこういう場にはふさわしくないと私は思います。
もちろん,対話が続けばみんなハッピーとは全く思いませんし,途中で重すぎて対話が不可能になることも十分ありうることです。その場合は,とりあえず今はここまでにしたい,という申し出だってあって当然だと思います。それは書き捨てということとは違いますし。
とりあえずちょっと私の方から補足したいのはそんなことでしょうか。
投稿: パンダ | 2014年10月21日 (火) 00時31分
碧さん
はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
碧さんのような形で役立ててくださっている方がいらっしゃることは
とてもうれしいです。
ROMの方のお気持ちを聞く機会がないので(ってROMだから当たり前!),
ああ,そんなふうに読んでくださっているんだなあとありがたく思いました。
また気が向くことがありましたら,どんなことでもコメントを下さい。
投稿: パンダ | 2014年10月21日 (火) 00時52分
この記事の一番はじめに無名でコメントをさせていただいたものです。
> 結局,ご自分の抱えられた現実の中で,どう考えても前向きに考えられるような状況を持てず,ただ絶望や恨みを抱くしかない孤立を生きられている場合,そんな風にならざるを得ないのでしょうか。
という文章を読んだときに侮辱された気分になってしまいました。
読んだ瞬間に、 とても徴発されているようにすら感じてしまいました。
前向きにとらえよう、 前向きに生きていこうと進もうとしても、おこった出来事がふっと沸き上がるとどうしようもなくつらくなります。 腹も立ちます。 憎む気持ちすら沸いてきます。 とても きれいごとでは済まされないどうしようもない気持ちがわきあがります。 いまの私は現実から 眼をそらす以外ないのです。 納得したくて話し合いすら できないのです。
アスペルガーのパートナーを愛するからこそ、大切に思うからこそ、心をつくし耐え忍び 理解したいと何年も自分で言うのもおこがましいですが必死でした。
でも 心を尽くせば尽くした分見事に空回り、 そして奈落の底へ落ち・・ やっとの
思いで 這い上がったつもりでいますが、 いつ何をきっかけに、また落ちて行きそうになるか わからない・・・。
それだけ、今の現状、信じられないような仕打ちにどうしようもないむなしさを感じたりするのです。
そんな時、 いつもパンダさんのブログを読ませていただいていました。
励まされたり、 勉強になったり、 共感したり、 なんとなくちがうと感じたり・・・心の
隙間 間の持たない自分の気持ちを埋めたくて読ませていただいていました。
そんな状況なので受け止め方が私自身ねじれているのかもしれません。
今回のパンダさんの記事は、 なんだか ??????となってしまいました。
常にどんな出来事に対しても、前向きでいることができる人もいるかもしれません・・
でも、 起きてしまった状況をプラスにとらえるには難しく、人間不信に陥りそうなくらいの状況で マイナスな人だっているんだ という思いが爆発してしまいました。
そんな思いでの コメントでした・・・
でもパンダさんのコメントを読ませていただいて私の受取り違いだったのかなと
思えても来ました。
アスペ父を持つ娘さん、 トマトさん、 碧さん、 そしてパンダさんコメントありがとうございました。
言葉が過ぎてしまったところもあると思います。 申し訳ありませんでした。
投稿: | 2014年10月21日 (火) 02時34分
有り難うございました。
無名さんのようのような切実な思いを抱えて、なおかつこんなふうこんな風に一緒に問題を考えようとしてくださる方は、全く対象に想定しないで書きましたが、お書きいただいたような受け止め方もあり得る、舌足らずな表現でした。申し訳ありません。
本来の意図をもう少し見やすくなるようにご指摘の箇所の記事を補足してみました。まだ不十分かもしれませんし、またご指摘下さい。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
投稿: パンダ | 2014年10月21日 (火) 06時41分
無名さんへ トマトです。
最近、私は7名ほどの話し合いの場面で、無名さんに共感できる状態になっていました。
相手の「その一言」で私はキレた。
にらみつけ、力を込めた声で反論と批判をしてテーブルをバン!とたたき 部屋を出て
行きたいという衝動に駆られました。
実際にそれをしたら相手はあっけにとられて「何かそれほど悪いこと言ったの?」とポカンとしたでしょうが。
1対1なら、自分を抑えられなかったでしょう。
双方を見ている他者の目や考えをふまえて、我慢する・・という、いかにも定型というサガゆえに心の傷口パックリ状態で座って居ましたが。
その時、これほどまでに自分が追いつめられていたのか、という再認識にもなりました。
限界ぎりぎりで、維持や遂行している最中に、感情の地雷となるものは生まれます。
今回、私は負のパワーを使うしか這い上がれない。
それは、その相手への恨みや憎しみや反発です。
傷の深さの塊が、モチベーションの時ってあると思います。
そのつらさに耐えられなくて「放棄」という提案もしました。
私が放棄すれば、誰が拾うというものでもなく、代行できるものでもなく放置されるだけです。
責任問題として、それも出来ません。
ただ・・私の場合は到着地点というものがあり、辿り着けたら今の状況からは解放される、評価や気持ちの逆転があるかも・・というメドがあります。
そのような解決や求めることのメドが立たないパンダさんの立場は、無名さんと共有のものなんだろうなと思います。
投稿: トマト | 2014年10月21日 (火) 10時35分
パンダさん
何か名前を考えればよいのでしょうが このまま無名でいきます。
パンダさんの記事を書き換えてほしくて、あのようなコメントをしたわけではなかったのですが、わざわざ配慮していただいてわかりやすく書き換えていただいてありがとうございます。
パンダさんがこのブログに訪れる方に真剣に向き合ってらっしゃるんだなということが伝わり、どこかで温かい血が流れ出すような感覚を覚えました。
一度もお会いしたことのないパンダさんはじめ コメントくださった方に 訴えた気持ちを知ってもらい 理解しようと歩み寄っていただき、話し合いができること、伝わること、共感できることで ねじまがっている自分の気持ちがまっすぐに戻るような気がしました。そして逆に 愛するアスペのパートナーからそのようなものを得ることを望めなかったこと そのような向き合おうという姿勢すら見せてくれなかったことに悲しさを感じたりもしています。
コメントでいやな言い方もたくさんしてしまいました。改めてすみませんでした。
トマトさん
コメントありがとうございます。
いつもこのブログで トマトさんのコメントを読むたびに、アスペのことを完結にわかりやすく勉強させていただいています。 トマトさんのコメントは、私にとって すーっと
なるほど!そうなのかー!と入ってきます。 それが今の状況を悩んだり考えたりする中で、励ましにもなり、あきらめにもなりどれだけ助けられているかわかりません。
そのような方も多いのではないかと思っています。 感謝しています。
トマトさんは社会的に?(すみません 勝手な私の想像です、パートナーとしてではなく) アスペの方と接してらっしゃっているのかなあと認識しているのですが、いつも冷静、的確に分析されてらっしゃるトマトさんが 我慢の限界を超え追い詰められる状況になられる・・ 我慢を常に要求されるという立場は相当なストレスを知らず知らずに ため込んで行かれるだろうと思います。・・そしてまた 状況から怒りとしての感情をぶつけられない・・・(本当はぶつけたいのに・・) しんどいですね。ただ おっしゃっている通り問題に解決があれば? それで今の怒りからは解放される・、形がつけばそこで終了?するのでしょうか? よく状況はわかりませんが ある意味 まだ救われる状況なのだろうか??と思ったりしています。
私がしんどいのは どんなひどい仕打ちを受けてもそこに「好きだ」という感情がいまだ存在するからだと思います。 長い年月をかけて築き上げてきたものがいとも簡単に崩れひどい仕打ちをこれでもかと受け・・ 憎む気持ちもありながら好きという気持ちも存在する・・・ これまでの年月は何だったのか? これまでの築き上げてきたものはなんだったのか? 話をしたい・・しかし 面倒な事からは一切逃げる。すべてにおいてわけがわからず 説明も フォローも話し合いも、共感も わかりあえることも 理解しようと歩み寄ることも一切ないまま自分がいけなかったのかと自分を責め 自分自身わけがわからない状況です。
考えれば考えるだけ渦にのまれ、今の現状から眼をそらすしかありません。
前向きにとらえようとするのですがその材料がみつかりません。プラスにとらえようとすると自分が崩れます。だから「好き」という感情を憎しみに変えていくしか自分が成り立ちません。この状況解決は自分が「好き」「愛する」という感情を憎しみに変えて生きていくしかないのか・・と思っています。 そしてまた ひどい仕打ちを憎しまなければ自分が成り立ちません・・・ なんだか書いていることが わけがわからなくなってきました・・ すみません
でも 気持ちに共感していただいて嬉しかったです。ありがとうございます。
投稿: | 2014年10月21日 (火) 18時31分
トマトです。
無名さん、そうですよね。
愛情が消えないから、これほどまでに苦しいのですよね。
私も、人を憎まざるを得ないというか、悔しくてたまらないのに、その原因を手放さないのは、その仕事の内容に愛情があるからなんです。
気持ちを込めてしまうと、その傷つき方も胸を刺されるような痛みと、悔しさの苦しみが強いですよね。
一人の人を好きであるがゆえに憎まなければならない葛藤は、頭と心が分断されますから心身の疲弊になると思います。
無名さんのコメントに「自分だけではない」と救われた方も居るはずです。
私も事柄は違いますが「感情の地雷を踏まれた」という瞬間のスイッチ感を思い出したという観点で「自分もこうだった」と共感できたのですから。
こういうふうに考えると、パンダさんもおっしゃってましたが、コメントって本当にいろんな角度からキャッチされるものなんですね。
投稿: トマト | 2014年10月21日 (火) 21時11分
初めてコメントさせていただきます。
結婚25年、未診断無自覚の夫を持つ3人の子持ちハハです。
私もこのブログに救われ、ギリギリの崖っぷちから這上がって来ました。
自分の考えの振り返り場であったり、もやもやした思いを代弁してもらえたり、思っても見なかった視点を気づかせてもらったこともありました。
過去に炎上のような状態になった時も、まさに我が家の話合いを再現したかのようなやり取りに驚きました。
パンダさんほどの理解をもっても意図を伝えることがこんなに難しいものなのかと……。
ですからまだ未熟者の私にとってこのブログは現在進行
形のバイブルです。皆さん真摯に語り合ってい
らっしゃいます。それ故に定型AS問題の奥深さを痛感します。
それでも明るい方向に舵をきってくださるパンダさんに感謝の気持ちを伝えたくなりました。
そして、このブログに集う皆さまのご意見にも感謝します。
投稿: 杜若 | 2014年10月21日 (火) 23時36分
トマトさん
しんどい複雑な相反したどうしようもない気持ちに寄り添っていただきありがとうございます。
誰かにわかってもらえるということが、こんなにも凍りついた心がジワジワと溶けていくような気持ちになるんだと改めて思い知らされています。 そして 愛していたアスペのパートナーからの寄り添いというものにどれだけ飢えていたのか・・。 長い年月の中で、それを感じたことがあったのだろうか・・と
トマトさんの言われる通り コメントは色々な角度からキャッチされるようですね。
文章で思いを伝えることが難しいということを改めて思い知らされました。
その時 その時の読んだ人の心の状態で180度ちがうのかもしれません。
それで 今回はお騒がせしてしまいました。
私自身、カサンドラ症候群なのではなかろうか? と思ったりします・・
このアスペのパートナーの悩みから抜け出せないからです。・・・。
離れた今も、いろいろな感情に陥りますし。。怒りや憎しみ・・愛しさせつなさ悲しみ・・・
これからも トマトさんのコメントから学んでいきたいです。
また、何かでコメントすることがあったときは、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿: | 2014年10月22日 (水) 02時28分
無名さんへ トマトです。
私のコメントから学びがあるというのは、とても恐縮なことですが・・・定型の使う「学び」という言葉には「共感したので」という前提があるのではないかと、
無名さんのコントで発見というか感じました。
心の中に地雷を持つとき、人はカサンドラ症候群になってる時・・・という事も今回、私が学びました。
思い出せば・・・私もAS友人と向き合ったとき、医療・福祉関係者もリアルなASを知らなくて、友人知人には私の方が非難され、一時期カサンドラ状態になり、
気持ちの突破口になったのがASの人が運営しているブログでした。
ASが多数派の世界に飛び込み、私の質問やコメントで炎上になっても、ASブログ主さんは、私をいたわってくださいました。
そして多くの学びを、ASの皆さんにいただきながら、定型の中のカサンドラ状態からなんとか立ち直りました。
ASについての悩みはASの人に聞かないとわからない。
これが、私の信条となりましたが、定型側からのASの人へのアプローチをしているブログは貴重だと思いますので、パンダさんちで実生活での凍えを緩和させてもらいましょう。
今後もよろしくお願いします。
投稿: トマト | 2014年10月22日 (水) 06時55分
杜若さん
はじめまして。コメントどうもありがとうございました。
ROMでお読みくださる方がどんなお気持ちでいらっしゃるのかは本当に分らないので,
杜若さんには意味ある場として感じていただけていると分ってよかったです。
やっぱり普段孤立しなければならない状況を生きている方たちにとって,
それぞれの思いや状況を交流できる場というのは,本当に大事なのですね。
問題が問題だけに,これからも紆余曲折でしょうけれど,
今後もこの場がそんな風に育って行けばいいなと改めて思いました。
またどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: パンダ | 2014年10月22日 (水) 13時10分
ご無沙汰しております。夫は多分、アスペルガー的な要素を持っていると思われる者です。夫と感情のやりとりをすることにとても苦労してきました。
夫との関係性にとらわれ苦しんでた頃は夫に恋愛感情のようなものをまだ持っていたのだと思います。今は、そういう感情が湧いてきません。時々むなしい感情やさみしい感情はわいてきますが、前ほどしんどくなくなりました。
なるようになることはなるようになるし、どうにもならないことはどうにもならないのだろうなと思います。それは夫との関係だけじゃなくて、何事もそうかと。
今は、子どもを育てる同士としての関係性だけ保ってる感じです。
頭では、わたしがアクションを起こして、関係性をよくすることに努力したほうがいいんだろうなあと思いますが、トライアンドエラーを繰り返しながらも、事態が好転していかないことに疲れてしまいました。
今は夫とは揉めずに穏やかであればいいとだけ思っています。先のことはあまり考えないようにしています。
投稿: wakaba | 2014年10月22日 (水) 17時36分
wakabaさん
頑張れるだけ頑張ったあとは、それ以上無理をしなくなる、というか、そうできるというのは、生きていく上で大事な能力のひとつなんだろうと、そんなことを思います。私の場合はどうもその辺のバランスをとるのが下手なようで、とかく無理をし勝ちなようです。
なんかそういうことって、もう、与えられた状況とか、もって生まれた性格とか、そんなもので大きく左右される気がして、いいとかわるい悪いとか、そういう話を越えたことですよね、きっと。それも含めて、だれでも結局自分なりの選択をしながら自分なりの人生を歩むしかないんだろうなあとか、最近そんな気分です。
投稿: パンダ | 2014年10月23日 (木) 22時38分