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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年10月12日 (日)

「魔法の鏡」

 掲示板でアスぺ父を持つ娘さんのお話を拝見しながら,ひとってどれほど矛盾した思いを深く深く抱え込みながら生きているんだろうと,改めて感じています。

 普段,ふつうにひとが生きているときは,その矛盾については適当にバランスがとれていて,そんなに矛盾を意識しなくてもすごせるのでしょう。でも,いろんな原因でそのバランスが崩れると,いろいろなものが噴出してくることになる。

 その矛盾は一人の人の気持ちのなかにも生まれるし,でも決してそれでおさまるものではなくて,人と人とのかかわりやつながりのなかにも生まれるし,そのどちらもが,いってみればコインの裏表のように切り離せない関係にあるのだと思います。

 アスぺの方は自分の中で問題をなんとかしようと努力されていて,それはそれでひとつの「覚悟」として立派にも感じますし,最近はそういうパートナーの姿に自分にはまねできない偉さを感じたりもします。

 とはいえ,反面でその努力が定型アスぺのズレの中で,周りには受け入れられることが少なく,自分の中の矛盾をますます深めて行ったり,周囲との間に生まれる軋轢に苦しめられることにもなる。

 定型の方は自分の「当たり前」がまったく通用しない事態に混乱するしかなくて,いろいろあがけばあがくほど,それまでなんとかバランスをとっていた自分の中の矛盾がいろんな形で噴出してくることになる。定型アスぺのカップルの,定型の側も鬱になったりいろんな形で社会適応しにくくなってしまうのは,それだからなんでしょうね。

 アスぺの父を持つ娘さんのお話ですごいなあと思うことの一つは,もうご自分も,家族も世間的には「ぼろぼろ」になっているとみられるような状況になって,その中にもがき苦しみ続けるしかなくて,でもそういう状況の中でなお,生き抜こうとされていることでしょうか。そしてそのときに生きるというのは,どうしようもない矛盾を引き受けていくことでもある。

 なんだか自分のこれまでの生き方が,ある意味薄っぺらいものにしか目を向けてこられなかった面を改めて感じます。人ってだれもが,ほんとに深い矛盾を抱え込んで生きているのに,そのほんの表面しか見ようとしなかった,とでも言うのでしょうか。

 そんなふうに考えてみると,アスぺの方の言葉がなぜ定型には辛いことがよくあるかもわかる気がしてきます。アスぺの方の視線は,定型的な視線を共有しずらい分,定型的な視線ではなかなか見えてこないものが見えてきてしまうのでしょう。

 そこは定型が定型的「常識」というバランスの中でいつもは見ないで済ませている部分だから,そこを突かれて動揺したり,傷ついたり,激しく怒ったり,そんな風になるんでしょうね。もちろんアスぺの方はそうしようと思ってそうしているわけではなく,単に素朴にご自分が見ているものをそのまま語っているだけなので,定型のそういう姿を見て,訳が分からなくてまた混乱されるわけです。

 ネバーエンディングストーリーという物語がありましたけど,その中で勇士アトレイユが受ける数々の試練の最後の方に,真実の自分を映し出す魔法の鏡に向き合うという課題が出てきたと思います。人間だれしも自分のことをそんなにひどい人間だとは本気では思いたくないわけでしょうし,いろんな自分に対する幻想を持って生きているのでしょうけれど,もしそういうものを全部ひっぺがして,裸の自分を見せつけられたら……という怖い課題なわけです。

 「本当の私」なんてあるのか,というややこしい話はここではまあ置いておくとして,でも定型アスぺ関係の中で,定型にとってアスぺの方はある意味そういう「魔法の鏡」なのかもしれません。自分が抱えている矛盾をそのまま映し出して,定型的なごまかしとか幻想を全然許してくれないのですから。よほど鈍感になるか,よほど強くなるか,よほど素直になるか……,なんにせよ定型にとってはものすごく大きな課題を突き付けられるのかもしれません。

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コメント

パンダさんへ  トマトです。

ASの人に対峙すると、あるとき自分の心というか精神が丸裸にされたような、自分の人物像が見えるときが確かにありますね。

それは、自分の邪心、良心、度量、未熟さ・・・そういうものをハラリと見せられるような体験です。

自分の概念にはない視点にさらされたという証でしようか。

トマトさん

そうですね。私も昔、障がいのある子供たちと付き合って、
似たような思いになった気がします。

それまでの自分ではどうにもならない状況に出会って、
それでも何かの理由で付き合い続けるなら、人は
自分を否定するか、相手を否定して押さえつけるか、
そのどちらかになりやすいのなと思うのですが、
その点はアスペ定型共に同じような気もしてきました。

アスペ父を持つ娘さんのお父さんは、
もって生まれた能力とパワーで、得体の知れない定型社会を
相手を押さえつけて生き延びる道を進まれたんじゃないかなと
そんな気がします。

その時、お互いの世界のズレが大きければ大きいほど、
押さえつけようとする力が暴力的になっていき、
悲劇的な展開になりやすいのではないでしょうか。
そういう展開は、定型でも条件次第でいくらでもありそうです。

そう考えると、自分の限界をちゃんと見つめながら
でも全面的な自己否定にならず、相手の全否定にもならず
アスペの方たちとのいい距離感を探り続けて来られた
トマトさんの知恵や経験から学ばせて頂くことの大きさを
改めて感じます。

パンダさんトマトさんは…長年、障害と向き合うことに心が折れそうになったりすることはありましたか…?

私は何かちょっと疲れてきちゃいました…
もちろん私には父のことだけで、他の方のことはしりませんが…
最初は“アスペルガー”という障害が父と重なることで《希望》に近づけるような気持ちでしたが…
掲示板で綴ってく中で…今なんか《絶望》に近いような気持ちになっています
だって、それこそ誰のせいなの?って…
誰のせいでもなく家族がこうなってしまったの?って…
自分はどれだけバカなことをしたんだろうって

それでも、生きていかなきゃいけない

自分が無くしたものの多さに虚しくなるばかりです…

アスペ父を持つ娘さん

心が折れそうになる体験はパートナーも私も繰り返してきたんじゃないかなと思います。実際私は鬱にもなりましたし、世間的には明らかに「折れた」んじゃないでしょうか。

おっしゃる通り、お父さんがアスペと理解されたことは、ある面では救いにもなるし、同時に別の面では新な悩みも抱えますよね。自分の苦しみの原因が分かって、何か対処の方法があるかもしれないという思いは希望につながるでしょし、逆に今まではお父さんに対する怒りで何とか自分を保てていた部分で、ブレーキがかかってしまって、怒りのぶつけどころが見えなくなって苦しかったり虚しかったり…。

私にはアスペ父を持つ娘さんの綴られる文章には深く学ばせられたり、励まされる思いがしたりします。私の子どもが体験して来た辛さを少しでも理解する上で、手がかりをいただけるという意味でも、アスペ定型問題の大きさと、その幅を実感する上でも、そしてこんなにも大変な状況を懸命に生きてこられた姿に励まされる意味でもそうです。

ただ、アスペの父を持つ娘さんの抱えられている傷の大きさは、本当に重く感じられるので、無理に向き合わず、急がずゆっくりと、包み込むように進んでいかれた方が良いのではないかと、そんなことを感じていました。

もちろん書きたい思いが強いときには、書くことで気持ちが整理されたり、新しい発見があることもあるでしょうし、そうならまた読ませたいただきたくは思いますが、ご無理だけはなさらないで下さいね。

アスペの父を持つ娘さんへ  トマトです。

私がアスペルガーという症状を、初めて精神科医からきちんと説明を受けたとき、印象的だった言葉は「疲弊(ひへい)」でした。
その日まで、疲労という言葉は知っていましたが疲弊という言葉は、初めて聞いたと思いました。

心が折れるほどに疲れ果てる・・・頭も体も動かぬほどに疲れ込む。

会話になっていない会話をし続けることが、精神も生活も奇妙な歪みを帯びていく不安も体感しました。

定型の感覚とAS寄りの感覚との往来は、時にどちらの世界からもスポイルされたような、いわばカサンドラと呼ばれる境地の孤立感に茫然としたこともありました。

私は、嫁ぎ先で自分を可愛がってくれた義父が酷い酒乱で家族が離れていったあげく、アルコール性認知症になって、家族のことも私のこともわからなくなったとき、それまでの依存や甘えが自分の中からなくなり「お義父さんが忘れた分、私が全部覚えているから大丈夫だよ」という気持ちが生まれてきたことに、ものすごく意外でした。

これから先のことを思うと、気が遠くなるほど気がめいる関係性のAS友人が癌になり余命を宣告されたとき、それまでの疲弊がぶっとび「希望することすべてをかなえてあげて私が看取る」という気持ちが突き上げてきたことに、ものすごく意外でした。

それは、相手に何かしら求める気持ちが、与えたいという姿勢に逆転した瞬間だったと思います。

多分・・・そういうターニングポイントが、アスペを持つ娘さんにも来ると、私はすごく強く感じるのです。
それは・・・・・・根拠のない理由をいう事を許してほしいのですが

アスぺの父を持つ娘さんの「文体」で、そう確信してしまうのです。

過去への後悔や今の痛みの巡り具合が、きっとどこかに到達するに違いないという、目が離せないような流れ。

すでに、アスペの父を持つ娘さんの告白は、少なくとも「私」という一人の人間に、自分の未熟さや甘さの自覚と同時に許しも与えてくれています。

ASの人に本気で向かい合ったり、巻き込まれた定型は、その過去をふりかえったとき、どこか訳の分からない欠損感みたいな寂しさや痛みを覚えるのではないかなぁと思うんです。

それは、納得や充実や満足に到達しない関係性が残した爪痕みたいに。

そこに・・・うまく言えないのですが「アスペの父を持つ娘さんもこれほど苦しんできたしまだ混沌とした思いを抱いている。だからこんな私が寂しくて悲しくて後悔したり恨んだりして痛くてもかまわないんだ」という
とても切ない神様の許しみたいな・・・本当に根柢のものを勝手にいただいているんです。

もう・・・アスペの父を持つ娘さんは、無意識でも、与える側になっているんです。

勝手にいただき、勝手に感謝している者が居ることをお伝えしたかったです。

パンダさん、トマトさん…

ありがとうございます、


そうですね、こんなに苦しいのも…私だけじゃないって

大袈裟だけど、生きてていいんだ、みたいな気持ちになりました

とても励みになります


感謝ですm(__)m


またお話聞かせて下さいm(__)m

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