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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年9月23日 (火)

関係の違いと距離感

 トマトさんがコメントに書いていらっしゃる距離感は,定型アスぺ問題を考えるときにとても大事なポイントの一つに思えました。トマトさんの言葉は次のようなものです。

>いつも「謎」をくれるASの人は、私の目や耳をくぎずけにします。しかし・・・これは距離感を自由自在にとれる立場の者の呑気な立場としての意見です。

 トマトさんが果たして「のんきな立場」かどうかはちょっと置くとしても,相手との関係によって定型アスぺ問題がどういう意味をその人に持つかについてはすごく変わってくることは間違いないでしょう。

 たとえば親子と夫婦を考えてみると,親子関係はもう完全に運命的なもので,そこから逃れることは不可能です。もちろん「親子関係を絶つ」という行動はとれますけれど,その親から生まれた子であること,あるいは自分たちが作った子どもであることはどうやったって消しようのない事実として続いていきます。そういう運命的な関係は夫婦にはありません。

 夫婦と友人を考えてみると,夫婦関係はある意味で自分の人生の一番重要な部分に関わっていて,そのことは人が普通はもっとも秘密にしている性愛の部分を共有し,自分の次の世代を生み育てるという特別の関係だ,ということにもよく表れているように思います。そこは普通の友人関係にはないところでしょう。

 友人と仕事上の関係を考えてみると,友人関係はお金では割り切れず,打算だけでは成り立たないものでしょう。友人になれる人はやはり限られていて,お互いの関係は相性がとても大事な特別のものです。もちろん仕事上の人間関係でも相性はありますけれど,でも相性が最優先されることはなく,そこはもっとドライでしょう。

 そんなふうに「私の人生」にとって相手が持つ意味は親子,夫婦,友人,同僚などなど,お互いの関係によって様々です。自分がその関係をどこまで自分で選べるのか,一度成り立った関係をどの程度自由に変更できるのか,その関係を失うことが自分にとってどれほど深い影響力を持つか,といったことがそれぞれに様々なわけです。

 当然,そういった条件の違いによって,アスぺ定型のずれが生み出す困難についても,どんなふうに対応したらいいのか,どこまで対応しなければならないのか,その関係の中で自分を保つには何が大事になるのか,といったことの具体的中身もまたさまざまになるはずです。

 アスぺ父を持つ娘さんの葛藤は,まさに親子関係の中での葛藤ですよね。なくしてしまうことが不可能な「親子」という関係が大前提で,それがたとえ言い尽くせぬ痛みを伴うものでも,逃れることはできない。見ないでおくことはある程度可能かもしれませんが,それでなくなるわけではない。

 私はパートナーとの間に,ある種の「運命的」な関係を感じる部分もありますけれど,でもやっぱりその関係は実際には「切ってしまう」ことは可能なのでしょう。お互いの関係が続くためには,お互いの「意思」が関わってきます。もちろん夫婦関係の維持には,経済的な必要とか,社会的な見栄とか,周りの圧力とか,そんなものも影響するわけですし,そこにはいろんな打算も働きうるわけですが,そのことも含めて「意思」が関わる関係であることは間違いないと思います。

 ……と書いてきて,さて,こういう見方がどこまで通用するのかなと改めて考えてみると,もしかするとこういう区切り方や特徴づけ方は,定型的な感じ方と言える部分もあるのかもしれません。アスぺの方はまたこれとは違った感覚でそれぞれの関係を理解されているのかもしれず,もしそうならたとえば「夫婦関係を保つというのはどういうことなのか」について,理解のずれから来る問題がそこでも生まれるかもしれませんね。

 実際,アスぺの方が結婚後に定型から「釣った魚にはエサはやらない」と見られることがしばしばあるらしい,ということを以前に考えてみましたけれど,それは「餌をやらない」=「ずるい」という問題ではなくて,「家族って何?」ということについての感覚の違いが関係している可能性があったのでした。

 うーん,またひとつ定型アスぺ問題を考える上で大事なポイントが見えてきつつあるような気がします。

 

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コメント

私にとって父とは…近くて遠い存在でした

だからこそ悩みの種なんでしょうね

私には父がわからないから、母に聞きます

でも母は言います

『夫婦だからって1から10まで知ってるわけじゃないのよ…』

それもそうか…

色々あって、私はひとつの結論に到達したような気がします。
アスペの人は自分の症状・言動の理由をしっかり把握すること。
そして、それを把握して一度絶望した上で(定型って感情で行動できてずるいなーとか)、一周回って諦めて演技をし続ける「べき」なんじゃないかなって思いました。

なぜなら、感情抜きで相手と関われて行動できるのって結局アスペ側でしかないですから…定型の方は感情がくっついてくるので難しいのだと思います。
その状況を定型の方が「悲しい」と思ったとしても関係なく、表面上綺麗に保つのが我々の責務なんじゃないかなぁって思い始めています。

アスペ父を持つ娘、さんの苦しみもありますし。
もちろん理解できないことは多いのでそれは違うよーとかっていう指摘は必要なのでしょうけど、永遠に学習し続けて正解不正解を繰り返して、出来る限り整った言動を行って、定型の負担にならないよーに。

アスペが全て理解した上で定型から距離をとる、そしてそのことを定型も理解しておく、これって解決策にならないですかねーw
ぶつかってもあんまりいいことないなぁって思ったんですよね。結局。

トマトです。

「ぶつかってもあんまりいいことないなぁって思ったんですよね。結局。」というsongさんの言葉に同感します。

定型同士にも言えますが、「ぶつかって良かった」という結果になるには、根っこの価値観や目的意識が同じでないと無理だと感じます。

定型とASのぶつかりは、考えの土台という概念から違っているので、ひどい疲労感がむくわれることが無く、解決や改善に結びつかないので、嫌悪感や苦手感やパニックにつながったりと・・・あまりにも良い事がないです。

定型からは歩み寄るというやり方しか無いけれど、それは定型がASに対する関心や知識がないと進まないし、ASの人から歩み寄られても定型はそのチャンスを逃すことが多いと思います。

定型はまず、相手とのやりとりに「あれっ?」と感じたら、AS(傾向がある)かどうか、アンテナを持たないと、やみくもなトラブルに巻き込み巻き込まれてしまいます。

『アスペが全て理解した上で定型から距離をとる、そしてそのことを定型も理解しておく、これって解決策にならないですかねーw』
というsongさんのご提案も、ひとつの理想と感じます。

なんだかパンダさんには「それって寂しいや〜ん」と言われそうですかんが(笑)


トマトさんの

>「ぶつかって良かった」という結果になるには、根っこの価値観や目的意識が同じでないと無理だと感じます。

 を読んで,このところ少しこだわっていた「人間性」の問題がちょっと見えてきました。
 要するに,定型アスぺ間で共有できる「価値観や目的意識」について
 考えていたんだと思います。

 今回のことで言えば,少なくともsongさんとの間では

 「アスペ父を持つ娘、さんの苦しみ」
 「(相手の人の)負担にならないよーに」
 「(お互いに)理解しておく」
 「ずるい」
 「べき」「我々の責務」

 という言葉は,「何を目指したらいいか,何は避けなければいけないか」
 ということについて,ある程度「価値観や目的意識が同じ」と言える部分かも。
 「負担にならないように」については
 親しい関係と言うのはお互いに「負担を受け入れあう関係」でもあると
 思うので,もう少し考える余地はあると思いますけど…

 簡単に言えば,songさんともこういう意味あるやりとりができている,
 ということ自体が,なんか共通の足場がある証拠になるんじゃないでしょうか。

 なんにしても,「違う」と「同じ」の両方を見ていかないと,
 関係ってうまくいかないような気がします。
 「違う」だけだと切り離されるしかなくなるし,
 「同じ」だけだと結局相手を自分に呑み込んだり
 相手に自分が呑み込まれたりということになっちゃうし。

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