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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年9月28日 (日)

二つの世界(2)

 

二つの世界(1)の続きです。

 定型アスぺのズレでは「感情」ということをどう理解して,その問題にどう向き合おうとしているのかがすごく違うということは,これまでのみなさんとのやりとりからもたぶん間違いないだろうと思います。

 定型は人との関係を考える時,すごく「感情」にこだわります。相手と同じ感情を持てるのか,持てないのか,あるいは正反対の感情を持つのか,ということは,お互いの関係が「親しい」ものか「親しみを感じない」ものか,さらには「敵対的なもの」かを決めてしまうような大きな意味を持っています。だから「共感的な関係」を作ったり,保ったりすることはとても大事なことになる。

 「信頼できる人」は「自分の感情を理解してくれる人」になりますし,そうやって理解してくれれば,自分が困った時には適切な援助も貰えるだろうと感じるでしょうし,自分もその人に同じように尽くしてあげたいと思うでしょう。定型的な世界の中ではこの「信頼できる人」と「信頼できない人」の区別は,生きていくうえでものすごく大きな意味を持つことになります。なにしろ「助け合って生きる」ためには「信頼」が基本になりますし,場合によってそれは敵と味方を分けるものにもなるのですから。

 ですから「感情を理解し,そして調整する」ことは,定型にとってとても大きな課題になります。「共感能力の高い」人はそれだけ信頼できる人間関係を作りやすい素質を持つことになりますし,自分自身の感情を理解して調整したり,人との関係で感情を調整する力は定型的な人間関係をうまくやっていくうえですごく大きな力になります。

 定型の場合,自分の感情の動き方と相手の感情の動き方はかなり影響しあいますし,それで「共鳴」とか「共感」とか言うようなことも起こりやすいのでしょう。ですから,自分の感情の理解と相手の感情の理解はすごくつながったものになりやすいし,自分の感情を調整することが相手の感情の調整にもつながってくる。「相手の人に共感すること」はですから「相手の人の感情を調整すること」にもなるし,そのことで相手の人の悲しみをいやしたり,喜びを強めたり,その人を精神的に支えたりすることもできるようになる。

 そうやって生きるのが定型的な世界なので,定型は特に大事な人との間ではそういう「感情に注目した信頼関係」みたいなものが重要になってくるし,そういう関係を相手に当然のように求めることになります。自分の感情を理解し,相手の感情を理解し,それをどう調整するかが生きていくうえで最大の課題の一つです。それで,人間関係を感情抜きで理解するということが本当に困難になる。

 他方でアスぺの方の場合,(あくまで定型の私の目から見た理解にすぎませんが)自分の感情が相手の人の感情と共鳴するようなことが少ない。

 とは言っても,アスぺの方が感情がないとは私は信じられません。パートナーとの関係でも,彼女が悲しんだり,喜んだり,苦しんだり,怒ったりといった姿をずっと見続けてきましたし,このブログのコメントにもいろんな喜びや怒りや苦しみや驚きや…が書かれていたと思います。ただ定型から見てその感情の原因がわかりにくかったり,その動き方が分かりにくかったりすることがあるし,なかなか理解を定型と共有することがむつかしい。そしてたぶんその結果だと想像するのですが,アスぺの方自身にとっても,自分の感情を「理解する」ということはむつかしそうに思えます。

 ですから,先日も書いてみたように,アスぺの方にとってはこの世の中で生きるということは,わけのわからない感情は抜きにして状況を理解し,対処する技術を身に着けていくという課題と切り離せないことになります。

 このあたりのことをsongさんが感情抜きで相手と関われて行動できるのって結局アスペ側でしかないですから…定型の方は感情がくっついてくるので難しいのだと思います。」と書かれているのだとすれば,私にはわかりやすく感じます。

 一方は感情を大事な手がかりに,世の中を理解し,調整して生きようとするスタイルを身に着けていて,それがないと不安になるし,状況を理解できたような気持になれない。人との信頼関係も結べないような気になる。逆に他方は感情などわけのわからない世界は全く信用できず,現実の目に見える行動で人との関係を理解して対応しようとする。そこに感情を入れて考えることは混乱を生むことでしかないし,それはだましだまされの世界でそこで信頼関係を結ぶことなどとても困難だと感じる。

 もし「両極」として見た定型的世界とアスぺ的世界をそんな風にも特徴づけられるのだとすれば,大人になるまでの間に作り上げてきたそんな基本的な生き方を,根っこから切り替えることは殆ど不可能だろうという気がします。だから,結局自分の生き方,スタイルをベースにしながら,お互いにどう歩み寄れるか,ということが課題なんだという,これまで何度か書いてきたことが改めて言えそうな気がします。

 さて,もしそうだとすれば,じゃあ,定型の側からの歩み寄りはどうやってできるのだろうかと改めて考えてみます。もし完全にアスぺ的世界に合わせるのであれば,感情の問題は「見ない」ことにして,それとは切り離して具体的な付き合いのテクニックを探り,身に着けていくことになるのでしょう。

 でも,それだと定型的にはやっぱりかなり無理をしていることになります。そういうテクニックだけでの付き合いはなんだか冷たく,安心できず,信頼関係には結びつきにくく感じられる。相手を理解した気持ちにはいつまでたってもなれず,不信感が消えない。よく言っても「大人の態度で至らぬ子どもを見守ってあげる」という感じから抜けにくいし,下手をすれば相手をコントロールするだけの関係になってしまう気持ちにもなる。

 そう考えると,たとえアスぺの方とのズレが残り続けたとしても,やはり定型的な「感情を含めた理解」で「翻訳する」ということがある程度は避けられないんじゃないかと思います。そういう理解の仕方であまりにもずれが大きくなりすぎる場合には,改めて調整しなければならないこともあるでしょうけれど,なんとなくそれで関係がしっくりいくなら,そうする意味はありそうです。

 逆にアスぺの方からの歩み寄りには,やはり自分の「感情をからめない理解」や「やりとり」では,定型は納得しきれないことは,お互いの根深い違いとして認めていただく必要があると思います。そこはアスぺの方とはものすごく違うんだということ。そのうえで,アスぺの方にとってもできるだけ無理のない形で,より定型にも受け入れやすい関係を模索して頂く。(具体的にはどうすればいいのかは,定型の私にはなかなか考えることが大変で,アスぺの方の工夫や努力に待つしかないのですけれど)

 どうやったらお互いの自然な感覚を否定せず,無理を減らしながら,お互いの関係を改善していけるのか,そこが「共通する目標」にならないでしょうか。そしてそのための工夫の積み重ねを一緒にしていけないでしょうか。そんなことを考えてみました。

 

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コメント

今回の記事の内容で目を疑いました。
>「信頼できる人」は「自分の感情を理解してくれる人」になります
とのことですが、定型発達の人は「共感してくれる」というだけで信頼してしまうのですか?
私は信頼感を抱くことができないので、そんな私が言うのもおかしなことかもしれませんが、「共感を示してくれる人」と「信頼に足る行動をする人」とは必ずしも結びつかないと私は思います。(話を聞いて共感してくれるけど、話した内容は他人に筒抜けになってしまっていたり、逆に全然共感はしてくれないけど約束は絶対に違えないなど)
もちろんパンダさんはわざと極端な書き方をしていらっしゃるんだろうと思うのですが、それを念頭に置いても、あまりにも衝撃的な内容でした。定型発達の人がよく「信じてたのに裏切られた」というようなことを言っている理由が、わかったような気がします。私自身が信頼感を抱けないということもあって、定型発達の人の「信じる」という言葉は随分軽いなあと思っていたのですが、謎が解けた感じです。

アスペルガー症候群の人でも、他者からの共感が不要なわけではないと思います。でも、定型発達の人と比べると、共感の必要性は低いと思います。「感情のやりとりは一切受け付けられない」というアスペルガー症候群の人もいます(トラウマも影響しているそうです)。私も感情がこもったやりとりには困難さを感じます。だからといって自閉症者に感情が無いということにはなりません。皆感情は豊かです。

感情を加味したやりとりが苦手なのは、「同時進行できない脳」の影響なのかなと最近考えています。自分自身の感情も遅れて発生することがありますし(特に不快な感情)、自分がどんな感情を感じているのかわからない状態でいることもあれば、激情に駆られてしまうこともあり、感情の制御は本当に難しいです。それに、少なくとも私の場合ですが、感情に共感を示されても困ることがあります。「本当にわかっているのか信じられない」という感覚があります。私が「心の底から分かり合えることは絶対に無い」と思い込んでしまっているからかもしれません。

なんだかまとまりがなくてすみません。私が感じたことをお伝えしたいと思って書きましたが、上手くまとめることができませんでした。

白崎やよいさん

ああ、なるほどそういうところで驚かれるんだなあ、と思い、またひとつアスペ的な世界が感じ取れた気がします。お互いにお互いの世界を語り合ってみて、そんな驚きから、それまで想像できなかった相手の世界が、少しずつでも見えてくれば、それは私にはとても嬉しいことです。

信頼の問題はとても大事なポイントに思えるので、また記事の方でも考えてみたいです。

トマトです。

「信頼」のとらえ方の違いは、理屈や言葉では伝わらない「体感」と「そういう脳気質」の問題だととらえています。

信頼ホルモン、オキシトシンがASの人には少ない・・・というデータ。
成長期における、納得できなくて懐疑的な生き方をしてきた影響の事実。

自分の話に「うなづき」があれば安心、安定する定型の脳と
会話に「うなづき」の必要性が無いし理解不能というASの脳。

亡くなったAS友人が「もし神様がASでない1日をくれたら・・・信頼感ってどんな感じか体験したい」という内容のことをつぶやいたのが忘れられません。

彼は、職場で親しくない幹部級の上司に「なかなかよく頑張ってるね」と声をかけられたとき「おまえが僕の何を知ってるんだ! と、不快だった」と言ってましたから、

「褒められるとうれしい、励みになる、承認欲求が満たされる」という定型と
「不信感、疑問、嫌悪感、恐怖感」につながることも多いASと

共感やほめ言葉や誓いの言葉が、好物なので、すんなり飲み込める定型と
それらが、苦手なので飲み込めないASの


シンプルな違いだと思います。

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