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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年9月25日 (木)

「嘘」をつき続けられたら

 私のパートナーは,私が何か伝えようとすると,ほとんどいつもまずは否定的な応答から始まります。疑ったり,とまどったり,常にマイナスの面を探しているような印象です。もちろん共感的になることは無理です。

 最近は随分その感じが弱まってきたように思います。それでも否定的なことを言われますから,やはり私は「反論」とか,少なくとも説明の補足はしたくなり,そうすることもあるのですが,そうすると今度は彼女の方が「何でそんなにムキになって怒るのか。自分は全然せめていないんだけど」と感じたり,そう言ったりすることもなくなってはいません。(私としてはそんなにムキになって怒っている気はないのですが)

 ただ,それと同時に彼女は以前とは違って,「自分の言い方がまたそう受け取られるようなものになってしまっているんだろうか」ということを考えたり言ったりするようになってきています。そして,私の方もそういう彼女の応答の仕方について,以前に比べればそれが「私を否定している」とか「私に不信感を抱いている」というふうには思わなくなってきました。それはたぶん,私の中にこんな想像力が働き始めたからかもしれません。

 もし物心ついたころからずっと周囲に「嘘」をつき続けられたら,自分はどんな性格の人間になったでしょうか。

 世の中はもう「だましあい」の世界に見えるはずです。人の言うことを頭から信じるなんて,まったくバカなことです。それは本当のことなのか,嘘のことなのか,常に疑いの目をもって自分で確かめなければならない。それは生きていくうえで必須のことです。もちろんこの「嘘」はアスぺの方から見て,ということで,定型が意図してということではありません。

 素直に感じたことを正直に言うと,しょっちゅう激しく怒られ,攻撃され続けたら,自分はどんな性格の人間になったでしょう。

 当然,世の中は素直に感じたことを言ってはならない世界に見えるはずです。自分の素直な気持ちを全て抑えてやりとりしなければならない,それが世の中というものだと感じるようになるでしょう。

 自分の感情,感じ方を常に否定され続け,自分には訳の分らない感情について言われ続けたら,自分はどんな性格の人間になったでしょう。

 自分の感じ方や感情の動き方は全く人に理解されないし,人の感情は自分にはわからないし,そうするとそもそも「感情というものが何なのか分らない」という気持ちになるでしょう。自分に感情がないわけではないけれど,それは訳が分からず,得体が知れず意味のないものになります。当然,自分の感情に注意を向けることも少なくなります。

 人の感情の意味が分からず,素直な感情のやりとりが成り立たなかったら,自分はどんな人間関係を作るようになったでしょう。

 感情を手掛かりに人間関係を成り立たせることは不可能ですから,感情抜きでパターンや理屈で人を理解するようになるでしょう。感情で人がつながるなんて,あり得ないことと思えるでしょう。

 感情のやりとりができず,感情は私だけのもので,人となんとか通じるのは理屈の世界やパターンの世界だけだったら,私はどんなことを思うようになったでしょう。

 人は一人ひとりまったく別の人間で,自分の力で自分の努力で生きていくしかないと感じるでしょう。甘えは許されません。理屈の世界は「私」と「あなた」をはっきりと分けます。「共感」とか「共有」とか,そんなあいまいなものは成り立ちません。人はみんな孤立して生きているのです。そんな思いを強烈に持つようになったでしょう。

 家族はその中でもわりに「本音」が通用する世界に見えると思います。あるいは,自分の素直な感じ方を否定され続ける「世の中」に対して,「本音」で生きられる場所として,家庭を考えたくなるでしょう。誰にでも本音と建前の世界はあり,家庭は本音に近い世界でしょうけれど,でもその区別はものすごく強くなったでしょう。「仕事モード」と「オフモード」の区別は強烈になります。そうしなければバランスが取れないのですから。

 こんなふうに想像力を働かせてみると,定型の私にもなんとなくパートナーやアスぺの方が語る世界が「感覚的に」も分かるような気がしてきます。「もしそうなら,それは無理ないなあ,当然だなあ」という感じが少し出てくるのです。

 いつものように,もちろんこういう想像力の働かせ方が果たしてアスぺの方から見て適当なのかどうかは私にはわかりませんが,少なくとも「定型的に想像力を働かせて定型でも感覚的にわかるように翻訳する」という意味では,ある程度は使えそうにも思います。

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コメント

大変久しぶりにコメントさせていただきます。

おっしゃられているそのとおり、だと感じました、昔と今のわたくしがそれです。

改めて、文字として書き起こされたものを拝読することで
自分自身の再認識になりました。


> 当然,世の中は素直に感じたことを言ってはならない世界に見えるはずです。自分の素直な気持ちを全て抑えてやりとりしなければならない,それが世の中というものだと感じるようになるでしょう。

ASDの脳内は白か黒か、な世界でもあるので(少なくともわたくしの脳は。)
実際自分自身は小中学校の頃、
本当にそのとおり『それが世の中だ』、つまるに『そうすべき世界なんだ』『絶対出しちゃいけないんだ』『クラスメイトの言うことにあわせないとダメなんだ』etcのようになって
わたくしの場合はそこからさらに
『そうしない人が許されている憤り、殺意』『それでもやっぱり自分は守らないと仲間はずれにされたり嫌われたり怒られたりすることによる、自己否定の強化』に発展(?)しました。

…すみません、自分がたりが長くなりましたが
この記事に、自分の脳の一部分がひと息つけた感覚になれました。

職場にそういう風に捉え直す人はまぁ出現しないでしょうけれど
齟齬を溝を大きくしないように改めてやってかないとな、と認識できた次第です。

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