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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年9月 1日 (月)

生きるスタイルの違い

 

songさんから問題提起があったので,ちょっと考えてみました。

>定型の人は、自分のやり方を変えるのは苦手ですか?やり方というか、自分自身を変える、みたいな。目標に向けて◯◯しよう、みたいなのを習慣付たりするのは苦手なのでしょうか?

 「定型は自分のやり方を変えるのは苦手?」という問いかけがびっくりで,面白かったです。ふつうはアスぺの方が「こだわり」を持っていて「変化を嫌う」と言われますよね。それが逆にアスぺの方から定型の傾向として言われるというのがとても新鮮。ああ,そういう見方もあるのかと思いました。

 ここでsongさんが注目されているのは,songさんご自身に比べて,周囲の定型の方は「目標を定めてそれに向けて自分を訓練し,成長させる」という意味での変化が苦手ということですよね。逆に言えば,songさんはきっと常に状況を見ながら,今何が必要なのかを見極め,その時々で必要な目標を立てて,それに向けて自分を鍛え,変化させていく努力を続けてこられているんだろうと思いました。ところが周囲の定型の方にその努力が不足しているように感じられる。

 そういう理解で間違っていなければ,songさんの言われることはわかります。そしてたぶんそういう意味では定型は自分のやり方を変えるのは苦手か,あるいは時間がかかるのだと思います。その理由はあとから考えてみますが,常に自分を変える努力をされているsongさんから見れば,「こうやれば問題が解決することははっきりしているのに,何だかよくわからない理由で定型はぐずぐずして一向に解決に向けた努力をはじめない」と感じられるのではないでしょうか。 

>そういう決断は自分の内的要因だけで成り立つ物ではないと言われて、理解ができなかったんです。自分のやることって自分で決めるんじゃないんですか…?私がこうと決めたらこれだけはやる、みたいなのは苦手なのでしょうか。外的要因によっては難しいなぁ…みたいなのが頭にあるものなのでしょうか。


 このところがポイントなんだろうと想像します。「そういう決断は自分の内的要因だけで成り立たない」と周囲の定型の方が言われたというのは,言葉を変えていえば「周囲の状況を見ながら,周囲の人と相談したり,調整したりしながら決める必要がある」という意味ではないかと思います。ですから自分一人でさっと決められない。

 この「周りを見ながら動く」というのは,日本的な人間関係のなかでは特に強烈だと思います。お互いに強烈に自己主張をしあいながら生活している違う文化の人たちから見れば,日本の定型の生き方というのは,songさんが感じられるのと似たような違和感を覚えるのではないかと思います。

 とはいえ,songさんの抱かれる違和感が全部「日本的な人間関係」から来ていると私が言いたいわけではなくて,それはやっぱり「定型的」な生き方なんだろうと思うんですが,ただその傾向が日本のなかではものすごく強くなっているんじゃないかなと思うんですね。極端に「定型的」というか。

>私は、自分の決めた決まりごとは基本周りなんて関係なくできます。だから、周りの関係もあるよっていうのがよく分かりません。


 ここは定型アスぺの「生きるスタイルの違い」と考えるとわかりやすいように思いました。定型はいい意味でも悪い意味でも「仲間」を作って生きようとするし,それがないと不安になるし,あれば安心できる,という生き物なんだと思います。だから自分が周りからどう評価されているかはとても気になるし,周りとの調整をいつも考える。

 それはよく言えば周囲の人への気遣いにもなるし,自己中心的な生き方ではないことにもなるのでしょう。逆に悪く言えば人のことばかり気にしていて,自立していない,とか,すごくいやらしい政治的な生き方にもなる。どちらにしても「仲間作りを大事にし,仲間との関係を大事にする」生き方なんだろうと思います。

 逆にアスぺの方にとって「生きる」ということは,あくまでも自分が状況をどう理解して,自分としてそれにどう対処するか,という「私の決断」の連続なんじゃないでしょうか。アスぺの方が「仲間を求めない」のかと言えば,そこはいろいろ考えるべきことがあるように思いますが,少なくとも現実問題として,アスぺの方は周囲の定型といろいろ感覚が違ったりするので,「お互いに分かり合い,共感しあい,関係をスムーズに調整しあう」ことはむつかしく,いじめも経験され,仲間外れにされ,「仲間を求められない」状況におかれやすいことは間違いないように思います。

 そうだとすれば,アスぺの方は子どものころから常に孤立した状況の中で,誰かからの救いの手を期待することもできず,自分の力で生きていくしかないわけで,定型が仲間に対して期待するような「甘い関係」を人に望むことが許されない厳しさを生きられているのかなと思います。その中でsongさんのように,社会的にも頑張っていらっしゃるアスぺの方は,その厳しさの中で「自分の決めた決まりごと」を断固としてやり抜いて前向きに生きられている。

 「仲間」ということについて,そんなある意味正反対ともいえる条件の中で,正反対ともいえる生き方のスタイルを育てているのが定型とアスぺなのではないでしょうか。その生き方の違いが,相手を理解できない理由にもつながっているような気がします。

 こういう説明の仕方って,songさんから見て納得しやすいでしょうか?それともやっぱりわかりにくい説明でしょうか?

>もちろん個人の性格もあると思うので、なんとなく教えていただけたらなぁと思います!


 私も定型を代表するわけにはいかないので(笑),とりあえず定型パンダの個人的な理解でした。

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コメント

songさんへのコメントはこちらにするべきでしたね;
すみません。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-ed75.html#comment-108753638

こちらの事です。
失礼しました。

パンダさん、コメントを取り上げて頂きありがとうございます!
説明についてよく理解できました。というか、まさか定型ってそんな傾向があるの…?と考えていたようなことを説明頂いたので腑に落ちた感じです。
自分一人では決められないのを、優柔不断なやつめ!と責めるのはよくないことなんだなと思いました。周りの事も考えるとすぐに決めるなんてできない、ということなんですね。
(もちろん個人差、性格差はあるにしろ)

定型の人が長い間悩んで結局動き出したりできないところがあるのは不思議に思ってました。かずきさんの言うように、誰かに背中を押されたりする必要があるっていうことなんでしょうね。
定型が何か始める時に必要なのは、周りの「応援するよ!」「君ならできるよ!」という言葉で、アスペが必要とするのは情報なのかなぁと。それを成し遂げる為に必要な物・お金・時間は何か、実態はどうか、みたいな。
(話はそれますがお店で何か物を買う時の流れもそれぞれで全然異なってきそうですね)

かずきさんも自分で決めて行動するとおっしゃってましたが、多分そういうところが定型の皆さんは苦手だから、私達のあまりの行動力をみてかっこいーとか魅力的に思ってくれたりもするのかなっ!なんて!wだと嬉しいですね。

定型の人が迷って悩んでしてるのを「早く決めなよ、自分のことだろ?」と急かさずに見守り支えて背中を押す、というのがアスペ側にも求められる事だということなのでしょうね…。あぁ、でもメドも立たない意見も明確に聞けない、そういう状況は中々耐え難いものではあるのですが…w

なんていうか、自分自身が「変化」しないと生きてこれなかったので、常に変化させて行く努力だけは余裕でできますし、カップルで問題が起きたら「じゃぁやり方変えよう」「努力しよう」「どうするか言い合おう」みたいなことをざくざく切り込んじゃうんですけど、これも定型の人には感情がついてこなくて、なんか機械的で嫌なことなのかなぁ…。
うー、難しい!ここがわかれば、次のステージに行けるかなぁ!w

songさん

>カップルで問題が起きたら「じゃぁやり方変えよう」「努力しよう」「どうするか言い合おう」みたいなことをざくざく切り込んじゃうんですけど、これも定型の人には感情がついてこなくて、なんか機械的で嫌なことなのかなぁ…。

 たぶん,そのことを言うタイミングとかも「定型的タイミング」みたいのがあるような気がします。そこがうまくはまれば,具体的な対処法の提案などもスムーズにやり取りできそうな気が。

 で,そのタイミングですが,いろんなパターンはありそうですが,songさんが想定されているような場面で考えてみると,ひとつには「うまくいかないことについて,相手の人も傷ついたり悩んだりしている」というその感情を受け止める,というのが定型的には一つのお定まりパターンかもしれません。

 「ああ,この人は自分の辛さをわかってくれた」と思えると,「じゃあ問題解決のために一緒に前向きに頑張ろう」と思いやすくなる。逆にそこが飛ばされてしまうと,すごく事務的に問題を処理されているような気持になりやすく,ついていけない気持ちになる。

 もちろん定型同士だって,相手が何に傷ついてるか,辛さを感じているかがわかんないこともあるわけですけど,その場合でも「あなたの辛さをまだ十分理解しきれないけど,でもあなたのためになりたい」というような姿勢を真剣に伝えれば,それはそれでいける場合も多そうに思います。

 ただ,アスぺ的生き方からすれば,そのあたりがなんだか嘘っぽく感じられてしまうのかもしれないですね。私のパートナーなんかはそういうの嘘っぽいからいやだと言いそう (^ ^;)ゞ

トマトです。

songさんの感覚の「変化」と、定型の「変化」と、概念がチト違うような気がします。

songさんに恋人なり伴侶が居るとして
「理屈としての変化をザクザク切り込んでくる癖を止めて、こちらの感情のリズムに合わせてくれるように変化してほしいなぁ」と思っているとしたら、どうでしょう。

やはり・・自分を変えやすい部分と、変えにくい部分があるとおもいます。

>パンダさん
なんとなく分かる…分かるんですが、実際の「定型的タイミング」は全く読めてないですね。。いつもタイミング悪いって言われます。おそらく、感情を受け止めるという工程も冷たいんだと思います。「君がこれまでこう生きてきてこういう感変えを持って行動していたことは十分理解できるよ。」みたいな感じでやってますね。これではおそらく定型的な感情理解にはなってないんでしようね。
定型にはその感情ワンクッションが必要で仕方なくて、アスペにはその感情ワンクッションが理解不能で邪魔っていうのはなんかほんと、なんなんだ!もー!w
向こうにも、そういう仕組みがあるんだということをせめて理解してほしいですね。歩み寄っても私は嘘ついてるだけでしんどいですし。。努力はするけども。

>トマトさん
>「理屈としての変化をザクザク切り込んでくる癖を止めて、こちらの感情のリズムに合わせてくれるように変化してほしいなぁ」
これ、多分そう思われてると思います。でも、じゃぁどういう変化ならできるの?みたいな聞き方をしてしまって、それでまただんまり…。いつまで待てば感情は整理されるのか、なんの言葉をかければ気が済むのか、全く予測できないです。むしろ、何を言ってもハズレっていうのが現状です。浅い友人関係なら、まだ世の中のテンプレで対応可能ですが、恋人となると無茶苦茶ですね。。
そういう状況になった時、どのタイミングで何をして何を話してほしいとかいう要望はありますか?教えてほしいです。

(「変化」について意味が広がってきてしまったので追記しておくと、目標に向かって◯◯する!も、生活習慣の細々とした変化も、私はそれが必要であり求められるのなら直角移動ばりの勢いと唐突さで変化させる事が可能です。定型の人はきっと、ゆっくりカーブして変化したいんだろうとは思いますが…そのカーブの曖昧さにどうしても、直角の方が早くて効率的なのに何故?となってしまっている状態です。)

songさん

>向こうにも、そういう仕組みがあるんだということをせめて理解してほしいですね。歩み寄っても私は嘘ついてるだけでしんどいですし。。努力はするけども。

 そうですね。私もここは大きなポイントだと思います。
 お互いに「努力をしている」と感じられるようになれば,
 (そしてそれがどれほど大変なことかがある程度わかってもらえれば)
 随分状況も変わってくるような気がします。

トマトです。

以前に「歩み寄り」というテーマがありましたが、今回のsongさんの
「歩み寄っても私は嘘ついてるだけでしんどいですし。。努力はするけども。」というコメントは現実で真実そのものだと思います。
ASにとっても定型にとっても。

定型同士の歩み寄るは、「近づいて」「受け入れることが出来て」「自然に同化する」という要素がありますが
ASと定型の関係性のアユミヨルは「だいぶ慣れてきたが、どこかで違和感を感じつつアワセテヤッテアゲテイルという無理を強いられる」という要素があると思います。

さて、ご質問の「タイミングの合わせ方」ですが、それは相手と自分の関係性や、その時の空気感で千差万別ですから、例えノウハウ本を読んでも、その瞬間への応用力がなければ適宜の行動にはならないと思います。

定型の恋愛観は、感情のうねりに身をまかせたい本能がありますから、二人の間に生まれるはずの「ムード」が、生まれなかったら、そこにノウハウとして機転を利かそうとか、そういう努力でまかなえるものではないですねぇ。

「変化の直球、直角が効率的」というご意見には・・・
独り暮らしの人が、家具の置き場所や、生活のルールを、思い立ったが吉日の唐突さで変えるのは、効率的で何の問題もないでしょうが、だれかと同居していると、相手は面食らうし困るでしょう。

ささやかな変化や変更にも、大切な相手を巻き込むなら、それは説明や了解や相手のスピードに合わせてあげるのは、愛情や思いやりの見せ所となります。

定型にとっての当然や自然と、ASにとっての当然や自然が「真逆」なことは多いですね。
そしてそれは、恋人たちに大混乱をもたらします。

私にとって、ASの友人知人の言動は、目が離せない個性的なものですが、もし恋人関係だったら悩みの種になって、なんとか心の整理をしようとして、その気持ちを共感してくれる第三者を求めていたに違いありません。

そういうバランスで、ASと定型は関係維持をしていくほか無いと思うのです。

トマトさん

>私にとって、ASの友人知人の言動は、目が離せない個性的なものですが、もし恋人関係だったら悩みの種になって、なんとか心の整理をしようとして、その気持ちを共感してくれる第三者を求めていたに違いありません。

 ここはとても大きなポイントなんだろうと思いました。
 定型アスぺカップル当事者(って,勝手な造語ですが (^ ^;)ゞ)の場合,
 やっぱりその「心の整理」がすごく問題になるんだと思います。

 カップルであるためにどう距離を取ったらいいのか,
 もしかすると特に定型の側が悩みやすいかもしれません。
 「割り切る」のはアスぺの方の方が得意だと思えるからです。

 定型は「割り切る」=「カップルとしての関係を絶つ」になりやすいので,
 そこの気持ちの調整がむつかしいんじゃないかな。

パンダさんへ  トマトです。

相性の問題なのでしょうが、ASの異性に魅かれた定型は、決別に対等感を持てず、人ひとり見捨てる罪悪感を持つのではないかと思うんです。

全ての定型がそうだとは言えませんが・・・相手に責任が無い理由で分れる場合は、別れてしまった後々も「どうしているかなぁ」と、心の隅に気がかりが残るのではないでしょうかねぇ。

かと言って・・関係を維持するには
ASは三人以上の複数の(社会的)人間関係がストレス
定型は1対1で対峙し続ける人間関係がストレス
なので・・・定型の方がどうしても誰かに、報連相したくなるし、理解や共感を求めざるを得ないわけです。

そういう第三者という、かかわりの杖にすがりながら、ASの人と関係維持していくのが定型の人生の道なんだろうなぁ・・・と思います。

改めて思うのは
やっぱりお互いに
「ASだ」「定型だ」とわかった上で、
「トラブルはお互いに努力して乗り越えよう」と思う事で
はじめてスタートラインに立てますね。
感覚の違いで片方だけが困ったり苦しんだりしているときは
前に進めませんもん。。。

私の夫は奇特な人で、私を「面白い」と、言ってくれますが
夫は困っていないことで私が困っていても
言わなきゃ気づいてくれませんし(当たり前ですが)
定型お得意の察する能力は発揮されません。

でも、私がASで、夫は定型で、それがわかっているから
「AS感覚で困っているのかもしれない」と、私も思えて、
話してそれを共有できて初めて建設的な話し合いができます。
自覚があり、問題意識があって、それを共有することで
前に進めるんだと言うことを、最近思います。

ASとわかる前は、「この家に馴染めない私が悪い」「こんなに困ってるのに助けてくれない」と
グズグズ考えていましたが、そうではなかったんですよね。
診断や自覚は、私にとっては助けとなりましたが
これって定型側から見るとどうなんでしょうか。
ASがASと自覚しないが故のトラブルも多いと思いますが、
自覚するしないで接し方や負担は変わりますか?

かずきさんへ。 トマトです。

人間関係を深めていく、関係を少しでも良い状態で維持するには、相手のことを知る事と受け入れる事が、不可欠なことだと思います。

AS友人や知人は、診断が下される前は「自分が絶対正しくて、そのほかは間違い」という概念しかありませんでした。「いろいろな考えや価値観や意見が存在する」という概念を知りませんでした。

私は、社交的な自閉圏の人の存在を知りませんでした。自閉圏の人は「しゃべれない孤立した人で就職も結婚もできない人のこと」という勘違いがありました。

病気でも障害でも、診断がおりるとその内容についてもっと知りたくなるものだと思います。特に定型は。

そこから、自分と相手は、どこがどんなふうに「違う」のかという、新しい概念を持つようになると思います。

自分と相手との「どこがどうちがうのか」という点を知らないと、相互理解は成り立たないし、お互いを許せなくなると思うんです。

少なくとも私は、当事者の人が「自分はASだからこう感じるのかもしれないけれど」「また、勘違いかもしれないけれど」と、自覚ゆえのモノの言い方をされると、冷静にも優しくもなれます。

トマトさん

>決別に対等感を持てず

 というところ,もう少し説明して頂けますか?
 大事なことなのかなと思うのですが,
 まだすっと理解できる感じがしなくて……


かずきさん

>自覚があり、問題意識があって、それを共有することで前に進めるんだと言うことを、最近思います。

 ここは本当に私が考え続けてきたことそのものだという気がします。
 アスぺの方からも同じ意見を聞くことができて,ほんとにうれしいです。

>これって定型側から見るとどうなんでしょうか。ASがASと自覚しないが故のトラブルも多いと思いますが、自覚するしないで接し方や負担は変わりますか?

 私たちの場合は彼女がそういう自覚をもって私に話をしてくれてから,関係が劇的に変わりました。それまでは絶望的な思いになっていたのが,前向きに問題を考えていこうとする姿勢に変わったと思います。もちろんそうなってからも,ほんとに試行錯誤の辛い日々が続いたわけですが,お互いにその理解が共有される前のような,後ろ向きのしんどさとは全然違います。

パンダさんへ トマトです。

人との決別の場合、わりと多いのが、被害者感情が膨らんだ末に・・・ということがあると思うんです。
特に恋愛感情で始まった関係性は「傷つく」「疲れる」が重なって、決別に至ることも多いと思います。

定型同士なら、相手との決別に大きく分けて「納得の安堵」か「未練の苦しさ」か、
どちらの感情が多いか、という事になるでしょうが

ASと定型の場合、別れて時間が経つほどに、(相手がASだと知っていて別れた)定型は、
「原因は障害であり相手の人間性ではないのに」という憐憫の情や、気がかり、というひっかかりを持つのではないかと思うのです。
それは「今頃どうしているんだろう、大丈夫なんだろうか」という、人としての思いです。
相手のハンディキャップの部分に耐えれず決別した、という罪悪感は潜在的に持ってしまうのではないかと、
出会ったとき魅かれた部分が、特性ゆえ・・という割り切れない理由は
別れた後々、「愛したことも別れたことも仕方なかった・・・しかし」というひっかかりの落としどころが、相手の欠点ではなく先天的なものであったという罪の無さが
定型に、ほんのささやかでも罪悪感のような気持ちにさせるのかもしれません。

定型すべてが持つ感情ではなく、ケースバイケースですが。

トマトさん、パンダさん。かずきです。

やはりそうなのですね。
双方に自覚があるとスムーズだったり、負担も減ったりするのですね。
謙虚な気持ちは大切ですね。

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