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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年8月31日 (日)

「報連相」問題再び

 昨日の「中でのつながり,外でのつながり」で考えたことは,私の中では割と大事だったことのようで,いくつかの問題につながっていきそうです。

 たとえばアスぺの方は「報連相(報告連絡相談)」が苦手でそのことでトラブルを起こし易い,ということを時々言われますし,私自身も何度かこのブログでもふれたように,アスぺと思しき方との間で,「相談を受けたのに,それに応じてもその後何も言ってこない」というようなことを経験しました。そのことの意味も昨日考えたことからわかる気がするんです。

 つまり,アスぺの方は「報連相」のコミュニケーションが成り立ちにくいとなぜ定型は感じるのか,逆に言えばアスぺの方はなんでそこで「報連相」を定型のような形では行おうとしないのか,という理由が見えてくるような気がします。もちろんいつものように定型パンダの想像にすぎませんので,アスぺの方から見て「それはそうだ」と感じられることなのかどうなのかはまた教えていただくしかありません。

 昨日はトマトさんの「ライン」(定型)と「ピリオド」(アスぺ)というイメージを私なりの理解で使わせていただきました。定型の側は人と何か相談する場合には,「やりとりを続けながら考える」という形で,問題を考え,解決していく過程が他の人とつながりながら進んでいく(つまりラインのようになる)。

 それに対し,アスぺの方はベースが「自分で考える」ということにあって,そこに時々他の人の意見を聞いたりもするけど,またすぐに「自分で考える」モードに戻るので,外から見るとそのやりとりはぶつ切れになり,その都度「ピリオド」が打たれてしまうように感じるのではないか。そんなことを考えてみたのでした。

 ですから,実際には「問題を考えている」という意味では定型もアスぺも同じく「ライン」になっているんだけど,定型の場合は「自分→他人→自分→他人→……」という形で「ライン」が作られやすいし,またそういうことを求める場合が多いのに対して,アスぺの方の場合は「自分→自分→(他人)→自分→自分→……」という感じで基本的に自分の中で「ライン」が作られていくのが自然な姿になっている,ということなんだろうと思ったわけです。

 そうすると,定型にしてもアスぺの方にしても,「他者との相談」ということはあるわけですよね。けれども,ちょっと単純化していえば,定型の方は「他者とのやり取り」の中に「自分で考える」ということが入ってくるのに対して,アスぺの方は「自分で考える」ということの中に,時々「他者とのやりとり」が入ってくるという正反対のパターンになっているんじゃないかと思えるわけです。

 このパターンの違いは,アスぺの方が「変化を嫌う」と言われることともつながっているでしょう。なぜなら定型の場合は「自分→他人→自分→他人→……」という形で常に他人が入り込んでくるので,そのやりとりを続けるには自分が変化していく必要があります。それに対して「自分→自分→(他人)→自分→自分→……」のパターンだと,「自分→自分」という形が多くなるので,他人が入るときよりは変化が少なく,むしろ「自分で自分に確認する」みたいな形で今の自分をより強く安定させる可能性が大きくなると思えるからです。

 そして定型もアスぺの方も,お互いに自分のパターンが「自然なやり方」と思い込んでいるので,相手のやり方がわけがわからなくなる。定型の側からいえば,相手が相談してきた場合には,それがきっかけで,何かの解決が見えてくるところまでやり取りが続く,という可能性を感じるわけです。

 もちろん相談されても最初から受け入れられなくて,やんわり断ったり拒否したりすることもあるでしょうし,一旦相談の状態になっても,それが何かの解決に結びつかないまま途中で途切れてしまうことは定型同士でも結構あります。

 けれども定型的に言えば,相談を受け入れた段階で,基本の状態は「相手から相談を受ける→自分が相談を受け入れる→一緒に考える→相手が相談したことを参考に対処する→相手からその結果について報告を受ける→必要ならまた次の対策を一緒に考える→なんらかの解決に至る→そのことを自分と相手で確認し,喜んだり悲しんだりする」という一連の流れを自然と予定してしまうように思います。

 ところがアスぺの方にとっては基本的には最初から最後まで自分で考えることが当たり前で,「相談」は時々参考までに他の人の意見を聞いてみる,という感じになりやすく,上に書いたようなやりとりのパターンはほとんどイメージされていないのではないかと考えてみたのです。そうだとすれば,「相談」はその都度終わってしまうものになりますし,別に「報告」とかをする必要もあまり感じられなくて普通なのかなと思います。

 もしそういう基本的な感覚の違いがあるとすれば,定型の側が当然「報連相」が必要な状況だ,と理解しているときに,アスぺの方には全然そういう感覚が生まれないし,必要も感じないことになりますから,定型の側はアスぺの方の「報連相」不足にいら立つことになるし,逆にアスぺの方はよくわけのわからない要求を繰り返されて,混乱する,ということになりやすいのではないでしょうか。

 トマトさんの「ライン」の話は,お台場観覧車さんカップルにも新しい何かを生み出したようですが,このあたり,大事な問題が隠れているのかもしれません。引き続き注意してみたいと思います。

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コメント

報連相につきましては私の思考はパンダさんのアスペとして想定して書かれている通りだと思います。

ただ、仕事上では定型さんと同様のやり取りをしていると思います。
(不足しているかもしれませんが)

プライベートだとやはり自分のことですので最初から最後まで自分でとなってしまいがちです…。

ラインとピリオドに関しては自分のやり取りがもしかしたら他人にとってピリオドみたいになってるかな?とは感じはします。

定型の人のライン感覚はよく分かりません。他人→自分→他人のやりとりが早いなとは思います。なので、パンダさんのピリオド感覚の自分→自分→他人→自分→自分→他人が私にとっては自分→他人→自分のつもりですが、自分で考えたり整理する時間が必要というか他の人より時間がかかると思うので結果として自分→→→他人→→→自分 となるのだと思います。

自分でラインを作ろうとしたり変化を嫌ってる訳ではなくて時間がかかるので、整理している最中に定型の人が「返事まだ?まだ?」とされると「まだ整理中なのに!!」とカッとなってしまうことがあるので、それが定型の人にとっては変化を嫌っているように感じさせてしまうのかなとも少し思いました。

トマトです。

鮭さんが「(考えを)整理するのに時間がかかるので」と、おっしゃっていますが、
往々にして・・・定型は「ASの人から、考えや結論がいつ返答されるのか」メドがつかないと思われます。

返ってこないキャッチボールのようなもので定型の求める「肝心な答え」が、ASの人から返ってくる気配がない
のが、ASと定型の会話のつまづきのひとつだと思います。


メドがつかない・・・という例では、定型の「少しお待ちください」「間もなくだと思います」などの曖昧な言い方に、ASの人がメドが立たず不安を感じるということがあるようですが、


報連相のような「やりとり」にも、返答や言葉の使い方などの「メドがたたない苛立ちや不安」にも、
強力なズレがあり・・・・

私は、そこに納得のアレコレを考えるより「そういうモンだ」という割り切りを置くことによって、ストレス軽減になりました。

相談の定型:ライン型、アスペ:ピリオド型はなんとなく分かります。
私から見ると、定型の人は考える時間が長い!と思います。自分と他人でやりとりを繰り返してやっと結論が出るっていう感じ、でも最後に何故か結果報告をして感謝してくれたりします。私はそれを聞いても「へぇー」としか思わないですが、一緒に喜ぶのが礼儀なので一緒に喜んだり、悲しい事だと悲しんだり、励ましたりします。もちろん、定型の中ではそれが礼儀なので私も何か相談した時にはちゃんと最後に報告と感謝をするようにしています。
私の場合、相談する前にネットなどで同じような事例がないか調査をめちゃくちゃやります。怒ってる人相手なら怒る原理から調べます。それから他の人に話してみて「やっぱそうか」みたいなのがわかれば即行動に移します。(このスピードはよく怖いと言われます)
なので、アスペな私にとって相談というのは、定型とのコミュニケーションの為にやらねばならないことだったり、本当に困ってる時には確認作業としてのインタビュー的な意味合いがありそうな気がします。

定型の人、ほんとにメド立たないですよね…?まだ関わり始めの時とか、大人数関わるイベントなら「◯日までに予定確認するね!」とかやってくれますけど、距離が近くなると適当にされるというか…?私だけかな。。wそういうのがいちいち半端ないストレスで、やめてほしいのにやめてもらえなくてしにそうですw

今日はひとつ質問があります。
定型の人は、自分のやり方を変えるのは苦手ですか?やり方というか、自分自身を変える、みたいな。目標に向けて◯◯しよう、みたいなのを習慣付たりするのは苦手なのでしょうか?
そういう決断は自分の内的要因だけで成り立つ物ではないと言われて、理解ができなかったんです。自分のやることって自分で決めるんじゃないんですか…?私がこうと決めたらこれだけはやる、みたいなのは苦手なのでしょうか。外的要因によっては難しいなぁ…みたいなのが頭にあるものなのでしょうか。
私は、自分の決めた決まりごとは基本周りなんて関係なくできます。だから、周りの関係もあるよっていうのがよく分かりません。
もちろん個人の性格もあると思うので、なんとなく教えていただけたらなぁと思います!

かずきです。

ライン、ピリオド、分かります。
相談が終わった時点で、その人とのかかわりは一度終了しているので、
その場でお礼はしても、その後のフォロー(報告?)などは想定していないんですよね。
あとは自分で処理すべき事ですし。。。

礼儀として報告しなきゃとは思いますが、
「終わった話を蒸し返す」ような感覚に襲われます。
まともな仕事をしたことがないので、というか、この報連相で躓いて働けませんでしたので、
仕事上のソレがどんなだか、さっぱり分からないのが現状です。


songさん

たぶんですが、定型は「他人からの後押し」だとか、「誰かが言うからやってみる」
という動機ウェイトが大きいんだと思います。
「ネットでこういっていたからやってみよう」とか、
「誰々がこうやって成功したらしい」とか
外的要因が多くのウェイトを占めているように見受けられます。
よく言えばチャレンジ精神旺盛、悪く言えば流されやすい感じで見ています。(私は。)

なので、その逆もしかり、なのだと思います。

私は周り関係なくやってしまいますが、それが「空気が読めない」に繋がる事も多く、
やろうとしていた場所に人が居る、だけで困り果てて立ち尽くしてしまう事も多々あったり。
直接的に(物理的に?)出来ない状況が周りによって引き起こされたりした場合、
出来るまで待ったりするのではなく、行為そのものを諦めたり、(それを周りのせいにしたり)
という事は良く見られると思います。

うまく読み取れてなくて、トンチンカンなコメントだったらごめんなさい。

トマトです。

songさんへ

かずきさんのコメントのように「他者の影響」を多いに受けて「自分をつらぬけない定型」も沢山います。
また、目標に向かって○○しよう。。と、自分スタイルを貫いている定型も沢山います。

ただ・・・自分の行動を貫く過程には「説明をしたほうが良い」場面が沢山あります。

 例えば、私は「午後七時以降に食事をしない」と決めています。
それは自分の体調を考えての決心ですが、仕事やプライベートで外食をする機会は案外多く、そのたびに「決めているから食べない」では、相手も納得できないだろうし、空気も悪くなるし、角が立つし「じゃ、なんで来たんだよ」になるし・・・

という定型的配慮から「相手がすんなり共感や理解してくれる言い方」をひねりだす訳です。
「七時以降にものを食べると、朝おなかが痛むのです」 これホント。
「お薬の関係で七時以降に食事できないんです」これテキトー。

相手や雰囲気により、よりすんなり受け入れてくれそうな言い訳説明をします。

「でも、飲み物は大丈夫なんですよ。だからお気遣いなく」と、あとは会話さえはずめば、私の「午後七時以降の」こだわりなど誰も気にしないというわけです。 

つまり、自分のこだわりやスタイルや貫きたいことを、周囲に理解、共感、許容してもらうという「関所」を超えれば、あとはラクということを、定型は本能的に知っていて、とっさに対応しているのだと思います。

「そうまでして群れたいのか? 」と考えるか
「そんなことでカドヲタテルこともないし」と考えるか の違いでしょうねぇ。

かずきさん

>礼儀として報告しなきゃとは思いますが、「終わった話を蒸し返す」ような感覚に襲われます。

 この感覚の持たれ方が新鮮でした。へえ,そんな感じ方をするのか,と。
 ちょっと想像したこともなかったですね。

 そういう目で見ると,定型世界って蒸し返してばっかりなのかも。
 うーん,この「蒸し返し定型世界」という視点は,ちょっと面白いかも。
 怪談話の「うらみはらさでおくべきか~」というのもその一種? (笑)

 この視点で定型世界のある側面がうまく説明されるかもしれません。

トマトです。

私もパンダさん同様に
>礼儀として報告しなきゃとは思いますが、「終わった話を蒸し返す」ような感覚に襲われます。
というコメントは新鮮でした。

それだけ「相談」や「報告」の意味合いがASと定型では甚だしくチガウということですね。

「どうして言わなかったのか」と聞く定型に対して「言うことの必要性が解らない」や「言うことを思いつかなかった」というのが自閉圏の方の感覚なのだろうと思います。
そうなると、相談や報告や連絡などは、カタチばかりの強制された作業になるのでしょうから・・・空々しい演技という感覚もあるのかも知れませんね。

ASの人の場合、なんとなく世間話風に喋れる人も多いし、分析や洞察や哲学的な説明が上手い人も居るし、真面目な仕事ぶりの人も多いし、なのに報告連絡相談を実行出来ないという能力の凸凹具合の極端さが、定型には障害とは感じられないので
ただただ「怒る」や「悲しくなる」しかないのだと思います。

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