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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年8月 8日 (金)

「問題の共有」はどうやって?

 少し唐突かもしれませんが,このブログで私がみなさんのコメントなどを頂きながら考えてきたことは,「カップルの双方が定型アスぺ問題に気づいて,それをなんとかしなければと思っている」という状態を暗黙の前提にしているものが多いなあと思いました。

 もちろん,「お互いにそのことに気づいているかどうかで大きな違いが出てくる」という話は何度も取り上げていたと思うのですが,ただ,「どうやったら問題を共有できるのか」ということについてはつっこんで考える機会がほとんどなく,「共有できたうえで,どうやってお互いに理解を深めたり,調整をしたりできるのか」ということがメインだったと思うんですね。

 もちろんそれが悪いとは思いませんし,そうすることで,私にはほんとに多くの発見がありましたし,アスぺの方とも共通した理解ができるようになる部分が前に比べて随分大きくなってきたように感じています。それは私にとっては本当にうれしいことです。

 でも,お互いにそういうことを模索できるようになる状態は,どうやって作れるのか,ということについてはやっぱり今の私にはほんとに考えが及んでいないわけですし,そして定型アスぺ問題に苦しんでいるカップル当事者の方の中には,そういうところでものすごく苦しんでいらっしゃる方が少なくないのだと思います。

 自分だけがそのことに苦しんでいるように感じられる状況になるからです。

 そんなことも,だんだんと考えていくべき大きな問題なんだなあと,改めてそんなことをちょっと考えています。

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コメント

トマトです。

お互いに問題を共有するには、どうすれば良いか?
というのは、関係性と相性とその問題の質で千差万別になってくると思うのです。

共有の手前には「一緒に考えたら共有できたことになる」という定型の概念と、「同じ場所で同じ時間に同じテーマで考えたことを共感とか共有とは感じない」というASの人の概念のズレがあります。

ASと定型がひとつのテーマで話し合おうとすると、双方のアプローチの心得も必要になりますし
生活の上での改善や解決に向おうとすれば、お互いの譲歩の幅はテーマごと違ってくるし、
ざっくり言い切ってしまうと「相手に寄り添いつづけようとするかどうか」が結論になってしまうのではないでしょうか?

ASと定型の感覚で一番わかりやすいのは、コミュニケーションの満足度の差です。
数字で例えるとASの人の満タンは、定型の1〜3割ほどで
「お互いに模索するにはどうすれば良いか」という前向きさは、ASの人にとって「きりのない不安や苦痛」のイメージになるのではないかと感じます。

ですので、実生活で私はASの人に「あなたのため」「お互いに」という言葉を極力使わず「あなたを見ていて、私が勝手に嬉しくなった、勝手にやる気が湧いた、勝手に思いついたので聞いてくれますか?」と言うように努めています。

表現は定型スタイルではないのですが、要は問題改善できたり、お互いの関わりに負担や苦手がなくなり、お互いにこやかに話しが出来る・・・・という関係性を維持するだけで満足しなければならない、それだけでも大変なのだからと思っています。

そうして、なんだか欲の無い境地にいると、予想外にとても嬉しい温かいエピソードや一定のブレない関係性が生まれて・・・定型同士では味わえないコミュニケーションが味わえると体感しています。

トマトさん

>共有の手前には「一緒に考えたら共有できたことになる」という定型の概念と、「同じ場所で同じ時間に同じテーマで考えたことを共感とか共有とは感じない」というASの人の概念のズレがあります。

 うーん,やっぱりここが一つのポイントなんでしょうね。
 似たような体験を仮にしたとしても,そのあとそのことを意識するときに
 すっと「私がそう感じている」というところに注目をするか,
 「一緒にそう感じている」というところに注目するかに
 定型アスぺの傾向の違いが現れるんでしょうか……。

>そうして、なんだか欲の無い境地にいると、予想外にとても嬉しい温かいエピソードや一定のブレない関係性が生まれて・・・定型同士では味わえないコミュニケーションが味わえると体感しています。

 ここにたどり着くというのはすごいなあと思えます。
 そこまで行ければ,定型アスぺだからこそのプラスの世界が
 実感されてくるわけですね。
 まだまだ私は修業がたりません (^ ^;)ゞ 

トマトです。

パンダさん・・ASと定型の関わりの維持の仕方について、一番重要で一番の基本を考えると、私は「ASはソーシャルスキルを取り入れる努力が必要で、定型はコミュニケーション上に多くを望まない努力が必要」に尽きると思うんです。

ASの人にとって共感とか共有とか協力とか・・・「共に」「一緒に」という感覚が自ら湧き出るものではなく、押し付けられるものであれば
定型同士でOKの「共感」「共有」の解釈をASの人に持ち込むのであれば
「あなたが思うことを私も思った。意見や感想が一致した。しかしそこに次なる期待を持つと混乱や失望につながりがちなので、あくまでも[この場は]という満足や喜びに留める意識を養おう」ではないでしょうか?

定型の努力の概念はどうしても「前へ前へ」「もっともっと」のプラス志向でプラス思考です。
今の気持ちは今後ににつながるの「ライン感覚」です。

ASの人への歩み寄りに必要なのは「別の別の」「包め包め」だと思うんです。
今の気持ちは、今後に続きにくい「ビリオド感覚」です。

自分には無い予想外の感覚と遭遇するには常に「自分とは別、一般とは別な考え方の存在」の意識付けと、「そういう考え方もあるしあって良いのだ」という包み込みの意識を養うことが必要だと思います。

そういう「定型の意識づけをどうやってするか?」の模索が「定型とASの問題共有はどうやってするか?」より、現実的ではないでしょうかね?


みかんです

パンダさんのブログと共に、コメント欄も拝見させていただいています。
トマトさんのお話、なるほど・・・!といつも感じます。

「どうやったら問題を共有できるのか」

トマトさんの【関係性と相性とその問題の質で千差万別】という言葉、本当にそうですね。

お付き合いしている彼と行き詰まった時、わたしは「絶対に問題の共有が必要」と思いました。「共有して協力して、問題に立ち向かわなければお付き合い続行は無理!」と。

で、わたしは問題の根源を「彼がASで、わたしがそうじゃない」からだと思ってました。

これを共有したくて…

彼は自分をASの孤立型だと自覚していたんですが、
人に改めて言われるとやっぱり抵抗を覚えるみたいで、「人格を否定されてる」と思うようでした。
どんなに「ASを否定してるわけじゃない・むしろすばらしいところもある」と言っても難しかったです。

話は(わたしの思う方向から)脱線して、
「じゃああなたは普通なの?普通って何だか言えるの?」とか
「そもそも“分かり合う”なんて無理。話し合いで全部解決すると思ってるのが間違い」とか「あなたは自立してない・求めすぎ・もうやめてくれ」
「感情の話は嫌だ、“議論”ができるようになってからじゃないと話せない」うんぬん。。。


例えばパンダさんが書いた記事の【抱きしめるVS拘束する】問題が私たちにもありました。
わたしが良しとする愛情表現を彼は苦痛に感じたり ←主に目に見える形
彼の良しとする愛情表現はわたしには???だったり ←主に目に見えない形

これを「アスペ定型問題」として
「ASの人の多くは感覚過敏で、触れられるのを嫌だと感じたりもするみたい。でも定型は触れることで安心したりするんだよ。ほら、私たちってそうじゃない?だから真ん中まで歩み寄ろう!」
みたいにアプローチすると

「あなたは自分を普通普通と言うけど…」となってしまうわけです。

結局わたしは
「わたしには目に見える愛情表現が必要です。それがないと生きていけないし、自分でもどうにもならない。あなたはエネルギーを自給自足できる人だし、自分もそうできればと思うけど、無理なの。」と言うと

この件は「個人対個人問題」として受け入れられ、
彼は譲歩してくれるようになりました。(ちょっと事務的に感じますが、まぁ、わたしは嬉しいw)

同じように「個人対個人」としてわたしが譲ることもあり、今はその捉え方でうまくいってます。

問題の共有の問題部分を「アスペ定型」にするとわたし達は反発しあってしまってダメでしたが
「個人対個人」で、これからも生まれる違いに立ち向かって行ければなぁと思うし

彼のルール、わたしのルールも数を見れば結構有限のもので
一つ一つ折り合いつけていけば本当に平和なんですよね。。


みかんさんへ。 トマトです。

みかんさんと彼氏さんの会話。多くの定型アスぺカップルや家族の方が理解できる内容だと思います。私も同じような会話をASの友人知人と交わして来ました。

個人対個人の交渉感覚の会話は、定型同士でも感情的なこじれが生じたときに有効ですね。

大切なASの人に寄り添うことは、AS側が受け入れやすい「言い方」「言い回し」を探す旅に出るようなものでその1つに、みかんさんのように
【わたしには目に見える愛情表現が必要です。それがないと生きていけないし、自分でもどうにもならない。あなたはエネルギーを自給自足できる人だし、自分もそうできればと思うけど、無理なの】
という「自分の気持ちや要求を理論的に解いて伝える」がありますね。

これ、定型は・・・不慣れだと結構「え〜い面倒くさい、堅苦しい」とか思っちゃいます。

でも、お互いの感覚や気持ちが解らない者同士は、定型ASに関わらず「理論的な説明」という自己通訳が必要不可欠になりますし
まぁ・・定型は感情のクールダウン効果にもなるかも知れません。

でもねぇ・・・やっぱりねぇ・・・・・
可視化できない愛情表現って・・・定型にとっては寂しいですね。

トマトさんへ

みかんです。お返事ありがとうございます^^
彼と衝突する度、こちらのブログに解決のヒントを探しに来て
パンダさんの記事とトマトさんのコメントを読んで励まされていました。


ASの方とのコミュニケーションに、なんというか、ブレない答えを見出しているような気がして…
わたしもいつかそうなりたいです^^
(たぶん、こちらが受け止め方の大改革をするってことなんだと、思うんですが…)

そしてそこまでたどり着いていても、「可視化できない愛情表現って寂しい」って言ってくださって
その言葉にホッとしてしまいました(´∀`)

彼との関係が安定している現在は楽しく暮らしているんですが
ひとたび問題が出てくると気持ちが一瞬で暗転してしまうので
そういった時、こうして相談できる場があるのは本当に助かります。

>大切なASの人に寄り添うことは、AS側が受け入れやすい「言い方」「言い回し」を探す
旅に出るようなものでその1つに

この、「自分の気持ちや要求を理論的に解いて伝える」以外の方法も、知りたい・勉強したいです!
まだ読み切っていない記事もあるので
よくみなさんのお話を咀嚼して、見つけられたらなぁと思います。

返信とっても嬉しかったです^^

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