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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年8月25日 (月)

ささやき

 以前,トマトさんが何度か紹介してくださっていた話が心に残っていたのですが,今日,ふといくつかのこととつながってまた思い出されました。

 パートナーとは何かについて「一緒に喜び合う」ということがほんとにない感じがして,それは私にはとてもつらいことの一つだったのですね。たとえばこのブログも私個人にとっては彼女との間に抱えた葛藤をどうやって乗り越えられるのか,ということを模索する場でもあるわけですが,そこでたとえばアスぺの方となにか通じ合えるものが見えてきた気がして,すごくうれしくて,そのことをパートナーに話すことがあります。

 もちろん私の気持ちとしてはそうやってひとつの「前進」があったことを,彼女と一緒に喜びたいからです。それは私個人がどうのこうのということではなくて,彼女との関係に関わることなわけですし,「もちろん彼女も喜んでくれるだろう」という思いがやっぱり消えないんですね。

 ところがその期待はいつもあっさりうらぎられます。彼女の表情は全然変わらないか,あるいは例の「それで,私に何を言ってほしいの?」と聞き返される時のような,かすかに困惑したような表情だったりします。「それが私に何の関係があるの?」と言われているような,そんな印象を持ってしまうような雰囲気になります。

 別にブログをこんな形でやっていることについて,否定的な気持ちを持たれているわけではないのだと思います。むしろ意味のあることを頑張っているということについては時々言ってくれることがあります。でも,そのことと,そこでの「前進」を「一緒に喜んでくれる」こととは別のことのようなんですね。

 そんなふうに「一緒に喜び合う」ことについて,満たされない思いを抱えるわけですが,今朝,「あれ?」っと思うことがあったんです。

 私たちの子どもはこの困った親たちに育てられて,本当に苦労をしたのですが,それでも「親はあっても子は育つ!」とでもいうべきか,自分の力で地道に自分の足場を作り上げ,道を切り開いてくれました。そして本当に自分がやりたいことを見つけ,また新たな挑戦を今始めようとしています。

 今日はそのひとつの節目になる日だったんです。その節目につきあったパートナーが帰って来てから,なんとなく笑顔で自分から私の近くに来るんですね。ここで定型同士なら,「ああ,よかったね。いろいろあったけど,ほんとによくここまで来たよね。」などと一緒に「感慨にふける」ところだったり,そこからさらに思い出話になったりするところかなあと思いますが,もちろん(?)彼女の場合はそんな展開にはなりません。

 ほんとに簡単にその時のことを語るだけです。で,しばらく私のそばからはなれずに,なんとなく嬉しそうな雰囲気を漂わせているんです。

 その「なんとなく嬉しそう」で「私のそばにしばらく自分からいようとする」という,その感じが,いつもとほんとに違うんです。定型的な感覚からすれば,たぶん簡単に見過ごされてしまうような,かすかなことなんですが,それが今日はとても私の心にしみたんですね。

 トマトさんが紹介されていた例も,家族さえも聞き逃していたアスぺの子のつぶやきを,トマトさんが気づいて受け止めた話でした。

 定型アスぺの気持ちの「共有」は,感動的・ドラマチックな大げさな身振りや声で成り立つものではないのでしょう。そうではなくて,ほんの小さなささやきや身振りの中に,静かに成り立つものなのではないかと,そんなことを思いました。 

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コメント

私(男です)がアスペで、妻が定型の関係です。
以下はあくまでも私の感じ方なので他の人は違うかもしれません。
パンダさんのご指摘の通り、私としてはなかなか人付き合いが上手く出来ない、こんな私と一緒にいてくれるだけで幸せを感じてしまいます。
妻にとっては単純な思いやりとか気遣いのレベルなのかもしれませんが、そのような行為だけでも私は妻に大切にしてもらっていると感じ、愛を感じてしまいます。
ですので、それが定型の人にとっては「現状を維持したい」と思われるのかもしれません。
が、私としては「現状維持」ではなく「現状満足」の状態なのです。(分かりますかね??)
しかしながら、このレベルで満足しているが故か分かりませんが、妻にとっては私からの愛は感じられないと言われてしまいます。
定型の方が「コミュニケーションを通じて」愛を感じるものだという事実は最近になってようやく頭では理解出来るようになってきたのですが、まだそのコミュニケーションを通じた愛が具体的な行動や会話でどのようなものか分かりません。
人によって違うものとは思います。妻にも直接聞いてはいますが、なかなかすっと入ってくる感じがまだなく、どのようにすれば妻に私の愛が感じられるのか苦悩している所です。
もしよろしければですが、パンダさんの考える愛というものも教えてもらえませんでしょうか。
具体的にこういうのが有れば、愛が感じられるというものであれば有りがたいです。
この私の愛と思っていたものが、妻から愛じゃないと言われてはじめて、妻が私と普通にコミュニケーションができずに寂しい・悲しいと感じていたことが理解できた気がします…。
今はどちらも悲しい状態なので問題解決にはなってないのでもっとお互いのことを理解していく必要があると感じているのですが。

(このコメントは投稿できない環境からということで,鮭さんからメールでお寄せいただきました。代わりにパンダからアップさせていただきました)

鮭さんへ。 トマトです。

鮭さんの『私としては「現状維持」ではなく「現状満足」の状態なのです』というコメント。

定型とASの間に必ず起こる「欲求度の違い」が、とても解りやすく表現されていると思います。

ASの男性で、定型女性の気持ちにうまく応えようとして、演劇を学びに行った人を知っています。
表情や言葉がけ・・・つまり愛情の表現力をつけようと努力されたのでしょう。
しかし、相手の言葉のニュアンスや表情から「今、まさにその時だ」という察知が出来ずらいために、リアクションの学びは役に立たなかったそうです。


相手をもっと知りたい、自分をもっと理解してほしい・・・という濃密なコミュニケーションの欲求が「狂おしい」ほど高まらないと定型の恋や愛は実感できないと思います。

相手への関心の量と質が、定型とASでは違いすぎるので「混乱」と「寂しい」になってしまうのでしょうが。

ちなみに、鮭さんの「愛情だと思っていたもの」とは、どんなことなのですか?

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