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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年8月16日 (土)

難問

 親の介護について,相変わらずパートナーにサジェスチョンなど助けてもらっているのですが,その中でまたお決まりのパターンで私がしんどくなることがありました。定型アスぺ問題を理解する以前なら,私は「そんなのおかしいでしょ!」という感じで,「対抗」する感じになっていたと思いますが,定型的な理解が彼女にはあてはまらない,ということをいろんな場面で知るようになってからは,それはあんまりできなくなって,傷ついた思いを抱えながら,「どうしたらいいんだろうなあ」と黙って考える,ということが多くなったんですね。

 そうすると,最近は彼女の方から「また何か傷ついたの?」というようなことを気にして聞いてくれることが増えてきました。今回もそうで,だいたいこんなことです。

 御存じのように,介護というのは今は介護保険制度を使って,いろいろなサービスを状態に合わせて組み合わせて使うようになっています。老人の医療施設とか介護施設とかいろいろ活用することになるのですが,ある施設の利用の仕方をめぐって,その責任者の人の対応が「?」なところがあって,調整が必要になりました。

 パートナーも福祉に関わる人間ですので,その責任者の対応は,専門家としての彼女の目から見ても「?」であることははっきりしているらしくて,(あとからわかったのですが)彼女は結構憤慨していたようです。

 それで,この間関係者が集まって,改めてケアプランを相談する,という機会があったのですが,とりあえずはまあほっとできるような方向に進むようになりました。ただ,その責任者の人の「?」な方針がどうして急に変わったのかはよく理解できず,一応された説明はなんだかとってつけたようなもので,「なるほど!」と納得できるようなものではなく,「いったいあれは何だったんだ?!」という疑問が残るようなものではありました。

 とはいえ,まあとりあえずほっとできる方向には当面は進むことになったので,私はその点についてはそれ以上つっこんでどうしてそういうことになったのか,といったことを明らかにしようというふうには頭が働かなかったんです。

 で,その経過をパートナーに報告したんですが,「ああ,よかったね」となるよりも,その責任者の説明が理解できない,ということで,「それはどういうことなの?」とか「そんなの理由になってないじゃない」とか「問い詰めて(と私には感じられる)」こられました。

 私も漠然と「なんかへんだなあ」とは思っていましたから,彼女がそういう疑問を持つこと自体は別におかしいとは思えないのですが,私がここで辛くなるのは,彼女の怒り(ということはあとで分かりましたが)がその責任者にではなく,私に向いているように感じられたからです。

 なぜそう感じられるかと言うと,彼女の聞き方が「なんでその人(責任者),そういう言い方するのかしらね」とか,「その人おかしんじゃない?」なら,彼女の怒りが私にではなく,その責任者に向いていることがすぐわかりますから,私も「そうだよね!」と,彼女と「共感」して進めるのです。ところが彼女の言い方は私に対して「どうしてそうなの?」とか「そんなの理由になってないじゃない!」とかなので,その責任者が責められているというよりも,私の理解力のなさとか,対応のまずさを責められているような感じになるんです。

 ということに気が付いて,彼女にも説明をしたんですが,要するに定型同士のやり取りの中ではこんな時に「どうしてそうなのか」とか「それは理由にならない」と言われるということは,「あなたはどうしてその場(調整の場)で,そのことを追及しなかったのか。おかしさを見抜けなかったのか。そんなことは常識ではないか。そんなこともできないのか。」とその人の未熟さを非難していることにもなるわけです。

 そうすると,まあ私は状況を改善しようとして自分なりの努力をしたわけですし,そのプロセスにはよくわからないところが残ったとはいえ,とりあえずはいい方向に進み始めたのですから,「まあとりあえず,よかったね」というのがあって,そのあとで「それにしてもその責任者の対応や説明はおかしいよね」となれば,全然問題なく,「そうだよね。」と話が進むのですが,「よかったね」はなしでいきなり「あんたはそのおかしさも追求できなかったのか」と責められるように感じてしまったわけです。

 それで,そのあたりの定型的な感じ方については,彼女に理解してもらうには時間がかかるかもしれないとも思いましたし,とりあえずは「その人の説明はおかしいよね」とか,私を責めているのではなくて,その人のことを問題にしている,という言い方がされさえすれば,それで全然しんどさがちがうんだけど,と説明しました。

 そこで「難問」が今までよりも明らかになっていったんです。

 彼女はちょっと考えて,そういう言い方をしようと思えば自分はできるだろうというんですね。でもそれはあくまでも仕事モードになって,他人になったら気を付けてそういう言い方をすることもできるだろうということで,素直に自分の感情で言うときにはそれは無理だというんです。

 これは以前にも何度か書いたような気がしますが,彼女のその「素直な言い方」は私から見ると,私を責められているような気分になりますし,そういうことに対して私も「素直に」対応しようとすれば,当然「反撃」をせざるを得なくなるわけです。ところが彼女の方には私を攻撃している気持は全然なくて,それでいきなり私から攻撃されたように感じ,ショックを受けてしまうんですね。

 そうすると,私は彼女の方から「理不尽」に攻撃されたから「反撃」したのに,その私に「なんで私(パートナー)が責められなきゃいけないの?」と逆に彼女から非難されるようなことになるわけです。それで私の方はもう訳が分からなくなって,混乱してしんどくなる,という展開によくなりました。

 そういう得体のしれないへんなずれに基づく展開があることについて,最近は彼女ともぼちぼち理解が共有されてきているようで,今回もその話をしたらそれは理解してくれたようでした。でも,そのうえで,やっぱり他人(仕事)モードにならないと,私が望むようなやり方はできないというんですね。

 私としては彼女から「他人」だとは言われたくないわけで,そうすると,彼女の「自然な感覚」での言い方を受け入れなければならなくなる。けれどもその彼女の言い方に私の方が「自然な感覚」で対応しようとすると,今度は彼女の方が混乱してしまって収集がつかなくなる。それを避けようとすれば今度は私の方がある意味で「他人モード」になって,距離をとって対応するしかなくなる。というわけです。

 あちらを立てればこちらが立たず,という状態で,ほんとに難問です。

 で,彼女とは次のような結論でお互いに意見が一致しました。「ほんとにむつかしい」

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コメント

パンダさんへ。トマトです。

人に愚痴を聞いてもらい「適度な共感をもらって気持ちを落ち着かせたい」というのは、定型ならだれでも持っている感情だと思います。

私は、仕事柄も印象からも、比較的よく人の悩みや愚痴を聞く、または聞かされるタイプの人間だと自覚しています。

でも、相手に対していついかなる時も、自然に共感や同情しているかというと、そうではありません。

「あ~ぁ。また、つかまっちゃった」の相手もいます。
家族親戚の場合、叔父や叔母や・・・・特に夫の愚痴は「努めて頑張って」もはや修行だと思って返事しているときがあります。
そういうときは、意見に違和感や反論を持っても「そうだよねぇ」の同感ワードを、念仏のように繰り返し繰り出すこともフツーにあります。
相手が「それだけ」を求めているわけですから。

あからさまな生返事になることもありますが、そこそこ・・いかにも聞いてるし、そこそこ共感しているふうに言葉を発するように努めます。

この、定型ならほとんどの人ができる「聞き流して合わせられる芸風」は、パンダさんの奥様のような正直すぎるネタばらしをするかしないかだけで
本来「おうちリラックス感覚を、おそとマナー感覚にシフトして、夫の話を聞いている妻」なんて、世の中にいっぱいいっぱい、フツーに居ると思います。


まぁ、パンダさんの奥様の「会話の方向間違い」はASの人の持ち味で、私もASの人との独特の、話題の共有と共感のつまずきの寂しさは、わかります。

でも・・・奥様の「他人モードになれば」というのは、疲れて帰宅したとき、一番リラックスというか、緊張感を持ちたくない相手に、努めてがんばって話をうまく運ぼうとしたら、定型も
「ちゃんと聞こう」と意識する、そのささいな、定型には当たり前の起動が
ASの人にはすごく大きな負担になるから「とても極端な説明になる」だけで

基本は同じではないでしょうかねぇ。


トマトさん

 なんかトマトさんのお人柄がよく出ているエピソードのように感じて,ちょっとほほえましかったです~

>基本は同じではないでしょうかねぇ。

 定型アスぺ問題に悩まれる方は,お互いの得体のしれない違いに衝撃を受けて,どうしていいかわからない状態になるんだと思うんですが,そういう過程を経て,「ああ,でもこういう点では共通しているんだな」と感じられるようになるとか,「ああ,やっぱり同じ人間なんだ」と思えるような面が見えてくるようになれば,もうかなり問題解決への入り口に入っているんじゃないかと,そんな風に私は思うんです。

 「ものすごく違う」という面と,「にもかかわらず同じ」と言える面と,その両方をちゃんと感じ取れるような見方を,これからも探っていきたいと思います。

トマトです。

世の中には、夫婦で心の通わなくなって、その寂しさを仕事や趣味や、はたまた不倫などで埋めている人はたくさん居るわけですよね。

想像するに・・・パンダさんほど、あきらめず、妻にかまってほしい夫は、珍しいというか希少価値ではないでしょうか。(笑)
もしかしたら、妻が定型で気持ちが通じなくなっていたら、とっくに納得されて、自己承認欲求を別のコトか別の人に求めていたでしょう。

パンダさんにとって過去、奥様との関係は鬱になり、お子さんを守らなければならないほどの場面もあったわけです。

それでも、奥様に愛想が尽きなくて、夫婦維持のためのひとつのツールとしてブログを運営され、アスペと定型というテーマの中から、奥様との歩み寄りのカギを探し続け、

定型同士の夫婦ならありえない、妻を見つめ続ける夫の・・・・努力に
感動するわけです。

でも、この妻フェチ、妻マニアぶり・・・尽きぬ苦労が、飽きない探求になっておられる、ということは、奥様がパンダさんにとって、愛すべきASっぷりの女性という存在なのでしょうね。

そして、ASの奥様の存在により、こんなに家族を大切にして妻を求め続ける夫に成られたのだとしたら
奥様の存在は、素晴らしいものに感じます。

トマトさん

 そうですか,フェチですか……

 まあ,転んでもただでは起きたくない性格と言うか (^ ^;)ゞ
 これだけ苦しんだんだから,そこに意味を感じたい性格と言うか,
 自分の経験が同じようなことで苦労されている当事者の方たちに
 多少なりともお役に立てれば「苦労した甲斐」があると思えるというか,
 なんかそんな気持ちがあります。

 もちろん私も凡人ですので,いろんな揺れを経験しましたし,
 そこをパートナーがある意味で「支えて」くれたことも
 大きかったと思っています。
 
 正直,この定型アスぺの問題,個人の問題とか
 「定型アスぺの問題」という枠を超えて,
 人と人とのつながりを考えていくうえで,
 ものすごく大きな問題のように感じています。
 その大きな問題を考えていくうえでは
 小さな個人のささいなできごとにこだわることに
 きっと意味があるんだろうなとか,そんなことも感じます。

 ま,私のフェチ的誇大妄想癖ですが (^ ^;)ゞ

 なんにしても,みんなでなんか新しいものが見えてくれば
 自らの醜態をさらしてのこういうブログにも
 ちょっとは価値があるのかも,と思ったりします。
 

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