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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年8月 9日 (土)

「歩み寄り」はどうやって可能?

トマトさんからこういうコメントを頂きました。

>そういう「定型の意識づけをどうやってするか?」の模索が「定型とASの問題共有はどうやってするか?」より、現実的ではないでしょうかね?

 たぶん私の一貫したこだわりは,どうやって「歩み寄り」ができるのか,ということだと思うのですが,それができるためには「歩み寄りが必要」という理解の共有が必要になるのではないでしょうか。それが生まれない限り,結局定型からの一方的な「配慮」という形に(定型の側からの意識としては)なってしまわないか,そのことが気になります。

 そのことを考えるときに,そもそも「歩み寄りとは何か」ということの感覚が定型アスぺですごく違っている可能性もあると思えますし,もしそうならその辺りも考える必要があって,場合によってはそのポイントでトマトさんが繰り返し強調されているように感じる「共に」という感覚の違いが問題になるのかもしれないとは思います。

 他方で,アスぺの方も,多くの方が今の状態を「何とかしたい」という思いを持たれていることも間違いないと感じますし,ときおりいただくメールなど,ふとしたことで感じることですが,このブログでのいろいろな記事ややり取りなどをROMの形で,長い時間をかけてずっと考え続けていらっしゃる方も少なくないような気がしています。

 ですから,どちらも「何とかしたい」と思う状況はあるように思えるのです。それを「ともに」とか「共有」という言葉で表すかどうかは,まあ具体的な定型アスぺ間のコミュニケーションの中で都合がいいものを見つけていけばいいのかなと。言葉そのものには私はあまりこだわりませんので,実態としてどんな関係が作れるのかなあと言うことが一番気になるところです。

 ああ,今ふと思った言葉で言えば「お互いにそれぞれの仕方で,どちらもそれなりに納得できる」形を探す,というようなことでしょうか。

 トマトさんは「ASはソーシャルスキルを取り入れる努力が必要で、定型はコミュニケーション上に多くを望まない努力が必要」という形での「歩み寄り」を想定されているのかなと思いますし,そのこと自体は私もそういう点は大事なんだろうなと,それなりに思えるのですけれど,たとえばそれが大事だとしたとき,「そういう歩み寄り」はどうやって可能なんだろう?ということが前回の記事でちょっと考え始めてみたこと,ということになるのだと思います。

 話がすれ違っていなければいいですが (^ ^;)ゞ

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コメント

パンダさん
前回からの歩み寄りのテーマ、皆さんのコメントにもとても共感しました。

私は彼との間でASという言葉は出したことがありませんが、本人からASらしい特徴を自分の個性として話をされたことがあります。
ですから何らか認識はあるのではないかと思っています。

私からはASという言葉を使わずに、歩み寄りはどのようにはじめられるのか、よく悩む問題です。
私から何か伝え話し合いたいときには、トマトさんやみかんさんのように、スムーズに話を聞き入れてもらいやすい言葉を選んで話します。

一方彼は、私に対して思うところがあっても、話し合いの姿勢をみせません。ごくたまに事実として不満に感じる部分を指摘し、会話終了。私が何か言ってもシャットアウトです。そもそも、不満を言葉にすることがめったになく、普段感じていても表に出さない、そして限界がきて不満放出、その後は自分の中で整理して終わり、のような気がします。
不満を訴えて改善を私に求める働きかけというより、何も解決していなくても自己完結してしまうような感じです。

何気ないときに、私から彼が答えやすいこれはすき、これはキライで答えられる質問をしながら、普段私がしている行動について聞いてみると、これはキライというのが結構あり驚きます、、、もっと早く言ってくれればいいのに、爆発するまで言わないのです。

彼はそのままの自分でいること、周りにもそのまま受け入れられ馴染むことを願っているように思うので、もしかしたら他の人に対しても、変化を強要しないようにしているのかなと思うことがあります。
突き放されシャットアウトされたような気がして悲しいときもありますが、どうやら彼は、君は君、僕は僕ということで、一区切りつけてしまいます。
話し合いは、歩み寄る、妥協点を見つけるという捉え方ではなく、変化しなければならない、変化を求められていると感じており、それが嫌だから私にも言ってこないのかなと感じます。

定型側からの働きかけは、積極的に行われますが、ASからの働きかけが少ない又は定型が、気づかないこともあると思いますし、どうしたら歩み寄りができるのかは難問です。

パンダさん、双方の歩み寄り・・という問いかけは、あまりにも抽象的なので例えば

定型側が自分のアイデアや経験例を出しやすい質問
AS側も自分の経験談やリクエストを出しやすい質問に
してみるというのはどうだしょうか。

歩み寄りを邪魔しているのは、例えばASの人からは
「食事中に、明確な返答を求められると、食事と会話の両立に困る」
「あなたはどうなの? はっきりして・・・の「どう」や「はっきり」の目的語が無い話は困る」
「とりあえず、気持ちの欲求を、挟み込まず話して欲しい」
など・・・定型が思いもしないことが原因かも知れません。

定型からも「私はこういう工夫をしている」などのパターン例が沢山よせられると、我が身にヒットする内容も見つかるかもしれませんし、何よりの共感的励みになると思います。

双方の、具体的な問題点を拾い上げることが、歩み寄りの第一歩だと思うのですが、いかがでしょう?

トマトです。 連投すみません。

あすかさんのコメントにあまりにも納得したもので。
「歩み寄られるのはイヤ、恐い、不快」と感じている自閉圏の人は多いと感じています。

そして問題を、コミュニケーションという方法ではなく「自己完結という方法が自然で当たり前」という人に、
なんとしても最低限理解して欲しいのは「今の状況はあなたの(家族含む)命や生活や名誉に関わることなので、報告や相談という手段が必要な場面になっているのですよ」ということです。

救済を求めるべきときも「自己完結」してしまうASの人は多いです。
私の住む高知県は台風被害が酷い地域もありました。「大丈夫ですか?」という救援員の問いかけに、質問が抽象的すぎて「ハイ」と答えてしまい、浸水になすすべがなかったASの人が居ます。
緊急時にも、言葉が通じないことの壁。

これは気持ちを通じ合わせたいということが、どれほど難関なレベルかを表しています。

より具体的な例を蓄積して、何か役立つコミュニケーションの鍵を共有できたら良いなと思います。

あすかさん

>話し合いは、歩み寄る、妥協点を見つけるという捉え方ではなく、変化しなければならない、変化を求められていると感じており、それが嫌だから私にも言ってこないのかなと感じます。

 これが私にはとても分かりやすい感じがしました。
 アスぺの方がこの問題にどう感じられるかについて,
 なんとなく想像力が働く感じもします。

 その感覚の違いを前提にして,現実問題として何が可能なのか
 ということがひとつのテーマになりそうです。 
 また改めて私も考えてみますね。


トマトさん

 台風被害,お見舞い申し上げます。
 この状況で,アスぺの方への援助にまた奔走されていたのかなと
 そんなふうに想像しました。

>これは気持ちを通じ合わせたいということが、どれほど難関なレベルかを表しています。

 たぶん,このことについては基本的には理解は一致していそうに思います。 
 (もちろん,トマトさんのようないろんなアスぺの方との経験の豊かさからくる
 理解の深さについては,どうしても差が生まれてしまいますが…)

 私がアスぺの方からのコメントに時々ほんとに感激してしまうのも,
 そういう「難解さ」を私なりに身に染みているからなのではないかという気がします。
 だから,ほとんど「これはお互い理解は無理かも」と思っていたことについて,
 アスぺの方から納得が得られたりすると,嬉しくて感激してしまうんでしょうね。

 その喜びがまた定型的に期待するような「積み重なりの足場」になるかどうか, 
 ということはこれもトマトさんが指摘されるように,
 次の問題になるのかもしれません。
 そこは今のところ私は何とも言えませんけれど,
 ただ,定型同士の関係とは違いを持つかもしれないけれど,
 「定型アスぺ」的に積み重ねはありうるように思えます。

 それはパートナーとの関係でもそう思うことがありますし,
 (彼女の方はそれを積み重ねと感じているかどうかはまた別のこととして)
 メールを下さるアスペの方の言葉からも,
 そういう積み重ねが意味を持ってきているように感じることがあります。

 ですから,この点で,私は今の段階では
 まだやれることはすべてやりきった,という感覚はありません。
 まだ模索できることがあるような感覚があります。
 あくまで個人的な感覚ですので,
 ほんとにそういえるのかどうかは,今後のブログの展開で
 確かめていくしかないわけですけれど。

>双方の、具体的な問題点を拾い上げることが、歩み寄りの第一歩だと思うのですが、いかがでしょう?

 この点は私も大事なことだと思います。
 ポイントは,お互いに「ここはそれぞれの視点から考えていくべき問題だ」
 と感じ,お互いの見方を交流したくなるようなものを
 どんなふうに見つけていくかなのかもしれませんね。
 
 

 

はじめまして。

書籍の方を購入させていただきました。子どもの立場からのブログや書籍が見つけられなかったので、書中のお子さんから見た家庭内のコラム(?)が大変興味深かったです。

さて、私も『共通理解』に基づく【歩み寄り】というものを家庭の中に築きたいと何年も考え、試し、凹みまた、考え。。。を繰り返してきました。
しかし、この数ヶ月でなぜだかキッカケは分かりませんが、歩み寄らなくとも善いのではないか?とも感じるようになってきました。

このテーマは人と関わる全ての時に考える普遍的なテーマなのかもしれませんね(^^;)
このブログとの出会いを好機として、私ももう一度、自分の心と向き合ってみたいと思います。
ありがとうございました。

お台場観覧車さん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
 本の感想をありがとうございます。
 あの娘さんのインタビューや彼女のあとがきは評判がいいです。

 お台場観覧車さんのブログをまだほんの少しですが,拝見しました。
 「お互いに努力しよう」という姿勢が多少なりともつくられるかどうかが
 ほんとに大きいことのように改めて思いました。

 「歩み寄らなくてもよいのでは」と感じるようになられたことは,
 お台場観覧車さんの努力の結果のある種の「悟り」なのでしょうか。
 そんな気もちょっとしました。

 最近,このブログでは,アスぺの方と問題を「語り合える」感じが
 少しずつでてきたような気がして,よかったなあと思っていたのですが,
 でも,とてもそういう状況になれない「定型アスぺ関係」を
 生きている方がたぶんほんとにたくさんいらっしゃるんですよね。
 改めてその重みを感じています。 

 また,いろいろ教えてください。
 

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