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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年8月13日 (水)

孤立した世界

 

トマトさんやほかのみなさんのコメントを参考に,パートナーのこともあわせて考えてみると,定型から見たとき,アスぺの方は問題を抱えたとき,誰かとそれを共有して解決しようとするよりも,自分自身の中で解決されようとする傾向が強い,ということがありそうです。あすかさんのコメントからも,アスぺの方は「変化を嫌う」ように感じられること,それで相手と「歩み寄り」を積極的に模索することも,定型に比べて少なくなる,という可能性が考えられます。

 これは定型からすると,特に相手が親しい大事な人であるほど,とてもさびしく感じることになるでしょう。親しく大事な人というのは「困難を分かち合える人」という感覚が定型にはあるように思えるからで,それをもし拒まれてしまうと,切り捨てられたように感じてしまうからです。

 もちろん「定型から見るとそう見える」というイメージが,アスぺの方自身からも「それはそうだ」となるかどうかはわかりませんし,あるいは「それはちょっと違う」と感じられるかもしれません。そこはアスぺの方に教えていただくよりないのですが,ここではとりあえず,そんな定型側からのイメージを基に,アスぺの方の世界について感じたことをちょっと書いてみたいと思います。

 私がハードな仕事に没頭して,精神的にも緊張状態で余裕がまったくなくなって,パートナーに愚痴を聞いてもらったり,いたわってほしいと感じるような状況になると,彼女がその私の緊張が伝わるのか,逆にパニックのような状態になってしまって,それに対応しなければならなくなり,ますます緊張状態が深まる,という悪循環になることがときどきありました。

それで私はハードな状態にあるときにも,それを彼女に対してあまり表現しないようになっていったんですね。簡単に言えば「がまん」して自分の中で抱え込むようになったわけです。

 でも,定型的にはこの「がまん」は辛いことですし, そういう「がまん」をしなければならない関係は寂しく感じますし,場合によっては相手を恨むようなことになるかもしれません。

 パートナーとアスぺ定型問題を共有できるよう(お互いの間にそういう問題があることについてどちらも納得できる状態)になって,時々その問題について,話をすることもできるようになりました。けれどもそれで私が自分が出会う問題などについて,彼女に自由に話せるかと言うと,やはりそれは無理です。私の場合はむしろ子どもと話す方が問題解決のヒントが得られることが多くて,彼女に対してはそうすることを半ば意識的に,半ば無意識的に「がまん」しています。

 当然それは私には辛いことの一つなわけですけれど,ふとこんなふうに思いました。私はなかなか彼女に相談することができない状態にある。でも彼女はほとんど誰にも相談できない状態を,ずっと生きてきたんだな,ということです。

 「相談できない」のか「相談したくない」のかは微妙ですし,仮に「相談したくない」という感じが強いとしても,それは「そもそも相談と言う発想がない」のか,それとも「相談してもかえって悪い結果になる」経験が積み重なって,もう「相談する」ということについてこりごりしているからなのか,についてもいろんな可能性がありそうです。

 でもいずれにしても,自分が何か問題を抱えたときに,基本的には相談せずに,自分自身で対処するしかない,という信念で彼女は生きていることになります。

 仮にそういう状況を想像して,その中に自分を置いてみると,それはやはり大変な世界だなあと感じられたのですね。私が「がまん」することで辛く感じることと,その彼女の孤立した状況の辛さと,どっちがより大変なのかはわかりませんけれど,でもしんどいだろうなとは思えます。(彼女にそれを話せば,「それが自分には当たり前(の世界)」だと言いそうな気がしますが)

 面白いことに(?),そういう想像を働かせると,なんだか彼女に対する「いたわり」の気持ちがまた少し出てきます。「ああ,そういう孤独な状況を彼女は生きているんだなあ」ということがちょっと実感できるようになって,「たいへんだろうなあ」と感じるからでしょうか。

 ま,定型の側からの勝手な思い込みなのかもしれませんが,ちょっとそんなことを想いました。

  

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コメント

 トマトです。

相手の苦労を感じ入る・・ということは、人間関係に温度が生まれるきっかけだと思います。そういう意味で、パンダさんの視点に同感です。

一方で、定型は「歩み寄る」という行為を100%の善としているし、そのように教育もされます。定型のスローガンに「困っている人、悩んでいる人には歩み寄り手をさしのべよう」があります。

そして定型は定型流儀でASに歩み寄ろうとして拒絶感を受け、関わり方が解らなくなり大混乱におちいります。

これは・・ほんの一例ですが
歩み寄りの道具に、ASと定型間でリスクの高い「言葉」を使い、成功率の低い「会話」を用いるからかなと考えて・・・
家族ぐるみで外食中、受動型のASの高校生に、質問のメモを渡してみました。
すると、とてもシンプルだけれど、返答を返してくれるので、やりとりが出来て、私の中ではちょっぴりだけ歩み寄り感を得ることが出来ました。

歩み寄り・・・って、顕著な成果が出なくても、相手の気持ちはどうであろうとも
自分の中の手応え感のことでもあるんだなぁって・・・知りました。

この問題、私も何回直面しているか分からないですね…。
私の場合、アスぺ定型問題をより認識したり分析しているのは私(アスぺ)です。
向こうはいったん本を読んだりこのサイトも見たりしていましたが、多分あんまりわかってはいないと思います。

>私がハードな仕事に没頭して,精神的にも緊張状態で余裕がまったくなくなって,パートナーに愚痴を聞いてもらったり,いたわってほしいと感じるような状況になると,彼女がその私の緊張が伝わるのか,逆にパニックのような状態になってしまって,それに対応しなければならなくなり,ますます緊張状態が深まる,という悪循環になることがときどきありました。

ここがほんとに3日に1回くらいの頻度であります。そのたびに向こうはだんまりです。
私はすぐに切り替えてしまうので、相手の怒り?もしくはなんらかの感情?が落ち着くのを待つしかできません。

定型の人の「もっと歩み寄ってよ!」は単純に恐怖です。本当に怖い。意味が分からない。怒ってピリピリしているから、一生懸命言葉を選んで考えて「こういうこと?」って聞いてみても「違う」「そんなことも分からないの」「察して」だけで答えを出そうとはしてくれません。定型の人が、アスぺの人に発生させられた「不快な感情」は相手が自分から理解しようとし、そして理解しない限りおさまらないものなのかもしれませんが…。

で、そのピリピリしている定型に対して、いつでも落ち着いているアスぺはただそれだけでもいらっとする存在のようですねw
こっちはこんなにいろんな感情押し殺してるのに!!怒ってるのに!つらいのに!普通に過ごしてるアスぺが意味わからない。むかつく。みたいに思うのでしょうか。

こちらとしては、そんなこと言われましても…という感じですかね。
定型さんなんかこわいからほとぼりが冷めるまでほうっておきたいけど、ほうっておいたら怒られる、ほうっておかなくても怒られる。あーもう万事休すだぁ!
と、私はいつもそうなっています。

相手に愛想を尽かされた時が、この関係の終わりだな~と思ってます。

また、自分の問題は自分で解決します。
だって、自分の問題だから…。
相談ってよくわかりません、どこまでを話してどこまでを聞いてどこまでを実践するのが正解なのか、その加減がわからないんです。
元々相談は一切しないタイプでしたが、一時期なんでも話そうぜなグループにいたときには結構相談(私としては、話のネタくらいの認識)してましたが、その相談から問題が起きて面倒なことになったので、やっぱり他人に相談してもいいことはないなと再認識しました。相談してもどうせ自分で考えろって言われるだけですし、(相談の中で、それで自分ではどうしたいと思ってるの?という問いかけが入ることってよくあると思うんですが、別に私がどうしたいとかはなくて。)
それに、人間は相談する際にはほとんど答えが決まっているとも言われていますよね。そんな中で他人に相談するのは、非効率的だし、私は相談なんてものは「仲良くなってます、距離近くなってます」をアピールする(定型の人は相談されると喜ぶ傾向があるから)ためのものでしかないです。

相談に意味はない!が私の結論ですかねー。

毎度長くなりました!w

あ、最後に。
私は仕事でハードな時もずぅっと一人で解決していました。同期に愚痴る、とかもなく。だから、愚痴りたいとか癒されたいとか言われると、そんなことも一人で解決できないんだなぁって思ったりもします。
まぁ、私も頑張ってる間は一人で頑張ってますが、いきすぎると鬱になったので迷惑度合いは同じようなものかもしれませんがw

同じ「自閉症スペクトラム」という診断名でも、一人一人違いますので、
私の場合を書きますね。(^_^)

>私がハードな仕事に没頭して,精神的にも緊張状態で余裕がまったくなくなって,パートナーに愚痴を聞いてもらったり,いたわってほしいと感じるような状況になると・・・,ますます緊張状態が深まる

これについては、「一緒にいてもひとり」を読んで、自分自身のことが分かりました。
パートナーがストレス状態だと、自分にとっても、ストレスになります。(^_^;)

>私の場合はむしろ子どもと話す方が問題解決のヒントが得られることが多くて,・・・

私も、夫よりも、子供に相談しています。(^_^;)

>当然それは私には辛いことの一つなわけですけれど,

私は辛くありません。それでいいです。(^_^;)

>彼女はほとんど誰にも相談できない状態を,ずっと生きてきたんだな

少なくとも私は、幼児期からずっと、誰にも相談できないで生きてきました。
アスペルガーを知って、ネットで当事者に出会って、
初めて自分を理解してもらえました。(^o^)

>「相談できない」のか「相談したくない」のかは微妙ですし・・・

私の場合は、「思ったことを話すとかえって悪い結果になる」経験を積み重ねて,小5の頃に、「本音は話さない」と決めました。
(でも、パンダさんは理解ある方なので、このコメントは本音で書いています。^_^)

>いずれにしても,自分が何か問題を抱えたときに,基本的には相談せずに,自分自身で対処するしかない,という信念で彼女は生きていることになります。

私はそうです。

>それはやはり大変な世界だなあと感じられた・・・

大変です。(^_^;)

トマトさん

>歩み寄り・・・って、顕著な成果が出なくても、相手の気持ちはどうであろうとも
自分の中の手応え感のことでもあるんだなぁって・・・知りました。

 このこと,実はすごく,めっちゃくちゃ重要なことなんじゃないかと言う気もします。
 定型アスぺに限らず,人と人が完全に同じ理解になるなんてもともとあり得ないわけですから,定型同士が「わかりあった!」と思って共感しあっているときだって,実際は「相手の気持ちは(本当は)どうであろうとも自分の中の(相手とおなじになったと感じている)手応え感」に感激しているんだろうと思うんです。ちょっと冷めた見方をすれば,ですが。

 そのおなじことについて,アスぺの方は「冷めた」見方を徹底されて,「そんなの本当は同じじゃないんだから,それぞれが勝手にそう思っているだけ」という見方がつよくなるし,定型の方は「つながる」ことをすごく重視するから「こんなにも共有できた!」という「感激」の方が勝って,「私たちは一緒だ!」とか「わかってもらえた!」という熱い気持ちが昂る。

 なんかそんな違いがあるんじゃないかと言う気がします。ようするに「どの側面を重視するか」みたいな,生き方のスタンスのずれが違う信念を生んでいるような……

 で,大雑把に考えると,定型にしてもアスぺにしても,もし実態としては「完全に同じになる」ということはあり得ないんだとすれば,現実的に実現が可能なことは,「お互いが自分の感覚や見方からいって<これならまあ納得できる>と思えるようなバランスを探すこと」なんじゃないでしょうか。その<納得の仕方>については,お互いにずれていてもそれは仕方ないというか,当然というか。

 そういうことを考えてみると,トマトさんの感じられたことは,すごく重要なことなのかなと思ってみたのでした。

songさん

>この問題、私も何回直面しているか分からないですね…。私の場合、アスぺ定型問題をより認識したり分析しているのは私(アスぺ)です。

 songさんのコメントでも,定型同士のやりとりではたぶんそう簡単には気づけないような重要なことに,何度も気づかされるような気がしています。このことでいうと,定型パンダとアスぺsongさんは「似たような問題」に何度も直面していて,どちらもパートナーよりその問題を「より認識したり分析し」ている,ということなんですね?

 アスぺの方を「障がい者」として見る見方だけだと,どうしても「定型よりもできない人」という前提で全ての事態を理解することになってしまうと思うんですが,songさんがここに書かれていることは,その逆の見方も大事だ,ということを気づかせてくれるんじゃないかという気がするんです。

>定型の人の「もっと歩み寄ってよ!」は単純に恐怖です。本当に怖い。意味が分からない。
>こちらとしては、そんなこと言われましても…という感じですかね。
>相手に愛想を尽かされた時が、この関係の終わりだな~と思ってます。
>また、自分の問題は自分で解決します。だって、自分の問題だから…。
>相談ってよくわかりません、どこまでを話してどこまでを聞いてどこまでを実践するのが正解なのか、その加減がわからないんです。
>相談に意味はない!が私の結論ですかねー。

 なんか,どの言葉も私にとっては「珠玉の名言集」みたいな感じがします (^ ^;)ゞ
 「アスぺ的な世界」を定型的に想像する時に,これらの言葉がすごく大事な手がかりになる気がするんです。「ああ,そういうことを前提にすれば,もしかしてちょっとわかるかも」という気がしてくるんですね。だから「珠玉の名言集」。

>私も頑張ってる間は一人で頑張ってますが、いきすぎると鬱になった

 定型アスぺ問題を考えるときに,定型的な見方ややり方はすごく限界を持っていて,それで行き詰って鬱になったりするように,逆にアスぺ的な見方ややり方もやっぱり限界に突き当たって,それで鬱になる。出発点や道筋は違うかもしれないけど,結果としては同じようなことがお互いに起こっているんですね……


みみりんさん

>私は辛くありません。それでいいです。(^_^;)

 このひとことが有難いです (笑)
 私にとっては当たり前のことが,みみりんさん(アスぺの方?)にとっては
 全然逆なんだということを,改めて実感させてもらえるからかな。

 それと同時に,私が想像したことが,みみりんさんにとっては
 当てはまるという点を教えていただけるのも,すごく有難いです。
 「ああ,ここは定型アスぺ間で,ある程度共通の足場として,
 問題を考えていける可能性があるんだなあ」ということを
 教えていただけるからです。
 もちろんアスぺと言っても定型と言ってもそれぞれ多様ですから,
 どこまでの方たちに当てはまるかは決めつけはできませんが。

> 大変です。(^_^;)

 うーん,やっぱりそうなんですね~。

パンダさん

>定型パンダとアスぺsong
いいですね、この分析合戦楽しいですw

ふと思ったのですが、この記事のタイトル「孤立した世界」っていうのに違和感を覚えました。考えてみたところ、多分定型の方がつけたタイトルだからかなと。
私からすると、単に「確固たる世界」なんですよね。人に頼らず自分で物事を解決し、辛いしんどい事も自分で処理する、苦しくなったら一人で好きな事をして充電。
こういう微妙なところにも、裏表感というか、隙間がありますねw

もうひとつ、アスペの方が「さめた」見方をするから〜という部分も、(もちろん私もこのアスペと言うものを認識してからはそりゃさめてるって言われるよなぁとは分かってますが)私からの見方に変換すると、定型の方は「妙に暑苦しく」迫ってくるみたいな表現になるのかな?と思いましたw

この違いを問題に直面しているアスペと定型が双方ともにどんどんストックしていければ、解決策は出てくるのでしょうか……。

songさん

>この分析合戦楽しいですw

 いやあ,楽しいですね!こういうのが面白くできるようになると
 定型アスぺのコミュニケーションも「楽しいもの」になります (^^)v

> 私からすると、単に「確固たる世界」なんですよね。人に頼らず自分で物事を解決し、辛いしんどい事も自分で処理する、苦しくなったら一人で好きな事をして充電。こういう微妙なところにも、裏表感というか、隙間がありますねw

 まったく同感です!
 この,同じことなのに,それがプラスのイメージなのか,マイナスのイメージなのかが全然正反対って,いろんなところであるんですよね。それがほんのちょっとした言葉の使い方とか,微妙なところにすっと出てくる。

>定型の方は「妙に暑苦しく」迫ってくる

 はいはい。アスぺの方にはきっとそう見えるんだろうなと私も思います。
 私がパートナーに一目ぼれしたのは,「さらさらした感じ」を受けたからなんですね。
 その「妙に暑苦しい」世界から自由な感じがして,それが魅力的だった。
 ただ,後には「さらさら」しすぎていて悩むことになったわけですが (^ ^;)ゞ

 songさんもパートナーの方に対して,逆に「さらさらしすぎていない」ところに
 ひかれたりすることはあったんでしょうか?

>この違いを問題に直面しているアスペと定型が双方ともにどんどんストックしていければ、解決策は出てくるのでしょうか……。

 これはまあ,最終的にはやってみないとわかんないんでしょうけれど,
 ただ,とりあえず「自分が置かれている状況」は見えてきている感じがします。
 しかもその見え方について,ある程度定型アスぺ間で理解が共有できるのなら,
 「じゃあそういう現実を踏まえて,お互いどうしたらいいのか」ということを
 考えるのに有利なんじゃないかなと。
 うーんと,こういう発想自体,もしかして定型的かもしれませんが……

 ま,とりあえずは楽しいからやるということで (笑)

誰かに「相談する」こととか、頼むこととか、手伝ってもらうことは、すごく難しいです。
「相談できない」「相談したくない」とかではなく「相談の仕方がわからない」という感じです。
何かをするときに、誰にも相談せずに自分で全部やってしまうことになるのですが、そうしたくてやっているのではなくて、それ以外のやり方がわからないんですよね。

どのタイミングで、誰に、何を相談するのか?
難しすぎて、それならもう面倒だから相談しな~い!ってことで。

ひとさん

>「相談できない」「相談したくない」とかではなく「相談の仕方がわからない」という感じです。

 うーん,やはりそうなんですか。

 アスぺの方の「特徴」として見られていることの中には,
 やはり「経験によってそうなっていった」ものが多いのだろうなと思えます。
 逆に言えば,そこで違う形の経験を積むことができていれば,
 その後の展開が何か変わる可能性もあるんじゃないでしょうか。

 いろんな意味で「工夫の可能性」があるのかもしれないと思いました。

 

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