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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年7月 9日 (水)

「共感文法」の可能性と限界は?

 たまたま「カサンドラな嫁とアスペルガー症候群疑惑の夫と子と。」 というブログにブログ主のbooさんが「アスペルガーと定型を共に生きる」をご紹介くださっているのを見ました。こんなふうに書いてくださっていて,私の願いが届いたような気がしてとてもありがたかったです。

「この本で特筆すべきは「AS夫+定型妻+成長した子供の3人の観点が1冊にまとまっている」という点です。そんな本、なかなか無いですよね。生々しい体験談に「同じ1つの事柄でも実は全く違う見方があるのだ」と言う複眼効果を読者にもたらしてくれる本。お医者様やカウンセラーさんの本とは違い、AS当事者の夫と定型の妻、それぞれが当時どのように思っていたのか?斉藤パンダさんがインタビュアーとなって夫・妻それぞれとの対談も掲載。自分の常識にとらわれて単眼思考をしていては、いつまでたってもAS定型夫婦問題は解決しないんだな、と思わせてくれます。」

 ところで,トマトさんのコメントなどを拝見しながら,共感について,引き続きぼちぼちと考えているのですが,定型語には翻訳しきれないアスぺ語の中身を,なんとか定型語の「共感文法(共感という要素を入れ込んで理解を組み立てるやり方,くらいの意味です)」に沿う形で定型的にわかりやすいように翻訳してみる,という試みについて,その可能性と限界が改めて気になっています。

 「翻訳」ということについてちょっと広く考えて,たとえば私の子どもは漫画とかイラストを描いたりするんですが,本人もそれですごく「癒される」みたいだし,私もその絵を見ていて癒される感じがあります。「絵」というのはそれ自体で言葉みたいなもので,それを描く人と見る人の間で何かを伝えあっているんですよね。

 でも,そこで感じたことを完全に話し言葉や書き言葉で表現できるか(「絵という言葉」を「話し言葉」「書き言葉」に翻訳できるか)というと,それは無理でしょう。簡単な絵一枚でも,どんなにたくさんの言葉を費やしたって,完全にそれを表現することは無理だと思います。

 もちろんその逆も言えて,たとえば詩の言葉を絵で表す,といったって,これもまた完全に写し取ることなんて無理ですよね。

 もし絵から読み取れることをできるだけもれなく正確に言葉に直そうと努力すれば,どんなに言葉を足しても足らなくて,説明はどんどん長くなっていくでしょうし,ややこしくなっていくかもしれません。
 
 同じように,アスぺ語を定型語に直そうとしても,たぶんきりがないし,そして完全に翻訳することは無理でしょう。そういう限界があることは一応前提にして,でもやっぱり「少しでも定型にわかりやすくする」ために,ひとつの手掛かりとして翻訳することに意味はあるように思います。

 ただ,ここでもうひとつ,トマトさんが今回強調されていると思えるポイントは,そこで「共感」という言葉を使うことが,定型アスぺ間のコミュニケーションをかえってむつかしくするのではないか,という点だと思いました。(ずれてたらすみません ('◇')ゞ)

 定型(特にアスぺ定型問題で悩んだ経験のある人)はどうしても「共感」という言葉に思い入れがあって,それが絡む問題を解決したいと考えがちなので,翻訳にあたっても「共感文法」にこだわったりするのだと思うのですが,逆にアスぺの方は「共感」という言葉に苦しめられ続け,あるいは迫害され続け,場合によっては嫌悪感さえ持たれるかもしれない,ということになると,そのことはやっぱり考えないといけないでしょう。

 つまり,定型同士でアスぺ語を理解しようとするときには「共感文法」は役に立つだろうと思えますが,アスぺの方との相互理解のためには,少なくとも「共感」という言葉は使わずにやり取りした方が,実質的には定型の言う「共感的」な「相互理解」にも近づけるかもしれない,という可能性があるわけですよね。

 このあたり,アスぺの方でも意見が一致するかどうか私にはわかりませんけれど,ちょっと気を付けていきたいと思いました。

 

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コメント

いるかです。

ASの彼は、「共感」できます。

ただその「共感」は、
わたしが辛い時には一緒に辛くなる。
わたしが怒っている時に、彼も一緒になって怒りの感情が生まれてしまう。
わたしが、嬉しい時には彼も嬉しくなるというような部類の、
他人と同じ気持ちになるという感覚での「共感」です。

ですので、「他人の感情をそのまま自分も感じる」という意味で、
「共感」は成り立っていますが、
それは決して、本当の意味で「他人の感情を理解する」というような
「同感」ではないような気がします。

「共感能力」という言葉はあっても「同感能力」という言葉が無いように、
「同感」は(定型にとっては)当たり前のことなんだと思うのです。

定型は他者に対して、脳の思考回路自体が「同感」へ自然と向きますし、
同感はありのままの当たり前の姿ですし、同感することで全く苦労はしません。

しかし、ASの彼は、「共感」はできても、「同感」できないことが自然な姿ですので、
どこまでも頑なに「同感」できませんし、
わたしに合わせて同感しようとすればするほど本人が苦しみます。

定型が他者に対して「同感しない」ことを徹底した場合、どうしても「罪悪感」が生まれます。
逆を返せば、ASの彼が他者に対し「同感しようとする」ことは「罪悪感」が生まれる形となるはずです。

このように考えると、彼の辛さが分かるような気がします。
他者に対して「共感」はできても、「同感」という作業を行おうとすればするほど、
罪悪感を生む形となるのですから辛いことだと思います。

このように捉え方を変える工夫でしかわたしには彼を理解することができません。。。
わかりにくい文面になって申し訳ございません。。。

いるかさん

 共感と同感を区別してみることは重要なのかもしれませんね。
 どういう言葉で整理すると比較的いろんな方と共有しやすくなるかは
 ちょっと考える必要がありそうな気もしますけれど,
 ここでおっしゃっていることは,「共感」は同じ感情状態になること,で,
 「同感」は「その感情は自分とは異なる相手のひとの感情の理解なんだ」
 という形で理解すること,というような感じなのかなと想像しましたが
 そんなことでよいでしょうか ('◇')ゞ

>このように捉え方を変える工夫でしかわたしには彼を理解することができません。。。

 「…でしか…理解することができません」ということではなく,
 「…すれば…理解することができます」という風になればいいんでしょうけれど,
 なにしろそこがむつかしいわけですよね……

 そのことを考えると,いつも「黒の舟歌」を思い出します。

いるかです。

>「共感」は同じ感情状態になること,で,
 「同感」は「その感情は自分とは異なる相手のひとの感情の理解なんだ」
 という形で理解すること,というような感じなのかなと想像しましたが
  そんなことでよいでしょうか ('◇')ゞ

はい。そのとおりです。
あまりうまくお伝えができずにごめんなさい。。。

「同感」できないということは、
自分と相手との考えをどうしても理解することができない。
それが「愛着を持った相手」に対してのみ、そのような状態になるのです。

彼にとって「愛着」がなければ、「共感」も「同感」も容易いことです。
空気が読めるタイプのASの彼は、他人に合わせることも簡単にできます。

愛着を持ったわたしにはどうしても合わせることができない。
どうでもいい他人には普通に合わせられるのですから、わたしにとっては非常に辛いことになります。
彼も辛いと思いますが。。。

多分、男性のASと女性のAS、空気が読めるタイプと読めないタイプでは、
かなり違いがあると思いますが、彼はこんな感じです。

そして、環境の変化にとても弱いですので、
転勤先で大丈夫かな?と心配していた矢先、
パニックを起こしてしまいました。
最近は気分がとてもよく優しかったのですが、180度変わってしまいました。

新天地はどうですか?と質問をすると、
「知らないよぉぉぉぉ~!!!」と始まってしまいました。。。
何を聞いても、「知らないよぉぉぉぉ~!!!涙」となります。

想定内でしたので、
一旦は「あらあら。ごめんね。。しんどいね。。。」と受け止めました。

けれど、後々考え、
「男なら男のプライドを持ちなさい。」と言いました。
彼には伝わらないと思いますし、わたしに対して怒りしか覚えないかも知れませんが、
適切ではない表現の場合は一喝しました。

ですので、極端な感情表現をした場合、
理解することができませんし、その都度100%の対応方法も分かりません。。。
(一週間~二週間程放っておくと勝手に気分も落ち着くことも多いのですが)

ありのままを受け止める、支えるということは本当に難しいですし、
理解しようとすることはとても難しいですね。。。

「黒の舟唄」わたしもとても共感できます。

ちなみに彼は、
「レイニーブルー」という曲を好んで聞いておりますが、
「そっと雨」とは一体なあに?どういう意味なの?と質問されました。
曖昧な表現方法は彼にとって、とても分かり難いものなのでしょうね。。。

いるかさん

 おはようございます。
 
>彼にとって「愛着」がなければ、「共感」も「同感」も容易いことです。空気が読めるタイプのASの彼は、他人に合わせることも簡単にできます。

 「愛着」の有無によって,相手との関係の取り方がものすごく違う,というのは
 ほんとにしばしばみられることなんですね…
 それにしても「共感」も「同感」も容易くて,空気が読める,というのは
 ちょっとびっくりでした。そういう方もあるんですね。

 私のパートナーの場合は,仕事であれば「共感的な(いるかさんの「同感」に
 近いかも)対応」も結構するんですが,ある程度状況がはっきりしていて,
 自分の役割も明確な時に,テクニックとして使える,くらいの印象があります。
 「本音」は置いておいて,相手に合わせてあげる,くらいの感じでしょうか。
 それもかなり努力しているみたいで,仕事から帰るとすごく疲れています。

>「男なら男のプライドを持ちなさい。」と言いました。彼には伝わらないと思いますし、わたしに対して怒りしか覚えないかも知れませんが、適切ではない表現の場合は一喝しました。

 漠然とした印象ですけれど,こういうやりとりって,
 お互いにしんどいだろうなという気がしました。

パンダさん

いるかです。
>「共感」も「同感」も容易くて,空気が読める,というのは
ちょっとびっくりでした。そういう方もあるんですね。

そうなのです。
空気が読めるので、実際彼と深く付き合うまでは彼がASだと全く分かりませんでした。
けれど、空気は読めても、言葉の意図は読めませんので、それがトリガーとなり、
相互理解できない事態に発展します。
ある意味、空気が読めないほうが対応しやすいのかも?と思ったりします。

彼もとても努力していますので、仕事が終わると睡眠を入れなくてはいけない程、グッタリしています。
彼の特性上、適度に休みを入れるということができませんので、
過集中が見られますし、
会社を休むと仕事についていけなくなるからと言う理由で、熱があっても出社します。
これもこだわりの部分ですので、どうすることもできません。。。

彼が一旦ストレスで塞込むと、わたしへの風当たりが強くなり、
今回のように、幼児化してしまいます。。。

そのような極端な彼を全て受け入れるか、一旦受け入れて、全て受け流すという作業は、
彼の100%を理解するということに繋がりますので、
彼を全て理解して察するということは不可能です。

だとしたら、理解できないことに意味があるのだと思います。
理解はできないけれど、共感はできるよというスタンスです。

釈迦は、人生というものが、絶対にクリアできないゲームのようなものであり、
自分が半分、「人生という名のゲームから降りる」ことによって、心の平安を見出しなさいと唱えております。
自分が半分降りるということは、相手に合わせる、相手に期待しないということになるのだと思います。
けれど、本当に難しいですよね。。。

こんにちは。横レスすみません!

お二人のやりとりを読んでいて、いるかさんの彼の「共感・同感・空気を読む」も同様にテクニックとしてできているだけのように思いました。
だから帰ってくるととても疲れるんだと思います。皆は自然にやってることを自分は演技でやるしかないっていうことなので。

私も初対面とか仲良くなるまでならいくらでも「共感・同感・空気を読む」ことはできます。
ただのテクニックですけどね。昔そういう本とかネットの記事とか読みあさって覚えた知識で対応してきました。
だから、仲良くなったり関係が深まるとずれてきます。本当はわけわかってないのに分かってるふりをしているだけですから、いつまでも同じ演技で通用するわけないですからね。。

いるかさんの彼は、男性ASにしてはそういったところが得意でありできる、ということなんだと思いました。定型と同じような「共感・同感・空気を読む」はできていないんだと思います。

song さん

いるかです。

>いるかさんの彼の「共感・同感・空気を読む」も同様にテクニックとしてできているだけのように思いました。

ありがとうございます。
彼の歩んできた人生経験と、彼の努力により、彼は空気を読むテクニックを身に着けているのでしょうね。

そのテクニックも、想定するに、集団の中で誰が一番偉いか?
という判断を行い、
その方の意見や行動にに合わせているようなケースが多いように思います。
この時点では空気は読めています。

しかし、どうでもいい他人への対応は本当に酷く、
どうでもいい他人に対してはKYな態度になりますので、やはり空気は読めていないということになるのでしょうね。

これが彼の二面性であり、医師からかなり直面化をさせられておりました。

彼は、受動型のため、人に合わせて色々なことに参加することはできます。
基本的に、誘いを断れないことが多いです。
そして、自ら誰かを誘うことはまずありませんし、誰かを誘うという作業を彼はしたことがないように思います。
あくまで受動的ですので。。。

そしてこの部分については、流されやすさを医師に指摘されておりました。

最近の彼は、以前に比べると怒りをコントロールするように努力しているように思います。
感情が高ぶった時は、大きくゆっくりと深呼吸をするということは、
わたしと彼との間のルールですので、
深呼吸を心がけてくれているようで、よく守ってくれています。
また、深呼吸は落ち着くと言っていますので、この部分では共感できていますね。

いるかさんへ。   トマトです。

いるかさんの、ひたむきな彼への気持ちを拝読するにつれて、ひとつ気づいたことがあります。
ASの相手をなんとか理解したい、腑に落としたい定型の努力の結果の、ひとつのつまずきやすいポケットに「定型の感覚で定型の言葉に当てはめてしまう」があり
上記のコメントでも
〚深呼吸は落ち着くと言っていますので、この部分では共感できていますね。
〛と、ありますが、
彼本人やほかのASの人は「それは共感ではない」という違和感や「これって共感なの?」という疑問を持つことは多いのではないだろうか ということです。

例えば「足すと増える、引くと少なくなる」「信号は青(緑)になると車が止まり安全に道を渡れる」と教えてもらい知識から会得・納得したことを「共感」と表現されると違和感を感じるようなもので。

定型は、ASの人に対して共感に飢える関係性になるので、ASの人の反応をどうしても共感ウンヌンととらえてしまい一喜一憂してしまうのですが、
一見、共感に見える・・・同調に見える・・・同じ範囲やポイントを相互理解したかのように見える言動が
ASの人の感覚では「そうではない」というものが実際に多い。と感じます。

定型にしたら、砂漠で湖の蜃気楼を見たようなものですかねぇ。

このことは、私が過去にAS友人にしていた「理解しようと熱中したあまりおちいった誤り」なので、いるかさんには共感できるのです。

相手を理解するうえで、関係維持するうえで、定型は「共感」を足掛かりとするので
自分の大切なASの人を正しく理解しようとすればするほど、観察や分析や判断というクールであるべきところに、共感とそれに付随する感情がまじりこみ
意図せず自己満足や自己陶酔におちいって
その一段落がすぐにくつがえされてしまう・・・・という悪循環になってしまうことは多いと思うのです。

受動型のASの人には、リードしたい世話を焼きたいタイプの定型がのめりこんでしまいがちだと思いますが
より、冷静でスムーズに理解し、その理解を自然に使いこなせるようにするためには、相手が家族でない場合

相手と物理的に離れて音信不通の時間を半年は持つ。
ほかのASの人と接遇してみる。

こんなことが有効かと思います。

なぜなら、定型自身の「思考と視野の狭まり」「ASへの過集中」を、いったん解きほぐさなければ、自己陶酔の旅が終わらず、相手のASにも良い影響がなくなるからです。

相手を理解したければもっとよく見ろ・・・というのは、定型同士のセオリーであり、ASと定型の理解の仕方は「物理的や精神的にどれほどうまく距離感や角度をとれるか」ということだと思うのです。

トマトさんへ

いるかです。

>ASの相手をなんとか理解したい、腑に落としたい定型の努力の結果の、ひとつのつまずきやすいポケットに「定型の感覚で定型の言葉に当てはめてしまう」
>定型は、ASの人に対して共感に飢える関係性になるので、ASの人の反応をどうしても共感ウンヌンととらえてしまい一喜一憂してしまうのですが、
一見、共感に見える・・・同調に見える・・・同じ範囲やポイントを相互理解したかのように見える言動がASの人の感覚では「そうではない」というものが実際に多い。と感じます。

ありがとうございます。
わたしは、彼がASだと分かっていても、(どうしても)普段何事もない時には世の中の誰より優しいですので、
(どうしても)普通の恋愛だと勘違いしてしまうところがあるのです。ここが(どうしても)難しいんです。

ASを知らなかった時には、話せば話すほど、論点がずれ噛み合わず、余計深みに嵌っていく、
という出口の見えないやりとりをしていましたが、これも「やりとり風」だったのですね。。。
彼にとってはこのようなやりとりそのものが苦痛。
話せば理解が得られるのではないか?と考えるのが定型。

そして、会話を終えても、なぜか空虚感や違和感覚え、彼にはどうして伝わらないのか?
わたしの伝え方が悪かったんじゃないか?と自分を追い込んだ結果、尋常ではないくらいの頭痛を経験しました。

トマトさんも同じような経験をされていらっしゃいますし、
「会話のハンディキャップの部分を忘れてしまうという感覚」すごく分かります。
ASだと頭では分かっているんですけど、話すと適応力があるので、会話の最中にそのことを(絶対)忘れちゃうんです。
で、あ!ASだった。この対応じゃいけなくて。。と、会話をしながら、頭の引き出しからASの対応リストを引っ張り出してきて、
対応を切り替えるのですが、ついつい忘れてしまうんですよね。。。(汗

>相手と物理的に離れて音信不通の時間を半年は持つ。
>ほかのASの人と接遇してみる。
>ASと定型の理解の仕方は「物理的や精神的にどれほどうまく距離感や角度をとれるか」

そうですよね。
彼は、一人でいたほうが精神の安定を保つことができますし、
彼が何にも束縛されない空間で、一人でいることは何より彼の精神安定剤になります。

嫌な記憶が頭から消えない思考ですし、感覚過敏・聴覚過敏の問題もありますので、
カウンセリングを受けて、自分と向き合って欲しいという気持ちが今も少なからずありますが、
医師が言うには、「20代ならまだなんとかなるけれど、彼はもう30代。残念ながらもう遅いと思う。
これから10年通える覚悟が彼にあるかどうか。
彼がなんとか社会適応できているレベルであれば、彼の自由でいいのではないだろうか。」とのことでした。。。

そして、ASの女性の友人とはうまく距離が取れるのですが。。
それが「彼」となると、これがまた本当に難しいです。。。(涙

ASの友人から連絡がない限りこちらからは連絡をしませんし、
彼女は自分自身がASだという自覚がありますので、対応はしやすいです。
そして、ASの彼女に彼の相談をすることで、彼の発言を定型に分かりやすいように変換して説明してくれますので、とても助かっております。

彼女に、それほどAS同士が分かり合えるのであれば、AS同士のほうが定型とASよりうまくいくんじゃないの?と質問をすると、
「絶対に嫌だし、絶対に無理」と言われました。
その理由は、相手が自分と同じASだと、自分がパニックを起こした時に対応してもらえないし、
自分でも自分を十分持て余しているのに、相手も同じ人間だと余計疲れるわ。
あっさりしていて、余計なことは言わずに何でも受け入れてくれる人がいいのよ。とのことでした。
なるほどな◎と思いました。

トマトさん、いつもわたしの感じていることを明確に説明してだき、
アドバイスをいただけることでわたしは救われております。ありがとうございます。
彼とは、距離を置く努力をします◎

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