2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 「共感文法」の可能性と限界は? | トップページ | 定型が想像するアスぺ的世界 »

2014年7月13日 (日)

AだからD

 最近の子どものLineなどの使い方のことを読むことがあったんですが,そこで言われていて興味深かったことがありました。それはこんなことです。ネットというのは,このブログでもそうですが,自分の身近な人間関係を超えて,まったく知らなかった人たちと新しいつながりができる可能性がある場所だと思えます。

 ところが子どもたちのつながりは,ネットで世界がそんなふうに広がっていくよりも,逆にクラスでの友達とのやりとりがものすごくて,ちょっとでも返事を返さないとトラブルになったりする。そして実際にはむしろ日常の狭い付き合いが極端に濃密になって,そこに閉じ込められたようになり,しんどくなる,という話でした。

 で,パートナーとちょっとした話題からそのことを思い出して私はその話をし,「すごく日本的だよね」と言ったんですが(あ,また「ね」になってる!),彼女からは早速疑問が投げかけられました。

 もちろん会話ですから何かを言って,疑問があれば「どうして?」とかやり取りするのは当然でしょう。たとえば今回のような私の話の振り方に対しては「どうしてそれが日本的なの?」という疑問はあっても,それはある程度は私の「想定内」の疑問で,そこから話が面白く深まったりすることになると思います。

 けれどもパートナーとのやりとりでは,そこで彼女から出てくる疑問や質問が,私には無意識に想定していた範囲を超えちゃっていたり,あるいは会話の足元を崩されるような疑問だったりすることが多くて,そこで会話の流れが止まっちゃうことがよくあります。

 今回の会話で言えば,彼女から出された疑問は,「Lineって,自分は使ったことないけど,(いつも付き合っている人ではない)他の人からかかってきたりするんじゃないの?それはどうするの?拒否するわけ?」というものでした。

 まあ,ちょっと引いて考えれば,そういう疑問を持つこと自体は別におかしいことではないし,状況次第では私も同じような疑問を持ったり,質問をしたりするかもしれないわけです。でも,なんだか「話の腰を折られた」という印象を私は持ってしまうんですね。

 なんでなんだろうと考えるわけですが,一つの可能性として,こんなことを考えてみました。私がそのLineについての文章を読んだときには,それを書いている人がポイントにしているのは,「ネットは本来いろんな人とつながる可能性があるのに,子どもたちは逆にそこですごく閉じられた世界を作っている」という「意外な事実」についてだと思います。

 それで,その文章には「他からかかってきたときにはどうするか?」については特に書かれてはいないのですけれど,それを読んでいる私は勝手に「そこは当然何らかの形で無視したり,あるいはあまり大きな影響力を持てなかったり,少なくとも<閉じられた世界>を崩してくれるような力はない,ということが<前提>になっているんだろうな」と思い込んでいるわけですね。そういうことを前提にできるから,文章を書いている人はその次のステップの問題として,「意外な事実」について書いていると思うわけです。

 ですから,私がそれについて話をするときには,その「意外な事実」は一応前提にして,その先について話したいなと思って話をするわけですが,その前提についていきなり疑問を投げかけられるんですね。

 そうすると,上に書いたような<前提>は,やっぱり暗黙の前提で,具体的にそこまでは書かれていないわけですから,「絶対そうなのか?」とか「根拠は何なのか?」とか問い詰められたとしたら,それは「いや,はっきりとはわからないけど…」と言わざるを得なくなります。で,話が先に進まなくなる。で,なんか「また話の腰を折られてしまった」という気分になるんですね。

 それで思ったんですが,定型はAだからD,というような考え方をほとんど無意識にやってるけど,実はAだからDというためには,AだからBで,BだからCで,それだからDなんだ,というような「隠れた道筋」というか定形にとっての「暗黙の了解」みたいなステップがあって,それが省略されているんじゃないか,という気がしました。

 で,パートナーにはそこは見えにくいから,AからDに行く前の,その暗黙のステップのところがいちいち気になって仕方がなくなる。

 そのことは定型についてアスぺの方がそういうことがある,というだけのことなのか,逆にアスぺの方もEだからHというような説明をするとき,暗黙の裡にEだからF,FだからG,GだからHというようなステップがあって,それが定型には分かりにくいのでEだからHと言われると訳が分かんなくなって面喰ってしまう,というようなことが同じようにあるのか,そこはまだ何ともわかりません。(というか,今回の例についても,まだそういう見方でいいのかどうか,よくわからないわけですが ('◇')ゞ)

 なんにしても,私の説明は彼女にはわかりにくかったりするわけですから,そのわかりにくさの間を埋める上手な説明の仕方とかこつがあるのかどうか,ちょっと私の今後の課題です。

 

 

« 「共感文法」の可能性と限界は? | トップページ | 定型が想像するアスぺ的世界 »

コメント

お久しぶりですパンダさん!
アスペの彼とは別れてしまったんですが、いまだカサンドラが微妙に抜けてないにゃんこです(^_^;)

この記事読んで思い出した事がありました!
彼と話してる時に話しがいっこうに前に進まない。定型の人となら2・3時間話したら充分実りのある会話をした!!と思えるのに…彼とは何時間話しても何かをちゃんと話しあえたと思えなかった…

それがここに書いてある、話しの腰を折られるって感じだったんだと!!
こちらが話しの流れで使ったたいした意味もない言葉一つに、やたらとつっかかってきたり…
そのたびに私は『私が今話したい事はそれじゃないのに』『もっと大事な事を話してるのに』
そんな不満はたまるし進まない話しにイライラするし…(>_<)

アスペの人と定型の人では、話し一つをとってみても、こだわりや流れが違うって事なんでしょうね。

にゃんこさん

>こちらが話しの流れで使ったたいした意味もない言葉一つに、やたらとつっかかってきたり…

 そうですね。このあたり,トマトさんや他のみなさんも何度か書いていらしたように思います。

 定型的に見れば,「話の筋が読めないからそうなる」と感じられることだと思うのですが,今私がちょっと気になっているのは,自分にとっては「たいした意味もない言葉」がアスぺの方にとってこだわるべき大事な言葉になるのはどうしてなのかな,ということです。にゃんこさんが「こだわりや流れが違う」ということもそういうことなのかもしれませんね。どう違うのか,どういう流れなのか,そのあたりが気になるというか。

 「話の筋が読めない」のか,「別の形の話の筋を持っている」のか。そんなことかも。

 あと,記事の話で言えば,私たち(定型)だとたぶん「相手の人が話したいことの前提になっている部分は(あっているかどうかはわからなくても)とりあえず受け入れて,話を先に進める」ということを日常的にはよくやっているように思うんですが,もし疑えばその「前提」は「ほんとなの?」ということは多くの場合疑えるわけですよね。

 アスぺの方はそこで多くの場合「疑う」ことをされるような気がするし,定型とはその辺の感覚にずれがあるのかもしれません。なんでそんな違いができるんだろうとか,そのあたりも知りたいところです。

トマトです。

定型は、会話を「言葉のやりとり」という概念でとらえていますが
ASの人は「やりとり」という概念が解らず「やりとり風」に、とても無理して
つきあってくれているのだと思います。

さらにASの人は、そのときの無理している感の自覚があまりなくて、
「長いセンテンスの話、世間話など相手の関心の無い範疇の話、気持ちや精神論などの抽象的な話はASの人に苦痛、だが苦痛ぐあいをうまく説明できず、つきあわされてしまう」
ことを、定型は前提に持っておかなくてはならないと思うのです。

可視化できない障害ゆえ、
会話がズレると、どうしても定型は、悲しくて被害者意識をもってしまいがち。

この点が、一番難しくて・・・なんとも・・双方がやれきれないところと感じます。

私も、ASの饒舌なタイプの人と話すと、むきになっちゃってたし、長時間話すほど
帰り道に感じる、妙な空っぽ感にむなしさをかみしめたものでした。

ASの人は一面、能力や魅力が高いので、つい会話のハンディキャップの部分を忘れちゃうんですよね。

トマトです。

定型は、会話を「言葉のやりとり」という概念でとらえていますが
ASの人は「やりとり」という概念が解らず「やりとり風」に、とても無理して
つきあってくれているのだと思います。

さらにASの人は、そのときの無理している感の自覚があまりなくて、
「長いセンテンスの話、世間話など相手の関心の無い範疇の話、気持ちや精神論などの抽象的な話はASの人に苦痛、だが苦痛ぐあいをうまく説明できず、つきあわされてしまう」
ことを、定型は前提に持っておかなくてはならないと思うのです。

可視化できない障害ゆえ、
会話がズレると、どうしても定型は、悲しくて被害者意識をもってしまいがち。

この点が、一番難しくて・・・なんとも・・双方がやれきれないところと感じます。

私も、ASの饒舌なタイプの人と話すと、むきになっちゃってたし、長時間話すほど
帰り道に感じる、妙な空っぽ感にむなしさをかみしめたものでした。

ASの人は一面、能力や魅力が高いので、つい会話のハンディキャップの部分を忘れちゃうんですよね。

話しの筋が読めないって言うのが当てはまるような気がします。
彼は人との会話で話しが長くなると理解できないと言ってたし、子供の頃に読んだ漫画(Dr.スランプアラレちゃん)でも、話しが長く込み入ってくると理解出来なかったそうです。1話完結の話しなら理解出来ても、ABCDが理解出来てないと何話も続く話しは理解できない。
それで話しの途中に出てくるいろんな言葉に惑わされて引っかかってしまうのかな?

お三方のコメントを見て…

そんな風に思われてたのか!!w

と、衝撃を受けましたw
変わってるとか、視点が違うとか、ハッとさせられる的な事は関係が浅い時にはよく言われました。話の腰を折る、のポジティブな解釈ですね。さらっと雑談する時とか仕事では結構褒められる点ではあります。

親しさが増すほど深い会話が成り立たなくなってくるのは、そういうズレがあったっていうことなんですかね…?

私からすると、常に頑張って相手に会話を合わせているので何にも違和感は感じないんですけど、定型の人からしたら「変な方向転換!」「なんでそっちいくのよ…合わせてよ」になっちゃうと…。

パンダさんのLINEについてのくだり、私だと多分、素で返答したら「それがどうしたの?(興味ない)」になります。でもそれで会話を終わらせるのは礼儀としてなってないから何かポイントを探して投げかけなきゃいけない。何か引っかかりどころはないか?って感じで返答すると思います。

だから、定型の人の予想する流れにはならなくなっちゃうのかなぁと思いました。

そもそも会話してて、気になる箇所なんて出てくるものなんですか?それがどうしたの?って会話ばかりなように思うんですが…。

>常に頑張って相手に会話を合わせているので何にも違和感は感じないんですけど、

ここ、まちがえました。そもそも違和感しかないのでその状況に変わりはないって意味ですw

三人のやりとりについてsongさんから頂いたコメントが私的にはめちゃめちゃ面白くて目を見開かされるようでした!

>変わってるとか、視点が違うとか、ハッとさせられる的な事は関係が浅い時にはよく言われました。話の腰を折る、のポジティブな解釈ですね。さらっと雑談する時とか仕事では結構褒められる点ではあります。

 これはよくわかります。注目ポイントが違ったり,思考パターンが違う人同士では,相手は自分が気づきにくいところを見ますから,そんな風になりますよね。

>親しさが増すほど深い会話が成り立たなくなってくるのは、そういうズレがあったっていうことなんですかね…?

 なるほど!という感じです。そうじゃないでしょうか。

>私からすると、常に頑張って相手に会話を合わせているので,そもそも違和感しかないのでその状況に変わりはないんですけど、定型の人からしたら「変な方向転換!」「なんでそっちいくのよ…合わせてよ」になっちゃうと…。(修正しました)

 うーん,このベースになる感覚のずれをいつも頭に置いておかないといけないですね。

>パンダさんのLINEについてのくだり、私だと多分、素で返答したら「それがどうしたの?(興味ない)」になります。でもそれで会話を終わらせるのは礼儀としてなってないから何かポイントを探して投げかけなきゃいけない。何か引っかかりどころはないか?って感じで返答すると思います。

 これ,ほとんど吹き出しそうになるくらいに「あ!そうか!」と納得。それでパートナーのいつも言う「だからなんだというの?」「それで私になんて言ってほしいの?」という反応の意味が分かりました!そして出てくる疑問が私的には「?????」になる理由も。

>だから、定型の人の予想する流れにはならなくなっちゃうのかなぁと思いました。

 これはちょっと目からうろこです。いや,言われてみればなるほどで,そんなに極端にむつかしいことではないような気がするんだけど,コロンブスの卵で,言われないと気が付かないというか…

>そもそも会話してて、気になる箇所なんて出てくるものなんですか?それがどうしたの?って会話ばかりなように思うんですが…。

 この問いもすごい刺激的です。まさにそれ自体が私にとっては「気になる箇所」で,「それがどうした」にはならないところです。
 でも,songさんにちょっとお尋ねしたいんですが,たとえばこんな風にsongさんがコメントを下さること自体,songさんにとって「気になる箇所」が出てきたということにはならないのでしょうか?そういう会話がありうることは,定型だろうがアスぺだろうがどちらにも言えそうな気がするんですが。

パンダさん

コメントありがとうございます。両面から物事を見ている感じがして、私も面白いなぁと思っていますw

お尋ね頂いてる「気になる箇所」について私の考えではありますが述べてみます!

まず、私が会話をする中で言動に動きがあるのは3つの場合があります。
◯相手が聞いてほしそうなポイントが散りばめられている
→話したがり、話したいことがある状態の人に対して相手の求めに応える。
これは目とか話しぶりとか話の内容から、「質問を繰り出すべき」なので相手が聞いてほしそうなことを質問します。

多分、相手の人からは「興味持ってくれてる!」と思ってもらえてるはずです。
これは定型の人からすると「気になる箇所」になっているけれど、私としては興味なし。

◯相手が誤った・納得のいかない話をしている
→自分の持っている情報と照らしあわせて修正をかける必要があると思う。
今回はここですかね。単純に、テレビのニュースでやってたことの別解釈とか、仕事のやり方の間違いとか、ダイエットには◯◯より■■の方がいいよ、とかそういう情報についての訂正です。もちろん、やりすぎないようには気をつけています。相手の気分を害さないようにふざけつつ情報修正をする。
これも恐らく、定型の人からすると「自分の投げかけた話題について興味をもって返答してくれている」になるのかなと思いますが、私としては「それ、違う」ですw

◯自分がすごい興味をもっている内容を相手が話している
→ドラマとか、ディズニーとか局所的にすごい好きなものがあるんですが、それにのっかります。
皆さんがいう「気になる箇所」に一番近いのがこれなんじゃないかなぁと思ってます。
なんか、テンションが上がる感じがあるので、頭だけじゃなくて興味とか感情(?)で動いてるなぁって唯一思えることなので。
定型の人からしても「気になる箇所」私にとっても「気になる箇所」かなぁと。

例えばですけど、ディズニーの新アトラクションの話とかされたら即座に話に食いつくと思いますw

以上、3つのパターンです!
これ、定型の人だとどういう感じになるんでしょう?それはちょっと「気になり」ますw

そういえば、昔友達に部活を辞めるか否かの相談をされて、相手の話しぶりからなんて言って欲しいのか分からなくて「で、止めて欲しいの?辞めるよう促して欲しいの?どっちがいい?どっちでもできるけど」って言ってぽかーんってされたことがありました。

普段は流れになんとか合わせて対応してますけど、曖昧な事を言われると、判断がつかないんですよね;

songさん

 いや,私としてはほんとにおもしろくて(というのは長年自分の抱えている謎で解ける部分がある感じがするので,うれしいという意味でおもしろいんです),感謝です!

>◯相手が聞いてほしそうなポイントが散りばめられている
>◯相手が誤った・納得のいかない話をしている
>◯自分がすごい興味をもっている内容を相手が話している
>以上、3つのパターンです!
>これ、定型の人だとどういう感じになるんでしょう?それはちょっと「気になり」ますw

 たぶん,このみっつのパターンのどの場合も定型にもあるように思います。ただ,それぞれの割合が違ったり,どういうときにそうなるか,という具体的な中身の所で,もしかするとずれが大きくなるかもしれません。

 なんとなくの印象ですが,定型は三つめのパターンの割合が多いんじゃないでしょうか。そして相手とそういうやりとりになることが結構よくあることと思える。特に「気の合う関係」の場合には,そこがたくさん共有できる関係ということなんじゃないかなと思います。そしてできればそういう関係を多く作りたいとか,あるいは特定の人とより深めたい,という欲望をもったりしやすいように思います。

 それに対してアスぺの方の場合は,この三番目はどっちかというと「めずらしい」ことなのかもしれないですね。それは望んで作れるようなものというより,たまたま偶然にできちゃうものという感覚があるのではないかと想像してみたのですが,どんなものでしょうか?

>そういえば、昔友達に部活を辞めるか否かの相談をされて、相手の話しぶりからなんて言って欲しいのか分からなくて「で、止めて欲しいの?辞めるよう促して欲しいの?どっちがいい?どっちでもできるけど」って言ってぽかーんってされたことがありました。

 これ,以前はそのお友達の感じ方がすごくよくわかるだけで,なんでアスぺの方が,具体的に言えば私のパートナーだったりしますが,そんな言い方をするのかは全然ぴんとこなかったんです。不思議としか言いようがなかった。

 でも今回のsongさんのコメントを拝見して「あ,そういうことか!」という納得感が生まれたんです。「そうなら無理はないな。当然ともいえるな」という感じでしょうか。もちろん私の勝手な誤解かもしれないんですが,でも感覚的にはそんな感じになっています。

パンダさん

おっしゃるとおりです。
私としては基本、会話といえば
>◯相手が聞いてほしそうなポイントが散りばめられている
>◯相手が誤った・納得のいかない話をしている
で構成されています。95%くらいはこれかな…。

定型の人は3つめの感覚が多いんだろうなぁ、というのは私もブログとかパートナーとのぶつかり合いでなんとなく分かってきましたw

でも、もちろん定型の人にもこの3つに当てはまる会話はやっていると思います。社交辞令とか、今日は接待で疲れた~、とかはそういうのですよね。

だから、そういう部分では定型もアスペも「そうそう、そういう会話って疲れるよね」という同意はとれる。でも、常に常にそれに晒されていて落ち着く会話の数があまりにも少ないアスペと、落ち着く会話でエネルギー充電できる定型では結構ズレが出る。
そういうことなんでしょうね。

おもしろいですね、ほんとにw

トマトです。

数年前に見た・・・あるブログのASの方のコメントを思い出しました。

「定型は何でも話題にする。話題を食べ物に例えると、ASは自分の食べたいものを厳選して食べ、食べたくないものは皿に乗せない。それに対して定型は、何でも食べて、地べたに落ちたものまで拾いあげ食べてしまう」という内容のもの。

地べたに落ちたものまで・・・というのは、知らない人の悪口に乗っかるとか芸能人のゴシップとかの、いわばくだらない世間話の範囲かなと思ったのですが

ASの人は、自分の関心事や、仕事や生活圏の必要範疇から・・・少しでも離れた話題をもちこまれると、抵抗感が強く困惑すると感じます。

定型がASの人と、会話を長続きさせようと思ったら、そのASの人の関心事だけにひたすらつきあい、
質問をされたら、シンプルな解答にとどめて、それに自分の意見や意志を混ぜない
ことに努めるしかないのだろうと思います。

文章ならまだ理解の仕方や時間があるとして

会話しながら、相手と考えの違いを楽しんだり、相手の人間性や自分への気持ちを見出したりと、流れていく会話に沿って感情が生まれるからこそ、定型は会話をコミュニケーションそのものにするのですが

会話を、必要最小限の伝達(で良いのに)と感じている自閉圏の人にとっては、定型からの話題の多くは「唐突にそんな話をしてくる意図が解らない」となり、その疑問を言葉にすると
定型は「そんな傲慢な返答をする意図が解らない」と不快になり

お互い、悪気の意図なんか無いのに、悪い展開になってしまう。

私は、個人的に相手がAS(らしきも含む)だと感じた時点から「こんな質問ならかまわないだろうか?」「こんな話題ならOKだろうか?」と、話題と言い回しの選択にコレ努めてしまいます。

足の不自由な家族や恋人や友人に、歩調を合わせて歩くのは何の疑問も不服も感じないのは、感情が後押ししてくれるから・・なのかも知れませんね。
ASの人の感覚に合わせて会話を運ぶのが難しいのは、感情が邪魔するからだと確信してます。


トマトさん

>感情が邪魔するから

 というところ,なんだかすごくいろんな意味でとても大事なポイントに思えてきました。
 まだ「こういうことだ」と言葉にはできそうにありませんが,感覚的に。

トマトさん パンダさん

>感情が邪魔するから

これ、私は自分がASだと気づく前は「何故皆は冷静にものが話せないんだ?感情ばっかり出してきちゃって」って、思ってました。落ち着けよ、論点は感情じゃないだろ?って。
今は、そういうものだから仕方ないかぁ、と思ってますけど「いちいち感情なんてくそめんどくさいもの出してくるなんて!」って思ってたんです。

逆から見てぶつかり合ってる感じ、しますよねw定型の人はアスペの人の特徴を「仕方ないかぁ」って思って、アスペの人も定型の人の特徴を「仕方ないかぁ」って思ってたんですよ!なんか変な感じですよね~。

ちなみに今は、あー、なんだ間違ってたのは、違ってたのは私の方だったのかぁと納得とショックの中にいるっていう感じです。
(ある種)いつでも冷静にものを話せるっていうのは、私の長所だと思っていたので。
他の人とは違うっていうことも自分の好きな所だったんですけど、まぁ少しの悲しさを持ちながらいろんなことを分析しておりまする。

songさんへ トマトです。

songさんのコメントは、とても理解しやすいです。
ASの人の感覚や気持ちさえも、素直に「そうなんだぁ」と解る、率直さを感じます。

私は、ASと定型の会話は「仕方ないかぁ」がベースにあると、比較的スムーズに冷静に続くと思ってるんです。
「仕方ないかぁ」を知らないと、誤解が不快や怒りになりますし
「仕方ないかぁ、ここらへんは相手の崩せない持ち味だろうから」とスルーしたり譲ったり合わせたりの、理性や感情の「調節のポイント」のメドがつかないと困ります。

お互いの会話の混乱や険悪を避ける焦点は「仕方ないかぁ」だと思ってます。

でも、これって・・・ASと定型ならずとも
幼児、小学生、認知の弱くなった老人、異文化の人、そもそも自分を見下したり嫌っている相手とか・・・自分が相手のことを受け入れ合わせたり納得したりするには必要な、割り切りとか諦めワードではないでしょうかねぇ。

「仕方ないかぁ」を前向きに捉えると、受け入れの幅も広がると思うのですが。


songさんへ 追伸・・・トマトです。

【(ある種)いつでも冷静にものを話せるっていうのは、私の長所だと思っていたので。
他の人とは違うっていうことも自分の好きな所だったんですけど】というsongさんの持ち味は、まぎれもなくsongさんの長所だと思いますし、自信の持ちどころだとも思いますよ。

ただ・・・定型の考え方として「そこが長所であり欠点でもある」というものがあります。

例えば・・・他者から「こういうときはsongさんの冷静さに頼りたい」とか「songさんの冷静な視点には感心する」とかの評価は
「ただ聞いて欲しかったのに冷静に評された」とか「感情的慰撫を求めたら満たされなかった」という評価にも
反転することがあり得る、ということです。

「優しいけれど優柔不断」とか「人が良すぎて騙されやすい」とか・・・人の長所は視点の角度や関係性によっては「仕方ない、残念な部分」にもなるもの、だと思います。

浅い一過性の関係性において「長所」と感じられる部分が、付き合いが長く深くなると「欠点」に見えてくることもあるし、
そこは永久不変ではなく、相手により場合により、さまざまに感じられるものではないでしょうか。

これは、あくまでも他者からの評価で得たり失ったりする「自己の長所の自覚や自信」です。

私個人は、ASの人の長所に「冷静な洞察力と理論的な表現」があると思います。

ここに「おしゃべりを楽しみたい」「気持ちを解って欲しい」「愛想もリップサービスも欲しい」という定型の欲求感情が高まるほど、ASの人とは苦しい関係になってしまうので
「そこんところは仕方ないかぁ」で、ASの人の長所とどれくらい多く関わっていくかの姿勢は大切だなぁと思っています。

songさん

>ちなみに今は、あー、なんだ間違ってたのは、違ってたのは私の方だったのかぁと納得とショックの中にいるっていう感じです。(ある種)いつでも冷静にものを話せるっていうのは、私の長所だと思っていたので。

 トマトさんと重なるように思いますが,私もそれは長所として見られると思うんです。
 最近アスぺの方と親しい方と話をする機会が何度かあったんですが,
 そのときも,アスぺの方がずっと生まれ続けたのには,きっと人間の社会にとって
 何か大事な役割を果たしてこられたんだろうという話にもなりました。
 その大事なひとつは「冷静」ということでした。
 ただ,たぶんそれは「緊急事態」で発揮される力のように思えるんですが,
 逆に定形にとって平穏な時期には,その力があまり発揮されるより,
 定型から「異質」だとみられてしまうようになるんじゃないでしょうか。
 
 とはいえ,そういう平穏な状況でも職人さん的な仕事には
 かなり向いていたりするのかもしれません。
 緊急医療のお医者さんなど,やはり緊急対応が必要な仕事でも
 能力が発揮されることがあるんじゃないでしょうか。
 知り合いにパートナーが優秀なお医者さんという方がありますが,
 お話を聞いていると,なんかアスぺ的な気がします。
 ただし,これもトマトさんが書かれているように,
 お医者さんとしてはとても素晴らしいけれど,カップルの関係では
 このブログなどでも語られるようないろんな問題が起きますね。

>他の人とは違うっていうことも自分の好きな所だったんですけど、まぁ少しの悲しさを持ちながらいろんなことを分析しておりまする。

 アスぺの方は「自分を好きになれない」方も多いのではないでしょうか。
 もしそうなら自分を好きになれたsongさんはとても素晴らしいと思えますし,
 そこは大事にすべきことのようにも感じました。
 

 初めまして、白崎と申します。なんとなく自分のblogタイトルで検索したら辿り着きました。以前ご紹介いただいていたようで、ありがとうございました。

 「AだからD」という感じの話が、私(アスペルガー症候群)と母(定型発達)の間でもつい最近ありました。私が「プリペイドカードが足りなくなる」と言ったら、母が「その話は給料日まで待って」と言ったんです。それで私は混乱してしまったんですよ。
A:プリペイドカードが足りなくなるのではないかと不安なので確認がしたい
B:足りなくなるのであれば、買ってほしい
C:買うのであれば、経済状況を把握しなくてはならない
D:経済状況は、給料日までわからないので、買えるかどうかの判断ができない
 という段階があって、私は「A」で止まっていたのに、母が一気に「D」まで行ってしまったから、混乱したのかな……と、記事を読んでいて思いました。

 もう一つはコメント欄の内容なんですが……にゃんこさんの
>こちらが話しの流れで使ったたいした意味もない言葉一つに、やたらとつっかかってきたり…
>そのたびに私は『私が今話したい事はそれじゃないのに』『もっと大事な事を話してるのに』
>そんな不満はたまるし進まない話しにイライラするし…(>_<)
 という書き込みに、非常に身に覚えがあります。というより元彼さんに非常に強く共感しました。にゃんこさんの元彼さんと、私が同じことを考えていたかはわかりませんが、私が母と話していて上記のような状況になってしまう場合は、
・私が話の要点を把握できていない
・話の流れで突然飛び出してきた単語の意味が全く理解できず、今までの話と何の関連性があるのかわからずに混乱し、話の流れを理解したくて必死に問いかける(定型発達的には揚げ足取りや難癖、重箱の隅をつつく行動に見える)
・定型発達側が、私の追及のせいで何の話をしていたかわからなくなってしまって「もういいや!」ってなってしまうと、私は「そっちが話をごちゃごちゃにしたのに、その上話を一方的に打ち切るなんてひどい!」と思ってしまう
 という風に私には思えているんです。基本的に文脈が読めないので、突然新しい単語が出てくると、わけがわからなくなります。それでも「理屈で考えると、たぶんさっきの話と関連性があるのだろうから、何か意味があるはず」とは考えて、でもその意味がわからないので、新登場した単語に変にこだわってしまうということが起こるんですよ。

 アスペルガー症候群の人全員が全員そうだとは思いませんが、私の場合はそういう傾向があります。

 これだけ書き捨てるのも何なので、母が考案した「スムーズに話を進める方法」をくっつけておきます。それは紙に話題を書き出し、要所要所でキーワードや要約をメモしていくという方法です。学校の先生が板書しながら説明をしているところを想像すると、わかりやすいかもしれません。そのような感じで話を進めてもらうと、私は要点が把握できますし、母も私が「謎の単語」に引っかかって質問の嵐にしてしまったあとも話を戻すポイントがわかりやすいのだそうです。雑談する際には面倒くさいでしょうけれども、重要なテーマで話し合いたいときには、良いと思いますよー。

 他にも興味深い記事はあったのですが、どうも理解が及びませんでした。またあとでじっくり読ませていただきたいと思います!

しろさんだったやよいさん

 コメントありがとうございました。
 思わぬところで行き来できてよかったです。
 その後もずっと頑張っていらっしゃるんですね。

 スペクトラムの当事者としての思いを
 ああいう形でしっかりと発信されているというのは
 ほんとに大事なことだと思いますし,
 そういうことができるところはネットのいいところだと思います。

 お互いに違う特性を持つ者同士として,
 お互いに自分を説明する努力,相手を理解する努力を
 続けていけたらすばらしいと思います。

.>基本的に文脈が読めないので

 とやよいさんはアスペの方のことを書かれていますが,
 私もここでやよいさんが説明してくださったようなアスぺの方の
 質問の意味などを,なかなか理解できません。
 それもまた定型の私がアスぺの方の文脈を読めない
 というふうに見ることはできないでしょうか?

 私はたぶんそんなふうにお互いがお互いの文脈を読めない,
 ということが起こっているのではないかと考えてみています。

 また,いろいろ教えてくださいね。
 
 

パンダさん、お返事ありがとうございます。果たして頑張っていると言えるのかは謎ですが、だいたい同じようなペースで活動しています~。当事者blogは「自分の罪を棚に上げて自己を正当化している」という批判を受けたりするので、好意的に受け止めていただけるのはとても嬉しいです。

ご指摘の件ですが、さすがです。
> それもまた定型の私がアスぺの方の文脈を読めない
> というふうに見ることはできないでしょうか?
こういう考え方が成立する場面も、もちろんあります。

私は「文脈が読めない」と言いましたが、より正確には「定型発達者の使う文脈が読めない」なんですよね。同様に「空気が読めない」「暗黙の了解がわからない」も、「定型発達者間の空気が読めない」「定型発達者社会の暗黙の了解がわからない」が正確なところのようです。

もっとも、全ての当事者と通じ合えるわけではないのは、定型発達者の皆さんが周りの人たち全員と仲良くできるわけではないのと同じです。障害があろうがなかろうが、結局「個人」なんですよね。

白崎やよいさん

>果たして頑張っていると言えるのかは謎ですが、だいたい同じようなペースで活動しています~。

 このマイペースを崩さないところはいかにも,という感じですね!

>「自分の罪を棚に上げて自己を正当化している」という批判

 まあ,人間って誰も自分のことはよく見えないんですよね。
 その点は定型もアスぺも同じかなと思います。どっちもどっち。
 めげずにぼちぼち行きましょう。

>「定型発達者の使う文脈が読めない」「定型発達者間の空気が読めない」「定型発達者社会の暗黙の了解がわからない」

 はい。私とやよいさんと意見が一致しました!
 こういう大事なポイントで定型アスぺ間でも理解が一致するのは嬉しいです。

>障害があろうがなかろうが、結局「個人」なんですよね。

 私の感覚で言うと,「個人」の性格の一つの中に「障がい」の問題も
 ある,ということで,その逆ではないように思います。
 私は「男」ですが,それは私の一部でしかないようなものでしょうか。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/56779884

この記事へのトラックバック一覧です: AだからD:

» 話の段階が一足以上飛ぶ [他者と私と自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)]
定型発達者の特性シリーズです。「アスペと定型」というblogの「AだからD」という記事で、定型はAだからD,というような考え方をほとんど無意識にやってるけど,実はAだからDというためには,AだからBで,BだからCで,それだからDなんだ,というような「隠れた道筋」というか定形にとっての「暗黙の了解」みたいなステップがあって,それが省略されているんじゃないか,という気がしました。と書かれていて、...... [続きを読む]

« 「共感文法」の可能性と限界は? | トップページ | 定型が想像するアスぺ的世界 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ