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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年6月 7日 (土)

助手席の床を踏む

 車を運転していて,「ああそういえば」とふと思い出したことがありました。

 パートナーは私が運転していて助手席に座っているとき,すごく緊張した感じになって,ときどき助手席側の車の床を踏んでいることがありました。つまり,まえから対向車が迫ってきたりとか,誰かが車のまえに飛び出すかもしれないと思った時など,思わず「ブレーキ」を踏んでいるんです。

 最初のうちは私はそれを見て,怖がりだなあとか,からかっていたのですが,本人は冗談ではない感じで,逆に怒られました。そしてそのような状態はずっと続きましたので,私はだんだんと「なんでこの人は私の運転を信用できないんだろうか?」とか,「どうして私の運転に身をゆだねる,といった感覚になれないんだろうか?」とか,そういう不思議さを感じるようになっていったんです。

 その「信用してくれない」感じは,運転のことだけではなくて,いろんな場面であるような感じもあったから,余計に私が気になったのでしょう。 「私を信用してくれない」「私に身をゆだねてくれない」「私を受け入れてくれない」「私を拒絶している」……といった感覚がなんとなくつながってきて,しんどくなるんですね。

 でも今改めてそのことを思い起こしてみると,彼女にはそういう気持ちはないんだろうと思えます。彼女が助手席に座るときには,言わば運転手の視点を持ってそこにいることになりますから,目の前に展開する情景に対しては,運転手的に反応してしまって,そこで「運転しているのは自分ではなくパンダだ」という意識が薄れてしまうんじゃないかと想像するんです。

 つまり,定型は何かの問題に対処するとき,ほかの人を巻き込んで,人にゆだねたり,協力し合ったり,あまえたり,といったやりかたをかなり自然にとると思うんですが,それに比べるとアスぺの方は「自分で対処する」という姿勢がとても強いように思います。助手席の床をパートナーが一生懸命踏むのも,なんかそういうことの一つじゃないかという気がするんです。

 それは私を信用していないとか,身をゆだねてくれないとかいうことではなくて,自分が感じた危険に自分個人として自然に対処しようとしているのではないかと。その時は私を無視しているということではなくて,単に私が意識から消えている状態に一瞬なっているんじゃないかと。

 運転というのは頭で考えてやるよりも,とっさに状況判断をして反射的に対処しなければならない状況ですから,緊急事態への対処の仕方について,定型アスぺの基本的な感覚の違いがストレートに表れやすいのかもしれないと,そんなことを思いました。

 

 

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コメント

パンダさん あひるさんへ トマトです。

パンダさんの
『定型は何かの問題に対処するとき,ほかの人を巻き込んで,人にゆだねたり,協力し合ったり,あまえたり,といったやりかたをかなり自然にとると思うんですが,それに比べるとアスぺの方は「自分で対処する」という姿勢がとても強いように思います。助手席の床をパートナーが一生懸命踏むのも,なんかそういうことの一つじゃないかという気がするんです。』

というコメント、定型視点でASの人を理解しようとすればとても解りやすいと思います。

あひるさんについてコメントさせていただくと
恋愛は2人の向き合いの仲でまかなえることが多いのですが、結婚式となればすでに社会的作業です。
相談という会話もままならず、かといってゆだねてくれる訳でもなし・・・。

ちょっと飛躍しますが、あひるさんがハンドルをにぎり彼を乗せてことを運んでいこうとしても
彼は彼で独りで心のロックして運ばれたく無くて
同じ空間に居ても
心境と状況は別室感覚というこではないでしょうか。

ただ・・・ここでややこしいのは
定型的に「彼に自分を拒否された、必要とされてない、大事にされてない、ないがしろにされた
愛されてない」と定義づけないことで
「さてこの状況をどう丸く収めるか」という社会的収束の仕方が必要な段階だと思います。

彼への愛情と事柄への対処能力が自力で
伸びて行ったら理想的ですね。

トマトさん

>「さてこの状況をどう丸く収めるか」という社会的収束の仕方が必要な段階だと思います。

 この「社会的収束」という考え方,なんだかいろいろなことを示唆して頂ける感じがします。
 感じ方や考え方がまったく異なる人間同士で,どう一緒に生きていけるのか,
 ということを真剣に考えるとき,欠かせない視点のひとつのような……

パンダさんが精神科医に診てもらう方が良いかもしれない、ってたまに感じる。
気にしすぎ。自意識過剰。
一緒にいると息苦しそう。
自分の行動をいちいちアスペルガーと関連付けてブログに書かれるなんて、私なら窮屈で耐えられない。
そういうところに疲れて、愛想が悪くなるのは仕方ないと思う。

なんなら書籍化すれば良いのに。

私は、定型でもアスペでも関係なく
人の運転の横に乗っていたら、自分とブレーキを踏むタイミングが違うと、足がつっぱるとか
よくあること、と思います・・

相手を信用していない、とか・・そういう考えを巡らせるっていうのも、定型ならではの着眼というか、
思考の仕方かもしれないな、と感じます。

単に自分の運転と、タイミングが違うから、自然と足をつっぱったりして、カラダが反応しやすくなる、ってことかな、と感じますね。アスペだと、余計に、いろんなことに過敏に反応してしまうという生理的な面もあるかもしれないですけど。

あと、定型とかアスペを関係なく、運転が得意か、不得意か、ってあると思います。
不得意な人の運転で車に乗ってたら、そりゃ助手席で足がつっぱるな~と思うんです。

パンダさんが奥さんを思う気持ちは理解できます。
ですが、アンバーさんの言われることは、私も以前から感じていたことだったので、まったく同感しています。

最近の掲示板でもありましたが、何でもASに関連付けるのはよくないと思っています。
逆に、ご自分(のされている)ことを客観的に見てみたら、と思うことが多々あります。


アンバーさん

>パンダさんが精神科医に診てもらう方が良いかもしれない

 これを読んでとても悲しい気持ちになりました。
 繰り返し書いているように,うつで精神科には今もかかっていますが,
 アンバーさんが私を心配してそのように書いて下さったとは感じられなかったからです。
 
 パートナーのことについては,たぶんアンバーさんの印象とは
 違うように私は感じています。
 ただアンバーさんがそのように感じられることについては
 そういうこともあるだろうなという想像はある程度働きます。
 それについては,具体的に「こういうところはアスぺ定型問題ではないだろう」
 などの形で教えていただけると有難く思います。

かふぇおれさん

>人の運転の横に乗っていたら、自分とブレーキを踏むタイミングが違うと、足がつっぱるとかよくあること、と思います・・

 「よくある」とまでは言えませんが,ほんとに緊急の時などは思わず
 そうすることはたぶんかなりの人にありますよね。
 私もしたことがあるかもしれません。

 にもかかわらずここであえてそのことを書いたのは,
 私の運転で他の人が助手席に座るときには 
 まずそういうことが起こらない,という前提があってのことでした。
 なぜ彼女だけが…ということが謎だったのですが,
 そこについて,こういう考え方をしてみると
 分りやすくなると思ったわけです。

 もちろん可能性としてはアスぺの問題にかかわらないかもしれませんし,
 そこはどちらとも即断は無理ですよね。
 いろいろな見方や経験を交流しながら,
 より柔軟に考えていければと思います。


人魚さん

>逆に、ご自分(のされている)ことを客観的に見てみたら、と思うことが多々あります。

 私に可能な「客観的に見る」ことは,正直に自分の体験や感じ方を書いて,
 それをほかの方から見てどう思えるかを教えていただく,
 ということでようやくできることのように思います。

 ですから,人魚さんも具体的に「ここはアスぺ定型の問題とは違うはず」
 というような形で指摘して頂けると,議論の中でお互いに
 より「客観的」な理解に進めるのではないでしょうか。
 

パンダさん

なるほど~。そうですね~。
人は自分の経験してきたことから、いろいろを判断するから、経験が違うと、判断する基準、価値観が違ってくる、ってことですよねぇ・・

私は、夫のほうが運転がうまい、と分かっているから夫の運転でブレーキのタイミングが違っても足がつっぱる、ってないですけど
他の友人だったりすると、運転、危ないなと経験してる人だと、隣で足がつっぱる~って、なりますねぇ・・

夫を信頼してるから、任せてるのか、
友人を信頼してないから、隣でドキドキ、足がつっぱるのか・・
信頼、って意味も入るかも、ですが、やっぱり私としては、運転上手いか、う~~ん?なのか、で任せる、任せられないが決まるみたいです。

人はそれぞれ、価値観も感じ方も、考え方も違うのではないでしょうか。
それが、社会適応に大きく外れるとか、適応するのができない、となると、やはり脳の問題もあるのかな、とアスペという区別もできるのかな、と私は思っています。
自分自身の、自分と違う人に対する許容範囲を広げることが、「受容」だと私は思って、夫や息子のアスペタイプと付き合っている感じです。

もちろん、ここはパンダさんのブログなのですから
パンダさんの感じること、考えること、価値観で物事を見て、その感想などを書ける、
パンダさんの大事な場所なのだ、と私は思っています。

今回の記事も、パンダさんは、そう思うんだな~~、って興味深く読ませてもらいました。
私は、こうだな~と思ったことをコメっただけで、単なる私の一意見です。

個人のブログは、その人の自由で書ける場所、と私は思っています。
私は、息子のことや自分のことを考える良い材料にさせていただいています。これからも、期待してます。

あくまで私の場合は、っていう話なんですけど、信用しているとかしていないとかではなく、車のスピードが怖いです。
後ろの席でも怖いですが、助手席だったりすると、もっと怖いです。

「何でもかんでもアスペルガーに関連付けるな!」っていうご指摘もあるようですが、やっぱり定型発達者よりも不安傾向が強いと思いますので「100%アスペルガーのせい」っていうことじゃなくても「関連性が高い」ぐらいことのように思えます。

トマトです。
アスぺの方からしたら「もし場分の言動を何でもかんでもアスぺに関連づけて書かれたらたまらん」という気持ちも解ります。

が・・・ASの家族や恋人などが大切であればあるほど、定型は直視してしまうし凝視してしまうし、「この言動は個性なのだうかAS特性なのだろうか」と迷うし悩むものなんですよねぇ。

定型は
自分の感じ方や言動を他者と照らし合わせながら過ごしているので、照り合わない事柄に敏感なのだと思います。

単純に「あなたはおかしい」「あなたが間違い」だと断定して離れられる関係性なら悩まなくて良いのですが
鬱や体調不良を起こしても、離れられない、または別離や決別したくない関係性なら、自分の中の疑問や感じたことを「溜め込まない」ことが定型にはとても大切になります。

「吐き出し効果」も必要だし、「納得」は相互の関係維持に最も必要なものなので、とにかく大切な相手がASである、という定型は(客観的にみて少し病的や神経質に見えても)ひとつひとつの疑問や発見や思いついた事を「言う」「聞いてもらう」「応えてもらう」が、精神のバランスそのものであり、心の酸素の様に必要だと思います。

目障り耳障りな内容があったとして・・・それを言い続けたり問い続けている意図や状況を知ると、関係維持には必要行為なんだなと理解出来るのではないでしょうか。

私も過去、ASの人に同様のことを言われました。
でも「そうね、あんまり神経質にならず、気にしないでおくわ」と言う時は「さよなら」の時だと覚悟しました。
「一緒に居たいから、いちいち気になる」これが定型とASの関係性ではないでしょうか。


トマトさんへ

【相談という会話もままならず、かといってゆだねてくれる訳でもなし・・・。
ちょっと飛躍しますが、あひるさんがハンドルをにぎり彼を乗せてことを運んでいこうとしても
彼は彼で独りで心のロックして運ばれたく無くて同じ空間に居ても
心境と状況は別室感覚というこではないでしょうか。】
→おしつぶされそうなくらいツライと彼が私に今の状況をカミングアウトしたメールに書いていました。

【ただ・・・ここでややこしいのは定型的に「彼に自分を拒否された、必要とされてない、大事にされてない、ないがしろにされた
愛されてない」と定義づけないこと】
→そう思っていました…

【「さてこの状況をどう丸く収めるか」という社会的収束の仕方が必要な段階だと思います。】
→また話が戻ってしまいますが、
話し合って欲しいと彼から言われたのに、話し合いにならない…このお互い苦しい状況のまま1ヶ月以上が経過しています…挙式まで3ヶ月を切っているので自分の両親に起きている事をそろそろ話さないと飛行機の予約等々聞かれています…結婚とセレモニーは別の事ではありますが、結納をして予約をして日程を決めた以上伝える義務があり悩んでいます。結婚をするかしないかを決めないまま、私の両親に説明ができません…

彼のご両親には私からお話をしました。心配されて彼に会いに行かれましたが、何も決まってないみたい…とゆうコメントのみです。

私には何もせず待てと言われているのか、そちらから別れる決断をしてくれと思われているのか…とゆう解釈になってしまいます…

そして、彼には『両親を巻き込むな!そういう強引な所が嫌なんだ。』と言われました。初めて彼が私の嫌な所を言いました。今までは、嫌な所も直して欲しい所もないと言われていたので、やっと本音を言ってくれたと思いました…


【彼への愛情と事柄への対処能力が自力で伸びて行ったら理想的ですね。】
→お手上げ状態で私もフリーズしてしまっています。

あひるさんへ。 トマトです。

ASの人は、あくまで「あなたとわたし」という1対1の対峙で会話を理解すると思うのです。
ですから、彼とあひるさんのことについては、彼が望まない限り、親であろうとカウンセラーであろうと、第三者が話しに入ると混乱と不快にしかならないと思います。

段取りとすれば、まず彼に「親もこの件に関して話しをしに来る、その理由や必要性やメリット」などの理解をしてもらってから親御さんは登場すべきでした。

もしかしたら、彼は「結婚式」というものが、自分とあひるさん以外の様々な人が関与するという「概念」が無かったのかも知れません。

ASと定型は、話しその手前の概念が違っていることが多いので、定型流の当然の努力はASの人にとっては、横暴、越権、強引、押しつけという一方的行為になるように感じます。

彼の「結婚」に、あひるさん以外の人が視野に入ってなかったし、これからも入らないだろうと予想されたら、あとは「彼の精神の安定」をとるか「世間のフツー」をとるか、どちらかの選択になると思います。

残念ながら、彼には「披露宴」という多数の人が関わる案件は、精神的に生理的にダメであった。
それを知れたことが良かったわぁ。

そこまで腹をくくれるかどうかです。

あひるさん・・・うまれてくるかもしれない我が子がASの可能性があることも含め、彼と
彼以外の全ての人の間の架け橋になり続ける人生を選ぶかどうか、考える機会だと思います。

彼を支えるには、あひるさんを支える人もまた存在しなければ・・・あひるさんがつぶれてしまいます。

トマトさんへ

【もしかしたら、彼は「結婚式」というものが、自分とあひるさん以外の様々な人が関与するという「概念」が無かったのかも知れません。】
→彼はよく友人の結婚式や二次会に出席しており、何年か前に『知り合いの結婚式に出席するなんて皆めんどくさいなーって思ってるだけだよね』と言っていた事があります…しかし、先日は『結婚式わあひるの為にしてあげないといけないからする』と言ってくれていました。 言ったものの、やっぱり無理だったという事だったんですね。


【あひるさん・・・うまれてくるかもしれない我が子がASの可能性があることも含め、彼と彼以外の全ての人の間の架け橋になり続ける人生を選ぶかどうか、考える機会だと思います。】
→彼が私を選んでくれたなら、彼を守りサポートするつもりです。

【彼を支えるには、あひるさんを支える人もまた存在しなければ・・・あひるさんがつぶれてしまいます。】
→いま状況を相談している人は、きっと支えてくれると思います…

パンダさん、精神科にかかってるん?
だったら、それをブログの最初にでもきちんと書いた方が良いよ。
うつでない人がこのブログを読んだら、アスペルガーの人に対する誤解を呼びかねませんよ。
私はあなたがうつ病なんて、知らんかったからね。

こういうところはアスペの問題ではないと逐一書いたところで、また別の話題につながってしまうだけやろ。
まずあなたが自分の病気を治すことが先決ちゃう?

このブログを続けるなら、せめてタイトルは変えた方が良いと思うよ。
「アスペと定型」ではなく、「パンダのうつ病闘病記~アスペルガーの妻と共に~」くらいの方が、見る側の誤解を招かないんじゃない。

別に個人ブログやし個人の勝手でも構わないけど、
「アスペと定型」とか、「ムーミン谷」とか書き続ける限り、それだけ見知らぬ人の批判の眼は受けやすくなるからね。

(ほんまに巧妙に人を操りよるね。罪悪感を植え付けるんやろ。)

アンバーさんはどうも返事を期待されての書き込みではなさそうなので,
(少なくとも私が「意味を感じるやり取り」のパターンは無意味に感じられそうなので)
簡単に私の感想を書くにとどめておきます。

二点,かなり偏った決めつけをされているように感じました。アンバーさんがそうなる原因についてはおいておきますが。

ひとつめはうつについては私はかくしたことがありませんし,ここでも文脈上必要と思えるときには繰り返し書いています。ですから,その点は明らかに決めつけですね。

ふたつにはうつについてのアンバーさんの理解が少なくとも私の理解とは全くことなったものであるようだということです。うつとアスぺの問題がどうかかわるかについて,アンバーさんの視点は私には理解しがたいものですし,たぶん精神科医の方などでも同じことを考えられるでしょう。その意味で,うつについてもアンバーさんは独特の決めつけをされているようです。

「罪悪感の植えつけ」については,「ああそうなのか。アンバーさんは罪悪感持たれたのか」と思いました。それって大事なことのように思いました。

ちなみに,このてのやりとりは特に望んでいませんので,どうぞお返事などはおきになさらないでください。

何か、お気に障ったようで、失礼しました。
ただ、おかげであなたのコミュニケーションの癖を理解することができた気がします。

うつについては、このブログを全文読み下していない読者もいるだろうと思いまして、「レイアウトとして分かりやすく書いた方が、読解に力をかけない読者に対して、誤解を招きませんよ」、という意味です。

うつとアスペがどう関わるか…について、パンダさんが深く考えていたということは、私の知るところではありませんでした。

ただ、あなたの言葉が本当であれば、このブログは、健常者の視点とは異なる者の視点から見た内容だと捉える必要があると感じた為、それをタイトルに明確に表さなければ、読者に伝わらないと感じました。

そして、私は特にうつに対する所見はありません。
というのも、それはあなたの担当医が決めることであり、あなたや私が決めることではないからです。
ただ、「うつの治療と並行してこのような議題に頭を悩ませるよりかは、専門医に任せて治療に専念した方が良いのではないか」という考えからの発言です。
なお、アスペルガーとうつの関連についても、同様のことが言えると思います。

勿論、これが本当に、あなたの個人の考えを纏める為のブログならば構わないのですが、「妻」というおそらく実在の人物を取り上げた上で、アスペルガーという非常にシティブな問題を議題にしていること、それにも関わらず、「アスペと定型」という、それが社会的な事実であると誤解を招きかねないタイトルを使い続けることに、毎回違和感を感じたからです。

この違和感は、私個人の考えですから、あえてここで詳しくは語りません。

返答という訳ではありませんが、発言の意図のみ明らかにしました。

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