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2014年6月15日 (日)

「定型モード」を使えるということ

かずきさんからのコメントで,またとても考えさせられています。

>前から言って頂いていますが「かみ合っている」と感じてくださっていて安心しています。もちろん、内容はAS思考回路についてですが、極力定型モードで書くようにしているのと、やっぱり「浅瀬」だからではないかと感じています。

 私の場合アスぺの方とのやりとりでは,話が「かみ合う」感覚がその方によってさまざまです。かずきさんとのやりとりは私としてはとても「かみ合う」感覚が強いのですが,その理由としてはかずきさんが「極力定型モードで書くように」されていることがたぶん大きいのだと,このコメントで思いました。

 そしてすぐにこんなことに気が付いたんです。かずきさんは私(定型?)にわかりやすい書き方,つまり「定型モード」を使うことができる。でも私は自分が「アスぺモード」を使えるようにはとても思えないということです。

 というか,それ以前の問題として,私は「定型モード」が具体的にはどういうことで,「アスぺモード」とは何なのかをわかっていないのです。ですからもちろんそのモードをつかえるなどということはあり得ないでしょう。

>記事やコメントの中の、定型側の苦労と、AS側の苦労とどちらの状況も容易に想像がつくパターンが多い気がします。

 これも私はおよそそういう理解力を持てていません。もちろん謙遜やお世辞などとは一切関係なく,こういうふうに書けて,そして実際に私との間で私には違和感がないくらいにやりとりをして下さるかずきさんの理解力のすごさを感じずにはおれないのです。

 かずきさんのコメントを読んでもらったうえで,パートナーにそのことを話してみました。彼女は「それは当然でしょう」という感じでした。アスぺの方はそんなふうに「定型モード」をなんとか使いこなす努力をずっと続けない限り,この社会で生きていけないからです。逆に「アスぺモード」を学ぶなどということをしてしまえば,簡単にひとびとからはじかれてしまうと彼女は言います。

 もちろんそんなふうに「定型モード」を使いこなす努力を続けてこられたとしても,それがどこまでうまく身に着けられるかどうかについては,その方によってずいぶん個人差があるのだと思います。そこがかずきさんが書かれる「浅瀬だから」というところに関わるかもしれません。

 でも,それが「浅瀬」であろうとなかろうと,かずきさんが御自分のベースがアスぺの側にありながら,それでも両方の感覚をここまでこなされている,ということのすごさはほんとにおどろきです。私はこのブログを通じてなんとか「アスぺモード」を私なりに体得したいと思い続けているのですが,ほんとにむつかしいことだと感じていますから,ますますかずきさんのことをすごいと感じるのでしょう。

>でも、解決策は思い浮かばないのでお役に立てないんですけどね。

 かずきさんはこう書かれているのですが,実際にここまで「定型モード」に迫れる方がいらっしゃるということ自体,私たち当事者の双方にとってはとても大きな「手がかり」を与えてくださっているように思えます。定型の側からいえば,もっと「アスぺモード」を学ぶ現実的な可能性も感じることができるわけですし。とはいえ,もちろん

正直な所、自分を殺さずに生きていける方法があるとしたら知りたいです。……そんな自分が「ありのまま」でられるわけなど無いと感じてしまいます。

 というかずきさんの思いは,この定型社会の中ではどうしてもそうなってしまうのでしょうね。もちろん定型も全く自分を殺さないで生きていかれる人などいないでしょうけれど,ちょっとそのこととは話の質が違うでしょうし。

 ただ,たとえばかずきさんが,ご自分の実家ではアスぺモードを切り替える必要がない,と書かれていたように,身の回りに限定された範囲ではあっても,そういう場所ができることはありうるのだろうと思います。じゃあなんで実家ではそれができるのか?ということを考えてみることは結構重要な手がかりを与えてくれる問題かもしれません。

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コメント

トマトです。
ここ3ヶ月ほどの出来事です。
あるアニメーターさんの作品に心引かれ、ご縁をつないでもらい県内の大手企業のCMに起用してもらえることになりました。
そのアニメーターさん(男性40代)も喜び張り切って打ち合わせに臨んだのですが、次第に私は彼がASだと確信するようになりました。

・難易度の高いことはサラリとやってくるが、色の指定や簡単な約束が守れない。

・「前回言ったよね!!」というスポンサーの苛立ちを、質問だと勘違いして「ええ言いましたね」と答えてさらに怒らせる。

・スポンサー打ち合わせにはスーツ(両手に不必要な文房具や本を布袋などに目一杯詰込んで持参する不思議なファッション)だが、数時間後に映像編集や音楽関係の制作側の人と会うときは、必ず家に帰りシャツとジーンズに着替えなくてはならない。

・解散時の「失礼します」は言えるが「こんにちは」「よろしくお願いします」は言えない。

・着替えの送迎を私がする場合、近道は許されず彼のこだわりの道を走行しなければならない。

・ネットのやりとりを嫌って、作品の進度やチェックは必ず対面形式。そのつどスポンサーに時間をとってもらわなくてはならなかった。

・スポンサーが彼との会話に疲れ次第に私を介して指示を与える様になった。しかし、彼はその指示系統が理解できず「僕にがトマトさんに従う理由が無い」と混乱した。

とくにスボンサーの指示を私が伝える場面で、彼の抵抗感がつよく、様々に説明するほど「さっきの説明と違う! 欺瞞だ!」と興奮するので
私は彼と会う時はASの知識のある友人に同席してもらいました。

言葉尻が違わないように、端的に機械的に繰り返す。断定口調を崩さない。
気持ちの問題は、肯定的に聞き入れるが、こちらの気持ちは
「聞きたく無いし、聞いても理解出来ない」という彼に合わせ言わない。
無表情で、話も書き言葉を意識して、主語・述語・目的語・数字を明確に入れる。
決して、感情的にならない(なっても顔や言葉に出さない)

それに徹するように努めました。
誰かが見ていてくれる・・・その環境が私に落ち着きと余裕を与えてくれましたし
後でたっぷり共感しねぎらってくれるフォローで救われました。

私は、彼のためではなく彼の作品をより多くの人に見てもらいたいという自分自身の目標があったので、例えその障害になるのが彼本人の存在であっても、クリアしようと決めたし
何より、締め切りという終了のメドがあったので、3ヶ月間で2種のCMを仕上げることが出来ました。

ただ・・・そういうふうに「ASであろう彼に、話しの内容をより理解してもらおう」と努力すると、完全に普段の自然な自分を抹殺しなければなりませんでした。

こういう努力を日常生活で強いられ、終了のメドがないASの人達の立場が頭をよぎりました。

ただ・・もし私がASの人の存在を知らなかったら・・・AS友人と過ごした5年間がなかったら・・我が家の犬が自閉症でなかったら・・・ASの人がネット上でいろいろ教えて下さらなかったら
アニメーターの彼との仕事の共有は不可能でした。

仕事といっても、私の立場ではギャランティは発生しませんが、そんなことより目的遂行の難易度が高かったのでゴールできたことが何よりの報酬でした。

あまり頭の中で考え過ぎると、ASと定型の関係性は哲学になっちゃぃそうなので
想定外でしたが、今回の体験は経験値を上げるという点では良かったです。

彼の近しい人が随分、私に感謝の言葉を下さったのですが、彼は感謝をうながされ「ありがとうございました」と、初めて言いました。

私にではなく、上を向いて、空に向って。

そのとき私はなんとなくニヤリと満足でした。


・会話が論争になりやすい。

トマトです。すみません。

最後の・会話が論争になりやすい は、彼がASだろうという可能性の特徴をあげた箇所の1点でした。

取り上げてくださってありがとうございます、かずきです。

一点気になったので。

私の「アスペモード」と、パンダさんの目指す「アスペモード」はちょっと質が違うのかなーと。
逆に、私の「定型モード」の裏が、パンダさんの会得したい「アスペモード」なのでは?

今回のトマトさんの投稿で思いをめぐらせて頂いていますが

思考回路(入力)から態度(出力全般)まで、全てを定型に、というか相手に合わせる、
「そこに自分は無い。」みたいな対応を人と接するときに常にする。

これが私の「定型モード」です。

パンダさんの目指す「アスペモード」が、完全にアスペになりきることではなく、
とっさの時もアスペ的感覚にも共感できるようになる事、なのだとしたら、
もうその一歩は踏み出せているように思います。
というか、結構アスペ寄りな考え方が出来ているように思いますよ。

もちろん、ベースに定型な部分がはっきりとあるのは分かりますが、
アスペな私にも理解できる文章を書いていらっしゃるのは、
私の理解力だけではないと思います。


ちなみに、実家でアスペモードで居られるのは
実家の家族全員がアスペっぽい性質を持って居る事と、
それをそれぞれに尊重して対応しているからだと思います。

細かな事ですが、
休日は「今日のご予定は?」とそれぞれに聞くのが定例だったり
それに対して「何時ごろこれをして何時ごろあれをするよ」と具体的に話す事など、
他にも夫に指摘されて初めて「普通」はしない習慣だと気づいた事が多くあります。

そしてそれが無いと不安が増す事や不便を感じる事が多く、
実家の細かなルールが、私達姉妹の特性に合わせたものだったのだと気づきました。

その人の特性に特化した環境であれば、その人のままで居られるのかもしれません。

ちょっと急いで書いたので推敲していませんが、失礼をしてこのまま。

かずきさん

 ありがとうございます。また考える手掛かりをいただきました。
 あらためて記事で考えてみますね。

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