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アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年5月21日 (水)

個性としてのアスペ

 しばらくご無沙汰してしまいました。ご心配下さる方もあって,失礼いたしました。多少ばたばたはしていますが,だいたいいつも通りに過ごしています。

 ごぶさたになったのは,「これを書きたい」とか「これを書かなければ」ということをここしばらく強くは感じなかったので,まあそういうときは無理に下手なことを書かない方がいいかなとか思ったからでした。そうこうしているうちに結構日が過ぎていました (^ ^;)ゞ

 パートナーとの大きなズレが無くなったとか,そういうことではもちろんないのですが,なんとなくある意味で一段落した部分もあるのかなと思います。何がどう一段落したのかはまだよくわかりません。ひとつこの間思ったのは,「アスペルガー」ということを,なんとなくひとつの「個性」と感じ始めているかもしれないと言うことです。なにかものすごく特別のことというより。

 とりあえず一段落したかもしれないとして,でもまた,次にどんな問題が改めて浮かび上がってくるのか今のところは見えてきませんが,そのうちに見えてくるでしょうし,それにあわせてぼちぼち書いていきたいと思います。

 また,みなさんからのコメントや投稿(私宛にメールでお送りいただければ,記事の欄に掲載させていただきます)を頂いたときには,そこでの問題提起などについては引き続き考えさせていただきたく思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。

 
 パートナーにとても助けてもらっている介護の方は,だんだんとひとつの終着点に近づきつつある感じですけれど,人が終わりに向かう,というのは大きなことだなと改めて感じています。「裏を見せ,表を見せて,散る紅葉」というのがありましたが,「紅葉」と言えるかどうかは別にして,なるほどなあと思わせられます。自分が最後に向かうときにはどんな形で「醜態」を晒すのかとか思うとちょっと考えちゃいますね (^ ^;)ゞ

 ……うーんと,なんというか,やっぱりアスペ定型問題を考えるというのは,いろんな意味で「人生を考える」ということかなとも思います。介護問題を通してもそう感じますね。

 

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