レタスが好き
パートナーの言葉に,自分が否定されたり,不当に責められているように感じたとき,以前はむすっとしたり,反論したりということが多かったと思うのですが,彼女にはそういうつもりはないらしいということが何となくわかってきてからは,あまり反論したりもせず,「これ,どういう意味で言ってるのかな?」とか「何を伝えたいんだろう?」とか「どうしてこんな風な表現になるんだろう?」ということをちょっと引いて考えることが多くなっています。
そんな風に私の考え方とかが変わってきていることについては彼女にも時々話していますが,そのせいもあるのでしょうか。最近は私が反論もせずにいると,彼女の方から「怒ったり,責めたりしてるんじゃないからね」と言って,改めて何が言いたかったのかを考えて話してくれたりすることがぼちぼち出てきたように思います。そして以前なら私が一人で「パートナーは何を言いたいんだろう?」「お互いに何がずれているんだろう?」と考えていたことについて,なんとなく一緒に話し合える感じも出てき始めています。
それはそんなに大げさな話というより,日常のほんの些細なことについてであることもよくあります。今朝も私が朝食にレタスを食べようとしていたら,「あなたほんとにレタス好きだよね」というので,「最近ちょっと野菜に飢えてるみたい」と言ったんです。実際昨日も二人で外食した時に,メニューの中の野菜中心のスープにすぐ目がいって頼みましたし,なんか野菜ジュースを飲みたくなったりとか,このところちょっとそんな気分がしていたんです。で,なんかそういう気分か体調か,そういうのを伝えたかったんですね。それに対して彼女はほぼ即座に「野菜じゃなくてレタスが好きなんだよ」と返してきました。
で,以前なら私が「そういうことじゃなくて」と反論して,そうすると彼女がその「反論」に緊張するのか,私には理解しにくい反論をすぐに返してきたりして,話が混乱してきてわけがわからなくなってげっそりして終わる,ということもままあったのです。でも今朝は私が反論を控えていたら,彼女の方から「文句を言ってるんじゃないからね」,と改めて言いたいことを考えながら説明してくれて,私も納得できるところは積極的に同意して,そうでないところはまた話をして,という感じで,それなりにおだやかに納得して終わりました。
そう言えば,最近,彼女の目から見たら,私のような人間はどんなふうに見えるのか,と言うことについてなんとなく分かるところも出てきた感じがあるのですが,そうするとこれまでは「なんでそんな見方になるんだ!」とか憤慨したり,自分の大事な面を「理解されない」ことにがっかりしたり感じることが多かったのが,逆に「たしかに言われるような面はあるなあ」とか,「彼女からすれば自分のこういう面はすごく気になるし,迷惑なんだろうなあ」とか,なんとなく分かる気がして,言われても同意することがぼちぼち増えてきています。
なんか,そんなふうに受け止めあえる関係にちょっとなってきているのかなと,そんな風にも感じるのでした。もちろん定型同士の関係でも,ズレが重なってお互いに緊張した,対立した固い関係になってしまった後,改めてお互いに受け入れ会う状態に進めるときには,同じようなことが起こっていると思います。ということは,「ズレの中身」とか「ズレの質」みたいなものには定型同士の関係とアスペ定型の関係では違いがあるでしょうし,それを乗りこえるのに必要な具体的な努力の中身もまた違うのでしょうけれど,その「ズレ」や「対立」や「緊張」を乗りこえていく過程というのは,大きく見ればどちらもそんなに違いはないのかもしれませんね。
コメント
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ほんとに、私も夫婦でいて、自分の想いが伝わらない、ってこと、日常のささいなことでも、たくさんあります。
奥様が、「野菜じゃなくてレタスが好きなんだよ」って言ったら、私なら、笑うとこですね・・
もし、むっとした感じで奥様が言ったなと見えても、です。
笑いながら、「そう思うんだ~」と言っちゃいますね、きっと。で、相手が、なにも言わないなら、「今のは、そういうことじゃなくて、さ~」って、詳しく言うだろうと思います。
お、なにかまた、違うこと、言い出したぞ~と、やっぱり、そういう些細なことでも、
こうきたか~と笑って楽しむ、そんな感じの日常なのです。
違って当たり前という前提があるからこそ、できる楽しみだな、と思ってます。
私もさんざん、自分の想い、感覚が夫へ伝わらない・・異星人か・・ってことで、話し合いというか、
反論しても、相手はわからん、ってことの繰り返しで、
些細なことでも、疲れる~~という、繰り返しでした。
私も疲れたけど、夫も、そりゃ疲れたなと思います。
まだ、子供が生まれる前、強烈にケンカしたのは
お互い正社員の共働きで、休日、忙しく家事を私がして、夫へ話しかけても返事もせず
新聞をじぃっと見入っていて、無視された、と私は、ものすごく腹がたち
「そんなに新聞を読みたいなら、新聞と結婚すればよかったでしょ!」と切れたこと、です。
夫としては、???で、あまりの私の逆鱗ぶりに、家を出てしまって、しばらくして、ごめん、と帰ってきたのですが
夫には、まったく私のキモチは理解できなかったのです。
でも私も夫のその時のキモチは理解できてなかったのです。夫も仕事が忙しくて、たまの休みに新聞をゆっくり読むことが彼のストレス発散なのだ、ということを
理解できなかった当時の私なのでした。
お互いさま、って部分、あるなと私は思いますね。
投稿: かふぇおれ | 2014年5月 6日 (火) 11時16分
かふぇおれさん
すみません,ちょっとバタバタしていてお返事が随分おそくなりました m(_ _)m
>違って当たり前という前提があるからこそ、できる楽しみだな、と思ってます。
トマトさんとのやりとり等でもここがとても大きい問題のように私も思いました。
じゃあどうやってそういう「前提」を得ることが出来るのか……
トマトさんが強調されていたことに一種の「諦め」があったと思います。
そのとおりなんだろうなと思いました。
ただ私のように俗っぽい人間には「諦め」もやはりむつかしくって,
(もう「煩悩」にまみれてますし (^ ^;)ゞ )
「諦め」ることは相手との関係を「諦め」ることとか,
自分の人生を「諦め」ることとか,そんなことにもつながってしまいやすそうです。
そうじゃなくて,「今の期待の仕方を諦める」ことで
「新しい関係を得ることが出来る」という具合になるといいのでしょうね。
(そう言えば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もありました)
じゃあその「新しい関係」の魅力ってなんなのか,
ということが大事なのかもしれません。
カフェオレさんの「笑うこと」にもつながりそうですけど……
カフェオレさんの場合はやっぱり「諦め」の感じもあったのか
それともまた違う何かが大きかったのか……
コメントを拝見していてちょっとそんなことも考えました。
投稿: パンダ | 2014年5月10日 (土) 08時46分
相手と、感じ方、考え方が違うというとき、
相手を受容するということが、諦めなのか?ということについてですが。
「相手を受容する、受け入れる、とは、違いを諦めるのでなく
違いは違いとして、そうなんだ~と認める感じです。
自分の意見を言うとしても、まず、受け入れてから。
自分のキモチをわかってくれ~ということだけに執着しない、という態度だと思っています。」
と、前記事への二つ目の私のコメントに書いたとおり、私は、こんな感じで相手との違いを考えています。
私がこれを聞いたら、夫は、こう言うな~と想像がつくようになっているので
それで自分がもしかしたら、夫の言うことで、マイナスを感じるな、と思うことは、まずはじめから夫へは、聞かないです。
「私の言うことを、私の思うように分かってくれ~~!共感してくれ~~」と、夫へ求めるキモチが、かなり薄まり
意見を言い合う必要性がないな、と思うことが多いのです。
違うことは、違うままで、なにも問題ないな、と思う今、なのです。
投稿: かふぇおれ | 2014年5月10日 (土) 20時30分
かふぇおれさん
>違うことは、違うままで、なにも問題ないな、と思う今、なのです。
私は数学が苦手だったんですが (^ ^;)ゞ,
あれ,できるひとは出来ない人がなんで出来ないのかが
不思議に思えたりするみたいですね (^o^)
かふぇおれさんが「違うままで,なにも問題ない」と,すっと感じられるところが
なんかすごいなあと思ってしまいます。
どうやったらそうなれるのか……
投稿: パンダ | 2014年5月11日 (日) 21時27分
私の場合、ですが
どれだけ、夫婦で相手を必要としているのか?
という根源的なところに行きつくのではないかと思います。
なぜ、この人なのか?ということは、理由をはっきり言えないけれど
この人でなければ、ダメだという感覚があり
それは、もし相手が体型が変わったり、性格が変わった、としても
相手の魂?というか、一番のオオモトのところで一緒に生きていきたいと思う人なので
生活していくのに、多少の違いがあっても、何も問題ない、という感じなのです。
性愛の愛だろうと、精神的な愛だろうと、同じ原理から問題ない感じです。
こうなるまで、ごたごたと、いろいろ夫婦でもめても、
私も相手も関係を「諦める」ということを考えなくて、なんとか一緒にいたいと思ったことが一番の大事なことだと思います。
投稿: かふぇおれ | 2014年5月11日 (日) 22時10分
かふぇおれさん
>私も相手も関係を「諦める」ということを考えなくて、なんとか一緒にいたいと思ったことが一番の大事なことだと思います。
ああ,そうなんですね!
私の場合,これまで自分も東山夫妻も,「離婚の危機」を通過していて,
関連の掲示板なども結構そういう方たちの発言が多かったりしたので,
どっちかというとそっちの経過をたどるパターンのイメージが強くなってました。
そうでないパターンについてはまた新鮮な感じ(?)がします。
なにがそこを分けるのかはまだよく分かりませんけれど,
またこれでこの問題についてのイメージがちょっと拡がりそうです。
投稿: パンダ | 2014年5月12日 (月) 23時29分