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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年5月26日 (月)

高熱なのになんで?の話

 

東山家のエピソードでも紹介されましたし,パートナーと私や子どもとの間でもそういうことがあったので,定型アスペのズレとしてはある程度生じやすいことなのかもしれないと思うのですが,定型の側が病気で高熱を出しているときに,アスペの方から一緒に寒空に外出することを求められたり,家事をすることを求められたりして定型がショックを受ける,ということがあります。

 定型の感覚では,そう言う場合,「なんて残酷なんだ。思い遣りが全くないのか」と思ってしまうわけですが,これまでいろいろみなさんとやりとりしてきたことから考えると,どうもアスペの方にはそういう「つもり」はないようですよね。「つもり」というのはつまり,「この人は熱で苦しんでいて,本当は静かに休んでいなければならない。でも私はこの人には同情する気持ちにならないから,わざと苦しめてやろう」ということです。そういうことは多分考えていらっしゃらないんだろうなと思える。

 でも不思議なのは,たとえば私のパートナーの場合には,仕事で老人の世話をする場合には,「こういう状態だとしんどいだろうから,それは可哀想だから,こうしてあげたほうがいい」といった判断は,場合によって私なんかよりも上手にするんです。だから「当然誰に対してもそういうことはできるはず」という判断が定型の側には出来てしまうわけで,「にもかかわらず,自分にはそういう配慮をしてくれない」ことにますますショックを受けることになります。

 この問題はこれまでも別の点で何度か考えてきたことですが,アスペの方は相手に対してどういう配慮をするか,ということについて,相手が身内でない場合と身内の場合とでびっくりするような違いがあったりするようです。仕事上とか社会的なつきあいの場では「このように振る舞うべき」という一種の「テクニック」を身につけて,それを頑張ってやるんだけど,身内とはそういう「不自然な気の使い方」をする気にはならない。とりあえずそんな感じで私は理解しています。

 ですから,高熱の時に,定型からすると「無慈悲」な要求をしたりされるのは,「身内」だからなのかもしれません。

 じゃあなんで身内に対してはそこで「じゃあしっかり休んでいてね」と言わずに普段通りに何かを要求されたりするのでしょう?

 これも私の勝手な想像でいくつか考えてみることですが,ひとつには,自分が子どもの頃とか,同じ状況でつらさをうまく訴えられないまま,親がその状態を知らずにいろいろ要求してこられ,「こういう状態でもいろいろやらされるのは当然だ」という感覚を身につけられてしまっている可能性もありそうです。「自分だって同じ扱いを受けてきているんだから」というわけですね。

 そしてその後,世の中で他人に対してはそれをやると問題になるので,「他人向けの対処の仕方」を別に学ぶけど,身内に対しては自分が家族の中で体得したやりかたでやる。アスペの方は自分の辛さをうまく周囲の定型に伝えられないことが多いように思えるので,そういうことが起こっても無理はなさそうです。

 もうひとつ思いついたことは,「高熱」=「安静にさせてあげなければならない」ということがストレートには結びつきにくくて,高熱状態でもできることはあるし(まあ,物理的には実際無理すればできたりもしますから),どうしても辛いなら本人がそう言うはずだから,言わない以上問題はない,という感覚がアスペの方にはあるかもしれないということです。

 もし後者なら,定型の側が遠慮無く「熱で辛いからそれはむり」と断言すれば一応は解決と言うことになるのでしょうか。(ただし,仮にアスペの方が「自分は平気なんだから,相手も平気だろう」とまで考えられている場合にはそのやり方でも無理でしょうけれど)

 そんなときどうやったらうまく状況を切り抜けられたか,何か方法をご存知の方があれば教えていただければ嬉しいです m(_ _)m

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コメント

トマトです。

体調の悪さと多忙と親の介護が重なり、バテておりましたので星さんのお言葉は嬉しかったです。
パンダさんのテーマに思い当たったことがありました。

ASの人の多くに「応用が苦手」ということを聞きます。
定型の多くは「高熱が出た」というところに反応するので、相手が老若男女の誰であろうが、身内か他人かどちらであろうが「それなら、用事を頼む場合ではない」と判断するところ
ASの人の多くは「それを誰が言ったか」に反応するように感じるのです。

つまり・・状況や内容ではなく「人」を見ていて、眼の中がそれを告げている「相手」でいっぱいになり「何を言っているのか」までは見えてない・・というような。

定型は「熱が出た」相手が子どもや老人であれば「早急に世話をしてあげなければ」と判断し、同僚や友人であれば早退や受診を勧めたり・・・いろいろな「熱が出た」に様々な対応をするのですが
ASの人は「この人が熱が出たときのパターン」を個々に知る必要があり、
奥様も教科書や授業に「夫が熱が出た時は」と出てなかったら「習ってないから知らない」となるのかも知れませんね。

ASの友人が、他者が画鋲を踏んだとき薬を持って来たのに、私が画鋲を踏んだとき「ツバでもつけときゃ治るでしょ」と笑ったときは激怒しましたが
AS友人は「どうして怒りを買うのかさっぱり分らない」と驚いていましたから、どうも思考の基本ベースがそもそも違うのだと感じました。

AS友人が言うには「トマトさんはとても強く頑丈な人という対象なので、画鋲ごときで痛いとか同情を求める人ではないと思い込んでいた」ということでした。
だから「「ツバでも〜」と言ったら、トマトさんがペッとツバをつけ笑いながら立ち上がると思ったのにな・・・」と首をひねってました。

AS友人の眼(脳内)には、いつもの元気なワタシの存在だけが映り、いつもではない違うパターンのワタシだとは認識できなかったし「あの頑丈なトマトが痛がっているぞ」と認識しても、その対処法は「知らない」から思い当たらなかったのだろうと感じました。

唐突に相手から「熱が出た」というメモを渡されたとします。
こちらは「誰が?」「何度?」「いつから?」などと聞き返さなければなりません。
メモには「私は今、熱が出てしんどいので寝ます。買い物も手伝いも熱が下がるまで出来ませんが夕食は作ってくれたら食べます」という情報量が必要です。

ASの人の立場にたってみれば、定型の言う事はいつもメモの切れ端なのかも知れませんね。


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