「解答」への道
かふぇおれさんからコメントを頂いて,その中にこんな一節もありました。
「長い年月を経て、今はもう、そのへんは私と夫の決定的違いであって、同じになるということに、意味はないな、と思うようになりました。なんというか・・根本的に、信頼というか、一緒に暮らしている楽しさとか、もちろん、経済的に夫に頼る部分も多いし家のことは私がすることが多く、それで支え合っていて夫婦でいるからこそ、2人の生活は回っていてそこに子供がいて、暮らしがある、ということが一番大事であって、分かり合う、共感する、キモチを共有することだけが大事なことではないという結論にいたり・・・今があります。」
ああ,これがもしかするとアスペ定型のズレを抱えたカップルの中で,定型の側に生まれるひとつの「解答」なのかもしれないな」と思いました。私自身もその「解答」に向かうステップの一つを歩んでいるのかもしれません。もちろんこれは「定型の側の解答のひとつ」であって,アスペの方はまた違う形で「解答」に辿り着くのでしょうし,同じ定型でもまた違うパターンもあるでしょう。もちろん「別れる」という別の選択肢もありうるわけですし。
いずれにせよ,カフェオレさんがその「解答」に辿り着くまでには,随分といろいろな道のりがあったのだろうなと思います。人によってその「解答」に比較的早く辿り着く方と,私のように鈍くさくうろうろしながらゆっくり進む人間と,そこもまたいろいろでしょうけれど,みなさんがどんなふうにその道をたどっていらっしゃるのか,さらに交流できるといいなと感じました。というか,それ以前の問題として,似たような方向で進んでこられた方が他にもやっぱりいらっしゃると知ることが出来たのは大きいです。
カフェオレさんの場合,さらに息子さんとの関係がそこに加わっていて,ちょっと違った視点から立体的に定型アスペ関係について教えていただけそうな気もしました。またこんなことも書いて下さっています。
「夫とは、私が勉強したカウンセリングの内容を話したりしているので、「ああそういうのは、聞いたら、うん、って頷いてればいいんでしょ。」とか言われて初めは、なんて馬鹿にしてるんだろう~って腹が立ったりしたのですケド悪気ないな、ってことが分かって来て、そういう反応か、って内心、笑っちゃって楽しんだりしてます。こちらがこう言うと、次はどう返ってくるんだろう?って、それが自分の想像することとは、ほんとに違うので逆に楽しみだったりするのです。」
これも「腹が立つことを言われる」→「悪気はないことが分かってくる」→「違いに興味を持つ」→「違いを楽しめるようになる」という気持ちの移り変わり方が,「ああやっぱりそんな風に変化していくんだなあ」と,自分のこれまでの経験からも想像できました。特に「楽しめるようになる」ところまで行くのはなかなか大変だと思いますけど,逆に言えば,そこまで行ければ基本的に「問題クリア」と言えるのかもしれないと思ったりします。
じゃあどうやったら比較的スムーズにそこにたどり着けるのか,というコツみたいなものが見つかるといいですよね。もちろん個人個人違うところも大きいでしょうし,パートナーとの相性などによっても随分変わるとは思いますけれど。
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コメント
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私のコメントを記事に取り上げてくださり、ありがとうございます。
びっくりしました~。
私は、パンダさんのブログを読ませていただき、
定型とアスペというくくりだから、ということだけでなく、
どんな人であっても、夫婦、というもの、親子でも
お互いが分かり合うというのは、難しいのだ、と実感してきたので、つい、コメントさせていただきました。
他人との関係も難しいと思っていますが
家族、という近い関係こそ、一緒に生活していて、お互いが必要とする度合いが大きいだけに
最も関係の難しい部分が見えやすいのではないか、と私は思ったりします。
社交辞令では済まない部分をたくさん見るからです。
それだけに、そこでの関係が楽しいものになると、
きっと自分が結婚してから生きていく多くの時間をプラスに感じることができるのではないかな、とも思います。
逆に、その関係がずっとツライだけ、ならば、
結婚後の多くの時間をツライことだけで終わってしまうことになり、それは大きな学びではあるけれども
お互いが人生を大変な厳しい作業で終わることになってしまうのではないかとも、想ったりします。
どう生きるのかは、個人の自由であって、誰にも素晴らしいカタチとか、決められないので
結婚しないことも幸せだろうし、離婚もありだとも思いますが。
私が夫とのあまりの違いをどう埋めたのか、というか、
楽しいなと思えたりもするようになったのか、そこを考えるには、息子の不登校などの問題が大きく作用したと思います。
息子の中学不登校から、もう10年ほどになります。
息子の不登校やら思春期の黙り込むという反抗を親として、どう対応したらいいのか
発達障害ということを知らなかった時期は、本当に悩み
その悩みが夫と感情の共感、共有ができないということからもまた、私としては、ツラさが増して
夫へ当たり、夫も黙り込む・・という・・・そんなこともしてきて。
カウンセリングを学び、精神分析の本とも出会い
「受容」ということを知りました。
子育て、人との関係に大事なことであり、特に親となり子供に接するには
その「受容」ということが子供の精神を育てるモトであると学びました。
でも私には、その受容という概念がほとんどなかったことに、愕然としました。
自分の感情を横におき、相手の気持ちに添うこと、それこそ、共感するということが、相手を育てることであるという。
人にそうされたい、という願望は大きかったのですが
自分がそれを人にする、ということが足りなかったな~と反省しました。
それを子供へするのは、すごく辛抱強くないと、できないのですよね。母性だけではないとも思います。
息子は、特性ありだなと思うので、それだけでは、普通の発達をするとはいえないので、難しいですが。
でもその受容、ということを夫との関係でしてみた時、とても変化を感じました。
お互い違うのだ、ということを、プラスで感じるのに、とても役立つと感じています。
感じること、行動もお互い違うし、好きなことも違うのだけど、相手の言うことは、なるほどね~と聞くし
でも相手と同じにする必要はぜんぜん、ないのです。
仕事のあと、家で喋るのが疲れるんだな、ということが多い夫には、
黙っている、ということを「受容する」という形で、
私も黙っていたりします。そんなカンジの受容です。
「なんで黙ってばかりいるの?」と聞きたいところを、相手が黙りたいのだから、それを優先するという形での受容をしていると、私は考えます。
生活するのに必要な部分は助け合うことができているから、その他は、「そうなのか~~」だけで、すんでしまうという、
そんな感じの日常です。
それをしていると、不思議と、相手に自分を「受容」してほしいという願望みたいなものが、減って来たのです。
その仕組みは、良くわからないのですが・・
自然と、でした。
長くなってしまって・・すみませんでした。
投稿: かふぇおれ | 2014年5月 5日 (月) 14時58分
かふぇおれさん
いろいろ教えて下さってありがとうございます。
そうなんですね,パートナーの方との関係が変わる前に,
息子さんとの関係の問題が大きかったんですね。
一つ思ったのは,パートナーとの間には「離婚」という選択肢はあるけど,
息子さんとの関係はもう完全に運命的なもの,逃れようもないもので,
「つながりがある」ことが大前提になるのでしょうから,
ある意味では安定した関係の上で「受容」ということを深く考えられた上で,
そのことをパートナーさんとの関係にもつなげて行かれたという,
そんな過程を通られたことに結構大きな意味があるのかもしれない
ということでした。
アスペ定型カップルの関係を考えるときに
子どもの有無とか,子どもが定型かアスペか,と言った違いが持つ意味は
かなり大きそうだなと思っていましたが,
カフェオレさんのお話を拝見して,その思いをまた強めました。
> 生活するのに必要な部分は助け合うことができているから、その他は、「そうなのか~~」だけで、すんでしまうという、そんな感じの日常です。それをしていると、不思議と、相手に自分を「受容」してほしいという願望みたいなものが、減って来たのです。その仕組みは、良くわからないのですが・・自然と、でした。
「生活するのに必要な部分は助け合うことができている」ということの意味をどこまで
大きく感じられるのかは大事なポイントなのかなと改めて思います。
私のパートナーはほんとにその部分をとても大事にしていますし,
それに対して私はなかなかそこでは満足できないというか,
むしろそれ以外の部分により大きな価値やこだわりを感じるタイプのようだったので,
多分かふぇおれさんに比べて「自然と」変わることがむつかしかったかもしれません。
(この辺は個性の問題と,あと性差の問題が絡んでいるかも)
でも最近自分が変わり始めている大事な部分は,やっぱり
「生活を助け合うこと」の意味の大きさを見つめ直し,感じ取っていくことに
深く関係しているように思います。
投稿: パンダ | 2014年5月 6日 (火) 09時57分
パンダさん、そうなのです。
息子とのことは、逃れらない運命であり、親としての責任があります。
彼が自立して、生きていくのを見られるためには
親の私と夫は、協力して、そこをなんとか考えないといけなくなったのです。
そのために、定型だろうが、アスペだろうが、夫婦として、親として、
どう対応することがいいのだろうか、と悩む必要があったのです。
参考になる本があると夫にも読ませたいと思ったのですが、「字は読めるけど、本になると漫画しか無理」とか言われたり・・
仕事の本は読むけれど、他のものは頭に入らないとかで・・
子供のことなのに、やる気ないのか~~!とこれまた、腹のたつ言葉ですが、今は、ほんとにそうなんだな~と思うようになり
本を読ませるのは、ムリだ、という結論です。
講演会は一緒に行ったり、カウンセリングも行きましたが、
経済的に家庭を支えるのが夫の最大のできることで、息子への対応の学びなどは、それが得意な自分がやればいいことで、
できることで補いあい、生活することこそ、夫婦のステキなとこだな、と思ったりしています。
お互い得意なことがあれば、苦手もある、のは、人間当たり前と思います。
共感の会話に意味を大きく感じていると、タイプが違う夫婦だとツライですよね。
私には、定型か?と思われる娘がいて、息子の妹なのですが、彼女は学校も普通に行き、友人もいて、普通~の道を行くようで、
それでも不思議と、きょうだいの仲はいいです。
違うけど、なにか通じるものがある、というような。
息子で教えてもらった受容ということは、娘にも必要であり、大事なことでした。
アスペと思われる息子には、受容することの程度が大きく、思春期では、修行が大変でした。今もですね。
相手を受容する、受け入れる、とは、違いを諦めるのでなく
違いは違いとして、そうなんだ~と認める感じです。
自分の意見を言うとしても、まず、受け入れてから。
自分のキモチをわかってくれ~ということだけに執着しない、という態度だと思っています。
投稿: かふぇおれ | 2014年5月 6日 (火) 12時56分